帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの三十六人撰 忠見 (二)

2014-09-30 00:24:12 | 古典

       



                   帯とけの三十六人撰



  四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


  藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、あらためて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 忠見 三首(二)


 さ夜ふけてねざめざりせば時鳥 人づてにこそ聞くべかりけれ

(さ夜更けて、深夜・寝覚めしなければ、夏告げる・ほととぎすの声、人伝えに聞くことになるだろうな……さ夜更けて、夜深き時・根醒めなければ、ほと伽す、張る過ぎたわ・且つ乞うなどと・ひとに告げ聞かされるに違いないなあ)


 言の戯れと言の心

「ねざめ…寝覚め…眠りから覚めること…根醒め…根覚醒」「根…おとこ」「時鳥…ほととぎす…夏を告げる鳥の名…名は戯れる。ほと伽す、郭公、且つ乞う」「鳥…神世から、言の心は女」「人づて…他人からの伝え聞き…女からの告げ言」「べかり…べくあり…しそうだ…するに違いない」「けり…詠嘆」

 

拾遺和歌集 夏に、「天歴の御時の歌合に」、忠見とある。


 歌の「清げな姿」は、普通の思いの陳述。「心におかしきところ」は、性愛における男の思い。



  同じ、拾遺和歌集 夏に、題しらず、よみ人しらずとある歌を聞きましょう。


  はつ声の聞かまほしさに郭公 夜深くめをもさましつるかな

(夏告げる・初声が聞きたいばかりに、ほととぎす、夜深く目を覚ましてしまったことよ……懐く・発声が聞きたくて、ほと伽す、且つ乞うと・夜深き時に、女、めざめさせてしまったなあ)


 「郭公…時鳥…上の歌に同じ」「め…目…女…おんな」「さまし…覚まし…覚醒し…(寝ていた煩悩を)起こし」「つる…つ…てしまった…完了した意を表す」「かな…感動・感嘆・詠嘆の意を表す」


  この歌も「清げな姿」は、男の普通の思い。「心におかしきところ」は、性愛における男の思い。

 


 『群書類従』和歌部を「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


  古今集仮名序の冒頭に、「やまと歌は、人の心を種として万の言の葉とぞ成れりける」とある。同じ、真名序の冒頭に、和歌は、託其根於心地、発其華於詞林(その心根を心地に託し、その花を言葉の林にひらく)ものなり、とある。

 
 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と述べた。

 
 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。


 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。


 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。


 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているけれども、貫之と公任の歌論と、清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。


 それに、歌のよきこと(優れた歌の様)について、古来風躰抄に「歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にも、あはれにも聞こゆることのあるなるべし」と述べている。公任の歌論でこれを読み解けば、「歌はただ読み上げたり、朗詠した時に、(心におかしきところが)何となく色気があって艶っぽく、心にしみじみとした感慨や胸がキュンなる感動が有るように聞こえることがあるべきである。(歌の姿は、清げにこしたことはなく、深き心は、心におかしきところの煩悩即ち菩提にある)」。


帯とけの三十六人撰 忠見 (一)

2014-09-29 00:15:19 | 古典

       



                   帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、あらためて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 忠見 三首(一)


 子の日する野辺の小松のなかりせば 千世のためしに何をひかまし

(子の日する野辺の小松が無いならば、千歳の長寿を願う恒例に、何を引けばいいのだろう……初寝の日するのべの若い女が、否かりすれば、千夜の実例に、何を引き抜けばいいのだろう)


 言の戯れと言の心

「子…干支の子…ね…寝」「野辺…山ばではないところ…延べ」「小松…子供の松…若い女…かわいい女」「こ…接頭語…子…小…若い」「松…言の心は女…長寿」「なかりせば…無いならば…無かりすれば…否かりすれば…かりはいやといえば」「な…勿…無…拒否・否定・禁止・打消しの意を表す」「かり…狩り…猟…むさぼり…あさり…まぐあい」「ためし…例…代わり…恒例…実例」「引く…引き抜き我が家に移し植える…引きとる…娶る…退く…引き出す」「まし…すればいいのだろう…適当の意を表す…したものだろうか…ためらいを表す」

 

