帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」 (四十五)  ゆくほたるあき風ふくと雁に告げこせ

2016-05-31 19:27:47 | 古典

             



                         帯とけの「伊勢物語」


 

紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。

 平安時代の歌心有る女たちの読後感と同じであれば、正当な読み方ができたのでる。清少納言の読後の第一感は、「恨んでいる男が女に寄こす悪戯な文」であった。紫式部の第一感は、「貶し腐して伊勢の海の千尋の底に沈めたくなる下劣な物語」であった。

やがて、描かれてあるのは生身と生な心をもった人たちであり、この世から消してしまえない深い心のある物語であると知るのである。


 伊勢物語
(四十五) ゆくほたるあき風ふくと雁に告げこせ


 むかし、おとこありけり(昔、男がいた…武樫おとこがあった)、他人の娘で大切に育てられていたのが、なんとかしてこの男に、ものいはむ(言葉を交わしたい…物、井、食む)と思っていたのだった。言い出し難かったのだろうか、もの病み(何らかの病気…片恋の病)になって、死ぬべき時に(死ぬだろうという時に…死んだ方がましよという時に)、かくかくしかじか思っていたと言ったのを、親が聞きつけて、泣く泣く、この男に・告げたので、男は・惑いながらやって来たけれど、しにければ(
女が・死んだので…武樫おとこが・逝ったので)、することもなく、女の家(井辺)に・籠もっていたのだった。時は、水無月(六月…みな尽き)のつごもり、たいそう暑いころで、宵は、あそびおりて(楽器など弾いていて…ぶらぶらしていて)、夜更けて、やや涼しい風が吹いてきた。蛍、高く飛び上がる。この男、見ふせりて(身伏したまま…見てもの伏したまま)、

ゆくほたる雲の上へまでいぬべくは 秋風ふくと雁に告げこせ

(ゆく蛍、雲の上まで行くことができたならば、秋風吹くと雁に告げてくれ……逝く、ほ垂る・蛍よ、山ば越え・雲の上までいくならば、わが心に・飽き風吹いていると、雲居の雁に・雲井の女に、告げてくれ)

暮れがたき夏のひぐらしながむれば そのことゝなく物ぞかなしき

(暮れ難き夏の日暮らし、物思に耽っていると、なんとなく、もの悲しいことよ……果て難き、あつき日、朝から晩まで、長めていると、そのことでなく、我が・物が、もの悲しいよ)

 

 

貫之のいう「言の心」を心得、俊成のいう「言の戯れ」を知る

「かしづく…愛育している…大切にしている」「死ぬべき…死ぬだろう(推量)…死ぬはずだ(予定)…死ぬほうがいい(適当)」「見…覯…媾…まぐあい」。

「ゆく…行く…逝く」「ほたる…蛍…愛の火…秋(飽き)がくると昇天するもの…ほ垂る…お垂る」「雲…煩わしいばかりに心にわきたつもの…情欲など、広くは煩悩」「かり…雁…鳥…言の心は女…狩り…刈り…あさり…めとり…まぐあい」。

「ひぐらし…日暮らし…朝から晩まで…一日中」「ながむ…物思いにしずむ…ながめる…眺める…長める」「物…ばくせんとしたこと…物体…おとこ」。 

 

紫式部は、この女性と本性の同じ人を、夕霧の妻として、雲井雁(雲居雁)と名付け「源氏物語」夕霧の巻に登場させた。夫君がもてあますほど、情が深くて嫉妬深いけれど、心幼いところも有って、にくくは無い。「子などあまた」いらっしゃる(男の子四人、女の子四人)。

少なくとも、「伊勢物語」のこの章段を、紫式部と同じように読めたのだろう、読めたと思っていいだろう。紫式部は、「伊勢物語」の余情を踏まえて「源氏物語」を語り、当時の読者を「心におかし」と思わせた。これは、たぶん「本歌取り」という歌の技法と同じだろう。


 
(2016・5月、旧稿を全面改定しました)


新・帯とけの「伊勢物語」 (四十四)  いでてゆく君がためにとぬぎつれば

2016-05-30 19:55:29 | 古典

             



                         帯とけの「伊勢物語」


 

紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。

 清少納言や紫式部が「伊勢物語」を読んだように読む方法は必ず有る。それが正当な読み方である。


 

 伊勢物語(四十四)いでてゆく君がためにとぬぎつれば

 

