帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二百十五〕月のいとあかきに

2011-10-31 00:01:51 | 古典

   
 
                     帯とけの枕草子
〔二百十五〕月のいとあかきに

 


 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百十五〕月のいとあかきに

 
 文の清げな姿

 月のとっても明るいときに、川を渡れば、牛が歩むのにつれて、水晶などが割れるように、水が飛び・散っているのこそ、趣があることよ。


 原文

月のいとあかきに、川をわたれば、うしのあゆむまゝに、すいさうなどのわれたるやうに、水のちりたるこそおかしけれ。


 心におかしきところ

つき人をとこの、とっても元気なときに、かはをわたれば、ゆっくりとゆくにつれて、水槽などが割れたように、をみなが、みだれ散るのこそ、可愛いことよ。


 言の戯れと言の心

「月…月人壮士…男…おとこ」「あかき…明るい…赤い…元気な」「赤…元気色」「川…女」「わたる…渡る…女のもとへゆく…ずっと何々する」「うしのあゆむ…ゆっくりゆっくりゆく」「水…女」「すいさうなど…水晶など…水槽…す井草…女」「われたる…割れた…破れた…心砕けた…心の内を顕わにした」「ちりたる…飛び散った…散乱している…心が乱れている」。



 紀貫之『土佐日記』二月十六日、「桂川月のあかきにぞわたる」歌を聞きましょう。同じ文脈にある。


 土佐の国より帰京した国守一行は、苦難の船旅の末、淀川を上り、山崎という所で牛車に乗り換え、桂川を渡り、まさに京に入ろうとする。夜になってから京には入ろうと思うので、ゆっくりしている間に月が出た。桂川を、月のあかきにぞわたる(月の明るいときに渡る…つき人をとこの赤きにぞわたる)。この川は飛鳥川ではないので、淵瀬変らないなあと言って、ある人の詠んだ歌、

 ひさかたの月におひたる桂川 そこなるかげも変らざりけり

 (久方の月に生えている桂、その名の・桂川、底にある月影も、以前と・変っていないなあ……久堅のつき人おとこに、感極まった且つらのひと、其処にある陰も、健在ぶり・変らないことよ)。


  「ひさかた…枕詞…久方…久堅(万葉集の表記)…久しく堅牢」「月…月人壮士(万葉集の歌語)…男…おとこ」「おひ…おい…生い…老い…追い…極まり」「桂…月の木…且つら…なおもまた」「ら…状態を表わす」「川…女」「そこ…底…其処」「かげ…影…陰…ほと」。


  「京の嬉しきあまりに、歌もあまりぞ多かる」とある。 「あまりぞ多かる」とは、「歌数があまりにも多くある…歌には余りの情が多くある」ということ。
  紀貫之は、土佐日記で、このようにして「歌のさま」と「言の心」を教示している。

 今や、言の戯れを知らず「言の心」も心得ず、歌も文も、うわの空読みされている。残念なことよ。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)


 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子〔二百十四〕よくたきしめたる

2011-10-29 00:04:07 | 古典

    


                     帯とけの枕草子
〔二百十四〕よくたきしめたる
 


 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、君が読まされ枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 清少納言枕草子〔二百十四〕よくたきしめたる

 
 文の清げな姿

よく焚き染めてある薫物が、昨日、一昨日、今日などは忘れていたのを、ひき開けたところ、衣に・煙が残っているのは、ただ今の香りよりも愛でたい。


 原文

 よくたきしめたるたきものゝ、昨日、をとゝひ、けふなどはわすれたるに、ひきあけたるに、煙のゝこりたるは、たゞいまのかよりもめでたし。


 心におかしきところ

よく多気に染まっている多情者が、昨日、一昨日・男訪い、京などは忘れているのに、衣を・ひき開けたときに、京で燃えた雰囲気が・煙が、残っているのは、ただ今の色香よりも愛でたい。


 言の戯れと言の心

「たきもの…薫物…香り染み込ませた衣…多気者」「をとゝひ…一昨日…おと訪い…男と共に訪いし」「けふなど…今日など…京…山ばの頂き…宮こ…絶頂」「けむり…薫物の煙…情熱の火の煙…京にて燃えた情念の煙の残り香」。



 「香」といえば、伊勢物語の「昔の人の袖の香ぞする」いう歌の香が、その香の極みでしょう。それを嗅がされた女は尼になってしまったという。その歌を聞きましょう。

伊勢物語(第六十)は、ほぼ次のように描かれてある。


 昔、男、宮仕え忙しく、心もまじめでなかった頃、家の妻は誠実に貴女を思うという人について、地方の国へ逃げて行ってしまった。勅使となって、たまたま、その国を訪れた男、元の妻が勅使接待役の役人の妻になっていると知って、「女あるじに酌をさせろ。でないと、飲まないぞ」と強く迫って、女が酒を差し出したとき、肴の橘をとって、

