帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔三十三〕七月ばかり

2011-03-30 00:50:19 | 古典

  



                         帯とけの枕草子〔三十三〕七月ばかり



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔三十三〕七月ばかり

 
 七月ごろ、ひどく暑かったので、よろずの所(戸、格子、衣)を開けながら夜も明かすときに、月の頃は、寝て目を覚まして見えると、いとおかし(月がとっても趣がある…つき人おとことってもすばらしい)。やみも又おかし(闇もまた趣がある…止むもまた情趣がある)。あり明(有明けの月…明け方残るつき人壮士)は、はたいふもおろか也(そのうえまた言うも愚かである)。

 
 とっても艶やかな板敷の端近く、新鮮な畳一枚敷いて、三尺の几帳を奥(母屋)の方に押しやったのは、あぢきなき(正当では無いことよ…にがにがしいことよ)、端(庭の方)にこそ立てるべきだった。奥(几帳の後ろ)が気にかかるだろうよ。人はいでにけるなるべし(男は帰ったでしょう…夜中気配のしていた女は出たよう)。うすいろの、うらいとこくて、うへはすこしかへりたる、ならずは、こきあやのつやゝかなるがいとなえぬを、かしらごめに引きてぞねたる(わたしは・薄い色の、裏はとっても濃くて、上は少し裏返っている、でなければ、濃い綾の艶やかなのを、まったく萎えてないのを、頭からすっぽりひき着て寝ている……わたしは・薄い色情の、うらみはとっても濃くて、少し寝返っている、成らずなので、濃い心の綾の艶やかなのが、まったく萎えないので、衣を頭からすっぽり被って寝ている)。香染の単衣、もしくは黄生絹の単衣、紅のひとえ袴の腰紐が長やかに衣の下より引き出たまま被っているのも、まだ身も心も衣も解けたままだからでしょう。そばのかたにかみのうちたたなはりてゆるらかなる程(そばに髪がおり重なりてたっぷりとした程度で)、長さは推しはかられる(ちぢれ髪なもので短くしていた)。何処より立ちこめたのか朝ぼらけにたいそう霧が満ちているとき、そのころ男は・


 二藍の指貫に、有るか無きかの色した香染の狩衣、白い生絹に紅が透けるからでしょう艶やかなのが、霧にしっとり湿ったのを脱ぎ垂れて、鬢が少しぼさぼさとなっているので、烏帽子に押し入れている気色も、しどけなくみゆ(乱れて見える…淫らにみえる)。朝顔の露が落ちない先に女に文を書こうと、帰り道の途中でも気がかりで、「をふの下草――(つゆしあれば明かしてゆかむ母は知るとも)」(古歌)など口ずさみつつ、わが家の方に行くとき、そのころわたしは・


 格子が上がっているので、御簾がそばにあるのをいささか上げて見ると、起きて行った男も、おかし(かわいく感じられる)、露もあはれなるにや(露もしみじみと感じるのか…白つゆもしみじみと感じるのか)、しばし見つめていて、枕紙の方に、紫の紙を貼った扇が広がったままあり、みちのくに紙の懐紙の、隠すようにしてあるのが、お花か紅か少し色に染まっているのも、几帳のもとに散らばっている。人の気配がするので、被った衣の中から見ると、ほほ笑んで、長押に押しかかって・母(継母)が・居た。恥ずかしがるべき人ではないけれど、うちとけるべき気持ちもないので、ねたうも見えぬるかな(妬ましく見ていたのだわ)と思う。


 「こよなきなごりの御あさいかな(こよなく名残り惜しい御朝寝かな)」と言って、簾の内に半ば入ったので、「露よりさきなる人のもどかしさに(朝つゆより先発った男がもどかしくてね)」という。おかしきことを取り立てて書くべきではないけれど、ともかく言い交わす様子は、にくからず(わるい感じではない)。  


 枕もとにある、あふぎ(扇…合う木)を、わが持っている扇をのばして、かき寄せるが、あまり近くより来るから、どきまぎして引いている。取って見て、うとくおぼしたる事などうちかすめ(ぼんやりと覚えていることなど脳裏をかすめ)、にくらしいわと思ううちに、あかうなりて(明るくなって…顔赤こうなって)、人々の声がして日もさし出たようだ。あさぎり(朝霧…浅限り)の絶え間を見ないうちにと、いそぎつるふみもたゆみぬるこそうしろめたけれ(男が・急いだ文も滞っているのは気がかりなことよ……急いだ夫身もたるんでいるのこそ後ろめたいことよ)。

