帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

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新・帯とけの「伊勢物語」(百五)白露は消なば消ななん消えずとて

2016-07-31 18:50:41 | 古典

               



                             帯とけの「伊勢物語」



  在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を、原点に帰って、平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で読み直しています。江戸時代の国学と近代以来の国文学は、貫之・公任らの歌論など無視して、新たに構築した独自の方法で解釈してきたので、聞こえる意味は大きく違います。国文学的解釈に顕れるのは、歌や物語の「清げな姿」のみで「心におかしきところ」の無い味気ないものにしてしまった。


 伊勢物語
(百五)白つゆは消なば消ななん消えずとて


 むかし、おとこ(昔、男…武樫おとこ)、「かくてはしぬべし(こうなっては死ぬだろう…こうなっては逝く)」といひやりたりければ(と言い遣ったので…と言いやってしまったので)、女、

 白露はけなばけななんきえずとて 玉にぬくべき人もあらじを

(はかないのねえ・白露は、消えるなら消えてしまえば、消えずに在っても、白玉として緒を通す人なんていないでしょうよ……白つゆは、消えるなら消えればいいわ、消えずに有っても、白玉に緒を通し・ものの飾りする、女なんていでしょうよ)と言ったので、いとなめしとまったく失礼なと…いとなみしたのにと)、思ったけれど、心ざしはいやまさりけり(最後までご奉仕しょうと思う心は増したのだった…恨み心は増したのだった)

 

 

紀貫之のいう「言の心」を心得て、枕草子に「聞き耳異なるもの」というほどの言葉の戯れを知りましょう。

 「しぬ…死ぬ…消える…折れ逝く」「べし…だろう…当然そうなる…そのつもりだ」。

「白露…白玉…白つゆ…消えやすいもの…はかないもの…おとこ白つゆ…飽きの果て」「白…おとこのものの色」「たまにぬく…頭飾りや首飾りなどにするために、白玉に緒を通す」「ぬくべき人…貫くべき人…緒を通すであろう女…最後まで貫き通すであろう男」「あらじを…在りはしないでしょうよ…在りはしないでしょう・お」「じ…打消しの推量の意を表す」「を…感嘆・詠嘆を表す…お…おとこ」。

「いとなめし…とっても失礼…いとなみし…営みし…努めていた…いそしんだ…奉仕に努めた」「心ざし…厚意…思う心…恨み心…志…こうと決めた思い」。

 

夜の飽きの果て方に「死にそうだ」と言った男に、「消えるなら消えれば」という女が居た。

男が奉仕して、女を山ばの京へ送り届けるのが、おとこの営みであり務めである。そのように思う女が、飽きの白つゆに遭ってしまった、不満、あきらめか投げやりな心情が顕れている。この女歌の「心におかしきところ」は、言の戯れを知り言の心を心得れば、おとなならばわかるだろう。男はますます頑張ったのだろうか。女の方が身分など上位にあっての言い草のようで、藤氏の或る一門の女御か、もしかして、「後も頼まむ」の「しのぶ草」の女人かもしれない。ますます憎らしくなったのだろうか。


 
2016・7月、旧稿を全面改定しました)


新・帯とけの「伊勢物語」(百四)ことなることなくて尼になれる人有けり

2016-07-30 19:03:39 | 古典

               



                             帯とけの「伊勢物語」



 在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を、原点に帰って、平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で読み直しています。江戸時代の国学と近代以来の国文学は、貫之・公任らの歌論など無視して、新たに構築した独自の方法で解釈してきたので、聞こえる意味は大きく違います。国文学的解釈に顕れるのは、歌や物語の「清げな姿」のみで「心におかしきところ」の無い味気ないものにしてしまった。


 伊勢物語
(百四)ことなることなくて尼になれる人有けり

 
 昔、ことなることなくて尼になれる人有けり(特別な事もなくて尼になった人がいた…こと成ることなくて尼になった人がいた)。かたちをやつしたれど物やゆかしかりけむ
容姿を、尼僧に・やつしているが、ものに興味があったのだろうか)。賀茂の祭りを見物に出掛けたところに、男が歌を詠んで遣る。

