帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの三十六人撰 藤原清正 (三)

2014-08-30 00:14:17 | 古典

       



                    帯とけの三十六人撰



  四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、あらためて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 藤原清正 三首(三)


 枝ながら見ゆるにしきは神無月 まだ山風のたゝぬなりけり

 (枝についたまま、見える紅葉の錦織は、神無月、まだ山風が吹き始めていないのだなあ……身の枝のまま散らさぬ錦木は、あき過ぎた・かみの尽き、未だ山ばの心風吹きださないなあ)

 

 言の戯れと言の心

「枝…木々の枝…身の枝…おとこ」「見ゆる…目に見える…その様に思える」「見…覯…媾…まぐあい」「にしき…錦織……五色の糸で織られた華やかな織物…錦木…男の思い木…求愛の木」「神無月…旧暦十月・初冬…あきは過ぎたころ…山ば過ぎたころ…かみの尽き」「神…かみ…髪…女」「な…の」「月…つき…尽き」「山風…山場で吹く心風…山ばの荒々しい心風…嵐」



 「俊成三十六人歌合」では、次のような歌になっている。


 むらむらのにしきとぞ見る佐保山の ははそのもみぢ霧たたぬ間は

 (村々の・斑々の錦織とぞ見る、佐保山の柞のもみじ、秋霧立たぬ間は……斑むらの、にしき木とぞ見る、さおの山ばの、飽きの色、きりきりとしめつけはじめぬ間は)


 言の戯れと言の心

「むら…村…斑…まだら」「にしき…錦織…錦木」「見る…目で見る…思う…まぐあう」「見…覯…まぐあい」「佐保山…ならの山の名。名は戯れる、さ男山、おとこの山ば」「ははそ…柞…楢など…もみじの色は、黄色、褐色など、薄いとか斑とか言われる」「きり…秋霧…きりきり…締め付ける擬音」「たたぬ…立たない…始まらない」「ま…間…女…おんな」

 

 清正に、同じく微妙な性愛の情況を詠んだ歌が何首かあって、公任と俊成とでは、たぶん撰んだ歌が異なったのだろう。



 今では、これらの歌が、季節毎に変わる景色か、その情景の歌とのみ、聞こえるようになってしまった。和歌の「清げな姿」しか見えていない。「心におかし」などとは到底思えない。当然のことながら、公任の歌論も俊成の歌論も理解不能となるので、無視するか曲解するしかない。



 『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。

 

 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 
 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様(和歌の表現様式)を知り、言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろう」と述べた。

 
 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。

 
 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。

 
 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。

 
 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているが、貫之と公任の歌論と清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。


帯とけの三十六人撰 藤原清正 (二)

2014-08-29 00:09:27 | 古典

       



                    帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、あらためて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 藤原清正 三首(二)


 天つ風ふけひの浦にゐるたづの などか雲ゐにかへらざるべき

 (天の風評、吹け非の浦に居る鶴が、どうして雲居に帰らないだろうか・天晴れてきっと帰れるよ……あまの心風、吹いている心に居る女が、どうして、煩悩の山ばの上に、返らないだろうか・繰り返し返るよ)


 言の戯れと言の心

 「あま…天…女」「つ…の」「風…風評…心に吹く風」「ふけひ…浦の名…名は戯れる。吹け飯、吹け非、吹け居」「浦…うら…心」「たづ…鶴…鳥…鳥の言の心は女」「などか…疑問を表す…反語を表す」「雲居…天上…殿上」「雲…心に煩わしくも湧き立つもの…情欲など、広くは煩悩」「かへらざる…帰えらない…繰り返えさない」「ざる…ず…打消しの意を表す」「べき…べし…可能の意を表す…確信のある推量の意を表す」

 

 新古今和歌集 雑歌下にある詞書によると、「殿上離れはべりて詠み侍りける」歌とある。天歴元年(956)正月、紀の国の守を任じられて、殿上から遠退いたので詠んだ歌。国守の任期は普通四年なのにわずか十箇月で召還されたという。不当な人事に対する懸命の抗議の歌だったのかもしれない。いかなる場合でも「心におかしきところ」があってこそ歌である。

 

今の人々も「あま」「風」「雲」等の言の心を同じくすると、次の有名な歌の聞こえ方が様変わりして、平安時代の人々に近づけるだろう。古今和歌集 巻第十七 雑歌上 良岑宗貞(僧正遍照)、五節の舞姫を見て詠んだ歌。