 
 部屋を出た人(継母)が、いつの間にきたかと文を見つけて、はぎの露ながらおし折たるに(萩の露おりたままおし折った枝に…端木の白つゆながらお肢折ったのに)付けてあるのが、差し出せない。香の紙のよく染みている匂い、とってもいい。


 あまりにもはしたない程になるので、出てきて、我が起きた所もこうなのかと思いやられるのも、おかしかりぬべし(母は・おかしかったでしょう)。



  
言葉は「聞き耳」によって意味の異なる程のもの。言の戯れを知り言の心を心得ましょう。

「月…月人壮士…おとこ」「やみ…闇…止み…果て」「ありあけ…残月…居残る壮士」「霧みちたるに…霧満ちている時に…霧満ちているところで」「に…時を示す…場所を表す」「あさがお…朝顔…浅彼お」「露…おとこ白つゆ」「あふぎ…扇…合う木…おとこ」「萩…端木…おとこ」「木…男…おとこ」。

 


 男が口ずさんだ歌 万葉集 巻第十一 寄物陳思 

 桜麻の芋原の下草露し有れば 明かして射て去る母は知るとも

(桜麻の芋原の生える下草、露があるので、明かして居てから去る、母が知ろうとも……さくら間の憂腹の下くさ、少しでも白つゆあるならば、明かして射て去れ、母に知られようとも)。


 「さくら麻…桜麻…咲くら間…さくら浅」「桜…男木」「ら…状態を表す接尾語」「芋原…う原…う腹…憂腹…満ち足りない腹の内」「下草…下の女」「草…女」「つゆし…少しでも…白つゆが…おとこの色情が」。



  
宮仕え以前の事。父を亡くした後、里の家での或る朝の様子、登場人物は、わたし、その男、母(継母)。語り手は主語を略して、常にその時の登場人物の立場になって語る。


 多様な意味を孕む言葉で、その複数の意味を生かして、事情の清げな姿も、心におかしきところも語っている。

今の学問的な読み方は、言葉から適当でないと判断した意味を除き、正当と判断した一義な言葉で文を辿っていく。清げな姿のみ見えて、よく趣旨が伝わらないでしょう。



  伝授 清原のおうな

聞書  かき人しらず    (2015・8月、改定しました)


 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 岩波書店 枕草子による

 

 


帯とけの枕草子〔三十二〕小白河 その二

2011-03-29 00:25:19 | 古典

 



                       帯とけの枕草子〔三十二〕小白河 その二



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔三十二〕小白河 その二


 朝座の講師清範は、高座の上も光り満ちる心地して、とってもすばらしい。暑さのやりきれなさもあって、しさしの事を今日のうちに済ますべきなのを、さし置いて少しだけ説教を聞いてからと思って来たので、帰ろうとしたところ、寄せ来る波のように集まった車なので、出ようがない(昨日遅く来たのを反省して、今朝は早く来て車を高座近くに停めていた)。朝講が果てたら、やはり何とかして出ようと、まえの諸車に事情を知らせたところ、車ひとつ高座に近く停められる嬉さかどうか(通路を空けたので)、はやばやと引き出すのをご覧になって、いとかしがましきほどおいかんだちめさへわらひにくむ(ひどく喧しいほど老上達部さえ笑いけなす……ひどく姦しいほど極まりの感断つ女さえ嘲笑し憎む)のも聞き入れず、応えもせずに強いて狭いのを出したところ、権中納言(義懐)が、「やや、まかりぬるもよし(やや!退座するのも佳し……少し、間借るのも好いものですな)」と、うちゑみ給へるぞ(ふとほほ笑んでおられるのが)、すばらしい思いがした。その言葉も耳には留まらず、暑いので急いで出てきてから、使いの人して、「五千人(退く増上慢人)のうちに、あなたもお入りにならないご様子ではありませんよ(この暑さですもの)」と言いかけて帰って来た。


 言の戯れを知り言の心を心得れば男たちの笑いもわかる

「車…しゃ…者…もの…おとこ」「おい…老い…追い…極まる…感極まる」「かんだちめ…上達部…感絶ち女…癇立ち女」「め…女」「やや…おやおや…感嘆詞…すこし…わずか」「まかる…退く…退出する…政権の座などを退く…間借る…間狩る」「間…女」。