この歌は、拾遺和歌集 春に、題しらず、(忠岑)としてある。

壬生忠見(みぶのただみ)は、村上の御時(村上帝の在位二十一年・946967)の人。壬生忠岑(古今和歌集撰者)の子。


 歌の姿は、清げなだけで感動は無い。「心におかしきところ」は、言の戯れに顕れる。「艶」にも「をかしく、あはれ」にも聞こえる。心深くはない、これが忠見の歌の特徴なのだろう。


 

拾遺和歌集 春に並んである。松と初子の日の歌を聞きましょう。

正月初子の日、松に鶯がとまったのを見て、宮内という女房がまだ童女のころ詠んだ歌という。


 松の上に鳴く鶯の声をこそ はつねの日とはいふべかりけれ

(松の上に鳴く鶯の声を聞く日こそ、初音の日とは言うべきなのよねえ……(大人には次のように聞こえる)女が・待つうえに泣く浮く秘すのこゑをきくひこそ、初寝のひとはいうべきだことよ)


 言の戯れと言の心

「松…待つ…女」「うぐひす…鳥の名…鳥の言の心は女…名は戯れる。春を告げる女、、浮くひす、憂く否す」「ひ…日…火…緋…赤色…血色」「こゑをきく…声を聞く…小枝お効く…小身の枝効く」


 この歌も、歌の姿に感動はない。「心におかしきところ」は、何となく「艶」にも「あはれ」にも聞こえる。

 


 『群書類従』和歌部を「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。

 

以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集仮名序の冒頭に、「やまと歌は、人の心を種として万の言の葉とぞ成れりける」とある。同じ、真名序の冒頭に、和歌は、託其根於心地、発其華於詞林(その心根を心地に託し、その花を言葉の林にひらく)ものなり、とある。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と述べた。


 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。


 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。


 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。


 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているけれども、貫之と公任の歌論と、清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。

それに、歌のよきこと(優れた歌の様)について、古来風躰抄に「歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にも、あはれにも聞こゆることのあるなるべし」と述べている。公任の歌論でこれを読み解けば、「歌はただ読み上げたり、朗詠した時に、(公任のいう、心におかしきところが)何となく色気があって艶っぽく、心にしみじみとした感慨や胸がキュンなる感動が有るように聞こえることがあるべきである。(歌の姿は、清げにこしたことはなく、深き心は、心におかしきところの煩悩即ち菩提にある)」。


帯とけの三十六人撰 能宣 (三)

2014-09-27 00:12:07 | 古典

       



                   帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、あらためて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 能宣 三首(三)


 昨日までよそに思ひしあやめ草 けふ我が宿のつまと見るかな

(昨日まで、無関心だった菖蒲草、今日・端午の節句、我が家の軒端となって、見ていることよ……昨日までよそよそしく思っていた綺麗な人よ、京・感の極み、我が家の妻となって、ともに見ていることよ)


 言の戯れと言の心

「菖蒲草…あやめ草…五月五日の節句には家々の軒に葺く草…草花…言の心は女」「あやめ…文目…整った模様…細やかで美しい様」「けふ…今日…京…山の頂上…絶頂…感の極み」「つま…軒端…妻」「と…となって(結果を表す)…と共に(共同の相手を表す)」「見る…目で見る…思う…まぐあう」「見…覯…媾…まぐあい」「かな…感動・感嘆を表す」

 

この歌は、拾遺和歌集 夏、詞書「屏風に」、大中臣能宣としてある。
 屏風の絵によせた感想が歌の「清げな姿」。そこには人生を観想するような「深い心」はない。「浮言綺語」のような言葉の戯れに、「艶なり」「あはれ」といえる「心におかしきところ」が顕れる。


 

この歌の次に並べられてある、題しらず、よみ人しらずの歌を聞きましょう。


 けふ見れば玉のうてなもなかりけり あやめの草のいほりのみして

(端午の節句の・今日、わが家を・見れば、玉の台なんてものじゃ無いことよ、ただの菖蒲草の庵になって……君と共に・京を見れば、玉台も・上品さも、無かりけりよ、綺麗な女が、井掘りの見して)


 「今日…京…絶頂」「見…覯…まぐあい」「玉のうてな…玉台…高台の素晴らしい家…すばらしい人をお乗せするもの…すばらしい女」「いほり…庵…草葺の仮屋…粗末な家…粗末な女…井ほり…まぐあい」「のみして…だけの状態で…だけだから」「して…の状態で(状態を表す)…だから(原因理由を表す)」