 昔、あがた(地方)へ行く人に、馬のはなむけ(餞別の宴)をしょうと、よびて(呼んで…酔ひて)、縁遠い人ではなかったので、いゑとうじさかづきさゝせて(家の主婦に酒坏ささせて…わが妻に酌をさせて)、女のさうぞくかづけむとす(女の装束肩に掛け与えようとする…女の心身与えようとする)。あるじの男、歌を詠んで、その・裳の腰に結び付けさせる。

 いでてゆく君がためにと ぬぎつれば  我さへもなくなりぬべきかな

 (地方へ・出発して行く君のためにと脱いだので、道中の・喪(災い)も・我さえ喪、なくなるだろうかな……射でて逝く、君の・貴身のためにと、妻は脱いだので・我は抜いたので、我小枝も、居なくなってしまうべきかも)

 

この歌は、あるがなにおもしろければ(有る中では面白いので…ある中身におもしろさがあるので)、心とゞめてよまず、はらにあぢはひて(心に留める程度に読まず、腹に味わって・読むべし)。

 

 

 紀貫之のいう「言の心」を心得て、藤原俊成のいう「言の戯れ」を知り、歌を聞く。

 「むまのはなむけ…馬の鼻向け…餞別の宴…餞別」「よびて…呼んで…よひて…酔いて」「さかづき…杯…器もの…逆つき…女」「つき…月…をとこ…突き」「ささせ…(酌を)させる…ささせる」「女のさうぞく…女の装束…女の衣…女の心身(衣は心身の換喩)」。

「いでてゆく…出発して行く…射でて逝く」「ぬぎ…脱ぎ…ぬき…抜き」「われさへも…我さえも…我小枝も」「さえ…小枝…おとこ」「さ…小…美称…謙遜…自嘲」「へ…え…枝…身の枝…おとこ」「も…裳…女の装束…も(助詞)…同様のものが他にもあることを示す…喪…災い…ひきこもり活動しない」「かな…かも」。 

 「心にとゞめてよます…心に留めて読ませる…心にとゞめてよまず…気に留める程度には読まない」「はらにあぢはいて…腹に味わって…身をもって感じて」。

 

 貧しく、ものも喪に服したように活力のない主人の男の歌。若者に一夜妻を与えて色欲晴らして遣り、妻の憤懣を解消し、わがものの喪をなぐさめ、旅の途中の喪(災い)のないことを願って遣る。女の装束は市にて、それなりの銭か物に換えられ路銀のたしになるだろう。一石三鳥以上の、腹に味わうべき、かなしき餞別の宴である。


 言葉を一義なものとして読むかぎり、「腹に味わう」ような「心におかしきところ」は顕れないだろう。 


 最後の一行は後の人の書き加え。

 (2016・5月、旧稿を全面改訂しました)


新・帯とけの「伊勢物語」 (四十三)  名のみ立つしての田おさは今朝ぞなく

2016-05-29 19:27:17 | 古典

             



                         帯とけの「伊勢物語」


 

紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。

 清少納言や紫式部が「伊勢物語」を読んだように読む方法は必ず有る。それが正当な読み方である。


 

 伊勢物語(四十三)名のみ立つしての田おさは今朝ぞなく

 

 昔、賀陽の親王と申す御子(桓武天皇第七皇子・業平の母伊豆内親王の御兄弟、業平には叔父か伯父にあたる人)がおられた。女を思し召して(女を寵愛されて)、恵み厚く使って居られたので、人なまめきてありけるを(女は・艶めいていたことよ…男ども・色っぽい振る舞いを見せていたのだった)。われのみと思ひけるを(女は・恵みを受けているのはわたしだけと思っていたのだった…男どもそれぞれ我こそはと思っていたのだった)、また、人(あのむかし男)が聞きつけて、女に文を遣る。ほととぎす(郭公)の絵を描いて、

 ほととぎす汝が鳴く里のまたあれば  なほうとまれぬ思ものから

 (ほととぎすよ、そなたの鳴くさとが、多いので、やはり、親王には・疎まれたと思うものだから・如何かな……ほと伽す、汝が、且つ乞うと・泣くさ門が、あま多なので、やはり、親王は・うとましがっておられると思うものだから)といった。
 この女、この男の気持ちをくんで、