さつき待つ花たちばなの香をかげば むかしの人のそでの香ぞする
 (五月待つ花橘の香を嗅げば 昔の男の衣の袖の香がするぞ……さ突き待つ、はな立ち端の、香を嗅げば、昔の男の身のそでの香がするぞ・嗅げ)と言ったのを聞いて、思い出して尼になって山に入ってしまった。


  「さつき…五月…さ突き」「さ…接頭語」「はなたちばな…花橘…木の花…男花…端立ちはな…おとこ花」「はな…端…鼻…汁…おとこ花」「そで…袖…端…身の端」「かぞする…香がする…嗅がす」「ぞ…強調する意を表わす」「する…す…している…ある状態である…させる…使役の意を表わす」。


 言の戯れを知り言の心を心得えて、聞き耳を異にして聞けば、妻に裏切られた男の怨念が、言の戯れのうちに顕われているのがわかるでしょう。
 
 
 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)


 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子〔二百十三〕五月の菖蒲の

2011-10-28 00:03:58 | 古典

   

 

 

                      帯とけの枕草子〔二百十三〕五月の菖蒲の


 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百十三〕五月のさうぶの

 
 文の清げな姿

 五月の菖蒲(五日に軒や柱などにつけたあやめ草)が、秋冬過ぎるまであるのが、たいそう白み枯れてみすぼらしいのを、ひき折り開いたところ、その折りの香が残って包まれてある、とっても趣がある。


 原文

五月のさうぶの、秋冬すぐるまであるが、いみじうしらみかれてあやしきを、ひきおりあけたるに、そのおりのかのゝこりてかゝへたる、いみじうおかし


 心におかしきところ

さつきの壮夫が、飽きふゆ過ぎるまであるが、たいそう白み涸れて並々ではないおを、ひき折り果てたところ、その折の色香が残っていて、抱えている、とってもおかしい。

 言の戯れと言の心

 「五月のさうぶ…端午の節句の菖蒲…さつきの壮夫」「さ…接頭語」「月…つき…突き…尽き…壮士…壮子」「さうふ…菖蒲…壮夫…血気体力盛んな壮年の男」「秋…飽き」「冬…心寒い…心冷え…終」「あけたる…開いた…明けた…ことがおわった」「そのおりのか…五月五日の香…さ突きの折りのおとこの色香」「おり…をり…時…折り…逝」「かゝへたる…抱えている…香りが包まれてある」「おかし…をかし…風情がある…賞賛に値する…すばらしい…おとこだことよ」「お…を…おとこ」「かし…強調する意を表わす」。



 「菖蒲…壮夫…あやめ草…綺麗な妻」などという言の戯れは、用いられ方から、それと知るほかない。

あやめ草(菖蒲)を詠んだ歌を聞きましょう。

藤原公任撰「和漢朗詠集」端午、大中臣能宣

きのふまでよそに思ひしあやめ草  けふわがやどのつまとみるかな

(昨日までよそ事に思っていたあやめ草、今日、葺いて・我が宿の軒のつまと見ることよ……昨日までよそよそしく思っていた綺麗な女、京、我がやどの妻と共に、見ることよ)。


 「あやめ草…家の軒に葺かれた菖蒲…五月五日に飾る邪気除け…綾め…美女」「けふ…今日…端午の節句…京…山ばの頂上…絶頂」「やど…宿…や門…女」「つま…家の軒ば…つれあい…妻」「と…と思って…と一緒に」「見…覯…媾…まぐあい」。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)


 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子〔二百十二〕清水などに参りて

2011-10-27 00:41:26 | 古典

  



                         帯とけの枕草子〔二百十二〕清水などに参りて



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百十二〕きよ水などにまいりて

 
 文の清げな姿

清水寺に参詣して、坂もとのぼる間に、柴焚く香りがとってもしみじみとした趣があるのは、すばらしいことよ……清き女などのように、清水に参詣して坂もとのぼる間に、雑木や雑草焚く香りが、甚だ趣があると感じるのこそ、滑稽なことよ。


