帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(三十二)また、この男、いひみいはずみ・(その一)

2013-11-30 00:10:09 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、平中の生きざまと人となりが語られてある。


 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてあるので、それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。


 
平中物語(三十二)また、この男、いひみいはずみ ・(その一)

 また、この男(平中)、言ったり言わなかったり、気ままにもの言い遊ぶ人(女)がいたのだった。そのように、ものはかなく(とりとめもなく……おざなりに)過ごして、しぜんに年月が経ったのだった。男、おとせねば(訪れないので……音沙汰なしなので)、女のもとより、しもつきのついたち(霜月の朔日……冬の新月)の日に言って来た。「としはいくとせにかなりぬる(年は幾年になってしまったか……初の疾しつきは幾年前になってしまったかしら)」と言ったので、(男)いぶかしがって、数えてみると、三年前の朔月の日であったのだった。

(男の歌)、

 いにしへのことのたとひのあらたまの 年のみとせにけふこそはなれ

(昔の事の例えにある、新玉の年の三年に、確かに今日はなる・公けにも別れると言うのかな……昔話のように・別に言い寄る男できて、新玉の疾しの見とせに、京は・今日こそは成る・というのかな)。


 言の戯れと言の心

 「しもつきのついたち…旧暦十一月一日…霜月の朔日…寒い冬の新月の日」「朔…望月にほど遠い青二才のころ」「月…月人壮士…男…おとこ」。

歌「いにしへのこと…伊勢物語にあること(帯とけの伊勢物語二十四参照)」「けふ…今日…きょう…京…山ばの頂上」「とし…年…歳・年齢…疾し…早い…おとこのさが…敏し」。


 返し、(女)、

 ふりにける年の三年をあらためて わが世のこととみちとせを待て

 (古びた歳の三年を、あらためて、わたくしの宿世の事とともに、三千年を待て……古くなった疾しの後の三年を、あらためて、わたくしの夜の異とともに、満ちる年を待って)。


 言の戯れと言の心

 「世…男女の仲…宿世…夜」「こと…事…事故事件…異…異常…成らぬこと…潤わぬこと(帯とけの伊勢物語二十四参照)」「みちとせ…三千年…満ちとせ…満ちる年」。


 (また)、男(平中)、

 心よりほかに命のあらざらば 三千年をのみ待ちはすぐさじ

 (心より他に命は無いので・心こそ人の命ならば、三千年、人を・待って過ごさないでしょう……心こそ人の命だから、三千年、おの身、待っては、過ごさないだろう)。


 言の戯れと言の心

   「ざら…ず…打消しの意を表す」「ば…なので…ならば」「じ…打消しの推
  量を表す」。

と言って、「いと久しきことのたとひにすぎぬべし。なほよそにてだに、いかでものいはむ(とっても久しきことの例えに・三千年は・言い過ぎでしょう。また他所ででも、なんとか逢って話ししましょう……とっても久しきことの例えに・三千年は・過ぎるでしょう。我が・汝お、もの隔ててでも、なんとかしてものいうつもりだ)」とぞ、言い遣ったのだった。


 言の戯れと言の心

 「よそ…他所…よそよそし…ものを隔てて」「なほ…猶…また…直…汝お…わがおとこ」「ものいう…言葉を話す…気の利いたことを言う…性能の良さを発揮する…情けを交す(この度はと、平中、例によって自信を示したのである)」。

 (つづく)。



 『伊勢物語』では、男「かたゐなか」に住みけりとあった。「かたゐなか…片田舎…片井中」「片…不完全…不十分」「ゐ…井…女」。

この女も何らかの原因で初夜うまくいかなかったのである。それから三年間、言葉遊びだけで、無為に過ごしていた時の物語である。



  原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。

 


 以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。


 古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 

歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。


帯とけの平中物語(三十一)また、この男、人とものいひけり

2013-11-29 00:06:03 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、平中の生きざまと人となりが語られてある。

 
 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてあるので、それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。



 平中物語(三十一)また、この男、人とものいひけり


 また、この男(平中)、人とものいひけり(人と言葉を交した……女と情けを交した)。とくに心に入れて、思いを懸けていないことなので、いひさして(言いかけたまま……交情半ばで)、ものもいいやらでありければ(言葉も掛けなくなっていたので)、女「などかおとづれぬ(どうして訪れないのよ……どうして、おと、つれないのよ)」と言った。
 はふりべのしめやかきわけいひてけむ 言の葉をさへわれに忌まるる

