帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (405)下の帯の道はかたかたわかるとも

2018-01-31 19:04:59 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

     道に遭ヘリける人の車に、物を言ひ付きてわかれ

 ける所にて、よめる           友則

下の帯の道はかたかたわかるとも 行めぐりても逢はむとぞ思ふ

(道で出遭った人の車に、物を言っていて、別れた所にて詠んだと思われる・歌……路に合った女の、来る間に、物を言い尽きて、離れたところにて、詠んだらしい・歌)とものり

(下の帯状の道は、互いの方向に別れるけれども、往きめぐりても、逢いたいと思う……下のおひの通い路は、片々・方々と、離れても、逝き、め繰りても、また合いたいと思う、思うでしょう)。

 

 「道…路…通い路…おんな」「あへり…遭遇した…出会った…合った」「付きて…尽きて」。

「した…下…下半身」「帯…帯状になった道…おび…おひ…ものの極まり…感の極まり…絶頂」「かたがた…方々…片々…それぞれの方向…カタカタ…車の音」「行…ゆき…往き…過ぎ去る…逝き」「めぐり…廻り…巡り…め繰り…め捲り」「め…おんな」「逢はむ…合はむ」「む…(逢い)たい…意思を表す…(合い)ましょう…勧誘の意を表す」。

 

帯状の道は、互いの方向に別れるけれども、往きめぐりても、また逢いたい、と思う――歌の清げな姿。

女車に、物言いかけていて、別れ際に詠んだ歌。女たちには快く響く言葉だろう。

 

下の感極まる通い路は、片々と、離れても、逝き、め繰りても、め捲っても、また合いたいと思う、思うでしょう――心におかしきところ。

女車には、ものもうでに出かける女房・女官が四人ほど乗っていたとしよう。彼女たちは、すぐに歌の「心におかしところ」を感じとり、今の男誰よと、嬌声をあげて、和んだだろう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)




帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (404)むすぶ手の滴ににごる山の井の

2018-01-29 19:45:23 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

滋賀の山越にて、石井のもとにて、物言ひける

人の別ける折に、よめる        貫之

むすぶ手の滴ににごる山の井の あかでも人にわかれぬる哉

(滋賀の山越にて、石井のもとで話していた人が、別れて行ったときに詠んだと思われる・歌……至極の賀の山ばで、女の井のもとにて、もの、言っていた男が、離れた折りに詠んだらしい・歌)つらゆき

(掬う手の滴に濁る山の井の、水満足するまで飲めないで、人と別れてしまうのだなあ……結ぶ手が、もののしずくに汚れる山ばのおんなが、飽き満ち足りることなく、人と離れてしまうのだなあ)。

 

 

「滋賀…志賀…所の名。名は戯れる。至賀、至極の賀、山ばの頂上」「石井…石の井…石の言の心は女…女の井…おんな」「折…時…逝」。

「むすぶ…掬う…結ぶ」「滴…水滴…しづく…雫…液滴」「にごる…濁る…汚れる」「山…山ば」「井…おんな」「あかでも…飽き満ち足りることなく…不満足のまま」「あか…閼伽…聖水…水…飽か」「人…偶然であった男…合った女」「ぬる…ぬ…なってしまう…してしまう」「哉…かな…感嘆…詠嘆」。

 

 

お互い急かされないのに、すぐ離れてゆくのですねえ――歌の清げな姿。

別れ行く見知らぬ人を、不快にはさせない無難な挨拶。

 

結び合うて、もののしずくに汚れる山ばのおんなが、飽き満ち足りることなく、男と離れてしまうのだなあ――心におかしきところ。

この歌を聞き取った男は、すぐのちに、または時が経ってから、「心におかし」と思えて、心が和むだろう。

 

