帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (七十五と七十六)

2012-04-30 00:06:47 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 今では、歌の言葉の戯れを知らず、紀貫之の云う「言の心」を心得ないで、和歌の清げな姿のみ解き明かされている
藤原公任は、歌に心と、清げな姿と、「心におかしきところ」があるという。それを紐解きましょう。帯はおのずから解け人の心根が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(七十五と七十六)


 をしと思ふ心は糸に撚られなむ 散る花ごとにぬきてとゞめむ 
                             
(七十五)

 (散る花を惜しいと思う人の心は、糸にして撚りをかけてほしい、散る花毎に貫き通して留めてやろう……愛しいと思う心は、糸に撚って、強くしてほしい、惜しくも散り果てるお花毎に、貫き通して留めよう)。


 言の戯れと言の心

 「をしと思う心…惜しいと思う心…愛しと愛着する心」「よられなむ…撚ってほしい…撚りをかけてもらいたい…出来るなら強くしてほしいものだ」「らむ…相手に望む意を表す」「散る花…果てるおとこ花…愛着執着の対象」「花…木の花…男花…おとこ花」「とどめむ…留めて遣ろう…留めよう」「む…意志を表す」。

 


 秋の野におく白露は玉なれや つらぬきかくるくものいとすじ
                             
(七十六)

 (秋の野におりる白露は、宝玉なのかな、貫き掛けている蜘蛛の糸筋……飽きのひら野に贈り置く白つゆは、おとこの魂なのかな、貫き掛けている心雲の糸一筋)。


 言の戯れと言の心

 「あき…秋…飽き」「野…ひら野…山ばではない」「しらつゆ…白露…白つゆ…おとこ白つゆ」「玉…白玉…宝玉…真珠…魂」「くも…蜘蛛…巣作りして待つ者…女…神代のそとほり姫の歌、ささがにの蜘蛛の言の心は女…雲…心雲…煩悩…心に煩わしくもわきたつもの…神代のすさのをの尊の歌、八雲たつ出雲の雲の言の心は、心に煩わしくもわき立つもの」「糸筋…糸目…糸のように細いもの」。



 春歌は木の花の散り際を詠んで清げな姿をしている。秋歌は蜘蛛の糸に掛った白露を詠んで清げな姿をしている。いずれも、言の心を心得れば、「心におかしきところ」が顕れる。


 ついでながら、神代の和歌を聞きましょう。

 
 そとほり姫の歌

 わが背子が来べき宵なりささがにの 蜘蛛の振舞ひ予ねてしるしも

 (わが夫が来るべき宵よ、あの蜘蛛の巣作りして待つ様子に、予兆があるわ)


 絶世の美女衣通姫は帝の寵愛をうけたけれども、姉が后であったので、都を離れて住んでいた。帝の訪問を待ち焦がれて詠んだ歌。蜘蛛は女、衣通姫自身。雲と聞いて、姫の心雲。ささがにの蜘蛛に寄せて、ただ待ち続ける姫自身の様子を詠んだ、弱弱しくもしなやかで強い心雲。小野小町の歌の源流と貫之はいう。


 すさのをの尊の歌

 八雲たつ出雲八重垣妻ごめに 八重垣つくるその八重垣を

 (多くの雲立つ出雲、八重に囲った垣の内に妻を籠らせるために、八重垣を作るぞ、その八重垣を)。


 すさのおのみことは、姉の天照大神を困らせるほど乱暴であった、それは心雲の為せる業。出雲に来て妻を娶り暮らそうとしたとき、心に決めたことを詠んだ。心に煩わしくもわき立つものは愛しい妻のように、八重垣の内に籠らせておこうと、人ならば煩悩に相当する厄介なものの扱い方を示された歌。


 「くも…蜘蛛…女…雲…心雲…心に煩わしくもわきたつもの…人の煩悩」と心得れば、これらの歌の心が蘇えるでしょう。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (七十三と七十四)

2012-04-28 00:01:01 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、和歌の清げな姿の
み解き明かされてきた。藤原公任は、歌に心と清げな姿と、心におかしきところがあるという。それを紐解きましょう。帯はおのずから解け人の心根が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(七十三と七十四)


 春の着る霞の衣ぬきをうすみ 山風にこそみだるべらなれ 
                                  (七十三)

 (春の着る霞の衣、よこ糸が薄弱なので、山風に、乱れるようだ……春情の切る、か済みの身と心、抜きが薄情なので、山ばの心風に、こぞ、乱れるようだ)。


 言の戯れと言の心

 「はる…春…春情…張る」「きる…着る…切る…これっきりとする」「かすみ…霞…か澄み…か済み」「か…接頭語」「衣…心身を包んでいるもの…心身の比喩」「ぬき…横糸…抜き…放出…抜き出る」「うすい…薄い…薄弱…濃くない…薄情」「山風…山ばの心風…春情の嵐」「こそ…限定し強調する意を表す…子ぞ…この君よ…をとめ子よ」「子…男子…女子」「みだる…乱れる…霞が入り混じる…心身が乱れる」「べらなれ…べらなり…ようだ…ようすだ」。