 八講の始めよりやがて果てる日まで(四日間)留まっている、車(者…もの)があって、人が寄って来るとも見えず、すべてただ興味のない絵に書いたもののように過ごしていたので、在り難く、めでたく、いぶかしくて、如何なる人であろう、何とか知ろうと、誰かが・聞き尋ねておられたのをお聞きになって、藤大納言らは、「何かめでたからん、いとにくゝゆゝしき物にこそあなれ(何で愛でたいことがあろうか、まったく憎らしく、いまいましい者であるぞ……何んと目出度いのだろう、とってもご立派な物であるぞ)」とおっしゃったのは、をかしかりしか(おかしかったことよ)。


 言の戯れと言の心

「籐大納言…老上達部の一人…老いれば八こう四日間はおろか一媾さえままならぬものでしょう」「にくし…憎らしい…こにくらしい…よくやるよまったく」「ゆゆし…忌まわしい…ひととおりではない…ご立派ごりっぱ」「物…者…しゃ…車…おとこ」。



 さて、その月の二十日すぎに、中納言(義懐)が法師になられたのは、あはれなりしか(しみじみとした思いがする…哀れである)。さくらなど(桜…男花)散ってしまうのも、やはり世の常のことであろうか。おくをまつまの――(露がおりるのを待つ間の・生涯……白つゆおくを待つ間の・一栄)などとは、いふべくもあらぬ御有様にこそ見え給しか(言うべきではないご様子にお見受けした)。


 言の戯れと言の心

「あはれなりしか…哀れであるよ…歴史はくりかえす、因果は巡るか、義懐も伊周も叔父に政権と男の将来を奪われた同情すべき人」「しか…意を強める」「桜…木の花…男花…散りやすいおとこ花」「おく…露などがおりる…白つゆ贈り置く」。

 
 

 宮仕え以前の事。男たちの冗談、諧謔、笑いなどに、優るとも劣らず、わたり合っているのがわかるでしょうか。


 
伝授 清原のおうな

  聞書   かき人しらず         (2015・8月、改定しました)

 

 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 岩波書店 枕草子による

 

 

 


帯とけの枕草子〔三十二〕小白河 その一

2011-03-28 00:21:40 | 古典

 



                                     帯とけの枕草子〔三十二〕小白河 その一



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔三十二〕小白河 その一


 小白河という所は、小一条の大将殿(藤原済時)の御家である。そこにて、上達部(大臣、大・中納言・参議ら)結縁の八講をされた。世間の人は「たいそうすばらしいことで、遅く来る車などは駐車しょうにもできない」というので、朝露と共に起きて行っても、ほんとうに隙間もなかった。ながえ(轅)の上にまた重ねるようにして停め、前から三台ばかりまでは少し講師の声も聞こえるようだ。

 
 六月(旧暦)半ばのことで、暑いこと近来ないほどである。池の蓮を見ているかぎりは、とっても涼しい心地がする。左右の大臣たちは別にして、いらっしゃらない上達部はいない。二藍の指貫、直衣にあさぎ色の帷子などを透かしていらっしゃる。すこし年配の方は、青鈍の指貫、白い袴もとっても涼しそうである。佐理の宰相(参義・公任と従兄弟
)らも、みな若やいだいでたちで、すべて貴いことかぎりなく、すばらしい見ものである。


  廂の間の簾を高く上げて、長押の上に、上達部は奥に向き長々と座っていらっしゃる。その次には殿上人、若君達。狩装束、直衣などもすばらしくて、座にじっとして居れず、あちこちと立ち動いている様子も、とっても風情がある。実方(済時の甥で養子)の兵衛の佐、長明(済時の子)の侍従などは家の子で、いま少し立居は慣れている。まだ童子の君など、とってもかわいくていらっしゃる。

 
 
すこし日が高くなったころに、三位の中将とは今の関白殿(道隆)と申される方、薄物の二藍の御直衣、二藍の織物の指貫、濃い蘇枋の下の袴に、張りをした白い単のたいそう鮮やかなのをお召しになって歩み入られる。あれほど軽装で涼しそうな中にあって、暑そうなはずなのに、とってもすばらしとお見えになる。朴や塗骨など、骨は変わっても、ただ赤い紙をみなが張って、扇をお使いになっておられるのは、撫子がいっぱい咲いたのによく似ている。まだ講師が高座に上らない間、お膳をだして、何であろう食べ物をさしあげているようである。