(神官がしめ縄、二人を・かき分けて、結うたのでしょうか、言葉をさえ、わたしに対して、かけること・忌み嫌うのは……葬り人が標の縄、二人を・かき分けて、結うたのでしょうか、殊の端おさえ、わたくしにたいして、忌み嫌うのは)。


 言の戯れと言の心

「おと…妹…いも…乙女…弟…子…おとこ」「つれぬ…連れない…共に行かない…連れて逝かない」。

歌「はふりべ…祝部…神職…葬り部…埋葬人…墓守」「ことのは…言の葉…言葉…ことの端…殊の身の端…きみのおとこ」「を…対象を示す…お…おとこ」「いまるる…忌まるる」「忌む…忌み嫌う…嫌って避ける」「る…自然にそうなる意を表す」。


 男、返し、
 ゆふたすきかけてはつねに思へども とふこと忌みのしめは結はぬを

(木綿襷のように、懸けては常に思っているけれども、訪うこと忌むような標縄は結ばないのに……結う多好き、掛け持ちでは常に、あなたを・思えども、訪うこと忌み嫌う標は結ばないのになあ)。


 言の戯れと言の心

「ゆふたすき…木綿襷・かけの枕詞…結う多好き」「ゆふ…結う…ちぎり結ぶ」「かけて…(襷を)掛けて…(思いを)懸けて…兼ねて…掛け持ちで」「を…のに…なあ…詠嘆を表す」。

 

さてすさびてやみけり(こうして言葉遊びやめたのだった……こうして、もてあそんでやめたのだった)。



  古今和歌集 恋歌一 よみ人しらずの、「ゆうたすき」の詠み込まれた歌を聞きましょう。歌の言葉は同じように戯れていて当然であるが、どうだろうか。

 ちはやぶる賀茂の社のゆふたすき ひと日も君をかけぬ日はなし

 (千早ぶる、賀茂の社の木綿襷、一日も君に思いを懸けない日はない……血早ぶる、かもの屋代の結う多好き、一日も君に思いを懸けない日はない)。 

 「ちはやぶる…神にかかる枕詞…千早ぶる…血早ぶる…荒々しい・威力のある・血気盛んな」「かも…賀茂…神…上…女」「社…屋代…家…女」「ゆうたすき…木綿襷…結う多好き…結う大好き」。



  原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。

 


 以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。


 古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 
歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。


帯とけの平中物語(三十)また、この男、仏に花たてまつらむとて

2013-11-28 00:13:15 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、平中の生きざまと人となりが語られてある。


 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてあるので、それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。



  平中物語(三十)また、この男、仏に花たてまつらむとて


 また、この男、仏に花を奉ろうとして、山寺に詣でたのだった。住む家の隣に、をかしき(情趣のある……可笑しい)戯れ言を、言い交わす人(女)がいて、その人もこの男も、門より出て、ばったり遭って、男の許へ、女「いづちぞ(どちらへ?……何処の女の許へ?)と言って寄こしたので、「もみぢこき山へなむ(紅葉の色濃い山へですね・見物に……飽き色の濃い山ばへですね・こきに)」と言って、
 散るをまたこきや散らさむ袖ひろげ ひろひやとめむ山のもみぢを

散るのを、また扱き散らそうか、衣の袖ひろげ、拾い求めて来ましょうか、山の紅葉を・手土産に……飽き満ちて散るのを、またしごき散らしましょうか、身の端広げ拾い求めましようか、山ばの飽きの色濃いものを)。

   
言の戯れと言の心

「もみぢ…紅葉・黄葉…秋色…飽きの色…飽きのおとこのものの色…おとこの煩悩のしるし」「こき…扱き…しごき…放き…放出」「そで…袖…端…身の端」「山…山ば」「とめむ…止めむ…求めむ」「む…推量を表す…意志を表す」。


 「いかがせむ。のたまはむにしたがはむ(如何しましょうか、おっしゃるようにします)」と言えば、女、
 わが袖とつくべきものとひとつてに 山のもみぢよあまりこそすれ

(わたしの袖と君の袖とつなぐべきと思う、一つ手に、山の紅葉はよ、手に余るものね・つなぎたいの? ……わたくしの身の端と一緒に尽きるべきものと思う、女のてに、山ばの飽き色は余りもの・いりません)。


 言の戯れと言の心

「袖…端…身の端」「と…と一緒に…共同の意を表す」「つぐ…つなぐ…つく…尽く…尽きる」「と…と思って…として」「ひとつて…一つ手…人つ手…女のて」「つ…の」「もみぢ、上の歌に同じ」。


