帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの後十五番歌合 九番

2014-12-31 00:16:33 | 古典

       



                   帯とけの後
十五番歌合


 

「後十五番歌合」は藤原公任(又は子の定頼)が近き世の三十人の歌詠みの優れた歌を各々一首撰んで、合わせるのに相応しい歌を組み合わせて、十五番の歌合の形式にした私撰歌集である。

公任の歌論によれば、およそ、優れた歌は、深い心と清げな姿と心におかしい情感が、一つの言葉で表現されてあるという。歌の言葉は複数の意味を孕んでいるから、一つの言葉で歌に複数の意味を表現する事ができる。紀貫之は歌言葉の複数の意味を「言の心」と言ったようである。清少納言は、われわれ上衆の言葉は、聞く耳によって意味の異なるものであると枕草子に記し、藤原俊成は、「古来風躰抄」で歌の言葉を浮言綺語の戯れに似ていると述べた。歌言葉の多様な意味さえ紐解けば、歌の清げな衣の帯とけて、内なる生々しい性情が、時には深い心が、直接、今の人々の心にも伝わるはずである。


 

後十五番歌合 (公任撰 一説 定頼


 九番


                            戒秀

 かきつめしねたさもねたしもしほ草 思はぬかたに煙たなびく

 (かき集めた辛くけむたい藻塩草、焼けば・思わぬ方向に煙棚引く……書き詰め・集めた、残念でくやしい恋の文、女は・思いもよらないお方に気振りなびいている)(戒秀法師・清少納言の兄という)


 言の心と言の戯れ

「かきつめし…掻き集めた…掻き積めた…かき詰めた」「かき…書き…搔き…語調を強める詞」「ねたさもねたし…けむたい嫌な…憎いしゃくにさわる…嫉妬する」「もしほ草…藻塩草…製塩用の海藻…手紙文…辛い・けむたい女…嫌な女」「草…藻…言の心は女…草稿」「思はぬかた…意外な方向…意外なお方」「煙…けぶり…気振り…気持の様子」「たなびく…棚引く…横に移動する」

 

清げな姿は、塩焼の様子。

心におかしきところは、失恋の妬みにくしみ。

 

 

   寛祐

 あまたみしとよのみそぎの諸人の 君しも物を思はする哉

 (多数見た豊の禊の多くの人が、あなたに、物思いさせられることよ……数多く見た豊の宮人の身退きの、多くの女たちのように、あなたさえも、離別を・思われるのかあ)(寛祐法師・源公忠の子)

 

言の心と言の戯れ

「みし…見し…見物した…見かけた…まぐあった」「見…覯…媾…まぐあい」「とよの…豊の…豊かなところの…宮中の」「みそぎ…禊…川原で身を清める行事…身そぎ…身退ぎ…身を引く…離れる…別れる」「諸人…多くの人々…両人…一緒の人…恋人同士」「の…が…のように」「君しも…あなたさえも…あなたまでも」「しも…限定する・強調する詞「思はする…自然に思えてくる…思わせる」「哉…かな…感動・感嘆の意を表す…疑い・禁止の意を表す」

 

清げな姿は、御禊の見物人で目だって綺麗な人のこと。

心におかしきところは、恋人の身も心も退いてゆく感慨。

 

恋に破れた今は法師の歌合せ。勝ち負けは如何、持(引き分け)かな。

 

以下は、国文学的な解釈と大きな違いに疑問を感じる人々に、和歌を解くときに基本とした事柄を列挙する。


 ①藤原公任の歌論「新撰髄脳」に、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」とある。優れた歌には三つの意味があることになる。

 

②歌を紐解くために公任の歌論の他に参考としたのは、古今集仮名序の結びにある、紀貫之の言葉「歌のさま(様)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」。および、古来風躰抄に藤原俊成のいう「(歌の言葉は)浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕はれる」である。歌の言葉には、それぞれ複数の意味を孕んでいるので、歌に公任の言う複数の意味を詠むことは可能である。「言の心と言の戯れ」を紐解けば帯が解け、歌の複数の意味が顕れる。

 