この貫之の和歌を、藤原俊成は『古来風躰抄』で絶賛している。その原文は「この歌、むすぶ手と置けるより、雫に濁る山の井のと言いて、あかでもなど言へる、大方すべて、詞、言の続き、限りなく侍るなるべし、歌の本躰は、ただこの歌なるべし」。

 

貫之の歌を正当に聞き取れば、俊成の絶賛ぶりも正当に聞き取ることができるだろう。そのとき、われわれは、平安時代の和歌の文脈に、一歩踏み入ったのである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (403)しゐて行人をとゞめむさくら花

2018-01-27 20:29:50 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

(題しらず)           (よみ人しらず)

しゐて行人をとゞめむさくら花 いづれを道とまどふまで散れ

 

(強いて帰り行く男を、とゞめたいの、桜花よ、いずれを道とまどふまで散ってよ……気ままに逝く男を止めてやる、おとこ花よ、どこを通い路かと惑うほどに、咲き散れ)

 

「しゐてしひて…強いて…恣意で…勝手気ままに」「行人…出立する人…帰り行く人…逝く男…逝くおとこ」「む…意思を表す…したい…してやる」「さくら花…木の花…男花…おとこ花」「木…言の心は男」「道…路…通い路…おとこの通い路…おんな」「ちれ…散ってよ…言い放ち…散れ…命令形…咲き散れ」。

 

帰りゆく男を留めたいの、桜花、道が分からなくなるほどに、咲き散らして――歌の清げな姿。

気を抜くな、おとこはなよ、精一杯に咲き散れ――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (402)かきくらしことは降らなむ春雨に

2018-01-26 20:13:06 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

(題しらず)           (よみ人しらず)

かきくらしことは降らなむ春雨に 濡衣きせて君をとゞめむ

(題知らず)           (詠み人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(天空暗くして、できれば降ってほしい、その春雨に濡衣きせて、悪い春雨ねと、帰れない君を、我が宿に留めましょう……掻きくらし果てて、こと成れば古びる、降ってほしい春雨に罪負わせて、空が暗い帰れないわよ、貴身、わが身に留まってほしい)。

 

 

「かきくらし…暗くして…掻き暮らし」「かき…接頭語…掻き」「くらし…(天空)暗らし…(心)暗くして…暮らし…ものの果てが来て」「ことは…ことば…できる事ならば…事は…行為は…ものごとは」「降らなむ…降ってほしい…古らなむ…古びるでしょう…果て逝くでしょう」「なむ…してほしい…願望を表す…するでしょう…するに違いない…確実な推量を表す」。

 

朝帰る男を留めようと、策を弄する妻女の独り言――歌の清げな姿。

本降りの、その時のおとこ雨に何としても降られなければ、貴身を離さない、おんなの情念――心におかしきところ。

 

大堅でなくとも、たいていのおとこは、ほだされる・情愛のきずなに縛られることだろう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)



帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (401)限りなく思ふ涙にそほちぬる

2018-01-25 20:27:33 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

(題しらず)            (よみ人しらず)

限りなくおもふ涙にそほちぬる 袖はかはかじ逢はん日までに

(題しらず)             (詠み人しらず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(限りなく君を恋しく思う泪に、濡れた衣の袖は、乾かないでしょう、次に逢うはずの日までも……限りなく貴身を思う涙に、朱の土色の路濡れる、濡れたわが身の端は乾かないでしょう、また合う日までも)。

 

 

「おもふ涙…もの思う泪…喜びの涙…おとこの涙…おんなの涙」「そほちぬる…濡れてしまった…濡れに濡れた…そほ路濡れる」「そほ…赤い土色…朱…ものの色」「ち…ぢ…じ…地…路…おんな」「ぬる…してしまった…濡れる」「袖…衣の袖…身の端…おんな」「あはん…逢うであろう…合うはずである」「までに…までも…それほどまでも…程度をはっきり表す」。

 

朝帰る男の耳元で囁いた妻女のことば――歌の清げな姿。

限りなく満たされたおんなの本音のようである。――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)