 となむ(だなんて)。返しまさりなりける(返し勝りであった……返し優っていたことよ)。


 

この両人の歌の「もみぢ」と、貫之の歌の「もみぢ」とは、言の心が同じである。古今和歌集 秋歌下
 
秋の果つる心を、竜田河に思ひやりてよめる  貫 之
 (……飽き果てる心を、絶つた女を思いやって詠んだ)。
 年毎にもみぢ葉ながす竜田河 みなとや秋の泊まりなるらむ

 (……おとこども・疾し毎にもみぢ端流す、絶ったかは、をみなの門は飽きの泊り宿だろうか)。


 「年…疾し…早過ぎ…おとこのさが」「竜…絶つ」「河…川…女」「秋…飽き…厭き」「みなと…湊…停泊地…水門…おんな」。


 

 原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。


 

以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。


 古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 
歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。


帯とけの平中物語(二十九)また、この男、聞きわたる人 ・(その三)

2013-11-27 00:06:07 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、平中の生きざまと人となりが語られてある。


 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてあるので、それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。



  平中物語(二十九)また、この男、聞きわたる人なりけれど・(その三)


 さて(それで……琴弾く親戚の女を気に入ったので)、このもとよりの人(この男のもとよりの妻)が聞いているので、えけしきばみてはいはず(意中を言葉や素振りに表せず)、「わが身には、口惜しいことに、妹がいないので、その琴を弾いておられる方、妹背山にやたのみたまはぬ(妹と兄のように、頼りにしてくださらぬか)」と男(平中)が言えば、琴弾く女「わたくしも、兄のいないさみしさを感じています、よせむかし(寄せてくださるのね)」と言えば、集まって、いひすさびて(話しに思い思い興じて)、夜が明けたので、帰ったのだった。朝に文を遣るということで、

  くづれすな妹背の山の山菅の 根絶えばかるる草ともぞなる

(山崩れすなよ、妹背の山の山菅が、根を絶えれば、枯れる草ともなるぞ……くづれ寄るな・仮にも兄妹だから、でも・妹背の山の山菅のように、ねを絶えれば、離れる女となるぞ)。


 言の戯れと言の心

「くづれ…山崩れ…離散…みだれ…しなだれ」「ね…根…音…音信…寝…共寝…おとこ」「かるる…枯れる…刈れる…娶れる…離れる…離別する」「草…女」。


 このように言いながら、「さて、何とか、この前のようなことになるのが好い」と言っても、「ここにては、他の人たち・どう思うだろうか、今度は、他所にて」とだ、言い交わしたのだった。男、言い遣る。

 いはほにも身をなしてしが年へても をとめが撫でむ袖をだに見む

(巌にでも、わが身を為したいよ、何年経ても・永劫に、天の乙女が撫でるという、その袖だけでも見たいものだ……巌のおとこに、わが身を為したいよ、疾し時を経ても、乙女の撫でる身の端お、みるつもりだ)。


 言の戯れと言の心

 「いはほ…巌…大岩石…堅いほ」「ほ…お…おとこ」「年…とし…疾し…早過ぎ…おとこのさが」「そで…袖…端…身の端」「見…覯…媾…まぐあい」「む…意志を表す」。


 返し、(女)、

 天つ袖撫づる千年の巌をも 久しきものとはわが思はなくに

(天女の袖で、撫でるという千年の巌をも、久しい愛撫とは、わたくし思わないことよ……吾間の端、撫でる千年の巌おさえ、久しいとは、わたくし思わないのに)。

 
 言の戯れと言の心

「そで…上の歌と同じ」「いはほ…上の歌と同じ」「なくに…ないことよ…ないのに(不足不満の意を孕む)…未来永劫に続いて欲しいということ」。


と言うけれど、「(使いの)この人について、お忍びで、いらっしゃい」と言えば来た。呼び入れて、人に知られずに、あひかたらひける(相語らったのだった……合い情を交したのだった)。



(第二十九章終わり)。平中の共寝の結果は語られない。


 『伊勢物語』の業平は、女に「秋の夜長の千夜を、一夜と置き換えて、その大なる一夜を八千夜、共寝すれば、飽き満ち足りることがあるのだろうか」と尋ねた。女の答え「その八千夜の愛を一夜に為されましても、不満は残って、朝鶏鳴くかしら」。


原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。



 以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。


 古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 
歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。


帯とけの平中物語(二十九)また、この男、聞きわたる人 ・(その二)