③言葉の意味は論理的に説明できない。既成事実としてある意味を、ただそうと「心得る」だけである。例えば「はる」は「季節の春・立春・春情・張る」などという心を、歌に用いられる前から孕んでいる。「季節の春」と一義に決めつけ、他の意味を削除してしまうのは不心得者である。和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を、逆手にとって、歌に複数の意味を持たせてある高度な文芸である。

 

④広く定着してしまった国文学的な和歌の解き方は、ほぼ字義どおりに一義に聞き、序詞や掛詞や縁語であることを指摘して、歌言葉の戯れを把握できたと錯覚させる。そして、見え難い歌の心について、解釈者の憶見を加えるという方法である。歌の「心におかしきところ」は伝わらない。国文学的方法は、平安時代の文脈から遠いところへ行ってしまっている。あえて棚上げして一切触れない。貫之、公任、俊成の歌論を無視して、平安時代の和歌を解くのは無謀である。

 

⑤清少納言は、枕草子の第三章に、言葉について次のように述べている。「同じ言なれども聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。言いかえれば、「聞く耳によって意味が異なるもの、それが我々の用いる言葉である。浮言綺語のように戯れて有り余るほど多様な意味を孕んでいる。この言語圏外の衆の言葉は(言い尽くそうとして)文字が余っている」となる。これは清少納言の言語観である。(国文学では性別や職域の違いによるイントネーションの違いを述べたと解するようだが曲解である)。

 

⑥和歌は鎌倉時代に秘伝となって歌の家に埋もれ木のようになった。「古今伝授」と称して一子相伝の口伝が行われたが、そのような継承は数代経てば形骸化してゆき埋もれる。江戸時代の学者たちの国学と、それを継承した国文学によって和歌は解明されたが、味気も色気もない歌になってしまった。契沖の「古今余材抄」では、小町の歌に「おもてうらの説ありといふこと不用」などとあり、江戸時代の学者や歌詠みたちは、歌の裏の意味を無視したが、秘伝となって埋もれていたのは、まさにその裏の意味である。歌言葉の浮言綺語の如き戯れの意味と、それにより顕れる性愛に関する「心におかしきところ」である。清少納言や俊成の言語観を信頼して、歌の言葉など、聞く耳によって意味の異なる、浮言綺語の戯れのようなものと捉えれば、それは顕れる。


帯とけの後十五番歌合 八番

2014-12-30 00:20:54 | 古典

       



                   帯とけの後
十五番歌合


 

「後十五番歌合」は藤原公任(又は子の定頼)が近き世の三十人の歌詠みの優れた歌を各々一首撰んで、合わせるのに相応しい歌を組み合わせて、十五番の歌合の形式にした私撰歌集である。

公任の歌論によれば、およそ、優れた歌は、深い心と清げな姿と心におかしい情感が、一つの言葉で表現されてあるという。歌の言葉は複数の意味を孕んでいるから、一つの言葉で歌に複数の意味を表現する事ができる。紀貫之は歌言葉の複数の意味を「言の心」と言ったようである。清少納言は、われわれ上衆の言葉は、聞く耳によって意味の異なるものであると枕草子に記し、藤原俊成は、「古来風躰抄」で歌の言葉を浮言綺語の戯れに似ていると述べた。歌言葉の多様な意味さえ紐解けば、歌の清げな衣の帯とけて、内なる生々しい性情が、時には深い心が、直接、今の人々の心にも伝わるはずである。


 

後十五番歌合 (公任撰 一説 定頼


 八番

   

   清少納言

よしさらばつらさは我に習ひけり 頼めてこぬは誰がをしへし

(それは・やむを得ない、思いやりのなさは、わたしに習ったのだったね、だったら・頼みにさせて来ないのは、誰が教えたのよ……いいわ、ではさようなら、薄情できつい心は、わたしに倣ったのね、だったら、期待させて、山ば・来ないのは、誰が、お肢へし・折ったのよ)


 言の戯れと言の心

「よしさらば…やむを得ない…しょうがないわ…いいわ(別れましょう)さようなら」「つらさ…思いやりの無さ…相手に辛い思いをさせる心」「ならひ…習い…習得…倣い…模倣」「けり…気付き・嘆息」「誰が…私ではない誰が…どこの女が」「をしへし…教えたの…教唆したの…お肢圧し…おをへし折ったの…男の心も身も他の女に耽っていたことを非難した」

