帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百十六〕いみじう心づきなきもの

2011-07-13 00:58:52 | 古典

   



                   帯とけの枕草子〔百十六〕
いみじう心づきなきもの 



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
 



 清少納言枕草子〔百十六〕
いみじう心づきなきもの


 いみじう心づきなきもの、まつり、みそぎなど、すべて男の物見るに、只ひとりのりて見るこそあれ。いかなる心にかあらん。やんごとなからずとも、若きおのこなどの、ゆかしがるをも、ひきのせよかし。すきかげに只ひとりたゞよひて、心ひとつにまもりゐたらんよ。いかばかり心せばく、けにくきならんとぞおぼゆる。
(まったく気にくわない情況、祭り、禊など全て、男が物見するのに、ただ独り車に乗って見ることがある。如何なる心でしょうか。格別な人でなくても、若い男などが、見たがっているのを、ひき乗せよよ。透き影で、独りただ酔って一心に何かを守っているのでしょうね、どれほど心狭く、気持ちは憎らしいだろうかと思える……ひどく不快なこと、賀茂の祭り、斎宮の禊ぎなどす辺て、男がもの見するのに、ただ独りのりて、みることがある。如何なる心でしょうか、格別でなくとも、若い男などの見たがるおでも、ひき乗せてやれよ。すき陰に、ただ独り多々酔いて、一心に、間堀り、射ているのでしょうよ。どれほど心狭く、気持が憎らしいのかと思える)。


 物見へ行き、寺へも詣でる日の雨。

使用人などが、「われをば、主人は・思ってくださらず、誰々は、ただ今の時の人」などと言うのを、ほのかに聞いている。

 人よりは小憎らしいと思う人が、あて推量しはじめて、むやみに他人を恨んで、我が賢いとなっている。

 
言の戯れを知り言の心を心得ましょう。

「心づきなし…気にくわない…不愉快…不快」「まつり…賀茂の祭…斎王の御出まし」「みそぎ…禊…川水で心身を清めること…斎王のみそぎ」「すべて…全て…す辺て…すのあたり」「す…女」「物見る…見物する…もの覯する…まぐあう」「ひとりのり見る…独り車に乗って見物する…独り興にのって覯する」「見…覯…媾…まぐあい…ここでは独りまぐあい」「ゆかしがるを…慕わしがるものを…見たがるお」「すきかげ…透き影…透き間より見える様」「ただよひて…漂いて…不安定な情況にいる…多々酔いて」「まぼりゐたらん…守り居るのだろう…間堀り射るのでしょう」「ま…間…股間」「掘り…まぐあい…ここでは独りまぐあい」「ゐ…居…射」。


 
祭見物では車がひしめいていて一つ車に大勢乗っているのが普通。それで、ただ独り乗りの男を非難して、気に入らないと、声高に語っていると同時に、低音で最低の事を語っている。まだ男色の方がましだと言っているのであって、男色(合子ともいう)のすすめではない。


 

伝授 清原のおうな

聞書 かき人知らず    (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による