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帯とけの枕草子〔二百十五〕月のいとあかきに
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔二百十五〕月のいとあかきに
文の清げな姿
月のとっても明るいときに、川を渡れば、牛が歩むのにつれて、水晶などが割れるように、水が飛び・散っているのこそ、趣があることよ。
原文
月のいとあかきに、川をわたれば、うしのあゆむまゝに、すいさうなどのわれたるやうに、水のちりたるこそおかしけれ。
心におかしきところ
つき人をとこの、とっても元気なときに、かはをわたれば、ゆっくりとゆくにつれて、水槽などが割れたように、をみなが、みだれ散るのこそ、可愛いことよ。
言の戯れと言の心
「月…月人壮士…男…おとこ」「あかき…明るい…赤い…元気な」「赤…元気色」「川…女」「わたる…渡る…女のもとへゆく…ずっと何々する」「うしのあゆむ…ゆっくりゆっくりゆく」「水…女」「すいさうなど…水晶など…水槽…す井草…女」「われたる…割れた…破れた…心砕けた…心の内を顕わにした」「ちりたる…飛び散った…散乱している…心が乱れている」。
紀貫之『土佐日記』二月十六日、「桂川月のあかきにぞわたる」歌を聞きましょう。同じ文脈にある。
土佐の国より帰京した国守一行は、苦難の船旅の末、淀川を上り、山崎という所で牛車に乗り換え、桂川を渡り、まさに京に入ろうとする。夜になってから京には入ろうと思うので、ゆっくりしている間に月が出た。桂川を、月のあかきにぞわたる(月の明るいときに渡る…つき人をとこの赤きにぞわたる)。この川は飛鳥川ではないので、淵瀬変らないなあと言って、ある人の詠んだ歌、
ひさかたの月におひたる桂川 そこなるかげも変らざりけり
(久方の月に生えている桂、その名の・桂川、底にある月影も、以前と・変っていないなあ……久堅のつき人おとこに、感極まった且つらのひと、其処にある陰も、健在ぶり・変らないことよ)。
「ひさかた…枕詞…久方…久堅(万葉集の表記)…久しく堅牢」「月…月人壮士(万葉集の歌語)…男…おとこ」「おひ…おい…生い…老い…追い…極まり」「桂…月の木…且つら…なおもまた」「ら…状態を表わす」「川…女」「そこ…底…其処」「かげ…影…陰…ほと」。
「京の嬉しきあまりに、歌もあまりぞ多かる」とある。 「あまりぞ多かる」とは、「歌数があまりにも多くある…歌には余りの情が多くある」ということ。
紀貫之は、土佐日記で、このようにして「歌のさま」と「言の心」を教示している。
今や、言の戯れを知らず「言の心」も心得ず、歌も文も、うわの空読みされている。残念なことよ。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。