帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第五 賀 (百七十六)(百七十七)

2015-04-30 00:17:41 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。

「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるに違いない。それは、歌言葉の多様な戯れの意味の内に顕れるようである。


 

拾遺抄 巻第五 賀 五十一首

 

(小野宮大臣の五十賀しはべりける時の屏風に)            兼盛

百七十六 わがやどにさけるさくらのはなざかり  ちとせ見るともあかじとぞ思ふ

(小野宮大臣の五十の賀をした時の屏風に)              平兼盛

(我が宿に咲いた桜の花盛り、千年見るとも、飽きないだろうと思う……吾妻に、さいたおとこ花の花盛り、千年見続けても、貴身たちは・飽きないだろう、と思う)

 

言の心と言の戯れ

「わがやど…我が宿…吾が妻」「やど…宿…家…言の心は女…屋門…おんな」「さける…咲いた…放った」「さくら…桜…木の花…男花…おとこ花」「はなざかり…花の最盛期…おとこ花の盛り」「ちとせ…千年…千歳」「見…見物…覯…媾…まぐあい」「あかじ…飽きないだろう…飽き満ち足りる事は無いだろう」

 

歌の清げな姿は、我が家の桜の花盛り千年花見していても飽きないと思う。

心におかしきところは、五十歳、おとこ花の盛り、やどもきみも・千年見ていても飽きないだろうと思う。

 

歌の清げな姿から、賀の意味を汲み取り憶測することが歌の解釈ではない。


 歌言葉の戯れに顕れる「心におかしきところ」が、人の心に入り、心をくすぐるのだろう。大臣は笑って応じ、聞く人々も和むだろう。これが賀の和歌である。

 

 

おなじ人の七十賀し侍りけるに竹の杖をつくりて侍りけるに      能宣

百七十七 きみがためけふきる竹のつゑなれば  まだつきもせずよよぞこめたる

二十年後同じ人(小野宮大臣・公任の祖父)の七十歳の賀したときに、竹の杖を作ってあったので、 大中臣能宣

(君のため、今日切る生竹の杖なので、まだ突きもせず、節々ぞ・君の世々ぞ、込めてある……きみのため、今、生る、猛けのおとこなので、未だ尽きもせず、だらだら、夜夜に、入り込んでいる)

 

 

言の心と言の戯れ

「きみ…君…貴身」「きる…切る…生る…生の…新鮮な」「竹のつゑ…男の杖…貴身…多気のおとこ…長けおとこ…猛けのおとこ」「竹…男君…猛け…多気…長い」「つきもせず…(杖として)突きもせず…尽きもせず」「よよ…(竹の)節々…世々(年々歳々)…夜々…だらだらと長いこと」「ぞ…強く指示する意を表す」「こめたる…込めてある…中に入れてある」

 

歌の清げな姿は、贈り物の節の多い生の竹の杖を愛でている。

心におかしきところは、たけきおとこの長寿を言祝いでいるところ。

 

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第五 賀 (百七十四)(百七十五)

2015-04-29 00:15:20 | 古典

         

 


                       帯とけの拾遺抄


 

藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。

もとより和歌は秘事となるような裏の意味を孕んでいた。鎌倉時代に歌の家に埋も木となって戦国時代を経て秘伝となり江戸時代には朽ちていたのだろう。秘伝の端切れから秘事の解明は不能である。

歌言葉の戯れの中に顕れる「心におかしきところ」が蘇えれば、秘事伝授などに関わりなく、和歌の真髄に触れることができる。

 

拾遺抄 巻第五 賀 五十一首
               
              
おなじがに竹のつゑのかたをつくりて侍りけるに      大中臣頼基
 
百七十四 
ひとふしにちよをこめたる杖なれば つくともつきじ君がよはひは
              
同じ中宮の賀に竹の杖の形を作ってあったので      (大中臣頼基・能宣の父・貫之や身恒の後輩)

(一節に千世を込めた杖なので突いても、尽きないでしょう貴女の寿命は……一夫肢に千夜の情を込めた杖なので、突いても尽きないでしょうあなたの夜這いは)

 

