帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第九 羇旅歌 (419)ひとゝとせに一たびきます君まてば

2018-02-26 19:03:14 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第九 羇旅歌

 

   親王、この歌を返す返す読みつゝ、返し、えせずなり

   にければ、供にはべりて、よめる      紀有常

 

ひとゝとせに一たびきます君まてば 宿かす人もあらじとぞ思

 (一年に一たび来ます君待つ・貞淑な女なので、宿かす人ではないだろうと思う……女と背の君に、一年に一度だけ気増す貴身待てば、相手選ばぬなりひらの君に、や門貸す女ではないと思うよ)。

 

 

「ひととせに…一年に…女と背の君に」「ひとたび…一度…一日だけ」「きます…来ます…気増す」「君…貴身…おとこ」「宿…やど…やと…や門…おんな」「人…女人」「あらじ…ないだろう」。

 

一年に一たび来ます君待つ貞淑さなので、見知らぬ男に宿貸す人ではないだろうと思う――歌の清げな姿。

一行は、東の国へ逃れゆく場面ではなく、行き場なくただ都近くに戻って来た情況で、天の川という所まで来たとき、この地の人々より差し入れられた酒を、楽しく飲もうと、紀の有常が、惟嵩親王に代わって詠んだ、業平の君のような、浮気な男に七夕姫は宿貸さないでしょうよ。

 

女人と背の君に、一年に一度だけ気増す、彦星の貴身待てば、なりひらの君に、や門貸す女ではないと思うよ――心におかしきところ。

人々、歌のエロスによつて、酒はさらに楽しく飲めただろう。

心のむなしさは慰めがたい。ゆくべき所はない。天の川という所まで戻ってきて、はたまたどこへ行くのか。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第九 羇旅歌 (418)狩りくらしたなばたつ女に宿からむ

2018-02-21 21:38:58 | 古典

            

                       帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第九 羇旅歌

 

惟嵩親王の供に、狩りにまかりける時に、天の河と

言ふ所の河のほとりに下り居て、酒など飲みけるつ

いでに、親王の言ひけらく、狩りして天の河原に至

ると言ふ心をよみて、さか月は注せと言ひければ、

よめる                業平朝臣

狩りくらしたなばたつ女に宿からむ 天のかはらに我は来にけり

(惟嵩親王の供として、狩りに出かけた時に、天の河と言う所の、河の辺に馬を下り居て、酒など飲んだついでに、親王が言われたのは、狩りして天の河原に至ると言う心を詠んで、人々の心を和ませて、盃は注せと、言われたので、詠んだと思われる・歌)(なりひらの朝臣)

(狩りして日を暮らし、七夕姫に、宿を借りよう、天の河原に、我は来たことよ……おんな狩りして日暮し、七夕姫に、や門借りよう、あまのかの腹に、我は来たなあ)。

 

 

「狩り…獣狩り…女狩り…おんなあさり」「たなばたつ女…七夕姫…織姫」「宿…やど…や門…おんな」「天のかはら…天の河原…所の名…物の名。名は戯れる。女の川腹、川腹、おんな」「来にけり…来てしまったことよ…来たのだなあ」「けり…気づき・詠嘆の意を表す」。

 

狩りして日を暮らし、七夕姫に、宿を借りよう、天の河原に、我は来たことよ――歌の清げな姿。

狩りの遊びをしていて、天の川という所で日が暮れたという呑気な情況に見えるが、現在の政権より、第一皇太子である惟嵩親王と、業平は命さえ狙われている敵対する人、それを承知しの上で都に近づいて来てしまった。もはや行き場のないこのような旅こそ、羇旅の旅である。

伊勢物語こそ、業平の羇旅の物語である。

 

おんな狩りして日暮し、七夕姫に、や門借りよう、あまのかの腹に、我は来たなあ――心におかしきところ。

どの様な情況でも、人々を和ませるのが、和歌である。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第九 羇旅歌 (417)夕つく夜おぼつかなきを玉匣

2018-02-19 20:22:42 | 古典

            

                       帯とけの「古今和歌集」

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第九 羇旅歌

 

但馬国の湯へまかりける時に、二見浦と言ふ

所に泊りて、夕さりのかれいひ賜べけるにあ

りける人々、歌よみけるついでに、よめる

          藤原兼輔

夕つく夜おぼつかなきを玉匣 ふたみの浦はあけてこそ見め

 

    (但馬国の湯へ出かけた時に、二見浦と言ふ所に泊って、夕方が来て乾飯を頂いたときに、共にいた人々が歌詠んだついでに、詠んだと思われる・歌……たじ間のせかいにいった時に、二見のうらと言うところに、とどまって、夕食に乾飯を頂いたときに、共にいた人々、歌を詠んだついでに詠んだらしい・歌)ふじはらのかねすけ

