帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百三十一〕円融院の御はてのとし

2011-07-30 06:19:48 | 古典

 



                               帯とけの枕草子〔百三十一〕円融院の御はてのとし



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百三十一〕円融院の御はてのとし

 
円融院(主上の御父)の喪が明けた年、皆、人は喪服など脱いで、哀れなことを、主上はじめ一同が院御在世の御事を、思い出している頃、雨がたいそう降る日、藤三位(主上の御乳母)の局に、みのむしのやうなるわらはのおほきなるしろき木に(蓑を着て蓑虫のような童子が大きな白い木に……身の虫のようなわらわの大きさの白い木に)、たてふみつけて(正式の書状のようにして…立て夫身つけて)、「これ、たてまつらせん(これ献上いたしたいのです……これ立てまつらせましょう)」と言ったので、取り次ぎが、「どちらからか、今日明日は物忌みですから、しとみ(蔀)も開けませんぞ」といって、下は閉じた蔀の上より取り入れて、そのことを藤三位はお聞きになられたけれど、物忌みだから見ないということで、蔀の上に突き刺して置いたのを、明くる朝、手を洗って、「さあ、その昨日の巻数(寺より送られる読経の目録など)」と、取り出してもらって、伏し拝んで開けたところ、くるみ色という色紙の厚いのを、変だと思って開けていくと、法師のたいそうな筆跡で、

これをだにかたみと思ふに宮こには はがへやしつるしひ柴の袖
(これをさえ、形見として偲ぶよすがと、思うのに、都では葉替えでもしたか、椎柴染めの喪服の袖……この白い木さえ、なお堅身と思うのに、宮こでは飽き色し葉替えでもしたか、喪服の女の身の端)。
と書いてある。まったくあきれる、憎らしいやり方だこと。誰がしたのでしょう。仁和寺の僧正のか、と思うが、よもや僧正がこのようなことはおっしゃらない。藤大納言(朝光)だ、あの院の長官をなさっていたから、それでこんなことをされたのだろう。これを主上、宮に早速お聞かせしょうと思って、心せくけれど、やはり違えればたいそう恐ろしいといわれる物忌みをし果てようと、我慢して一日暮らして明くる朝、藤大納言のもとに、この歌の返しをして、ただ置いて来させたところ、すぐさままた返歌をよこされた。

 それを二つとも持って、いそいで参上されて、「こんなことがですね、ございましたの」と、主上もいらっしゃる御前でお話しになられる。宮は、たいそうつれないご様子でご覧になって、「藤大納言の筆跡ではないようです。法師のものでしょう。昔の鬼のしわざとさえ思われる」などと、たいそう真面目におっしゃるので、「それでは、これは誰のしわざですか、好き好きしい心ある上達部・僧綱などは誰がいるかしら」、この人かしら、あの人かしらなどと、思い出せず不安そうで、知りたそうにおっしゃるので、主上「このあたりに見える色紙に、たいそうよく似ている」と、うちほゝゑませ給て(にっこり微笑まれて)、もう一つ御厨子のもとにあったのを取って差し出されたので、「いで、あな心う。これ、おほせられよ。あな、かしらいたや。いかでとくきゝ侍らん(あら、まあ、ひどい、このわけを仰せられませ。ああ頭が痛いわ。どうしてか、早速お聞き致しましょう)」と、ただ責めに責めて申し上げ、うらみごとを言っては、お笑いになるので、ようやく仰せになられて、「使いに行った鬼の童子は、台盤所の刀自という者のもとにいたのを、小兵衛(うぶな女房)が言い含めてさせたことであろうかな」などと仰せられると、宮もわらはせたまふを(宮もお笑いになられるので)、藤三位は宮をひき揺さぶられて、「どうして、このように謀らせられたの、それなのに疑うこともなく手を洗い伏し拝み、文を見奉ったのよ」と、わらひねたがりゐ給へるさまも、いとほこりかに、あいぎやうづきてをかし(笑い悔しがっておられる様子もたいそう満足げで愛嬌があってすばらしい)。

 
さて、清涼殿の台盤所でも、わらひのゝしりて(笑い騒いで)、藤三位は・局に下りて、この童子を尋ね、見つけて、文を受け取った人に見せると、「その者でございますようで」という。「誰の文を、誰が渡したのか」と言っても、なんとも言わないで童子は、しれじれしうゑみて(愚かもののようにほほ笑んで)走って行ってしまった。


 藤大納言はこれらのことを後にお聞きになられて、わらひけうじ給けり(笑い興じられたのだった)。

 
言の戯れと言の心
 
「みのむし…蓑虫…蓑を着た童子…身の虫…おとこ」「白…男の色」「木…男木…ぼく…こ…おとこ」「これを…このお…このおとこ」「かたみ…形見…片見…中途半端なまぐあい…堅身」「宮こ…感極まり至ったとろ」「葉替え…あき色となる…飽き満ち足りる」「しひ柴…喪服の染料…喪服」「そで…衣の袖…身の端」「むかしのおにのしわざ…みのむしのような子の君の親のしわざ…いにしえよりおとこの子の君は鬼っ子、親の言う事は聞かない」「小兵衛…このようなことはできないと誰でも知っているうぶな女房…この実行行為者は清少納言のほかに誰がいる」。


 
歌は、古今和歌集 哀傷歌の、天皇の諒闇明けに詠んだ僧正遍昭の「みな人は花の衣になりぬなり こけのたもとよかはきだにせよ(人はみな喪明けでことの終わりと思って花の衣になっている、涙に濡れる我が墨染の衣の袂よ、せめて乾いてくれ)」に倣ったもの。

 

藤三位(主上の御乳母)は憂うつ状態にあったが、明るさを取り戻したご様子を記した。これがこの悪戯の目的。「笑い奉仕」は成功でしょう。

 円融院の諒闇明けは、正暦三年(992)。これが、清少納言の「笑い奉仕」の初仕事だったかな。正暦二年(991)より長保三年(1001)まで、「十年ばかり」ここ九重で宮仕えをした。

 言葉の表向きの意味しか聞き取れない国文学的な読み方では、ここで起こっている笑いに全く付いてこれないでしょう。それなのに、枕草子の読み方を根本的に間違えているのではないかと、考えてみることもなく、「おかしくもない」読みに凝り固まっているのである。そんな呪縛から、心ある人々を解き放つために、当「帯とけの」古典文芸はある。

 笑うという情動の原因は色々あるが、もとより秘めておくべき性に関することが、適度に顕わになった時にも起こる。それは、千年経っても変わらないでしょう。



 伝授 清原のおうな
 
聞書 かき人知らず    (2015・9月、改定しました)
 
 原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による