帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 雑(六十八) 藤原仲文

2012-12-31 00:11:48 | 古典

    



             帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。

公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。



 金玉集 雑(六十八)藤原仲文

  春宮の蔵人所にて月まつ心を詠ませけるに
  (春宮の蔵人所にて月待つ心を詠ませられたので)

 有明の月の光を待つほどに 我が世のいたく更けにけるかな

 (有明の月の光を待つ間に、我が夜がずいぶん更けてきたなあ……あかつきのつき人おとこの栄光を待つ間に、若よが、ひどくふけてきたなあ)。


 言の戯れと言の心

 「有明の月…暁にある月…あかつきに出る月…このつきを終えて男は帰る」「明…あけ…赤…元気色」「月…月人壮士…壮士…男…おとこ…突き」「光…月光…栄光…壮士の魅力」「我がよ…我が夜…わが世…若よ…若筒」「よ…竹の節…竹の茎(筒)…おとこ」「ふけ…更け…夜が深まる…老いる」「ける…けり…ずっとしてきた…していた…過去より継続してきたことを回想して言う意を表す」「かな…詠嘆の意を表す」。


 歌の清げな姿は、暁の月を待つ間に夜の更けゆく風情。(歌の心は、男の栄光を待つ間に老いゆく心情)。歌は唯それだけではない。

歌の心におかしきところは、赤つきのつきを待つ間に、若筒がひどく更けてきた男の心情。


 拾遺和歌集 雑上。藤原仲文は、冷泉天皇が春宮だった時の蔵人。後に加賀守などを歴任。

 


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの『金玉集』 雑(六十七) 藤原元輔

2012-12-29 00:07:45 | 古典

    



             帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。

公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。



 金玉集 雑(六十七) 藤原もと輔

   蔵人所のこれかれ歌侍りけるに
  
(蔵人所のそれぞれみな歌を詠んだときに)、

 年ごとの春の別れをあはれとも 人におくるゝひとぞ知りける

 (年毎の春の昇進での別れを、感動とも悲哀だとも、人に送られたり遅れている人ぞ、知るのだなあ……疾しごとの張るの別れを、あゝとも哀れとも、男に遅れるひとぞ、知るのだなあ)。


 言の戯れと言の心

 「年ごと…年毎…疾し毎…早過ぎごと」「春の別れ…冠(五位)を得て地方官に転身して行く人や退官していく人との別れ…春情との別れ…張るものとの別れ」「あはれ…心より感動する…悲哀を感じる」「人に…昇進しなかった人に…男に…疾しおとこに」「おくるる…送られる…遅れる」「る…受け身の意を表す…自発の意を表す」「ひと…送られる人…遅れている人…遅れる女…後たちの女」。


 歌の清げな姿は、蔵人所の餞別の宴で送る人の悲哀。歌は唯それだけではない、それだけでは歌ではない。

歌の心におかしきところは、疾しおとこにおくれをとる女の悲哀が添えられてあるところ。


 藤原時平を祖父とする藤原元輔は、天慶六(943)より蔵人。少将、中将を兼ねながら安和元年(968)蔵人頭。

 

 
 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの『金玉集』 雑(六十六) 大中臣能宣

2012-12-28 00:12:03 | 古典

    



             帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。

公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。



 金玉集 雑(六十六)よしのぶ朝臣

  産の七夜にまかりて(産屋の七夜にいきて)、

 君が経む八百萬代を数ふれば かつがつけふぞ七日なりける

 (君が過ごすだろう八百万世を、数えるとやっと今日で七日目なのだなあ……子の君が経るだろう八百万夜よ、数えればやっと、京は七日だけだったことよ)。


 言の戯れと言の心

 「君…幼児のこと…おとこのこ」「やほよろずよ…八百萬代…数多い世…八百万夜…数多い夜」「を…経過する時間を示す…詠嘆を表す」「かつがつ…かろうじて…やっと…且つ且つ…十分でない」「けふ…今日…京…山の頂上…極み…感の極み…和合の極み」「なぬか…七日目…七日間…七回…何か…ものの数で無い」。


 歌の清げな姿は、誕生七日目の乳児の長寿を言祝いだ。歌は唯それだけではない。

歌の心におかしきところは、あふ坂の山ばを共に越えて京にて合うことの難しさを乳児に言った。

拾遺和歌集 賀、能 宣。



 もう一首、能宣の賀の歌を聞きましょう。

 ある人の産屋にまかりて(或る人の産屋にいきて)、          

千年とも数はさだめず世中に 限りなき身と人もいふべく

(千歳とも数は定めない、世の中に限りなき身だと、人々も言うでしょう……千門背共に、数は定めない、夜の仲に限りなき身だと人々が言うでしょうね)