 名のみ立つしての田長は今朝ぞなく  庵あまたとうとまれぬれば

 (評判だけが立って、仕手の田長は今朝ぞ無く・ほととぎすは今朝ぞ泣く、親王は通うべき・庵は多数あると、わたしは疎まれてしまったので……汝の身立つ、仕手の・為手の、わが田の長は、今朝は、無く・泣いている、井掘りがあまただと、わたしは・疎まれたもので)

 時は、五月(さつき…ちょうど尽きごろ)だったのだ。男、返し、

 庵多きしでの田長はなほ頼む  わが住む里に声し絶えずは

 (庵の多い仕手の田長は・我は、猶も、頼む・頼もしいよ、わが住む里に、ほととぎすの鳴き声が絶えないかぎりは……井掘り多き仕手の田長は、汝お・直、頼もしいよ、我が住み通う、さ門に、あなたの・乞い泣く声さえ、絶えなければ)


 

貫之のいう「言の心」を心得、俊成のいう「言の戯れ」を知る

 「ほとゝぎす…鳥の名…古来カッコウと鳴く鳥のことらしい…郭公…且つ乞う…ほと伽す」「鳥…鳥の言の心は女…ものの名は戯れる…ほと伽す」「してのたおさ…ほととぎすの別名…田植え衆の長…しっかりしたおとこ…田の仕手(為手)の長」「しで…して…仕手…為手…する人」「田…多…言の心はおんな」「おさ…かしら…長」(国文学は『死出の田をさ』と読むがなぜだろうか、如何なる意味になるのか、理解に苦しむ)。「いほり…庵…家…女…住まい…井掘り…まぐあい」「あまた…多数…多すぎ」。

「なのみたつ…名のみ立つ…噂だけが立つ…汝の身立つ」「なく…無く…鳴く…泣く」「なほ…猶…汝お…おとこを」「たのむ…頼む…頼りにする」「さと…里…女…さ門…おんな」「こゑし…女の乞い泣く声…男の小枝」「し…肢…士…強調」。

「さつき…五月…さ突き…さ尽き…良い尽きどき」「さ…美称」。

 

賀陽の親王(業平より三十歳ほど年上の方)の女のおさがりを得たのは、「むかし男」だった。女の「且つ乞う」性情を知り、親王に「うとまれる」頃合いを図り、その声に我は応えるという自信を示す歌を遣り、女を得たお話である。

 仮に、武樫男を二十五歳とすると、親王は、かつこうと泣く女は、うとましくなられる御年配であられただろう。

 

鳥の「言の心」は女であると心得て、その名の「ほととぎす・郭公・してのたをさ」の戯れの多様な意味を知れば、上のように歌と物語が読める。味気ない国文学的解釈から離れ、平安時代の人々の読みに近づいているだろう。


(2016・5月、旧稿を全面改定しました)。




 

 


新・帯とけの「伊勢物語」 (四十二)  色好みとしるしる女をあひいへりけり

2016-05-28 20:09:33 | 古典

             



                         帯とけの「伊勢物語」


 

紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。

 清少納言や紫式部が「伊勢物語」を読んだように読む方法は必ず有る。当時の女たちの「伊勢物語」の読後の第一感は、作者と主人公の男の心は、貶して、千尋の海の底に沈め、消してしまいたいほど下劣であること。この第一感に一致する読み方がある。


 

 伊勢物語(四十二)色好みとしるしる女をあひいへりけり

 

 むかし(昔…武樫)、おとこ(男…をとこ)、色ごのみとしるしる女をあひいへりけり(色好みだとよく知る女と相語らった…色好み門、汁々おんなを合い井経りけり)。しかしながら、にくゝはたあらざりけり(憎くはなかった…愛着があった)。しばしばいきけれど(男・しばしば行き通ったけれど…おとこ・しばしば逝ったけれど)、なおいとうしろめたく(とっても気がかりで…汝お、うしろめたく)、そうかといって、行かないでは、いられなかったのだった。なおまた、えあらざりけるなかなりければ(やはりまた、行かずにおれない二人の仲だったので…汝お、また、得られそうもなかった、井・中だったので)、二日三日ばかり、さはることありて(男に・さし障ることがあって…おんなに・月ごとのさし障ることがあって)、えいかでかくなむ(行くことができなくてこうだ…逝けなくてこんな歌を)、

 出て来し跡だにいまだかはらじを たがかよひぢと今はなるらん

 (女の許を・出て来た跡さえ未だ、変わっていないのに・二日ばかりなのに、誰の通い路と、今はなっているのだろうか……井・出てきた物の後さえ未だ変わらないのに、井は・だれの通い血と、今はなっているのだろうか)