言の心と言の戯れ

「ひとふし…一節…節の多い品種の竹の一節…一夫肢…おとこ」「ちよ…千世…千夜」「杖…歩行を助ける物…一夫肢をささえるもの」「つくともつきじ…突くとも尽きないだろう…本来の夫肢ははかなくて一突きで尽きるもの」「きみ…君…貴身…貴見」「見…覯…媾…まぐあい」「よはひ…年齢…寿命…夜這い…(竹取物語にある言葉)求愛・求婚・まぐあい」

 

歌の清げな姿は、杖は突いても尽きない貴女の寿命。

心におかしきところは、この竹の杖ならば、尽きないでしょう、貴女に合わせて。

 

 
       
小野宮大臣の五十賀しはべりける時の屏風に           元輔

百七十五 きみがよをなににたとへんさざれ石の  いはほとならん程もあかねば
        
小野宮大臣(公任の祖父)の五十の賀をした時の屏風に     (清原元輔・清少納言の父)

(貴君の世を何に喩えようか、細石の巌岩とならむ程と・喩えがあるが貴君の寿命の・程はそれでも、飽き足りないのだから……貴身の夜を何に喩えようか、なよなよした女が巌の女に成る程でも、貴身は飽き足りないのだから)

 

言の心と言の戯れ

「きみ…君…貴身…おとこ…貴見…貴覯…貴君の媾」「よ…代…世…夜」「さざれ石のいはほとならん程…限りなき時間の比喩…古今集の歌で君が世の比喩だったが同時に既に裏の意味も孕んでいた」「石…言の心は女」「岩…言の心は女」「あかねば…飽きないので…満足しないので…(見れど)飽きないので(このような意味が鎌倉時代に歌の家に埋もれたまま近世には消えたのである)」

 

歌の清げな姿は、君の寿命は千年八千年でも飽き満ち足りそうにない。

心におかしきところは、貴身の夜は限りなくて喩えようもない程見れど飽かないのだから。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第五 賀 (百七十二)(百七十三)

2015-04-28 00:02:47 | 古典

          

 


                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。

もとより和歌は秘事となるような裏の意味を孕んでいた。鎌倉時代に歌の家に埋も木となって戦国時代を経て秘伝となり江戸時代には朽ち果てていたのだろう。歌言葉の戯れの中に顕れる「心におかしきところ」が蘇えれば、秘事伝授などに関わりなく、和歌の真髄に触れることができる。


 

拾遺抄 巻第五 賀 五十一首

 
            
(作者は前の歌と同じ兼盛かと見えるが、拾遺集では仲算法師)

百七十二 声たててみかさの山ぞよばふなる  あめのしたこそたのしかるらし

(先の兼盛の歌と同じ時の葦手書の歌だろう)

(声たてて三笠の山が呼びかけているようだ・生き物たちの声、天の下、民も・楽しいに違いない……小枝立てて、三重なる山ばぞ、夜這うなる、吾めの下こそ、きっと楽しいだろう)

 

言の心と言の戯れ

「声たてて…山鳴りか…山の生物たちの声か…小枝立てて…身の枝立てて」「みかさの山…御笠山…山の名…名は戯れる。三重なる山ば、見重なる山ば、身重なる山ば」「山…山ば」「よばふ…呼びかける…(み重なることを)呼び求める…夜這う…まぐあう」「なる…なり…推定…聞こえるようだ」「あめのした…天の下…天下の自然と民…吾女の下…世の妻達の身の下」「たのしかるらし…楽しいだろう…精神的・肉体的に満ち足りて快らしい」「らし…確信ある推定の意を表す」

 

歌の清げな姿は、帝の賀を言祝ぐ即ち天下国家を言祝ぐ心。

心におかしきところは、再三重なる山ばを求めて呼んでいる、吾めの下、楽しいに違いないな。

 

「拾遺集」では、「声たてて」が「声高く」となっている。「心におかしきところ」が更に「玄の玄」なるものとなる。

 

 

承平四年中宮の賀し侍りける時の屏風に            斎宮内侍

百七十三 いろかへぬ松とたけとのすゑのよを  いづれひさしと君のみぞ見む

承平四年(934)、中宮の賀をされた時の屏風に        (斎宮内侍・斎宮だった内親王にお仕えした人)

(常しえに・色変えない松と竹との末の世を、どちらが久しいかと、きみだけが見届けられるでしょう……常磐なる色情の女君と、猛き男君との末の夜を、どちらが久しく保つかと、きみの身ぞ、見るでしょう)