 

ついでながら、枕草子(七十八)にある。「草の庵」と「玉のうてな」という言葉の用い方を見ましょう。


 清少納言は、男どもの挑発「蘭省花時錦帳下、下の句をつけよ」に、本の詩句は「廬山雨夜草庵中」と続くが、あえて女の言葉で、「草の庵を誰かたづねむ」と応じた。これは、宮中の男どもに大いに受けた。「わたしは、やがて、山里の草の庵にでも住むでしょう、粗末な女よ、雨中の夜、誰か訪ねて来るかな、誰も来ないでしょう。蘭省の錦の帳の許にいらっしゃる諸君よ」と聞こえるからである。返歌は難しい。それでも、無風流な源中将が、「ここに草の庵やある」と言って局に来た。「あやし、などてか人げなきものはあらん、玉のうてなと求め給はましかば、いらへてまし(へんよ、どうして人っ気のない無い物があるでしょうか、玉の台(素晴らしい女)とお求めになられれば、応じていいかも)」という。


 

『群書類従』和歌部を「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集仮名序の冒頭に、「やまと歌は、人の心を種として万の言の葉とぞ成れりける」とある。同じ、真名序の冒頭に、和歌は、託其根於心地、発其華於詞林(その心根を心地に託し、その花を言葉の林にひらく)ものなり、とある。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と述べた。


 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。


 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。

 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。


 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているけれども、貫之と公任の歌論と、清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。


 それに、歌のよきこと(優れた歌の様)について、「歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にも、あはれにも聞こゆることのあるなるべし(古来風躰抄)」と述べている。公任の歌論でこれを読み解けば、「歌はただ読み上げたり、朗詠した時に、(公任のいう、心におかしきところが)何となく色気があって艶っぽく、心にしみじみとした感慨や胸がキュンなる感動が有るように聞こえることがあるべきである。(歌の姿は、清げにこしたことはなく、深き心は、心におかしきところの煩悩即ち菩提にある)」。


帯とけの三十六人撰 能宣 (二)

2014-09-26 00:27:00 | 古典

       



                   帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、あらためて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 能宣 三首(二


 もみぢせぬ常磐の山に立つ鹿は おのれ啼きてや秋をしるらむ

(紅葉せぬ常磐の山に立つ鹿は、己が啼いて、その声に・秋を知るのだろうか……飽き色しない常磐の女の山ばに、絶つ肢下は、己れ、なみだながして、人の・あきを知るのだろうか)


 言の戯れと言の心

「常磐…変わらぬ…常に変わらぬ女」「磐…岩…石…言の心は女」「もみぢ…紅葉…秋の色…飽きの色…飽き満ち足りた気色」「山…山ば」「たつ…立つ…断つ…絶つ」「鹿…しか…肢下…おとこ(おんな)」「なき…啼き…鳴き…泣き…汝身唾をこぼす…亡き」「や…疑問の意を表す…感嘆・詠嘆の意を表す」「秋…飽き…飽き満ち足り…厭き…あきあき」「しる…知る…感知する…思い知らされる」

 

この歌は、拾遺和歌集 秋に、題しらず、大中臣能宣としてある。


 歌の「清げな姿」は、鹿と景色を見た感想。「心におかしきところ」は、飽きになってしまったおとこの気色。



 古今和歌集の紅葉と鹿の歌を聞きましょう。

秋下、「是貞親王家歌合の歌」、よみ人しらず、


 奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の こゑきく時ぞ秋はかなしき

(奥山で、紅葉踏み分け鳴く鹿の、声聞く時ぞ、秋は悲しい……高く深い山ばで、飽き色、ふまえて、汝身唾こぼす肢下の小枝、利く時よ、飽きは哀しく愛おしい)

 

言の戯れと言の心

「奥山…深い山…高い山」「奥…妻…女」「山…山ば」「もみぢ…紅葉…秋の色…飽きの色」「ふみわけ…(紅葉の落ち葉を)踏み分け…考慮して…ふまえて」「しか…鹿…肢下…おとこ(おんな)」「こゑ…声…小枝…肢下…おとこ」「きく…聞く…効く…効果ある…利く…役立つ」「あき…季節の秋…飽き…満ち足り…あきあき」「かなしき…悲しき…哀しき…愛しき…いとおしい…いじらしい」