 世をうみのあまとし人を見るからに めくはせよともたのまるゝかな

(女と男の仲を憂みの尼だと、人を見うけるとすぐに、目くばせせよと、期待されることよ……夜をもてあます海女だと、女を見るとすぐに、め食わせよと、男どもに・頼まれるなあ・そんな様子では)

 

これは、斎宮の物見たまひけるくるまに、かくきこえたりければ、見さして、かへり給にけりとなん(これは、前・斎宮が見物しておられた車に、このように申し上げたので、見物途中で、お帰りななられたそうな)。

 

 
 紀貫之のいう「言の心」を心得て、枕草子に「聞き耳異なるもの」というほどの言葉の戯れを知りましょう。

 「ことなることなくて…殊なる事無くて…特別な事なくて…こと成る事無くて…山ばの絶頂などに成ることなくて…夜心知らずに」「物やゆかしかりけむ…ものに興味があったのだろうか…もの見たかったのだろうか」「物…もの…こと…はっきり言い難いこと」「ゆかし…知りたい…見たい…聞きたい」。

 「世…世の中…男女の仲…夜」「うみ…海…憂み…辛い…倦み…厭き厭きする…うんざりする」「あま…海女…尼」「みる…見受ける…海藻」「みるからに…見かけるとすぐ…見るとたちまち」「めくはせ…目くばせ…め食わせ」「め…わかめなどの海草…言の心は女…おんな」「くはせよ…食わせよ…喰らわせろ」。

 

世の人々は、伊勢物語の(六十九)と(百二)の斎宮の話の「清げな姿」だけではなく「心におかしきところ」を聞けば、この男を、この尼僧の父親と密かに定めるでしょう。この歌には、祭り見物する娘を心配する父親の心情が顕れている。たぶん一千年以上経つ今の父親の娘を思う心も同じだろう。


 最後の一行は後の人の書き加えである。「見さして帰り給にけり」、見物途中でお帰りになられた。父親の忠告に素直に応じてお帰りになられたのである。

 
 (2016・7月、旧稿を全面的に改訂しました)


新・帯とけの「伊勢物語」(百三)寝ぬる夜の夢をはかなみまどろめば

2016-07-29 19:00:00 | 古典

               



                             帯とけの「伊勢物語」



  在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を、原点に帰って、平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で読み直しています。江戸時代の国学と近代以来の国文学は、貫之・公任らの歌論など無視して、新たに構築した独自の方法で解釈してきたので、聞こえる意味は大きく違います。国文学的解釈に顕れるのは、歌や物語の「清げな姿」のみで「心におかしきところ」の無い味気ないものにしてしまった。


 伊勢物語
(百三)寝ぬる夜の夢をはかなみまどろめば


 むかし、おとこ有けり(昔、男がいた…武樫おとこがあった)。たいそうまじめで実直で、不誠実な心はなかった。深草の帝(仁明天皇)にお仕えしていた。心あやまりやしたりけむ(心得違いでもしたのだろうか…心誤ったのだろうか)、みこたちのつかひたまひける人を(親王たちのお使いになっていた女人を…御こ立ちのつがひ給いける女を)、あひいへりけり(言葉を交わし合った…情けを交わしてしまったのだった)。さて(そうして…それからのこと)、

 ねぬる夜の夢をはかなみまどろめば  いやはかなにもなりまさるかな

 (共寝した夜の夢をはかなんで、まどろんでいると、いやあ、心細い心地にも、ますますなってゆくなあ……共寝した夜の夢をはかなんで、まどろめば、いやはや、わが武樫おとこ・貧弱にも、ますますなるなあ)なんて、詠んで女に遣った。さる歌のきたなげさよ(その歌の、恥知らずなさまよ…この歌の、萎えるおとこの・汚らしいさまよ)。

 

 