 

 
 霜のたて露のぬきこそよわからし 山の錦のおればかつちる 
                                  (七十四)

 (霜のたて糸、露のよこ糸こそ、弱いらしい、山の紅葉の錦が、折ればたちまち散る……下の立て、白つゆの抜きぞ、弱いらしい、山ばの錦木、折ればたちまち果てる)。


 言の戯れと言の心

 「しも…霜…紅葉を促すもの…下…身の下」「たて…たて糸…立て…起て」「つゆ…露…紅葉を促すもの…白つゆ…おとこ白つゆ」「ぬき…よこ糸…抜き…放出」「山…山ば」「錦…色豊かな織物…もみじの比喩…錦木…男木」「おれば…折れば」「折…逝」「かつちる…且つ散る…と同時に散る…たちまち果てる」。


 両歌とも、春霞と秋の霜露を詠んで、それぞれ清げな姿をしている。その姿は色好みな心を包んだ清げな装束で、中身は生々しいおとこの心根である。


 両歌とも、古今集にも採られてあるが、仮名序に云う「世の中、色に尽き、人の心花になりにける」頃の歌でしょう。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋(七十一と七十二)

2012-04-27 00:13:56 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿の
み。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(七十一と七十二)


 桜花ちらば散らなむ散らずとも ふるさと人の来ても見なくに 
                                   (七十一)

(我が宿の桜花、散るのならば散ってくれ、散らずとも、生まれ育った里の人が来て、見ることもないのでなあ……おとこ花、散るならば散ってくれ、散らずとも、古妻が来て、見ることもないことよ)。


 言の戯れと言の心

 「桜花…木の花…男花…おとこ花」「散る…花などが散る…果てる」「なむ…てほしい…他に対する願望を表す」「ふるさと人…古里人…生まれた里の人々…古女人…古妻」「さと…里…女」「見…見物…覯…媾…まぐあい」「なくに…無いのでなあ…ないことよ…詠嘆の気持ちを含んだ打消しを表す」。



 をみなへし多かる野辺に宿りせば あやなくあだの名をや立ちなむ 
                                   (七十二)

(女郎花の多くある野辺に宿をとれば、わけもなく徒な男と噂が立つだろうか……をみな圧し、多くある、ひら野あたりに宿っていれば、わけもなく、いいかげんな汝おがよ、立つだろうか)。


 言の戯れと言の心

 「をみなへし…女郎花…女花…草花の名…名は戯れる、をみな圧し、女押さえ付け」「おほかる…多くある…多く刈る」「かる…かり…採る…引く…摘む…めとる…まぐあう」「のべ…野辺…山ばでなくなったところ…おとこののびたところ」「あやなく…文なく…不条理に…わけもなく」「あだ…徒…いたずら…一時的でもろい…気まぐれ」「なをやたちなむ…噂でも立つかな…汝お立つだろうか立ちはしない」「な…名…評判…汝…親しいものを呼ぶことば」「なを…汝お…わがおとこ」「や…疑問の意を表す…反語の意を表す」「たちなむ…立ってしまうだろう…立つだろう」。


 春歌は桜花に寄せて、出家した男の心境を詠んだ。

 秋歌は女郎花に寄せて、その心ありながら身の立たなくなった男の心境を詠んだ。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋(六十九と七十)

2012-04-26 00:03:43 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集
 


 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿の
み。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(六十九と七十)


 世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 
                                    (六十九)

(世の中に絶えて、桜が無かったならば、春の季節の人の心は、のどかだろうな……夜の仲に、耐えて、お花さかなければ、春の情は、長くゆったりしているだろうな)


 言の戯れと言の心
 「よのなか…世の中…男女の仲…夜の中…夜の仲」「たえて…絶えて…断絶して…耐えて…持ちこたえて」「さくら…桜…あわただしく咲き散る花…男花…おとこ花…咲くら」「ら…情態を表す」「春…季節の春…春情…張る」「心…人情」「のどけし…長閑けし…おだやかそうである…あわただしくない…ゆったりとしている」「まし…もし何々なら何々だろう…現実に反することを想定する意を表す」。



 佐保山のはゝそのもみぢ散りぬべし 夜さへ見よとてらす月かげ 
                                    (七十)