 

男との別れ歌のようである。清少納言は、清げな景色など(歌枕の景色)で生な心を包むことをやめたらしい、心におかしきところと共に、相手の心に突き刺さるように女の心根が伝わる。

 

   中宮大輔

いにしへのならの都の八へ桜 けふこゝのへに匂ひぬるかな

(古の奈良の都の八重桜、今日、宮中で・九重に色美しく咲いたことよ……去った辺りの、寧楽の宮この、八重に咲くおとこ花、京、ここの辺で・九つ重ねに匂っていることよ)


 言の戯れと言の心

「いにしへ…古…往にし辺…過ぎ去った辺り」「なら…奈良…寧楽(万葉集の表記)…心安らかな楽しみ」「都…宮こ…京…絶頂」「八へ桜…八重桜…花びら八重の桜の品種…八つ重ねのおとこ花」「桜…木の花…男花…おとこ花」「けふ…今日…京…宮こ…絶頂」「こゝのへ…九重…宮中…八重に一つ加えた」「匂ひぬる…色美しく咲いた…匂った」「かな…感嘆・感動を表す」

 

上東門院(藤原彰子)が中宮のころ、奈良興福寺の僧から後宮への贈り物の返礼を、若い女房の伊勢大輔が、紫式部からその役を譲られ、喜び溢れる艶なる歌を見事に詠んだのである。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

 

他の女にへしおられたらしい男木の歌と、九重に咲いた男花の歌の対比は、公任の意図したことだろう。公任は、道長・彰子親子対伊周・定子兄妹の争いをつぶさに見ていた人である。   

清少納言の型破りな歌体と、伊勢大輔の古都奈良の八重桜に包んで思うことを述べる基本的な歌体も対照的である。
 

後十五番歌合(公任撰 一説 定頼原文は、群書類従本による。


 

以下は、国文学的な解釈と大きな違いに疑問を感じる人々に、和歌を解くときに基本とした事柄を列挙する。

 

①藤原公任の歌論「新撰髄脳」に、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」とある。

 

②歌を紐解くために公任の歌論の他に参考としたのは、古今集仮名序の結びにある、紀貫之の言葉「歌のさま(様)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と、古来風躰抄に藤原俊成のいう「(歌の言葉は)浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕はれる」である。歌の言葉には、それぞれ複数の意味を孕んでいるので、歌にも公任の言う複数の意味が有る。「言の心と言の戯れ」を紐解けば帯が解け、歌の複数の意味が顕れるにちがいない。

 

③言葉の意味は論理的に説明できない。既成事実としてある意味を、ただそうと心得るだけである。例えば「春」は「季節の春・立春・春情・張る」などという心を、歌に用いられる前から孕んでいる。「季節の春」と一義に決めつけ、他の意味を削除してしまうのは不心得者である。和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を、逆手にとって、歌に複数の意味を持たせてある。

 

④広く定着してしまった国文学的な和歌の解き方は、ほぼ字義どおりに一義に聞き、序詞や掛詞や縁語であることを指摘して、歌言葉の戯れを把握できたと錯覚させる。そして歌の心について、解釈者の憶見を加えるという方法である。歌の「心におかしきところ」は伝わらない。国文学的方法は、平安時代の文脈から遠いところへ行ってしまっている。あえて棚上げして一切触れない。貫之、公任、俊成の歌論を無視して、平安時代の和歌は解けない。

 

⑤清少納言は、枕草子の第三章に、言葉について次のように述べている。「同じ言なれども聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。言いかえれば、「聞く耳によって意味が異なるもの、それが我々の用いる言葉である。浮言綺語のように戯れて有り余るほど多様な意味を孕んでいる。この言語圏外の衆の言葉は(言い尽くそうとして)文字が余っている」となる。これは清少納言の言語観である。

 

清少納言枕草子(第九十五)に、歌について、次のようなことを述べている。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  