 

言の心と言の戯れ

「いろ…色…色彩…色情」「松…常緑…長寿…待つ…言の心は女」「たけ…竹…君…言の心は男」「すゑのよ…末の世…果ての夜」「のみ…だけ…限定の意を表す…の身…の見」「ぞ…強く指示する意を表す」「見…覯…媾…まぐあう」

 

歌の清げな姿は、中宮の四十か五十歳の賀の言祝ぎ。

心におかしきところは、年経ても色香も色情も失せぬひとを愛であげるところ。

 

前斎宮の内親王の立場(下世話に言えば小姑の立場)で詠まれた歌だろう。四十、五十歳の中宮に対して遠慮は無い。


 

さて、「竹」に男君という意味があったとは、今の「古語辞典」に載っていないので、学問的には埋もれたまま未発掘か。清少納言は知っていたので訊ねる。枕草子(一三〇段)は、「竹」が男君でおとこであるとの前提で読めば、今の人々も「をかし」に付いていけるだろう。

「五月ばかり、月もなういと暗き」ときに、行成とその仲間の男たちが、庭の呉竹を切って、此の竹を題に歌でも詠もうということで、悪戯に、「女房達は居るか」と、局の簾に、そよろと差し入れたのである。清少納言の応対は男どもの期待以上であった。「おいこの君にこそ」と応えた。この言葉で、すべて言い尽くされてしまって、「をかし」くて、呉竹の歌を詠むまでもなくなったのだろうか。話題ができたと帰ってしまった。

「おいこの君にこそ」

(はい、此の君なのね・誰かと思えば……感極まった小の貴身なのね・短くなよなよのものは)


 「おい…はい…返事の言葉…老い…暮れ…よれよれ…追い…ものの極み…感の極み」「この君…此君(竹)…子の君…小の貴身…おとこ」「くれたけ…呉竹…淡竹…節間の短い竹」「こそ…特に強く指示する意を表す…(この君の裏の意味を)強く示した」。このように、言葉は「聞き耳(によって意味の)異なるもの」である。

 


 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第五 賀 (百七十)(百七十一)

2015-04-27 00:09:50 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。

もとより和歌は秘事となるような裏の意味を孕んでいた。鎌倉時代に歌の家に埋も木となって戦国時代を経て秘伝となり江戸時代には朽ち果てていたのだろう。歌言葉の戯れの中に顕れる「心におかしきところ」が蘇えれば、秘事伝授などに関わりなく、和歌の真髄に触れることができる。


 

拾遺抄 巻第五 賀 五十一首

 

三善佐忠がかうぶりし侍るに                  能宣

百七十  ゆひそむるはつもとゆいのこむらさき  ころものうらにうつれとぞ思ふ

三善佐忠が初冠するときに                  (大中臣能宣)

 (結び始める初元結の濃紫・紐の色、衣の裏に色移りせよと思う・青や緋の衣にとどまるな……身を・結び初める、初もと結びの清く澄んだ恋色、心身の心に移れとぞ思う・初心忘るべからず)

 

言の心と言の戯れ

「ゆひそむる…結び初める…身を結び初める」「はつもとゆい…初元結…初めて結ぶもとどりの紐…初めて結ぶ身」「こむらさき…濃紫…高貴な衣の色…衣の色は位を表す、青は六位、緋は五位、紫はそれ以上の位」「ころも…衣…心身を被うもの…心身の換喩…身と心」「うら…裏…心」「うつれとぞ思ふ…(色)移りせよと思う…(位の高い人に)成れと思う…澄んだ初心忘れるなと思う」

 

歌の清げな姿は、将来は濃紫の衣をと思いやる心。

心におかしきところは、初の契りを結んだときの澄んだ恋色に心を染めておけと思いやるところ。


 

歌言葉には字義とは別の意味がある。それを心得るのは、やはり歌からである。

伊勢物語(四十一)

むかし、姉妹がいた。一人は賤しく貧しい男を、一人は高貴な男を夫に持っていた。いやしい男を持った方が、夫の衣を洗い張りしていて、破れてしまった。どうしょうもなく、ただ泣きに泣いていると、高貴な男が聞いて、心苦しかったので、新しい青の上着を求めてきて遣ると言って、