 紀貫之のいう「言の心」を心得て、枕草子に「聞き耳異なるもの」というほどの言葉の戯れを知りましょう。俊成の言うように、歌言葉の戯れの中に歌の趣旨が顕れる。

 「深草の帝…仁明天皇…業平から見れば、父阿保親王の従兄弟」みこたちのつかひたまひける人…道康親王(後の文徳帝)、時康親王(後の光孝帝)、人康親王(山科の禅師)、他の親王方の使用されている女…身こたちのつがいい給いける女…誰かはわからない、そのように書かれてある」「はかな…あわれな…むなしい…たよりない…武樫ではない」「なりまさる…ますますそうなる」「きたなげ…卑しげ…恥知らずな…汚い感じ」「かな…感嘆、詠嘆の意を表す」。

 

伊勢の斎宮を退かれた後、尼になられたという人の「親ぞく」の男と、みこのつかい給う女と過ちを犯した男とは同一でしょう。二つの章は、そのような意味を孕らんで並べられてある。

 

本来は、至福のまどろみの一時ながら、将来のことを思うと、この女に男子が生まれたならば、己と似た命運を辿るのだろうか、女子であったなら、母の告白にわが出生の秘密を知り、世をはかなみ、前斎宮と同じように、尼僧となるような生涯をおくるのだろうか、などと思っていると、さすがの武樫おとこも、ますますみすぼらしいありさまになってしまうことよ。歌は汚げなおとこの萎えた姿を彷彿させる。

 

古今和歌集の編者は、歌の並びにものをいわせる達人でしょう。この「寝ぬる夜の」歌につづいて、第(六十九)章の伊勢斎宮の「君やこし」と、業平の返歌が三首並べられてある。古今和歌集巻第十三恋歌三

 
   人にあひて朝に遣はしける                 業平朝臣

寝ぬる夜の夢をはかなみまどろめば いやはかなにもなりまさるかな


 

 業平朝臣の伊勢国にまかりたりける時、斎宮なりける人にいとみそかにあひて、

またの朝に、人やるすべなくて思ひをりける間に女のもとよりをこせたりける。

                               よみ人しらず

君や来しわれやゆきけむおもほえず ゆめかうつつかねてかさめてか

返し                           業平朝臣

かきくらす心のやみにまどひにき ゆめうつつとは世ひとさだめよ

 

男の恋心と、おとこの乞い心は、思案のほかのもの、合ってはならぬ人とも過ちを犯す。

実の娘かもしれぬ斎宮とは、ただ偶然の神さまが、この男の鬼畜となるのを阻止されたのだろう。古今集の業平の歌は、「伊勢物語」を思い出しながら聞くべきである。

 

2016・7月、旧稿を全面改定しました)


新・帯とけの「伊勢物語」(百二)尼になりて世の中を思ひうんじて京にもあらず

2016-07-28 18:55:01 | 古典

               



                             帯とけの「伊勢物語」



 在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を、原点に帰って、平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で読み直しています。江戸時代の国学と近代以来の国文学は、貫之・公任らの歌論など無視して、新たに構築した独自の方法で解釈してきたので、聞こえる意味は大きく違います。国文学的解釈は、歌や物語の「清げな姿」のみ顕れて「心におかしきところ」の無い味気ないものにしてしまった。


 伊勢物語
(百二)尼になりて世の中を思ひうんじて京にもあらず

 
 
むかし、おとこ有けり(昔、男がいた…武樫おとこがあった)。歌は詠まなかったけれど、世中を思しりたりけり(女と男の仲を思い知っていた…おんなとおとこの夜の中を思い知っていた)。あてなる女があまになりて(高貴な女が尼になって…内親王が尼僧になって)、世中を思ひうんじて(世の中を憂しと思って…女と男の仲を嫌と思って)、京にもあらず、はるかなる山里にすみけり(京ではなく、はるかなる山里に住んで居た…山ばの京ではなく遥かなる山ばの麓に心澄んで居た)。もとしぞく(もとより親族・男の妻と従姉妹・男の実の娘)、なりければ(であったので…ということなので)、歌を・詠んで遣った。