その人の後といはれぬ身なりせば こよひの歌をまづぞよままし。つつむ事さぶらはずは、千の歌なりと、是よりなん、いでまうでこまし。

(慎むことがいらないならば、千首でも、今からでも、詠み出すでしょうに・父元輔の名を汚すまいと慎ましくしております……清げな姿に包まなくてもいいのなら、今からでも、人に先んじても・千の歌でも詠み出すでしょうに・生々しい心におかしきことなら多々あります)


 定子中宮に、このようなことを申し上げた経緯は次の通りである。

五月のころ、清少納言ら四人の女房だけで、賀茂の奥まで、郭公(ほと、とぎす・且つ乞う)の声をわざわざ聞きに行き、羽目をはずして楽しんでおきながら、郭公の歌を詠んで来なかったので、中宮が、今からでも詠め詠めと責め立てられたが、雷騒ぎに紛れて詠まなかった。二日ばかり後に、あの時、高階明順邸で食べ損ねたという、「下わらびこそ恋しかりけれ」、これの上の句をつけなさいと、仰せになられたので、「郭公たづねて聞きし声よりも」とつけたところ、自信満々ね、どうして、下わらびを・ほととぎすに掛けたのと、お笑いになられたので、ほととぎすの歌は詠まないと思っていましたのに、詠め詠めと仰せになられますとお仕えできない心地が致しますと申し上げると、またお笑いになられ、「さらば、心に任す、詠めとは言はじ」と仰せになられたので「とっても心安らかになりました。今からもう歌の事に思いをかけません」などと言っているころ、女房たち全員で歌を詠む機会があったが、清少納言は、詠まずに独りすねていたとき、中宮は歌を書いた紙を丸めて清少納言のもとへ投げて寄こされた。開けて見れば、

もとすけがのちといはるゝ君しもや こよひの歌にはずれてはをる

(元輔の後継者と言われる君ではないか、今宵の歌に外れて居る……元すけ・別れた元次官・歌の詠めない元夫が、後れてるといと言う君だからか、こ好いの歌に外れておるな)

 清少納言は大笑いした後、まじめに前記のように申し上げたのである。

 

清少納言が「いみじう」笑ったのは、宮の歌の生な意味(左衛門尉の則光と別れた原因など)が清げな姿(元輔の後継者云々)に包まれてあるからである。

このように歌を聞けば、清少納言と共に笑えるところまで近づくことができる。


帯とけの後十五番歌合 七番

2014-12-29 00:05:34 | 古典

       



                   帯とけの後
十五番歌合



 「後十五番歌合」は藤原公任が近き世の三十人の歌詠みの優れた歌を各々一首撰んで、組み合わせるのに相応しい歌を、十五番の歌合の形式にした私撰和歌集である。

公任の歌論によれば、優れた歌は、深い心と清げな姿と心におかしきところの三つの意味がある。歌の言葉は複数の意味を孕んでいるので、一つの言葉で歌に複数の意味を表現する事ができる。

平安時代の言語観は、紀貫之、清少納言、藤原俊成の言語観に学んだ。歌言葉の複数の意味は「言の心」又は「言の戯れ」という。この多様な意味さえ紐解けば、歌の清げな衣の帯とけて、内なる生々しい性情が、時には深い心が、直接、今の人々の心にも伝わるだろう。


 

後十五番歌合 (公任撰 一説 定頼


 七番

 

                           嘉時

夏の夜をまたせまたせて郭公 たゞ一声もなきわたるかな

(夏の夜を待たせ待たせて、ほととぎす、たゞ一声だけ鳴き去ったことよ……かわいがる・夏の夜を、待たせ待たせて、且つ乞う多々、人声で、泣きつづけたなあ)(大江嘉言・おおえのよしとき

 

言の戯れと言の心

「夏…暑い…なつ…懐…慕わしい…撫づ…かわいがる」「郭公…カッコウと鳴く鳥のこと…ほととぎすのこと…鳥の言の心は女…名は戯れる。ほと伽す、且つ乞う」「たゞ…唯…多々」「一声…人声…女声」「も…強調」「なき…鳴き…泣き」「わたる…渡る…飛び過ぎる…つづける」「かな…だなあ…感動の意を表す」

 

清げな姿は、夏の夜、待ちに待って聞いたほととぎすの声。

心におかしきところは、なつの夜、待望の、かつこうと泣くひとの声。

 

