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帯とけの「伊勢物語」
在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を、原点に帰って、平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で読み直しています。江戸時代の国学と近代以来の国文学は、貫之・公任らの歌論など無視して、新たに構築した独自の方法で解釈してきたので、聞こえる意味は大きく違います。国文学的解釈に顕れるのは、歌や物語の「清げな姿」のみで「心におかしきところ」の無い味気ないものにしてしまった。
伊勢物語(百五)白つゆは消なば消ななん消えずとて
むかし、おとこ(昔、男…武樫おとこ)、「かくてはしぬべし(こうなっては死ぬだろう…こうなっては逝く)」といひやりたりければ(と言い遣ったので…と言いやってしまったので)、女、
白露はけなばけななんきえずとて 玉にぬくべき人もあらじを
(はかないのねえ・白露は、消えるなら消えてしまえば、消えずに在っても、白玉として緒を通す人なんていないでしょうよ……白つゆは、消えるなら消えればいいわ、消えずに有っても、白玉に緒を通し・ものの飾りする、女なんていでしょうよ)と言ったので、いとなめしと(まったく失礼なと…いとなみしたのにと)、思ったけれど、心ざしはいやまさりけり(最後までご奉仕しょうと思う心は増したのだった…恨み心は増したのだった)
紀貫之のいう「言の心」を心得て、枕草子に「聞き耳異なるもの」というほどの言葉の戯れを知りましょう。
「しぬ…死ぬ…消える…折れ逝く」「べし…だろう…当然そうなる…そのつもりだ」。
「白露…白玉…白つゆ…消えやすいもの…はかないもの…おとこ白つゆ…飽きの果て」「白…おとこのものの色」「たまにぬく…頭飾りや首飾りなどにするために、白玉に緒を通す」「ぬくべき人…貫くべき人…緒を通すであろう女…最後まで貫き通すであろう男」「あらじを…在りはしないでしょうよ…在りはしないでしょう・お」「じ…打消しの推量の意を表す」「を…感嘆・詠嘆を表す…お…おとこ」。
「いとなめし…とっても失礼…いとなみし…営みし…努めていた…いそしんだ…奉仕に努めた」「心ざし…厚意…思う心…恨み心…志…こうと決めた思い」。
夜の飽きの果て方に「死にそうだ」と言った男に、「消えるなら消えれば」という女が居た。
男が奉仕して、女を山ばの京へ送り届けるのが、おとこの営みであり務めである。そのように思う女が、飽きの白つゆに遭ってしまった、不満、あきらめか投げやりな心情が顕れている。この女歌の「心におかしきところ」は、言の戯れを知り言の心を心得れば、おとなならばわかるだろう。男はますます頑張ったのだろうか。女の方が身分など上位にあっての言い草のようで、藤氏の或る一門の女御か、もしかして、「後も頼まむ」の「しのぶ草」の女人かもしれない。ますます憎らしくなったのだろうか。
(2016・7月、旧稿を全面改定しました)