 原文

きよ水などにまいりて、さかもとのぼるほどに、しばたくかの、いみじうあはれなるこそおかしけれ。


 心にをかしきところ

清らかなをみなに、男が・参って、山ばの坂もと上る間に、しばしば燃やす色香が、はなはだ可憐に感じられるのこそ、可愛らしいってことよ。


 言の戯れと言の心

 「きよ水などに…清水寺に…清い女などのように」「水…をみな…若い女」「に…へ(方向を表す)…のように(比喩を表す)、他にも多数の意味がある言葉」「さかもと…坂元…清水坂のふもと…山ばへの坂もと…栄もと」「しば…柴…雑木雑草…粗末な雑なもの…今のわれに相応しいもの…しばしば…しきりに」「あはれ…しみじみとした情趣がある…哀れ…胸がきゅんとする…憐れ…可憐」「おかし…をかし…趣がある…滑稽だ…可愛い」。


 
「水」が女であるのは、その意味で使用されているからで、水は女と心得るしかない。

 水が女である歌は、古今に何首かある。古今和歌集 巻第一 春歌上、伊勢の御の歌を聞きましょう。

 水のほとりに梅の花咲けるをよめる 伊勢
 
年をへて花のかゞみとなる水は 散りかゝるをやくもるといふらん
(年月を経て花の鏡となっている水は、散り掛かるのを曇ると言うでしょう……疾しを経て、お花の屈む身となるをみなは、散りかかるのを苦盛るというでしょうよ)。
 
 「梅…木の花…男花…おとこ花」「年…年月…とし…疾し…早い…早過ぎる」「くもる…鏡が曇る…水鏡が苦盛る…お花早くも散ったかと、女の心苦盛る」。


 この歌は、藤原公任撰、和漢朗詠集 巻下「水」にもある
 

 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子〔二百十一〕九月二十日あまりのほど

2011-10-26 00:01:01 | 古典

  



                       帯とけの枕草子〔二百十一〕九月二十日あまりのほど



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百十一〕九月二十日あまりのほど

 

九月の二十日すぎ頃、はせ(長谷寺)に詣でて、いとはかなきいへ(とても貧弱で頼りない家)に泊まっていたときに、堪えられず苦しくて、ただ寝ようと寝入った。

夜が更けて、月のまどよりもりたりしに(月光が窓より漏れていて…つき人壮士がまどより盛りたりしに)、人(供の者…女たち)が寝ている衣の上に、白く映えていたのは、いみじうあはれとおぼえしか(とってもしみじみとした情趣を覚えたことよ)。さやうなるをりぞ人うたよむかし(このような折りなのだ、人が歌を詠むのは――)。


 言の戯れと言の心

「九月二十日あまりのほど…九月尽…長つきも尽きようとするころ…飽きの果て方」「いへ…家…宿…井へ…女…おんな」「月…大空の月…ささらえをとこ…月人壮士…男…おとこ」「まど…窓…まと…間戸…間門…女…おんな」「より…起点を示す」「白…あかるい…澄んでいる…おとこの色」。

 

 
言の戯れを知り「言の心」を心得て、人の詠んだ月歌を聞きましょう。

「歌のさま」は、藤原公任のいう「およそ歌は、心深く姿清げに心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に全て表わされてある。
 古今和歌集巻第四 秋歌上、大江千里

月みればちゞにものこそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど

(月見れば千々に何だか悲しいことよ、わが身独りに来た秋ではないけれど……尽きみれば、ちぢにものこそ、ものがなしいことよ、我が身一つの飽きではないけれど)。


 「月…壮士…突き…尽き」「見る…目で見る…そのようなめにあう…睦みあう…まぐあう」「ちぢに…千々に…あれこれと…色々と…縮に…縮んで」「もの…もろもろのもの…身のひとつのもの」「かなし…悲しい…愛しい」「秋…飽き…飽き満ち足り…厭き…いとわしい感じ」。



 古今和歌集巻第四 秋歌上、よみ人しらず。藤原公任撰、和漢朗詠集巻上の「月」にもある歌。

白雲にはねうちかわしとぶ雁の かげさへ見ゆる秋の夜の月

(白雲に羽うち交わし飛ぶ雁の、姿までも見える秋の夜の澄んだ月だこと……白き心雲のために、端根うち交わしとぶかりの、陰りさえ見える、飽きの夜の尽き、あゝ)。


 「白…澄んだ色」「雲…空の雲…次から次へとわき立つもの…心雲…煩悩…情欲」「はねうちかわす…男女仲良くする…睦み合う」「とぶかり…飛ぶ雁…浮き天に漂う女」「かり…まぐあい…雁…鳥…女」「秋…飽き…厭き」「つき…月…をとこ…尽き…体言止め…詠嘆の心情などを表す」。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)


 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。