 女の歌として聞く清げな姿は、秋の鹿の声を聞いた感想(これだけでは歌ではない)。「心におかしきところ」は、飽きになってしまった時の女の心地が心根の本音となって、言葉に花ひらいている。「よみ人しらず」は「匿名希望」かもしれない。

 


 『群書類従』和歌部を「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。

 

 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集仮名序の冒頭に、「やまと歌は、人の心を種として万の言の葉とぞ成れりける」とある。真名序の冒頭に、和歌は、託其根於心地、発其華於詞林(その心根を心地に託し、その花を言葉の林にひらく)ものなり、とある。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と述べた。


 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。


 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。

 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。


 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているけれども、貫之と公任の歌論と、清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。


 さらに俊成は、歌のよきこと(優れた歌の様)について、「歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にも、あはれにも聞こゆることのあるなるべし(古来風躰抄)」と述べている。公任の歌論でこれを読み解けば、「歌はただ読み上げたり、朗詠した時に、(心におかしきところが)何となく色気があって艶っぽく、心にしみじみとした感慨や胸がキュンなる感動が有るように聞こえることがあるべきである。(歌の姿は、清げにこしたことはなく、深き心は、心におかしきところの煩悩即ち菩提にある)」。



帯とけの三十六人撰 能宣 (一)

2014-09-25 00:43:13 | 古典

       



                    帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、あらためて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 能宣 三首(一)


 千とせまで限れる松もけふよりは 君に引かれて万代や経む

 (千年までの寿命と限られる松も、今日よりは、君に引き植えられて万代も経るでしょうか……千ほどの背までが限度の女も、京よりは、君にひかれて、万夜、経るでしょうかあ)


 言の戯れと言の心

「とせ…歳…年」「と…のような…ほどの…比喩を表す」「せ…背…男」「松…待つ…言の心は女…長寿」「けふ…今日…きょう…京…山ばの頂上…感の極み」「ひかれて…引かれて…魅かれて…率いられて」「よ…代…世…夜」「や…疑問の意を表す…感動・詠嘆の意を表す」

 

大中臣能宣(おほなかとみのよしのり)は伊勢神宮祭主。頼基の子。源順、清原元輔らと共に後撰和歌集撰者の一人。


 この歌は、拾遺和歌集 春に「入道式部卿の親王の子日し侍りける所に(出家された敦実親王が、正月初子の日、若菜摘み、小松を引き移し植える行事をされたところで詠んだ歌)」としてある。


 歌の「清げな姿」は、誇張表現に満ちた言祝ぎ。「心におかしきところ」は、女のさが(性)の誇張に加え、おとこのさがの誇張には、疑問と詠嘆の「や」の付いて居るところ。



 伊勢物語(二十二)にある、次のような歌を知っていると、この歌を、さらに「心におかし」と思える。聞きましょう。


 或る男、


 秋の夜の千夜を一夜のなずらへて 八千夜し寝ばや飽く時のあらむ

(……秋の夜長の千夜を、大なり一夜と置き換えて、それを八千夜共寝すれば、貴女は・飽きる時があるのだろうか)


 返し、女、


 秋の夜の千夜を一夜になせりとも ことは残りてとりや鳴きなむ

(……秋の夜長の千夜の、君の愛を・一夜に為さいましても、わたくし・思い残って、朝、喜びに泣けるでしょうか)


 言の戯れと言の心

「とり…鶏…鳥…言の心は女」「鳴く…泣く」


 

『群書類従』和歌部を「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と述べた。


 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。


 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。


 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。


 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているけれども、貫之と公任の歌論と、清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。


 それに、歌のよきこと(優れた歌の様)について、「歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にも、あはれにも聞こゆることのあるなるべし」と述べている。公任の歌論でこれを読み解けば、「歌はただ読み上げたり、朗詠した時に、(公任のいう、心におかしきところが)何となく色気があって艶っぽく、心にしみじみとした感慨や胸がキュンなる感動が有るように聞こえることがあるべきである。(歌の姿は、清げにこしたことはなく、深き心は、心におかしきところの煩悩即ち菩提にある)」。