帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百十〕卯月のつごもり

2011-07-06 00:10:18 | 古典

   



                                  帯とけの枕草子〔百十〕卯月のつごもり 



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
 


 帯とけの枕草子〔百十〕卯月のつごもり


 卯月のつごもりがたに、初瀬にまうでゝ、淀のわたりといふものをせしかば、船に車かきすゑていくに、さうふ、こもなどのすゑのみじかく見えしを、とらせたれば、いとながかりけり。こもつみたる船のありくこそ、いみじうをかしかりしか。たかせのよどにとは、是をよみけるなめりと見えて。
 
三日かへりしに、雨のすこしふりしほど、さうぶかるとて、かさのいとちいさききつゝ、はぎいとたかきおのこ、わらはなどのあるも、屏風のゑに似ていとをかし。

 文の清げな姿
 
四月の末ごろに、初瀬(長谷寺)に詣でて、淀の渡りというものをしたけれど、船に車を乗せて行くときに、菖蒲、菰などの先端が短く見えたのを取らせたら、とっても長かったことよ。
 
菰積んだ船がゆっくり動いているのは、とっても風情がある。「こもまくら高瀬の淀に刈る菰の かるともわれは知らで頼まむ」とは、これを詠んだらしいと見えて。
 
五月・三日、帰ったときに、雨が少し降った間、菖蒲を刈るということで、笠のとっても小さいのを着ながら、すねのあたりのたいそう高い男、童などがいるのも、屏風の絵に似て、とっても風情がある。

 心におかしきところ
 
憂尽きの果てがたに、初めて背の君に申しでて、「淀の渡り」というものをしていたので、夫根に、ものかき据えてゆくと、壮夫、子も末が短いと見ていたのが、それ・付け与えたれば、とっても永いかりだったことよ。
 こも積みかさねた夫根の歩むようにゆっくりゆくのこそ、とってもすばらしい、かりだったことよ。「こも枕、たか背がよどむに、かる子もの、涸れるとも、わたしは知らずに、頼んでいたのね」とは、このことを、詠んだらしいと見えて。
 
三日くり返したために、お雨すこし降った間、壮夫、涸れるということで、嵩のひどく小さい山ばが来つつ、端木のとっても長いおのこ、わらわのあるものの、病夫の枝に似てとってもおかしかったことよ。

 
言の戯れと言の心を心得ましょう
 
「卯月のつごもり…四月末…憂尽きの果て」「もうでて…詣でて…申でて…申し出て」「よどのわたり…淀の渡り…船に車を積んで川を渡る…淀みを渡る」「淀…女…心地などがよどんでいる」「わたり…渡り…渡り合い…まぐあい」「とらす…与える…付けてやる」「さうふ…そうぶ…菖蒲…壮夫」「ふね…舟…夫根…おとこ」「車…しゃ…者…物…ここでは、おとこに着せるもの」「かきすゑ…据える…取り付ける」「かき…接頭語」「かり…刈り…あさり…まぐあい」。歌・こもまくら高瀬の淀に刈る菰のかるともわれは知らで頼まむ……こもまくら高瀬の淀に刈る菰が刈るものとも、われは知らずに取ってよと頼んだようね……こもまくら高背の立派な君が、淀む女に『かり』するこの君も涸れるものとは、わたしは知らずに頼んでいたのね・古今六帖」「かる…刈る…まぐあう…涸る…尽き果てる」「高…長…立派」「せ…男」「淀…女…川のよどみ」「こも…菰…子も」。
「三日…五月三日…三日間」「かへる…帰る…返る…繰り返す」「雨…おとこ雨」「かさ…笠…嵩…体積」「屏風…びゃうふ…病夫」「ゑ…絵…え…枝…身の枝…おとこ」。


 「子もまくら」を「夫ね」にかきすえるといっても、紐つきの薄絹衣で、玉結びに「ふ根」に結びつける、途中取れないように。「あまのはごろも(女の昇天するための衣)」ともいう、おとこの君に着せるもの。
 
ものに包んで表現してあるので、この様な事が書いてあるとは、今の人々には青天の霹靂でしょう。今まで聞こえなかった最低音が突然聞こえてきたような驚きでしようが、男性(おとこのさが)の一過性、非持続性の劣性は、人の世の初めからで、おとなのおんなたちの関心事でしょう。夜の具のことを「枕草子」に書くのは当然のこと。

 在原業平「伊勢物語」にも「夜の具」「あまのはごろも」として、これが描かれてある。使用後のおとこの感想は「もしや飽きはこないのかと、喜びの涙の雨が降る」などとある。(当ブログ、2010、9月24日、帯びとけの伊勢物語十六にある)


 伝授 清原のおうな
 聞書 かき人知らず   (2015・9月、改定しました)

 原文は、「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による