 天つかぜ雲の通ひ路吹き閉じよ をとめの姿しばしとどめむ

 (天の風、天上に通じる雲の中の通路を、吹き閉じよ、天女に見紛う舞姫たちの姿、しばし地上に留めておきたい……女の心風よ、煩悩の通路を吹き閉じよ、天女に見紛う乙女のすがた、しばし其のまま留めておきたい)


 このように聞くと、貫之の仮名序での評価、「僧正遍照は、歌の様(心深く、姿清げで、心におかしきところある)は得たれども、まこと(色好みなところ)少なし、たとえば絵に描ける女を見て、いたずらに心を動かすが如し」と読めて、その意味が理解できるだろう。

 

 
 『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。

 

 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 
 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様(和歌の表現様式)を知り、言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろう」と述べた。

 
 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。

 
 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。

 
 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。

 
 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているが、貫之と公任の歌論と清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。


帯とけの三十六人撰 藤原清正 (一)

2014-08-28 00:13:03 | 古典

       



                    帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、あらためて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 藤原清正 三首(一)


 ねの日してしめつる野辺の姫小松 引かでや千世のかげをまたまし

 (子の日祝って、標を結った野辺の姫小松、引き抜き移し植えたりしないでおこうか、千世の木陰を待とうかな……初春の日、出会って、契り・結んだ野辺の可愛い少女、娶らないでおこうかな、千夜の、我が・陰を待つのだろうなあ・また増し)


 言の戯れと言の心

「ねの日…正月の初子の日…野辺に集い小松を引き若菜を摘み千代の栄と長寿を願い祝う日…初春におとめおとこの集う日」「まつ…松…待つ…女…長寿のもの…小松は少女(土佐日記でも教示されている)…姫小松はその強調」「ひく…引く…引き抜く…娶る」「千代…千世…千夜」「かげ…陰…お蔭…お恵み…木陰…いん…いんぶ」「また…待た…又…再び…股」「まし…しようかしまいか…ためらいを表す…何々だったら何々だろうな…仮に想像する意を表す、希望や危惧など色々な思いを孕む…増し」

 


 新古今和歌集 巻第七 賀歌に、藤原清正(ふぢはらのきよただ)としてある。

 清正の父は藤原兼輔で先に歌を「人の親の心は闇にあらねども――」ほか三首紹介した。兄は藤原雅正(まさただ)で後撰集に歌がある。雅正は紫式部の祖父である。


 新古今和歌集 巻第十七 雑歌中に有る、紀貫之の松の歌を聞きましょう。


 幾世経し磯辺の松ぞ昔より 立ち寄る浪の数はしるらむ

 (幾世経った磯辺の松か、昔より立ち寄る浪の数は、知っているだろう……幾夜経ったいそべの女ぞ、武樫撚り、立ち、寄る汝身の数は、自覚しているだろう・とぼけているな)


 言の戯れと言の心

「世…夜」「いそ…磯…渚・汀・浜などと共に、言の心は女」「松…言の心は女…長寿…待つ」「むかしより…昔から…武樫縒り…強く堅く撚りかけた」「なみ…浪…波…心波…汝身…おとこ」「な…汝…親しみある対象をこう呼ぶ」「しる…知る…自覚する…わきまえる…痴る…とぼける」「らむ…ているだろう…推量する意を表す」


 これは屏風歌で、「深い心」はない、屏風絵に添ったのだろう「清げな姿」がある、「心におかしきところ」がある。
貫之は屏風歌の名人である。



 『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。

 

 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 
 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様(和歌の表現様式)を知り、言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろう」と述べた。

 
 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。

 
 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。

 
 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。

 
 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているが、貫之と公任の歌論と清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。


帯とけの三十六人撰 信明(三)

2014-08-27 00:16:43 | 古典

       



                    帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、改めて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 信明 三首(三)


 あたら夜の月と花とを同じくは 心知られむ人に見せばや

 (惜しいほどのすばらしい夜の月と花とを、同じことなら、情趣を知っているだろう人に、見せたいなあ……殊に立派な夜のつき人壮士とおとこ花とを、同じことなら、情感、知っているだろう女に見せたいなあ)


 言の戯れと言の心

 「あたら…もったいないほどの…惜しいほどの…特にすばらしい…殊に立派な」「月…大空の月…月人壮士…つくよみをとこ…ささらえをとこ…立派なおとこ」「花…春の花…梅・桜…木の花…男花…おとこ花」「こころ…心…感情・知識…情趣…表面に表れない意味…情感」「見…(月見・花見)の見…覯…あう…まぐあい」「ばや…したいものだ…願望する意を表す」