 
 
義懐の中納言の御様子は、いつもよりもまして、このうえない。みな色合いがはなばなしく、とっても艶やかで美しいので、何れがともいえない帷子(内着)を、この方はすべて内に入れ(いだし衣せず・透かさず)ただ直衣ひとつを着ているようで、常に車の方に注目して話しかけていらっしゃる。すばらしいと見ない人はなかったでしょう。


 後で来た、車(しゃ…者)が隙間もなかったので、いけ(池…逝け)に引き寄せてとまっているのを、ご覧になって、実方の君に、「消息をつきづきしういひつべからんものひとり(情況を適当に言えるような者をひとり・つれてこい)」と言われると、如何なる人であろう選んでつれてこられた。あの女車に・何と言ってやればよいであろうかと、近くにいらっしゃる方々だけで話し合われて、言い贈る言葉は聞こえない。たいそうに用意して、使者が車のもとに歩み寄るのを、かつ笑ひ給(すぐ続いて笑っていらっしゃる)。  

 使者は・車の後ろの方に寄って言っているようである。久しく立っているので、「返事に・歌でも詠んでいるのだろう。兵衛の佐(実方)、返しを考えておけよ」、などわらひて(などと言って笑って)、いつ返事が聞けるかと、居合わす大人、上達部まで、皆そちらの方を見ておられる。実に、けせうの人(顕証の人…情況の明らかな部分を観ている人)までじっと見遣っていたのもおかしかったことよ。

 
 返事を聞いたのか、使者がすこし歩いて来る間に、車の女は・あふぎ(扇…逢う気)を差し出して呼び返すので、歌などの文字を間違えたので、あのように呼び返すのだろう。久しく時が経つ間、自ずからそうなったことは直すべきでもないものをと思える。

 
 使者が・近くに帰り着くのもじれったく、「いかにいかに(どうだ、どうだった)」と、だれもが問うておられるが言わず、権中納言が言い出されたことなので、そこに参り、けしきばみ(感情を顔色に出して)申している。三位の中将(若き道隆)「とくいへあまり有心すぎてしそこなふな(早く言え、余り情が有り過ぎて、しそこなうなよ)」とおっしゃると、使者「これも(返事も…使者の務めも)、たゞおなじことになん侍(まったくおっしゃる通りです…情が有り過ぎしそこないました)」と言うのは聞こえる。藤大納言(藤原為光、老上達部)が人よりよけいにさしのぞいて、「いかがいひたるぞ(女は・何と言ったのだ)」とおっしゃったようで、三位の中将「『いとなほき木をなん、おしをりためる』(たいそう直な木をですね、おし折ったようよ……とっても直立したものをですね、圧し折ったようね)」だったとお聞かせになられると、うちわらひ給へばみな何となくさとわらふ声(笑いだされるので、みな何となくそうかと笑う声、女に)聞こえるだろうか。中納言「それで、呼び返さなかった前は何と言ったのだ。これは直した言葉か」と問われると、使者「久しく立っていましたが、返事も何もございませんので、『それでは帰ります』と帰りましたところ、呼び止めて(それだったのです)」などと申している。

 「誰の車だろう、見知っておられるか? 」などと不審がられて、「さあ、歌を詠んで、今度は遣ろう」などとおっしっている間に、講師が高座に上ったのでみな静まって、そちらの方を見ているうちに、車はかき消すようにいなくなっていた。車の下簾などは、ほんの今日初めて付けたように見えて、(女の装束は)濃いひとえがさねに、二藍の織物、蘇枋の薄物の表着など、車の後ろに摺染めの裳をずうっと広げたまま打ち掛けたりして、なに人だろう。どうしてべつに悪いことがあろうか、半端な歌など返すよりは、なるほどと聞こえて、中々いとよし(なかなか良い)と思える。



 言の戯れを知り、紀貫之のいう「言の心」を心得ましょう。そうすれば笑いがわかる。

「車…者…もの…おとこ」「池…逝け…ものの果て」「八講…名は戯れる。八交、八覯、八媾」「八…多」「扇…逢う気…合う木…おとこ」「木…こ…ぼく…おとこ」「おしをる…圧し折る…男肢折る」。



 八講の席で座興に男たちが笑っている。池のそばに停まった女車に何か言い掛けるために、使者が近寄って行くだけで笑い、若者に歌の返しを用意しておけよと言っては笑い、女の返事を聞いて藤大納言が笑い、周囲の人々も笑った。この笑いがわかれば、枕草子の良き読者といえるでしょう。