むらさきの色濃き時はめもはるに 野なる草木ぞわかれざりける

(紫草の色濃きときは、芽も張るので・根も張るので、野にある草木ぞ、一面緑で・分けられないなあ……澄んだ心の女、色濃きときは、めも春・おも張る、下野の男と女ぞ、それくらいの事で・別れはしないよ)


  色好みな男が、我が妻との絆により、妻の妹を澄んだ心で、下心なく物心両面で助け慰めたお話だろう。

「聞き耳異なるもの、男の言葉、女の言葉」と清少納言は言う。「歌言葉は、浮言綺語の戯れに似たれども、ことの深き旨も顕れる」と藤原俊成はいう。「紫…色の名…澄んだ心色」「め…芽…女」「はる…春…張る」「草…女」「木…男」と心得て、ほぼ間違いないだろう。


         
        
天暦のみかど四十にならせ給ひけるとし山しな寺に金泥寿命経四十巻をかの寺

にかき供養して御巻数をそへたてまつらせたりけるに、すはまをつくりてつる

をたてて御巻数くはせたりけり、その洲浜のだいのしきもののあしでにあまた

の歌をかけりける中に                      兼盛

百七十一  山しなの山のいはねに松をうゑて ときはかきはにいのりをぞする

   天暦の帝、四十におなりになられた年、山階寺に金泥寿命経四十巻を書き供養して、御巻数を添えられたので、洲浜をつくり鶴を立てて御巻数をくわえさせた。その洲浜の台の敷物に、葦手に書かれた多くの歌があった中に  兼盛

(山階の山の岩根に、長寿の・松を植えて、身は・常に盤石堅牢にとお祈りをする……山の階段の山ばの岩の峰に、久しき女、お、植えて、永久不変堅固なままに、井乗りぞする)

 

言の心と言の戯れ

「山しな…山階…所の名…名は戯れる。山品、山がつ程のおの品格、山の階段」「山…山ば」「いはね…岩根…岩峰…岩山の頂上」「松…長寿…久しい…言の心は女」「を…対象を示す…お…おとこ」「うゑて…植えて…植付けて」「ときはかきは…常磐堅盤…永久不変堅牢堅固」「いのり…祈り…井乗り」「井…言の心は女」「を…お」「ぞ…強く指示する」「する…為す…擦る」

 

歌の清げな姿は、写経して経供養し長寿の御祈りする御姿。

心におかしきところは、ものの峰で常磐堅固なものが井乗り擦るというところ。

 

歌は、水の流れや葦の葉の線描に似せたひらがなで書かれてあった。判読の容易でない遊戯的な書体は歌の裏の内容に相応しい。さて、村上の帝、この歌をお読みになられ、兼盛を睨みつけ、お怒りになられただろうか、心よりお笑いになられたと思うが如何。「心におかしきところ」が有ってこそ優れた歌である。人の心を和ませるのが和歌である。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第五 賀 (百六十八)(百六十九)

2015-04-25 00:37:38 | 古典

          

 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。

もとより和歌は秘事となるような裏の意味を孕んでいた。鎌倉時代に歌の家に埋も木となって戦国時代を経て秘伝となり江戸時代には朽ち果てていたのだろう。歌言葉の戯れの中に顕れる「心におかしきところ」が蘇えれば、秘事伝授などに関わりなく、和歌の真髄に触れることができる。


 

拾遺抄 巻第五 賀 五十一首


        (ある藤氏のうぶやに)                      (元輔)

百六十八 きみがへんやほよろづよをかぞふれば  かつがつけふぞなぬかなりける

      (拾遺集では、うぶやの七夜にまかりて、よしのぶ)

(君が経るでしょう八百万世を勘定すれば、わずかに今日で七日でしたなあ……君が経るでしょう八百万夜、お、彼ぞ振れば、やっとこさ、今日ぞ・京ぞ、七日夜でしたなあ)

 