(夕方に精魂尽きたよ、おぼつかないので、たまくしげ二見の浦は、夜が明けてから見物するつもりだ……暮れ方の月人おとこ精根尽き、おぼつかないので、玉くしげ二見する心は、夜が明けてからだなあ、見せるつもりだ)。

 

 「たじまの国…但馬の国…国の名…名は戯れる。多肢間、多路間…多情なおんな」「二見…所の名…名は戯れる…二度見」「見…覯…媾…まぐあい」。

 「夕つく夜…夕方に尽きたよ…月人おとこ尽きたよ」「おぼつかなきを…ぼんやりとしている…頼りない感じのおとこ」「を…ので…おとこ」「たまくしげ…匣…櫛箱などの美称…開くものの美称」「二見の浦…所の名…名は戯れる。二度見…おとこの苦手なこと」「浦…裏…心」「あけて…開けて…明けて…(夜が)明けて」「見め…見るつもりだ…見物するつもりだ…見るつもりだ」「め…む…つもりだ…意思を表す」。

 

夕方に精魂尽きたよ、頼りない感じなので、たまくしげすばらしい二見の浦は、夜が明けてから見物するつもりだ――歌の清げな姿。

治る見込みのない湯治の旅も、ゆきゆくだけの、羇旅なのだろう。

 

暮れ方の月人おとこ、精根尽きて、おぼつかないので、玉くしげおんなの二見の裏は、夜が明けてからだなあ、見るつもりだ――心におかしきところ。

普通でも、二見の裏など、ままならないのに、精根尽き、元には戻らないたことを自覚したおとこの悲哀。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第九 羇旅歌 (416)夜を寒みをく初霜をはらひつゝ

2018-02-15 20:51:19 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第九 羇旅歌

 

甲斐国へまかりける時、道にて、よめる 

                躬恒

夜を寒みをく初霜をはらひつゝ 草の枕にあまたたび寝ぬ

(甲斐国へ使者として行った時、道中にて詠んだと思われる・歌……かいのせかいへ逝った時、路にて詠んだらしい・歌)みつね

(夜が寒いので、初霜を払い除けつつ、草の枕で、何度も旅寝した……夜の営み寒いので、早い白いもの払い除けつつ、我妻と数多度、共寝してしまった)。

 

 

  「かひのくに…甲斐の国…京より十数日かかる東の国…国の名などは戯れる。貝のくに、おんなのせかい」「道…路…おんな」。

「初霜…初めての霜…初の白いもの」「はらひ…払い…掃ひ…取り除き」」「草の枕…旅寝…共寝」「草…言の心」「あまたたび…多数度…何度も」「寝ぬ…寝た…旅ねした…共寝した」「ぬ…てしまう…してしまった…完了した意を表す」。

 

夜が寒いので、初霜を払い除けつつ、草の枕で、何度も旅寝した――歌の清げな姿。

任務のために行く羇旅、心細い旅情。

 

夜の営み、心寒いので、早い白いもの払い除けつつ、我妻と数多度、共寝してしまった――心におかしきところ。

山ばでの我妻との別れ、おんなは早い白いものに心寒い、あまたたび、逝き果ててしまうおとこのさがの詠嘆。

 

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)


帯とけの「古今和歌集」 巻第九 羇旅歌 (415)糸による物ならなくにわかれ路の

2018-02-14 19:42:17 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第九 羇旅歌

 

東へまかりける時、道にて、よめる  貫之

糸による物ならなくにわかれ路の 心ぼそくも思ほゆる哉

(東の国へ使者として行った時、道中にて詠んだと思われる・歌……吾妻へまかった時に、通い路にて詠んだらしい・歌)つらゆき

(糸に撚る物ではないのに、妻子との別れ路が 心細く・糸のような絆に、思われるなあ……意図によるものではないのに、山ばでの吾妻との、別れ路の、別れたくないが、心細く思われるなあ)

 

 

 「東…あづま…吾妻…我妻」「まかり…赴任する…使者として行く…罷り…引き下がり」「道…道中…路…通い路…おんな」。

 「糸…細く弱いもの…いと…井門…おんな」「よる…撚る…依る…寄る…頼る」「別れ路…(見送る人との)別れ路…(妻子との)別れ路…別れじ…別れたくない」「路…じ…打消しの意思を表す」「哉…かな…ことよ…だなあ…感嘆・詠嘆の意を表す」。

 

糸に撚る物ではないのに、妻子との別れ路が 心細く・糸の絆に、思われるなあ――歌の清げな姿。

妻子と別れて、任務のために行く羇旅、別れの心細い心情。

 

意図によるものではないのに、山ばでの吾妻との、別れ路の、別れたくないが、心細く思われるなあ――心におかしきところ。

山ばでの我妻との別れ、おんなは不満足で別れたくないが、行き行きて、逝き果てるおとこのさがの詠嘆。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)