2013-11-26 01:41:12 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、平中の生きざまと人となりが語られてある。


 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてあるので、それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。


 

  平中物語(二十九)また、この男、聞きわたる人なりけれど・(その二)


  かういへど(こう言ったが……頼もし人の、たばかり・画策によって、女と逢い合ったけれど、女は結果として二股交際となった。たばかりの粗さを、歌でやんわり責めたが)、この元の男が居ると聞き、この今の人(平中)、また、(頼もし人に)言う、
 心もて君が織るてふしづはたの あふ間遠きをだれにわぶるぞ

(心をこめて、きみが織ると言う倭あやの織物が、目の粗いこと、逢う・間隔の遠いことを、誰にお詫びするのだ・被害者三人だぞ……心を込めて、きみが折るという、卑しい身の端の、和合の間遠いのを、誰に詫びるのだ・被害の身の端三つだぞ)。


 言の戯れと言の心

「織る…折る…逝く…逝かせる」「しづ…倭文…卑しい」「はた…機織…端…身の端」。
  言いたいことは、「清げな姿」にして、「心にをかしきところ」を添えて、相手の心に直に伝わるように言う。これが和歌の表現方法である。


 さて、「なほ、いかむ(やはり行こうと思う……汝お、逝こう)」と言ってきても、また、逢えないで止めてしまったので、元より来ていた男も来なくなったので、女、かの後の男(平中)に言い遣る、
 言の葉のうへの緑にはかられて 竹のよなよなむなし寝やする

(言の葉の表面のみどりの色に謀られて、竹の節ぶし・間遠く、夜な夜な虚し寝をしているよ……頼もし人の・言葉の上の未熟さに謀られて、君の節のない節のない夜々、空し寝しているよ)。


 言の戯れと言の心

「みどり…緑色…若い…幼い…未熟」「竹…君…男」「よ…竹の節と節の間…節…節のようなもの」。

 

とある。「謀られたことよとは、いとほしうて(あなたが・可哀そうで……頼もし人が・気の毒で)、あなたの・この文にあること、いとあやし(とってもふしぎ……まったく理解できない)、くれにはかならず(夕暮れには必ず……年の暮には必ず)・(行きます……行きません)」と言ったので、男(平中)、頼もし人にも、「かかりけり(女の文には・こうあったことよ……われは・こう返したことよ)」と言ったので、(頼もし人は)その(夕)暮れにやって来た。さて、ものなどいひて(話などして……情けを交して)、頼もし人、この男を、いとあやしきものに聞きしかど(とてもわけのわからない者だと聞いていたけれど)、見るに(対面すれば……身を合わせれば)そうでもないことよと、いうことで、頼もし人、男(平中)にいう、

 川よきに堰きとどめたる水上の 見るまにまにもまさる君かな

(川、流れ良いのに、堰き留めた水上が見る間にも水嵩増さる、そのようにわたくしのうちで・評価の優る君だことよ……女、好き心地なので、引き留めた女の上が見る間に、間にも増さる貴身だことよ)。


 言の戯れと言の心

「川…女」「よき…(流れ)良き…(心地)好き」「水…女」「見…覯…媾…まぐあい」「間…女」「まさる…(水嵩)増さる…(人徳)優る…(ものの嵩)増さる」「きみ…君…貴身…おとこ」「かな…だなあ…感動の意を表す」。


 返し、(平中)、
 水上の思ひまさらむ川よきて わが田に絶えし堰て留めむ

(上流の人の思い強く増すのだろう、川よけて・我田引水、わが田に、水・絶えた、堰して留めよう……をみなの上の思い増さるだろう、をみな好きて、わが多に堪えし、急きて、我が家に・留めるつもりだ)。


 言の戯れと言の心

「水…女」「水上…男」「た…田…女…多…多情」「たえし…(水が)絶えた…たへし…(多情に)耐えた…堪えた(能力あった)」「せきて…堰き止めて…急きて…あわてて」「む…意志を表す」。

 

それに人々混じって、琴など、をかしう(上手に)弾いて、ものをかしう(ものを可愛らしく)言う女が居たのだった。男(平中)、なほしもあらで(普通ではいられなくて)、「この琴弾くのは誰ぞ」と、頼もし人に問うたところ、「この家に通っておられるご親族の方なのよ」と言えば、それに、この男、いかでかと思ふ(なんとかしてと思う……何としても得たいと思う)、心つきにけり(心が生じたのだった……気に入ったのだった)。

 (つづく)。



  原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。


 

以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。


 古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 
歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、
「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。