 「千とせ…千年…千歳…千門背…お好きな門と背の君」「とも…だとは…共に」「数はさだめず歳の数は定めない…子供の数は定めない…限りが無い」「世中…男女の仲…夜の仲」「限りなき身…長寿の身…お好きな身」「べく…べくあり…(言う)だろう…(言う)にちがいない」。

 

 生まれた子の長寿と、すでに子などあまた居る夫婦を言祝いだ歌。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの『金玉集』 雑(六十五) 安法法師

2012-12-27 00:13:10 | 古典

    



             帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。

公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。



 金玉集 雑(六十五) 安法法師

  すみよしの社にて(住吉の神社にて)

 あまくだるあら人神のあひおひを 思へばさびしすみよしの松

 (天降る現人神の相老いを、思えば寂しい住吉の長寿の松……息長足姫命の相おひを思えば、寂しいな住よしの長寿のひとよ)。


 言の戯れと言の心

「あまくだるあら人神…住吉大社の四柱は、底筒男命、中筒男命、表筒男命の海より生まれた男神と、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)で、天下る現人神は神功皇后のこと」「あひおひ…相生…ともに生きる…相老い…共白髪…四柱のこと…合いおい…相合う感の極み」「さびし…寂しい…(独りで)心細い」「住吉の松…長寿の松…久しく独り身の老女」「まつ…松…待つ…女…体言止めは余情がある…ひとよ」。


 歌の清げな姿は、住吉の社の女神に比べて、久しく経つ住吉の松は寂しいと思う。歌は唯それだけではない、それだけでは歌ではない。

歌の心におかしきところは、天に上り天よりくだる現ひとかみの合いの極みを思えば、さみしい住みよしのひとよ。


 拾遺和歌集 神楽歌には、住吉に詣でゝ 安法々師。歌は「あまくだるあら人神のあひおひを思へば久し住吉の松」とある。歌の「清げな姿」は、長寿の松を愛でる思いとなる。


 「松…待つ…女」などという戯れを信じない人は、言葉を理性による論理で把握しようとしている。しかし、人の紡ぎだした言葉ながら、人の理性・論理で捉えられるものではない。松は待つ女と心得る人だけが、この歌のおかしさを聞くことができる。

 


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

 
  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの『金玉集』 雑(六十四) 春宮女蔵人左近

2012-12-26 00:26:04 | 古典

    



                           帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。

公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。



 金玉集 雑(六十四)小大君

 按擦大納言まうできてあすまで出でざりければ

 (按擦使の大納言やって来て朝になっても出ていかなかったので)

 岩橋の夜の契りも絶えぬべし 明くるわびしき葛城の神

 (岩橋のように、夜の契りも途中で絶えてしまうでしょう、夜が明ける、やりきれない葛城のかみ……いは端の夜の契りも絶えてしまうでしょう、厭きる、みすぼらしきかつら着のかみ)。


 言の戯れと言の心

 「岩橋…役の行者が葛城の神に造らせようとした橋(葛城の神は容貌醜いということで夜が明けると社に逃げ帰って約束の橋は完成しなかったという)…岩端…女の身の端」「岩、石…女」「夜の契り…夜の約束…夜の交わり」「あくる…明くる…飽くる…厭くる…いやになる」「わびしき…つらい…やりきれない…みすぼらしい」「かつらぎのかみ…葛城の神…容貌醜く明るいところが苦手なかみ…かつら着のかみ…髪が短くかつらを着けている女」「かみ…神…髪…上…女」。


 歌の清げな姿は、葛城の神の伝説を踏まえて、明けて容貌を見られたくないと言った。歌は唯それだけではない、それだけでは歌ではない。

歌の心におかしきところは、夜の契りも途中で絶えるでしょう、厭になる、このわびしい容姿、早く帰れと言った。


 拾遺和歌集 雑賀。詞書は「大納言朝光下に侍ける時、女の許に忍びてまかりて、暁に帰らじと言いければ」とある。作は、春宮女蔵人左近(小大君)。



 清少納言も「かつらぎのかみ」と呼ばれた。枕草子(一七七)の「宮に初めて参りたるころ」には、清少納言の明るいところが苦手な様子が描かれてある。それは「かつら着のかみ」だったからで、ちぢれ髪のため短くして「つけ髪」をつけていたためである。「葛城の神→明るいところが苦手なかみ→かつら着のかみ」などと戯れるとは、「かみ…神…髪…上…女」の戯れさえ知らない人は気付かないでしょう。


 枕草子(一七三)「ある所に何の君とかや」には、暁に帰る男を、名残惜しそうに在り明けの月人壮士を見つめる女の髪が、五寸ばかり下がり、火をさしとぼしたようであったので、驚いて男はそっと退散した話が他人事のように記されてある。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。