 この歌は、後撰和歌集 巻三 春下に、詞書「月のおもしろかりける夜、花を見て」詠んだ歌とある。(月のすばらしかった夜、花を見ていて……つき人おとこのすばらしかった夜、おとこ花咲かせて)。「て…つ…完了した意を表す…そうして(詠んだと接続する)」

 

 古今和歌集 春歌下に「花見る」歌がある。 題しらず よみ人しらずながら、女性の歌として聞く、男との違いが出ている。


 春ごとに花の盛りはありなめど あひ見むことはいのちなりけり

 (季節の春毎に、花の盛りはあるでしょうけれど、君と・逢って花見しようとすることは、命の拠りどころなのよ……春情に・張る毎に、おとこ端の盛りはあるでしょうけれど、合い見ることは、女の・命なのよ)


 言の戯れと言の心

「春…季節の春…春情…張る」「花…梅・桜…男花…おとこ端」「あひ…相…逢い…合い…和合」「見る…(花)見する…顔を見る…対面する…まぐあう」「命…生きるよりどころ…生命そのもの」


 

  源信明(みなもとのさねあきら)は、肥後、越後等、国守を歴任して帰京後、四位となる。誕生したのは延喜十年(910)で、古今和歌集は、ほぼ完成していただろうか、彼の父母が最初の読者に当たる。

 

 

 『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。

 

 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 
 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様(和歌の表現様式)を知り、言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろう」と述べた。

 
 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。

 
 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。

 
 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。

 
 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているが、貫之と公任の歌論と清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。


帯とけの三十六人撰 信明 (二)

2014-08-26 00:22:57 | 古典

       



                    帯とけの三十六人撰



 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。


 藤原公任は清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人で、藤原兼家も道長も、公任(きんとう)を詩歌の達人と認めていた。平安時代の歌論と言語観に帰り、改めて学びながら、和歌を聞き直しているのである。やがて、公任の歌論が無視できなくなるだろう。



 信明 三首(二)


 恋しさはおなじ心にあらずとも 今宵の月を君見ざらめや

 (恋しさは、同じ心ではなくても、今宵の月を、あなたは、見ていないだろうか・見ているだろう……乞いしさは、同じ此処ろではなくても、こ好いのささらえおとこを、き身、見ないだろうか・見るよね)

 

 この歌は、拾遺集 巻十三 恋三にある。詞書月あかかりける夜、女のもとにつかはしける」(月がとっても明るかった夜、女の許に遣った……つき人壮士がとっても元気だった夜、女のもとにやった)歌。


 言の戯れと言の心

 「恋…乞い」「こころ…心…此処ろ」「ろ…接尾語」「こよひ…今宵…こ好い」「こ…接頭語…小…子」「月…月人壮士(万葉集の歌言葉)…男…おとこ…ささらえをとこ(万葉集以前の月の別名)」「きみ…君…あなた」「見…目で見る…覯…媾…目が合う…まぐあい」「ざらめや…(見)ないだろうか、(見る)だろう…打消・推量・反語の意を表す」「赤…血気盛んな色…燃えている色」

 


 古今和歌集 恋歌四に、題しらず、よみ人しらずの月の歌がある。女歌として聞く。


 月夜よし夜よしと人に告げやらば、来てふに似たり待たずしもあらず

 (月夜良し、いい夜ねと告げやれば、来てよと言ってるみたい、待っていないわけではないけれど……つき人壮士好し、夜好しと、君に告げ遣れば、来てよと言ってるみたいね、待たずしもあらずよ)

 

 信明(さねあきら)には関係のない昔の女人の歌であるが、信明は、若いころ、流布していた古今集を読んだに違いない。



 『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 
 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様(和歌の表現様式)を知り、言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろう」と述べた。


 藤原公任は、『新撰髄脳』に「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。歌は、一つの言葉の持つ多様な意味を利して、複数の意味が表現されてある。これが貫之のいう「歌の様」で、歌言葉の多様な意味を「言の心」と、貫之は言ったと思われる。「言の心」を心得るには、清少納言と藤原俊成の言語観を学ぶ必要がある。


 清少納言は、『枕草子』第三章に「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの、(それが)、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と、重要な言語観を記している。


 藤原俊成は、『古来風躰抄』に「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」と述べている。


 上のような歌論と言語観は、近世の国学以来、現代の国文学でも無視されるか曲解されているが、貫之と公任の歌論と清少納言と俊成の言語観を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。