 使者の言い掛けの言葉は「お暑うございますね、八こう(媾)で車(もの)を池(逝け)に止められた心地は如何でしょうか」と推測できるでしょう。車の女は、使者を「おとこ」に仕立てて久しく立たせておいて、離れると呼び返し、果てには「おし折ったようね」と解放して、それを返事とした。使者はしてやられ「しそこなった」ので「気色ばんでいた」。女の「返し」は歌ではなかったが「有心」さは期待も予測も超えているでしょう。


 説教など頻繁に聴きまわっていた頃のこと。この車の女は、のちの清少納言。このように、自分を他人ごとのようにして語るのは、和歌、伊勢物語、土佐日記などの常套手段で珍しいわざではない。


 この事は、道隆の注目するところとなったようで、宮仕えするきっかけとなった。道隆が「彼女は古い馴染みよ」というのはこのときのこと。


 寛和二年(西暦九八六)六月中旬の法会。花山天皇の御時、中納言義懐は摂政藤原伊尹(兼家の兄)の子で、政を行っていたが、兼家・道隆親子にその政権を奪われる前夜ともいえる頃。このとき義懐は政権の座から去る覚悟はできていたと思われる。はたして、叔父らに政権を奪われた義懐は、六月二十日すぎに花山院の後を追って出家した。兼家は右大臣から摂政・氏長者に、道隆はこの七月中に三位の中将から権中納言を経て、たちまちにして権大納言正二位となった。



 伝授 清原のおうな

聞書  かき人しらず    (2015・8月、改定しました)



  枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 岩波書店 枕草子による



 


帯とけの枕草子〔三十一〕菩提といふ寺に

2011-03-27 00:23:18 | 古典

 



                                    帯とけの枕草子〔三十一〕菩提といふ寺に

 

 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んででいたのは、枕草子の文の「清げな姿」だけ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔三十一〕菩提といふ寺に


 菩提という寺で、結縁の八講(四日間行われる法会)をしたので詣でたときに、人の・夫の、許より「とく帰給ね、いとさうざうし
 (はやく帰っておいでよ、ひどくさみしい)」と言ってきたので、蓮の花びらに、

 もとめてもかゝる蓮の露ををきて 憂世に又はかへる物かは
 (君が求めても、このような蓮の甘露を措いといて、憂き世に再び帰るものですか・帰りません……わたしが求めても、このような八すが、露ほど白つゆ贈り置かれても、浮き夜にまたは返るものか・返れないわ)
と書いてやった。
 
まことに、尊く感動的なので、このまま留まっていようかと思えるので、「さうちう(湘中)」の家の人の待つもどかしさを、忘れてしまいそう。


 
言の戯れを知り、紀貫之のいう「言の心」を心得ましょう
 「かかる…このような…ふりかかる」「はちすの露…蓮の甘露…仏の教え…八すのつゆ」「八…多…多情」「す…女」「つゆ…すこし…はかないもの…おとこ白つゆ」「おく…措く…置く…霜などがおりる…贈り置く」「憂き…浮き」「世…夜」「又…再び…股」「かへる…帰る…返る…繰り返す」「ものかは…反語の意を表す…ものだろうか否そうではない…物かしら否そんな物ではなし」「さうちう…湘中…何かに夢中になって帰ることも帰る路も忘れてしまった老人のこと…ゆきっぱなしのもの」。



 歌の相手は夫、倦怠期かな、しばらく居ないと寂しいと言ってくるくらいだから、仲はまあまあだったか。悩みは多く説教の聴聞などに人の噂になるほど繁く通っていた頃、宮仕え以前、四日間寺に留まっていた話。うき世を捨てる気の無いことは明らかでしょう。

 歌は「姿清げ」で、浮言綺語のような言の戯れの中に煩悩満ちて、「心におかしきところ」がある。「深い心」があれば、それに「心におかしきところ」が上質上品であれば、公任のいう「優れた歌」といえるでしょう。


 伝授 清原のおうな
 聞書  かき人しらず   (2015・8月、改定しました)


 

 枕草子の原文は、新日本古典文学大系 岩波書店 枕草子のよる



 

 


帯とけの枕草子〔三十〕説教の講師は

2011-03-26 00:35:27 | 古典

  



                                      帯とけの枕草子〔三十〕説教の講師
 

 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」だけ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔三十〕説教の講師は