                           よしたゞ

わぎもこがきませぬ宵の秋風は こぬひとよりもうらめしきかな

(愛しい女の来そうにない宵の秋風は、来ない人よりも恨めしいなあ……愛しい女の気増せない宵の厭き風は、山ば・来ぬ女よりも、残念だなあ)(曾禰好忠

 

言の戯れと言の心

「わぎもこ…愛しい吾が女」「きませぬ…来ませぬ…(逢い引き所に)来そうにない…気増せぬ…気持ち盛り上がらぬ」「よひ…宵…好い」「秋風…飽き風…厭き風」「風…心に吹く風」「うらめしき…恨みに思う…残念に思う」

 

清げな姿は、待ちぼうけらしい宵に吹き来る秋風。

心におかしきところは、気増せぬ女心に吹くあき風の恨めしさ。

 

よしとき、よしただ、きんとう、それに清少納言も、ほぼ同じ時代を生き、同じ文脈でものを書き歌を詠んだ人たちである。


 

後十五番歌合(公任撰 一説 定頼原文は、群書類従本による。


 

以下は、国文学的な解釈と大きな違いに疑問を感じる人々に、和歌を解くときに基本とした事柄を列挙する。


 ①藤原公任の歌論「新撰髄脳」に、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」とある。優れた歌には三つの意味があることになる。

 

②歌を紐解くために公任の歌論の他に参考としたのは、古今集仮名序の結びにある、紀貫之の言葉「歌のさま(様)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」。及び、古来風躰抄に藤原俊成のいう「(歌の言葉は)浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕はる」である。歌の言葉は、それぞれ複数の意味を孕んでいるので、歌に公任の言う複数の意味を詠むことは可能である。「言の心と言の戯れ」を紐解けば帯が解け、歌の複数の意味が顕れる。

 

③言葉の意味は論理的に説明できない。既成事実としてある意味を、ただそうと「心得る」だけである。例えば「はる」は「季節の春・立春・春情・張る」などという心を、歌に用いられる前から孕んでいる。「季節の春」と一義に決めつけ、他の意味を削除してしまうのは不心得者である。和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を、逆手にとって、歌に複数の意味を持たせてある高度な文芸である。

 

④広く定着してしまった国文学的な和歌の解き方は、ほぼ字義どおりに一義に聞き、序詞や掛詞や縁語であることを指摘して、歌言葉の戯れを把握できたと錯覚させる。そして、見え難い歌の心について、解釈者の憶見を加えるという方法である。歌の「心におかしきところ」は伝わらない。国文学的方法は、平安時代の文脈から遠いところへ行ってしまっている。あえて棚上げして一切触れない。貫之、公任、俊成の歌論を無視して、平安時代の和歌を解くのは無謀である。

 

⑤清少納言は、枕草子の第三章に、言葉について次のように述べている。「同じ言なれども聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。言いかえれば、「聞く耳によって意味が異なるもの、それが我々の用いる言葉である。浮言綺語のように戯れて有り余るほど多様な意味を孕んでいる。この言語圏外の衆の言葉は(言い尽くそうとして)文字が余っている」となる。これは清少納言の言語観である。


 清少納言枕草子に、郭公や風について、次のようなことが書き散らされてある。上の歌と同じ「言の心」があると心得て読みましょう。

郭公もしのばぬにやあらん、なくに、いとようまねびにせて、木だかき木どもの中に、もろ声に鳴きたるこそ、さすがにをかしけれ。(第三八段・新日本古典文学大系本より)

(賀茂の祭りの帰りのこと・かつこう鳥もこらえられないのだろうか、鳴くときに、とってもよく・女の声に・模し似せて、小高い木の中で、声そろえて・且つ乞うと・鳴いているのは、当然のことながらやはり、おかしかったことよ)


 風は、あらし。三月ばかりの夕暮れに、ゆるく吹きたるあまかぜ。(第一八八段より)

(風は嵐。晩春のころの夕暮れに、緩く吹いている雨風・風情がある。……心風は山ばで吹く荒々しい風、や好いばかりの、その果て方に、ゆるく吹いている女の心風・すばらしい)。


