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帯とけの枕草子〔百二十一〕すほうは
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔百二十一〕すほうは
すほうは、ならがた、仏の御しんどもなどよみたてまつりたる、なまめかしう、たうとし。
文の清げな姿
修法は奈良方、仏の御真言等、読み奉っている、新鮮で尊い。
心におかしきところ
すの方法は、寧楽型、ほと、けの御身など、夜見奉っている、艶めかしく貴い。
言の戯れと言の心
「すほう…修法…加持祈祷の方法…す法…すの方法…女の方法」「す…棲…洲…女」「ならがた…奈良方…興福寺方式…寧楽型…丁寧に楽しむ方式」「なら…奈良…寧楽(万葉集の表記)」「仏…ほとけ…ほと、け」「ほと…陽陰…ほとのまぐあい(古事記の表記)のほと」「け…毛」「御しん…御真言…仏の御言葉…御身」「よみ…読み…夜見」「見…覯…媾…まぐあい」「なまめかし…生めかし…新鮮…常には比叡山延暦寺方で祈祷して頂くため、奈良方は新鮮…艶めかしい…好色ぽい」「とうとし…尊い…貴い…貴重」。
枕草子は、紫式部の批判「おかしきことを見過ごさないとするうちに、自ずから、あのように、あだなるさまになるのでしょう。そのあだになってしまった人の果て、どうしてよいでありましょうか」に相応しい文芸でしょう。「あだ…婀娜…女のしなやかさと艶のあるさま…徒…無益な…いいかげんな」。
枕草子をこのように読めるのは、言の戯れを知り言の心を心得たおとなだけ。
心幼き人には「心におかしきところ」がわからない。また、言の戯れも言の心も心得ない人には、枕草子も、紫式部の枕草子批判も、永遠にわからない。全く異なった文脈に行ってしまっている。
枕草子の文の趣旨は言葉の戯れの中に顕われる。これは和歌の表現方法と同じである。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)
原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による