帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百十四〕あはれなるもの

2011-07-10 00:06:27 | 古典

   



                                  帯とけの枕草子〔百十四〕あはれなるもの 



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
 



 清少納言枕草子〔百十四〕あはれなるもの

 あはれなるもの、孝ある人の子。よきをとこのわかきが、みたけさうじしたる。たてへだてゐて、うちおこなひたる暁のぬか、いみじうあはれなり。むつまじき人などのめさましてきくらん、思ひやる。


 清げな姿

しみじみと感動するもの、親孝行な人の子。身分よき若者が御獄に詣でる為に精進している。閉め隔てて居て、行っている暁の額突き(礼拝)など、しみじみとした感慨がある。睦ましい人らが目覚めて聞くでしょうと、思いやられる。


 心におかしきところ

感動するもの、媾ある・効ある、男の子の君。よき男の若ものが山ばの峰めざして精出している。立てへ立て射て、うち行った赤尽きの、こうべ垂れひれ伏し、とってもあわれである。睦み合う女などが、めざめて効くでしょう、思い晴れる。


 言の戯れと言の心

「孝…孝行…効…効果…媾…まぐあい」「御獄…吉野の山…峰…絶頂」「め…目…女」「さめる…覚める…めざめる…初めて喜びなどを知る」「あかつき…暁…赤突き…赤尽き」「赤…元気色」「きく…聞く…効く」「思ひやる…思い遣る…心配する…思いをはらす」。



 (精進終えて実際に御嶽に)詣でるときの有様、どうだろうかなどと、慎みおそれていて、平穏にもの詣して帰り着いたのは、とってもめでたいことよ。烏帽子の有様などは、少し人目に悪い、やはり、たいそう立派な人といえども、これ以上ないやつれた有様で詣でるものと聞き知っている。

右衛門の佐、宣孝という人は「(やつれた有様では)みっともないことである。ただ良き衣着て詣でるのに何ということがあろうか。必ず、よもや、奇妙ななりで詣でよと御獄(権現)が宣ったりしない」といって、三月つごもりに、紫のとっても濃い指貫、白い狩衣、山吹色のけばけばしいのを着て、息子の隆光の主殿の助には、青色の狩衣、紅の衣、派手に擦り模様した水干という袴はかせて、連れ立って詣でたが、帰る人も今詣でる者も、珍しく奇妙な事に、すべて昔よりこの山にこのような姿の人は見えなかったと浅ましがったところが、四月一日に帰って六月の十日ごろに、筑前の守が辞任したので後任になったのこそ、なるほど、言っていたことは間違っていなかったのだ。これは「あはれなる・哀れな・感動的な」ことではないけれど、御獄のついでである。



 (あはれなるものつづき)

男も女も若くきよげなるが、いとくろききぬきたるこそ哀なれ。

(男も女も若く清げな者が、とっても黒い衣・喪服を着ているのは、哀れである……男も女も若くて綺麗な者が、とっても黒い衣・汚れた衣を着ているのは、哀れである)。

 
九月つもごり、十月ついたちの程に、只あるかなきかにきゝつけたるきりぎりすの声。

(九月末十月一日の頃に、ただ有るか無きかに聞きつけた、きりぎりすの声……長つきの果て、十つきのつい立ちのころに、ただあるか無きかに聞きつけた限り限りすの声)。


 には鳥の子いだきてふしたる。

(鶏が卵抱いて臥している……女が子の君抱いて寝ている)。


 秋ふかき庭のあさぢに露の色いろの玉のやうにておきたる。

(秋深い庭の浅茅に、露が色々の玉のようにおりている……飽き満ち足りた浅はかなおとこに、つゆが色々と白玉のようについている)。


 夕暮暁にかは竹の風に吹かれたる、めさましてきゝたる。又よるなどもすべて。

(夕暮れや暁に、河竹が風に吹かれているのを目覚めて聞いている。また夜もすべて……ものの果て、赤尽きに、川にある竹が心風に吹かれているのを、め冷めてきいている。股、寄るもののす経て)。


 山里のゆき。

(山里の雪…山ばのさ門の白ゆき)。

 
 思かはしたるわかき人のなかの、せくかたありて、心にもまかせぬ。

(思い交わす若い人の仲が、邪魔する人あって、意のままにならない……思いを交わしている若い人の中の、あせる片方あって、心のままにならない)。


 
 言の戯れを知り言の心を心得ましょう。

「にわとり…鶏…女」「には…庭…ものごとが行われるところ…女」「鳥…女」「あさぢ…浅茅…すすきの類い…情の薄く浅い男」「露…白つゆ」「河…川…女」「竹…君…男」「風…心に吹く風」「めさまして…目覚めて…め冷まして」「め…女」「きく…聞く…受ける…感じる」「又…股」「よる…夜…寄る」「すへて…全て…す経て…す過ぎ去って」「す…女」「山…山ば」「里…女…さ門」「雪…逝き…白ゆき…おとこの情念」「せく…塞く…妨害する…急く…あせる」。



 おとなの女たちが、色々な思いを込めて「あはれ」という事柄が書いてある。

 
ついでながら、「右衛門の佐、宣孝といひたる人」は、後に紫式部の夫となった。長保元年(999)のこと。宣孝は夫婦となって二年ばかりで亡くなった。紫式部が宮仕えに出たのは一年喪に服した後で、長保四年(1002)のこと。

 長保二年十二月定子皇后崩御。清女三十六歳は、長保三年(1001)に宮仕えを辞去した。これを書いているときは、
宣孝の妻が宮仕えに出る事など知る由も無い。


 

伝授 清原のおうな

聞書 かき人知らず   (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による