 「あらし…嵐…荒らし…山ばで吹く荒々しい心風」「あま…雨…天…女」。



帯とけの後十五番歌合 六番

2014-12-27 00:25:35 | 古典

       



                   帯とけの後
十五番歌合



 「後十五番歌合」は藤原公任が近き世の三十人の歌詠みの優れた歌を各々一首撰んで、組み合わせるのに相応しい歌を、十五番の歌合の形式にした私撰和歌集である。

公任の歌論によれば、優れた歌は、深い心と清げな姿と心におかしきところの三つの意味がある。歌の言葉は複数の意味を孕んでいるので、一つの言葉で歌に複数の意味を表現する事ができる。

平安時代の言語観は、紀貫之、清少納言、藤原俊成の言語観に学んだ。歌言葉の複数の意味は「言の心」又は「言の戯れ」という。この多様な意味さえ紐解けば、歌の清げな衣の帯とけて、内なる生々しい性情が、時には深い心が、直接、今の人々の心にも伝わるだろう。


 

後十五番番歌合 (公任撰 一説 定頼


 六番


                           斎院宰相

引きわかれ袂にかゝる菖蒲草 おなじよど野におひにしものを

(引きぬき分かれ、袂に掛かっている菖蒲草、同じ淀野に生えていたのにねえ……娶り別れ、他許にかかわっている、綾め女、同じ淀んだ野に生まれたのになあ)(大斎院女房、宰相の君)


 言の戯れと言の心

「引き…接頭語…引き抜き…娶り」「わかれ…分かれ…別れ」「たもと…女の衣の袂…手許…他許…他の男の許」「かゝる…掛かる…節句には邪気を祓うため菖蒲根などを腰などに掛ける…目にとまる…かかわる」「菖蒲草…草の名…草の言の心は女…彩め女…美しい女…綾目女…端整な女」「よど野…淀野…野の名…よどんだ野」「野…山ばではない…高貴ではない」「おひにし…生えた…生まれた」「ものを…のになあ…のだがなあ…片や我が身は神の忌垣に囲われている」


 清げな姿は、端午の節句のころ斎院に持ち込まれた菖蒲草。

心におかしきところは、引かれ分かれて他の許にいる見目麗しい女と我が身のこと。


 

                          赤染衛門

我が宿の松はしるしもなかりけり 杉むらならば尋ねきなまし

(我が宿の松は、目じるしは無いことよ、杉群ならば尋ねて来たでしょうに……わが家の待つ女は、特徴もないことよ、君が・好き好きしければ、訪ねて来たでしょうに)(道長家女房)


 言の戯れと言の心

「宿…家…言の心は女…屋門」「松…言の心は女…待つ」「しるし…標…徴…特徴」「杉むら…すき群…すき叢…好き好き」「まし…何々ならば何々だったでしょうに」

 

清げな姿は、松のある里の家の風景。

心におかしきところは、目だって見目麗しくはない女のつぶやき。

 


 女は、目だって見目麗しいかそうでないかで、その命運が決まることを、それぞれの言い回しで詠んだ歌。

両人とほぼ同時代を生きた、定子中宮女房清少納言も、別の形で、女について述べている。下に記す。


 

後十五番歌合(公任撰 一説 定頼原文は、群書類従本による


 

以下は、国文学的な解釈と大きな違いに疑問を感じる人々に、和歌を解くときに基本とした事柄を列挙する。


 ①藤原公任の歌論「新撰髄脳」に、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」とある。優れた歌には三つの意味があることになる。

 

②歌を紐解くために公任の歌論の他に参考としたのは、古今集仮名序の結びにある、紀貫之の言葉「歌のさま(様)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と、古来風躰抄に藤原俊成のいう「(歌の言葉は)浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕はれる」である。歌の言葉には、それぞれ複数の意味を孕んでいるので、歌に公任の言う複数の意味を詠むことは可能である。「言の心と言の戯れ」を紐解けば帯が解け、歌の複数の意味が顕れる。

 

③言葉の意味は論理的に説明できない。既成事実としてある意味を、ただそうと「心得る」だけである。例えば「はる」は「季節の春・立春・春情・張る」などという心を、歌に用いられる前から孕んでいる。「季節の春」と一義に決めつけ、他の意味を削除してしまうのは不心得者である。和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を、逆手にとって、歌に複数の意味を持たせてある高度な文芸である。

