帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百二十一〕すほうは

2011-07-18 06:37:00 | 古典

 


 
                                     帯とけの枕草子〔百二十一〕すほうは



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百二十一〕すほうは

 
すほうは、ならがた、仏の御しんどもなどよみたてまつりたる、なまめかしう、たうとし。


 文の清げな姿

修法は奈良方、仏の御真言等、読み奉っている、新鮮で尊い。


 心におかしきところ

すの方法は、寧楽型、ほと、けの御身など、夜見奉っている、艶めかしく貴い。


 言の戯れと言の心

「すほう…修法…加持祈祷の方法…す法…すの方法…女の方法」「す…棲…洲…女」「ならがた…奈良方…興福寺方式…寧楽型…丁寧に楽しむ方式」「なら…奈良…寧楽(万葉集の表記)」「仏…ほとけ…ほと、け」「ほと…陽陰…ほとのまぐあい(古事記の表記)のほと」「け…毛」「御しん…御真言…仏の御言葉…御身」「よみ…読み…夜見」「見…覯…媾…まぐあい」「なまめかし…生めかし…新鮮…常には比叡山延暦寺方で祈祷して頂くため、奈良方は新鮮…艶めかしい…好色ぽい」「とうとし…尊い…貴い…貴重」。


 枕草子は、紫式部の批判「おかしきことを見過ごさないとするうちに、自ずから、あのように、あだなるさまになるのでしょう。そのあだになってしまった人の果て、どうしてよいでありましょうか」に相応しい文芸でしょう。「あだ…婀娜…女のしなやかさと艶のあるさま…徒…無益な…いいかげんな」。

 枕草子をこのように読めるのは、言の戯れを知り言の心を心得たおとなだけ。

 心幼き人には「心におかしきところ」がわからない。また、言の戯れも言の心も心得ない人には、枕草子
も、紫式部の枕草子批判も、永遠にわからない。全く異なった文脈に行ってしまっている。

 枕草子の文の趣旨は言葉の戯れの中に顕われる。これは
和歌の表現方法と同じである。

伝授 清原のおうな

聞書 かき人知らず    (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による