 
説教の講師は顔の良い方が――。 講師の顔をじっと見つめていてこそ、その説くことの尊さも感じられる。よそ見しているとふと聞き忘れてしまうので、にくらしそうな顔は、こちらが・罪を得るのではと思える。こういうこと言うのは止めましょう。少し歳などのよろしき若かりし頃は、このような罪を得ることなど書き出すでしょうが、今は(仏法僧を敬わない)罪がとってもおそろしい。

 
また、尊いことに、道を求める心多くあるというので、説教するという所ごとに行って居るのは、やはりこの罪な心には、そうまでしなくてもと思える。

 
蔵人を退いた人、昔は行幸の前駆けなどいう仕事もせず、その年には内裏辺りに影も見えなかった。今はそうでもないのでしょう、蔵人の五位といっても、それでも忙しく使われているが、やはり名残は暇な人であって、ただ心には暇のある心地するらしくて、そのような所(法会)で、一二度聞き初めれば常にでかけたくなって、夏などのひどく暑いときにも、かたびら(帷子・夏の内衣)とっても鮮やかなのにして、薄い二藍、青鈍の指貫など、裾で括らず・踏みちらしているようで、烏帽子に物忌み札付けているのは、そんな日だけれど、功徳の方にはさし障りはないと思うのでしょうか。

 
その事(説教の準備)する聖と話しをし、車停める所さえ気をくばって見ていて、仕事についているかの様である。久しく会わなかった人が詣でて会うと、珍しがって近くに寄りもの言ってうなずき、おかしいことなど語りだして、扇ひろげて口にあてて笑い、よく装飾した数珠をまさぐり出して、手まさぐりにして、あちらこちら見回すようにして、車のあしよしを褒め、謗り、どこそこでその人の催した八講、経供養したことが、ああであった事こうであった事を言いあっている間に、この説教の方は聞いていない。どうしてか、常に聞くことなので耳が慣れてめずらしくもないためなのだと。

 
そうではなくて、講師が座ってしばらくして、前駆小人数でいらっしゃる車、停めて降りる人、蝉の羽よりも軽そうな直衣、指貫、生絹のひとえなど着ているのも、狩衣の姿なのもいる。そのような様子で若やかな三、四人ばかり、侍の者もまたそのようにして入ってこられると、初めから居た人々もさっと身じろぎして取り繕い、その人たちが・高座の近くの柱のもとに着席して、かすかに数珠おし揉みなどしながら聞いているのを、講師も、光栄に思うでしょう、どうにかして語り伝える程の説教をと説きだしたのである。
 
聴聞なども、倒れて騒いだり、額ずく程ではなくて、適当な頃合いに退出するということで、車ども(彼らの車…わが女車)の方を見やって仲間どうしで言っていることも、何の事かしらと思える。見知っている人は興味あると思い、見知らぬ人は誰だろう、あの人かなと思って、注目して見送られているのは、おかしけれ(趣あったことよ…みな容姿佳かったなあ)。

 
あそこで説教した、八講したなどと人が言い伝えると、「その人はいましたか、どうでした」などと決まって言われている。よけいなことである。どうして全然顔出さないでおられようか、あやしげな女だって熱心に聞いているものを。

 
それでも行き初めの頃は、徒歩の人はいなかった。たまには、壷装束などして、艶かしく化粧していた人もいたようだけれど、それも、もの詣でなどしていた。説教などにはとくに多いとは聞かなかった。

 
この頃、あの折り、さしでがましかった人(あの女来てましたか、なんて言った人)、命長くて、今のわたしを・見たならば、どれほどそしり誹謗するでしょう・説教聴聞など常のことだから。



 父の元輔は、国守として寛和二年(986)肥後国に赴いた。正暦元年(990)任地の肥後国にて卒。享年八十三。
 その頃、京にあって二十一歳から二十五歳、夫も子も居たけれど、自由で暇な人、宮の内のことや法会のことなど、仕事のように手伝っていたのは、退職蔵人のことだけではなく、すべて自分の事。おせっかいな女。法会などには必ず来ていたので、説教など聴き慣れて聞いていなかったり、若い男たちに目を奪われたり、心澄む女ではなさそうでしょう。そのようなことを、少し遠回しに書いてある。


 伝授 清原のおうな
 聞書  かき人しらず      (2015・8月、改訂しました)

 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 岩波書店 枕草子によった