 

④広く定着してしまった国文学的な和歌の解き方は、ほぼ字義どおりに一義に聞き、序詞や掛詞や縁語であることを指摘して、歌言葉の戯れを把握できたと錯覚させる。そして、見え難い歌の心について、解釈者の憶見を加えるという方法である。歌の「心におかしきところ」は伝わらない。国文学的方法は、平安時代の文脈から遠いところへ行ってしまっている。あえて棚上げして一切触れない。貫之、公任、俊成の歌論を無視して、平安時代の和歌を解くのは無謀である。

 

⑤清少納言は、枕草子の第三章に、言葉について次のように述べている。「同じ言なれども聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。言いかえれば、「聞く耳によって意味が異なるもの、それが我々の用いる言葉である。浮言綺語のように戯れて有り余るほど多様な意味を孕んでいる。この言語圏外の衆の言葉は(言い尽くそうとして)文字が余っている」となる。これは清少納言の言語観である。

 

枕草子 第五九章(原文は、新 日本古典文学大系本より)を、和歌と同じように読みましょう。

河は、あすか川、ふちせも定めなく、いかならんとあはれ也、大井河、音なし川、みなせかは。

(河は、飛鳥川、淵瀬も定め無く、どうなるのだろうと興味深い。大井河、音無川、水無瀬川……女は、飛ぶ鳥のようにとりとめもない女、深い仲の背の君も定まって無く、どうなるのでしょうと哀れである。大井女、声無し女、美無女・皆無背かは)


 言の戯れと言の心

「河…川…言の心は女」「鳥…言の心は女」「せ…瀬…背…男…夫」「井…言の心は女…おんな」「音…声…その時の声」「水…言の心は女…み…美…見」「かは…反語を表す…だろうかではないか…疑問を表す…だろうか」

 川や鳥の「言の心」を女と心得ると、貫之の歌の言葉「川風の涼しくもあるか」や「川風寒し千鳥鳴くなり」なども、気象状況を詠んでいるのではなく、それを清げな姿にして、女の心の情況を詠んでいるとわかる。


帯とけの後十五番歌合 五番

2014-12-26 00:35:30 | 古典

       



                   帯とけの後
十五番歌合

 



  「後十五番歌合」は藤原公任が近き世の三十人の歌詠みの優れた歌を各々一首撰んで、組み合わせるのに相応しい歌を、十五番の歌合の形式にした私撰和歌集である。

公任の歌論によれば、優れた歌は、深い心と清げな姿と心におかしきところの三つの意味がある。歌の言葉は複数の意味を孕んでいるので、一つの言葉で歌に複数の意味を表現する事ができる。

平安時代の言語観は、紀貫之、清少納言、藤原俊成の言語観に学んだ。歌言葉の複数の意味は「言の心」又は「言の戯れ」という。この多様な意味さえ紐解けば、歌の清げな衣の帯とけて、内なる生々しい性情が、時には深い心が、直接、今の人々の心にも伝わるだろう。


 

後十五番番歌合 (公任撰 一説 定頼


 五番


                              為政

こゝのへのうちまで照らす月影に あれたる宿を思ひこそやれ

(九重の内まで照らす月光に、荒れた我が家を、思いやる……九つ重ねのうちまで照り輝く月人壮士のお蔭で、荒れみだれた女よ、思いこそ、晴らす)(橘為政)


 言の心と言の戯れ

「ここのへ…九重…宮中…九つ重ね…度重ね至たれリ尽くせりのところ」「月…月人壮士…言の心は男」「影…光…お蔭…(男の)照り輝き…光源氏の光」「やど…宿…家…言の心は女…やと…屋門…おんな」「を…対象を示す…強調の意を表す」「思ひ…思火」「やれ…やる…遣る…心を晴らす」


 歌の清げな姿は、古びた我が家についての感慨。

心におかしきところは、妻女の感の極み。

 

   