 (佐保山の楢のもみじ葉散ってしまうのだろう、夜さえ見よと、照らす月光よ……さおの山ばの、はあはあ、その飽きの色、散ってしまうのだろう、撚るさ枝見よと、てらいする月人の陰)。


 言の戯れと言の心
 「佐保山…山の名…名は戯れる、さほ山ば、小お山ば」「ははそ…楢の木の類の名…名は戯れる、はは…はあはあ…荒い息づかい…這ひ這ひ…放ふ這ふ延ふ…かろうじて行う」「もみぢ…秋の葉…飽きの色」「よる…夜…撚る…よりをかける…はりきる」「さへ…その上に加えて…さえ…小枝…おとこ」「見…覯…まぐあい…目で見る」「てらす…照らす…衒いする…見せびらかす…誇らかにする」「月…月人壮士…男…おとこ」「かげ…影…光…陰…もの…陰り」。



 歌は桜の有様や月夜の紅葉を詠んで清げな姿をしている。それだけではない、歌には心におかしきところがある。それは、耐えられずあわただしい男のさが。あえぎあえぎ耐えようとするつき人おとこのさがででしょう。


 春歌(六十九)は、古今和歌集や土佐日記にも掲げられてある在原業平の歌。現在の解釈を覗き見ると、全く「心におかしきところ」が消えている。一義に読まれ薄く平板な歌になり果ててしまっている。歌の様を知らず言の心を心得ないで読む所為であるけれども、なぜそうなってしまったのでしょう。


 一つは、言語観の違いでしょう。清少納言「枕草子」にいうように、男の言葉も女の言葉も「聞き耳異なるもの」(聞く耳によって聞こえる意味の異なるもの)である。また、藤原俊成のいうように「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似たれども、深き旨も顕れる」ものである。それほど言葉は戯れるものという平安時代の言語観を無視した為である。


 「たえて」は「たえで」とも読むと説く本もあって、断絶、不断絶という両義があるにも拘らず、江戸時代の『余材抄』では「たえてを、にごりて、不断なりといふ俗説あり。いふにたらず」と断定して、不断説を退けてしまう。近代の理性的判断も、そちらに傾いて、たえで(不断)を戯れの意味として退けてしまった。かくして、歌の解釈は「心におかしきところ」を見失った。


 この歌を詠んだ業平は、「たえて」は「絶えて、耐えで」もしくは「絶えで、不断絶、耐えて」と戯れることを想定し、その他の言葉もそれぞれ戯れるのを利して、複数の意味を含む歌を詠んでいるものを。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋(六十七と六十八)

2012-04-25 00:04:33 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿の
み。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(六十七と六十八)


 桜色にまさる色なき春なれば あたら草木も物ならなくに 
                                    (六十七)

 (桜色に優る色彩のない春なので、残念ながら他の草木なんて、ものの数でもないなあ……お花の色に勝る色ごとのない青春なので、惜しいことに女も男も、もの慣れず成らなかったなあ)。


 言の戯れと言の心

 「桜色…薄紅がかった白…男の色香…おとこ花の色」「色…色彩…色情」「まさる…勝る…優る…増さる」「はる…春…青春…春情…張る…張りきる」「ば…原因理由を表す…ので…だから」「あたら…惜しいことに…残念ながら」「草木…桜以外の草木…女と男」「草…女」「木…男」「ものならなくに…物のうちではないなあ…ものの数ではないなあ…もの慣れていないなあ…もの成らずだなあ…和合成らずだなあ」「なくに…詠嘆を含んだ打消を表す」。



 白露の色はひとつをいかなれば 秋の木の葉をちゞに染むらむ 
                                    (六十八)

 (白露の色は白一色なのに、どうしてなのか、秋の木の葉を千々に染めるのだろう……白つゆの色は、一つなので、どうしてか、飽きのこの端を、縮み初めるのだろう)。


 「白露…白つゆ…おとこ白つゆ」「色…色彩…色情」「ひとつ…一色…一回きり」「を…のに…けれども」「秋…飽き…厭き」「このは…木の葉…この端…この身の端お…おとこ」「ちぢ…千々…数が多いこと…いろいろ…縮…縮小」「そむ…染める…初める」「らむ…だろう…推量する意を表す…どうしてだろう…原因理由を推量する意を表す」。



 春歌の清げな姿は桜花の礼讃。心におかしきところは、はるものだから若い男女がもの慣れず成らなかったさま。

 秋歌の清げな姿は黄葉紅葉の色とりどりの美しさ礼讃。心におかしきところは、一過性のおとこのもの成らぬさま。

 歌は上のような艶情が「玄之又玄」なる奥に隠れている。歌の様を知り言の心を心得る人ならば、その心におかしきところがわかるでしょう。

 

 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。