  そむくとて雲にはのらぬ物なれど  世のうきことぞよそになるてふ

(この世に背を向けても、来迎仏の・雲には乗れないものだけれど、世の憂きことは他所ごとにはなるというな……女と男の仲にそっぽ向いては、心雲に乗って浮き天の極みには逝けないものだけれど、夜の浮きことが、他所ごとにはなるというな)と、こんなことを言って遣ったのだった。

斎宮の宮也(斎宮の宮である…前伊勢の斎宮の内親王である)。


 

紀貫之のいう「言の心」を心得て、清少納言が枕草子に我々の言葉は「聞き耳異なるもの」といい、藤原俊成が歌の言葉は「浮言綺語の戯れに似たもの」という戯れの意味を知りましょう。

 「世中…世の中…男女の仲…夜の中…おんなとおとこの夜の仲」「あてなる女…高貴な女性…内親王…前伊勢の斎宮の斎王…心のあてやかな女…優雅で上品な女」「京…都…山の峰の上…絶頂…宮こ」「山さと…山のふもと…山ばのないところ…野」「すみ…住み…澄み」「もと…もとより…本…ほんとうの」「しぞく…し()ぞく…親族…実の父娘かもしれぬ(帯とけの伊勢物語第六十九を読み直してください)」「そむく…背く…背を向ける」「雲…煩わしくも心にわきたつもの…心雲、情欲など広くは煩悩…仏の来迎し給うときの雲は煩わしいものなど消えた紫雲、乗ってゆく先は極楽浄土」「なり…である…断定を表す…だそうだ…伝聞であることを表す」。

 

 「斎宮の宮也」は後の人の書き加え。この書き加えは読み助けてくれる。業平は余計なことは書かない。

斎宮の宮は、恬子内親王(母は文徳帝女御の紀有常の妹)、清和帝即位の貞観元年(859)より譲位された貞観十八年まで斎宮であった。逢坂の関を越えて京にお帰りになっていたのだ。歌は実の娘の人生を心配する父親の心であろう。

 

「雲」に、上のような「言の心」が有ったと言う所在証明は、万葉集の雲の歌も同じ言の心で詠まれていた、などという、まことに非論理的な、近代の学問にとっては受け入れ難い、状況証拠を示すしかない。


 万葉集 巻第七詠雲

 あなし河河浪立ちぬ巻向のゆつきが岳に雲居立つらし

 (穴師川、川浪立った、巻向の弓月岳に雲立ち・雨らしい……をんな川、波だった、まきむくの弓つきが猛に、心雲たった・お雨ふるらしい)。

 あしひきの山河の瀬のなるなへに弓月が岳に雲立ち渡る

 (あしひきの山川の瀬の鳴る音とともに、弓月が岳に雲立ち渡る……あの山ばの、女の泣く成る声とともに、弓張りのつき人おとこに、心雲たちつづく)。

 右二首柿本朝臣人麻呂之歌集出

 

「河…川…言の心は女…水・石・岩なども言の心は女」「波…心波」「たけ…嶽…高…頂上」「雲…心雲…色情…情欲…ひろくは煩悩」「たつ…立つ…発生する」「らし…推量」。

「山…山ば」「なる…鳴る…水が岩や石の上を流れ落ちる音…とどろく…成る…(女が)泣く」「なへに…と共に…同時に」「弓月…弓張の月人壮士…男…おとこ…弓なりのおとこ」「たけ…嶽…高…頂上」「たち…立ち…絶ち」「わたる…移動する…つづく」。

 

藤原公任の捉えたように、優れた歌は「心深く、姿清げにて、心におかしきところがある。人麻呂は、景色の写生を「清げな姿」として、人の生の心の「心におかしきところ」を一つの言葉で詠んだ。作歌事情がわかれば深い心も聞こえて来るだろう。心波たち、なる声立てているのは女である。


 
2016・7月、旧稿を全面改定しました)


新・帯とけの「伊勢物語」(百一)ありしに優る藤のかげかも

2016-07-27 18:54:46 | 古典

               