                             みちずみ

行く末のしるしばかりに残るべき 松さへいたく老いにけるかな

(千年・行く末の記念に残るべき松さえ、ひどく老いてしまった・屋敷だなあ……逝く果てがほんのしるしばかりで、後れ残るのが当然の女さえ、激しく感極まったなあ)(源道済)

 

言の戯れと言の心

「行く末…未来…逝く果て」「しるし…標…記念の物」「残るべき…後に残るのが当然の…後れるのが普通の」「松…言の心は女」「老い…おい…追い…極まる…年齢が極まる…感極まる」

 

歌の清げな姿は、古びた屋敷についての感慨。

心におかしきところは、妻女の感の極み。


為政、道済、公任ともに、一条天皇の御時の人。


 

後十五番歌合(公任撰 一説 定頼原文は、群書類従本による。


 

以下は、国文学的な解釈と大きな違いに疑問を感じる人々に、和歌を解くときに基本とした事柄を列挙する。


 ①藤原公任の歌論「新撰髄脳」に、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」とある。優れた歌には三つの意味があることになる。

 

②歌を紐解くために公任の歌論の他に参考としたのは、古今集仮名序の結びにある、紀貫之の言葉「歌のさま(様)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と、古来風躰抄に藤原俊成のいう「(歌の言葉は)浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕はれる」である。歌の言葉には、それぞれ複数の意味を孕んでいるので、歌に公任の言う複数の意味を詠むことは可能である。「言の心と言の戯れ」を紐解けば帯が解け、歌の複数の意味が顕れる。

 

③言葉の意味は論理的に説明できない。既成事実としてある意味を、ただそうと「心得る」だけである。例えば「はる」は「季節の春・立春・春情・張る」などという心を、歌に用いられる前から孕んでいる。「季節の春」と一義に決めつけ、他の意味を削除してしまうのは不心得者である。和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を、逆手にとって、歌に複数の意味を持たせてある高度な文芸である。

 

④広く定着してしまった国文学的な和歌の解き方は、ほぼ字義どおりに一義に聞き、序詞や掛詞や縁語であることを指摘して、歌言葉の戯れを把握できたと錯覚させる。そして、見え難い歌の心について、解釈者の憶見を加えるという方法である。歌の「心におかしきところ」は伝わらない。国文学的方法は、平安時代の文脈から遠いところへ行ってしまっている。あえて棚上げして一切触れない。貫之、公任、俊成の歌論を無視して、平安時代の和歌を解くのは無謀である。

 

⑤清少納言は、枕草子の第三章に、言葉について次のように述べている。「同じ言なれども聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。言いかえれば、「聞く耳によって意味が異なるもの、それが我々の用いる言葉である。浮言綺語のように戯れて有り余るほど多様な意味を孕んでいる。この言語圏外の衆の言葉は(言い尽くそうとして)文字が余っている」となる。これは清少納言の言語観である。

 

枕草子は、和歌と同じ言の心や言の戯れを用いて書かれてある。第八章(原文は、新 日本古典文学大系本による)を読みましょう。

よろこび奏するこそおかしけれ。うしろをまかせて、おまへの方にむかひてたてるを、拝しぶたうしさはぐよ。

(男どもが・喜びを申しあげることこそ、興味深いことよ。裾の後は引きずったままで、御前の方に向って立っていて、拝礼し、舞踏し足踏み鳴らすのよ……女が・喜びの声をあげるのは、おかしいことよ、うしろはあなたまかせで、男前の・こちらに・向かって立っているお、拝見・拝受し、足ばたつかせ、さわぐよ)。


 これは、歌ではなく散文で、女の感の極みを表現したのである。清少納言は、このように、奏し、拝し、舞踏しなど男の言葉を交え、散文で、他にも色々なことを枕草子に書き散らしている。紫式部には一読すれば全てがわかっただろう。紫式部日記で「清少納言こそ、したり顔にいみじうはべリける人」「真字書き散らして侍るほども、よく見れば、また、いとたへぬ(とても耐えられない)ことおほかり」と言い、以下手厳しく批判した。「艶になりぬる人」「あだになりぬる人のはて」と。
  枕草子は、紫式部が非難したように、あだな(婀娜な・無用な・浮ついた)、えんな(艶っぽい)内容なのである。当時の和歌がそうであるように。