言の心と言の戯れ

「きみ…君…誕生した皇子のこと…男子である」「へん…経るだろう…この世を過ごすでしょう」「やほよろづよ…八百万世…八百万夜」「を…対象を示す…お…おとこ」「かぞふれば…数えれば…勘定すれば…勘案すれば…彼ぞ振れば…彼ぞ降れば」「彼…あれ…おとこの代名詞…男の赤ん坊の小さなもの」「かつがつ…かろうじて・やっと・不満足ながら」「けふ…今日…京…極まり至ったところ」「なぬか…七日…三日夜・五日夜は身内のうぶやしない、七日夜は公の産養いという。祝宴があり、贈り物をしたり、歌を詠んだりする」

 

歌の清げな姿は、誕生七日目の皇子への祝い歌。

心におかしきところは、幼君の子の貴身の将来の八百万夜を勘定し案ずるこころ。


 

「紫式部日記」には、藤原道長の長女彰子中宮の土御門殿(道長邸)での御産の状況が綿密に描写してある。「うしの時(正午ごろ)に、空晴れて朝日差し出でたる心地す、たひらかにおはします嬉しさのたぐいもなきに、をとこにさえおはしましける喜び、いかがはなのめならむ」などとあって、安易に要約したり紹介できるような文章ではないので、先をいそぐ、紫式部も祝い歌を披露したと思われるが、どのような歌を作ったのか、それこそが興味津々なのである。

五日夜は殿(道長)の産養いで、人々も集い、祝宴あり、上達部の歌等がある。女房達、歌のことが心配になり、「女房、さかづきさせ、歌詠め」となった時の為にそれぞれ歌作りをこころみる。紫式部の用意した歌は、

めづらしき光さしそふさかづきは もちながらこそ千代もめぐらめ

(正午の陽光が朝日の如き・珍しき、光射し添う盃は、持ちながらこそ、千代も巡るでしょう……みな愛でる威光・輝きそなわった、栄月は・栄えるつき人をとこは、望月のまま、千夜も巡り合うでしょう)

 

言の心と言の戯れ

「めづらし…珍し…目新しい…愛づらし…すばらしい…好ましい」「光…陽光…威光…男の輝き…光源氏の光はこれ」「さかづき…盃…栄え月…望月」「月…月人壮士…つき人おとこ」「もちながら…持ちながら…望月のまま」「千代…千世…千夜」「めぐらめ…巡るだろう…宴席は続くだろう…望月は続くだろう…満ちたつき人壮子のままめぐり合うだろう」

 

「四条の大納言にさしいでむほど、歌をばさるものにて、こわづかひ、よういひのべじ(公任殿に差し出して、優れた歌かどうか訊ねたい・ほど、歌は、あのようなもの・心におかしきところのあるもので、読みあげる口調が・難しいわ、わたくしは・よう述べないでしょう)」などと、(女達)言い争っている間に、事多くて、夜も更けたからだろうか、(殿は歌をと)指名せず退席された。

このように書かれてあるので、勝手に公任の歌論に照らしてみよう。この栄光が千代にわたって巡り来るようにという心は、深いかどうかは別にして、ある。

歌の清げな姿は、祝杯が大ぜいの人々を巡って行くさま。

心におかしきところは、光り輝くつき人壮子は望月のまま千夜もめぐるでしょう。

 

色好みなところも無難に抑えられた歌のようである。それでも「よういひのべじ(歌は、れいのようなものなので、よう述べんわ)」と言ったのは、若い女房だからである。中宮を取り巻くのは同じ年代の上衆のお嬢様たちであった。

 

 

宰相誠信朝臣の元服し侍りけるによみ侍りける         源順

百六十九 おいぬればおなじ事こそせられけれ 君はちよませ君はちよませ

宰相誠信朝臣が元服したときに詠んだ            (源順・後撰集撰者)

(老いたならば、同じ事を・元服する男子を祝う事を、きっとなさることよ、君は千世健在で、君は千世健在でな……感極まれば、おとこは減退する・同じ事を君もするのだなあ、君は千夜増せ、貴身は千夜増せよ)

 

言の心と言の戯れ

「おい…老い…年齢の極み…ものの極み…感の極み」「おなじ事…他人の子供の元服に立ち会うこと…大人の男たちと同じ事」「けれ…けり…気付き・詠嘆の意を表す」「君…御身…貴身」「ちよ…千世…千夜」「ませ…居ませ…在りませ…増せ」

 

歌の清げな姿は、長生きせよ。

心におかしきところは、長く保て、なをも増して。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。