                             帯とけの「伊勢物語」



 在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を、原点に帰って、平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で読み直しています。江戸時代の国学と近代以来の国文学は、貫之・公任らの歌論など無視して、新たに構築した独自の方法で解釈してきたので、聞こえる意味は大きく違います。国文学的解釈では、歌や物語の「清げな姿」のみ顕れて「心におかしきところ」の無い味気ない物語になってしまった。


 伊勢物語
(百一)ありしにまさるふぢのかげかも

 
 むかし、左兵衛の督であった在原行平という人がいた。その人の家に、よい酒があると聞いて、殿上にて仕える左中弁藤原良近という人を主客として、その日は接待したのだった。主人は情趣のわかる人なので、かめに花させり(瓶に花を挿してある…彼めにお花を差してある)。その花の中に、あやしき(奇妙な…不思議な)藤の花があった。花房の垂れぐあい三尺六寸ほどもあった。それを題にして歌を詠む。人々が詠み果てたころあいに、主人の弟が・この男が、兄が御馳走していらっしゃると聞いて、来たのでつかまえて歌を詠ませた。もとより歌のことを知らなかったので、応じなかったが、強いて詠ませたところ、このように、

さく花のしたにかくるゝ人をおほみ  ありしにまさるふぢのかげかも

 (咲く花の・咲く良き房の、下に隠れる人材多いために、以前に増さる、藤の影・藤氏の陰り、かも……咲くおとこ花の・咲く良き房の、下に隠れる・下で逝く、女多くて、在りしに・わがおとこに、優る、藤の・不尽の、陰かもなあ)。

「などかくしもよむ(なぜ、そのように詠むのだ…何に、隠してそのように詠むのだ)」と言ったので、「おほきおとどの栄花の盛りにみまそがりて、籐氏の殊に栄ゆるを思ひてよめる(太政大臣が栄華の盛りでいらっしゃって、藤氏の殊に栄えるのを思って詠んだ(……咲く良き房の・咲く栄花の、下にお陰を被っている人が多くて、以前にまさる藤氏の栄光であることよ)」なんて言った。皆、人々、そしらずなりにけり(素知らぬ顔になってしまった…誹らずなったのだった・これぞ誹り歌の極みだったのだ)。

 


 紀貫之のいう「言の心」を心得て、枕草子に「聞き耳異なるもの」というほどの言葉の戯れを知り、藤原俊成の言語観にも従う。

 「藤氏…とうし…ふぢし…不尽の子の君」「花…栄華…男花…おとこ花」「花のしなひ…花房のしなやかな垂れっぷり…良き房…おとこの垂れっぷり…枕草子(三十四)に、藤の花は、しなひながく色こくさきたる、いとめでたしとある、これを、いとをかしと読めるような言語圏内の人になれば、伊勢物語もおかしく読める」「三尺六寸…一㍍余り」「したにかくるゝ…下づみになって隠れている…下でなくなる…下で逝く…(良房の下で)お陰を被っている」「人…人材…女…人々」「ありしにまさる…以前に増さる…在氏に勝る…武樫おとこのこの男に優る」「かげ…影…陰り…光…栄光…陰…ほと」「そしらず…素知らず…白けて知らぬ顔…謗らず」「素…白」。

 

主客の良近は藤原氏ながら、冬嗣・良房・基経一門ではない。お蔭を被らぬ、隠れた人材だったのだろう。

人々が普通に謗っていたのは、歌題の「良き房」を種にして藤原良房のことである。「よにありがたきもの、主そしらぬ従者(世に、在り難きもの、主人を謗らぬ部下)」と枕草子(七十二)にもある。


 御馳走と酒を目当てに来たとかいう業平らしい男の歌には、世を批判し憂うる「深き心」が有り、我が物より優るおとこぷりを讃える「心におかしきところ」が添えられて有り、人々は一瞬、素知らぬ顔になった。けれども、訊いてみれば、現太政大臣を讃える「清げな姿」も有ったので、これは三拍子揃った謗り歌の極みとわかって、人々はそれ以上「謗らず」なった。これ以上の誹り歌は作れない。


 
2016・7月、旧稿を全面改定しました)