 

ものうたがはしさによめるなりけり(女が・なんだか疑わしくて詠んだのだった…おんなの障りが・疑わしくて詠んだのだった)。

 

 

貫之のいう「言の心」を心得、俊成のいう「言の戯れ」を知る

「しるしる…知る知る…充分に承知している…汁汁…液液」「女をあひいへり…女を相語らい情けを交わした…おんな、お、合い、井経りけり」「い…寝…井…おんな」「へる…経過する…しばらく経った…経験した」「はたあらざりけり…また、そうではなかった…憎らしくも可愛くもあった」「うしろめたく…不安で…気がとがめて…心残りで」「え…得」「さはり…さし障り…(男の仕事などの)支障…(女の月ごとの)さし障り」「たが…誰の…他の…何の」「ぢ…路…言の心は女…ち…血」「らん…推量の意を表す」。

 

この物語を読みはじめて未だ三分の一程だけれども、作者と主人公の男の心を「下劣」と思えるならば、清少納言や紫式部など、当時の歌心ある女たちの、読後の第一感と同じなのである。読みの方法が一致したかもしれない。

最後まで読んで、「伊勢物語」の深い心に触れれば、「この物語は、下劣と貶し伊勢の海の千尋の底などに沈め、此の世から消してしまうことはできない」と、読後感は変わるはずである。源氏物語絵合の巻に登場する「藤壺の宮・入道の宮」の台詞(歌)であるが、そのまま、紫式部の伊勢物語の評価を表す言葉だろう。


 (2016・5月、旧稿を全面改定しました)


新・帯とけの「伊勢物語」 (四十一)  女はらからふたりありけり

2016-05-27 18:50:03 | 古典

             



                         帯とけの「伊勢物語」

 


 紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。

 伊勢物語は、平安時代の文脈に身を置いて読むべきもの。国文学は自らの文脈に引き入れてその俎上で料理した。それは、それは味気ないものになってしまった。清少納言や紫式部が読んだように読む方法は必ず有る。先ずは「下劣」という読後感に一致する読み方である。


 

 伊勢物語(四十一)女はらからふたりありけり

 

 昔、姉妹の二人の女がいた。一人は、いやしき男のまづしき(身分賎しい男で財貧しい…いやしいおとこで色乏しい)、一人はあてなる男(高貴な男…高品質のおとこ)を持っていたのだったいやしい男をもった方が、師走のつごもりに、夫の正装の上衣を自ら洗い張りをしていた。しなければという思いはあるけれど、さるいやしきわざもならはざりければ(下女のするような業は習わなかったので…卑しい下の技は習わなかったので)、うへのきぬのかたをはりやりてけり(上衣の肩を洗い張りして破ったのだった…上の来ぬの片お張り遣ったのだった・女来ぬのに片おのみ果てたのだった)。せむ方もなくて(しかたなく…おんなにはどうしようもなく)、ただ泣いていた。これを彼の、あてなる男が聞いて、とっても心苦しかったので、清らかな緑衫の袍(緑色の正装)を、見いでてやる(見つけて来てやる…見せてやる)と言って、

 紫の色濃き時は目もはるに 野なる草木ぞわかれざりける

 (紫草の色濃き時は目を見張るばかりで、野にある草木は、別け隔てなく・綺麗だなあ……むらさきだつものの色濃き時は、めも・女も、春で、野にある草木ぞ・山ば下りひら野の女と男ぞ、別れられそうもないなあ)

 

 むさしのの心なるべし(広い武蔵野のような、博愛心なのだろう…武蔵野のような、むさし、きたない男心なのだろう)

 

 

貫之のいう「言の心」を心得、俊成のいう「言の戯れ」を知る

 「まづしき…貧しい…財力乏しい…気力・弾力など乏しい…武樫おとこではない」「あてなる…高貴な…高品質の」「うへ…上…やまばの峰…女の尊称」「きぬ…衣…ころも…心身…来ぬ…来ない」「あらひて…洗いて…荒ひて…乱暴に」「はりけり…洗い張りした…緊張させた…張りきらせた」「はりやりてけり…張っていて破った…張り切れた」「やる…破る…遣る…いかせる」「うへのきぬ…上の衣…上が来ぬ…女来ない」「上…女の尊称」「衣…心身の換喩」「かたをはりやりてけり…肩を張りて破りてけり…片男張り遣りてけり…片おとこのみ逝かせてしまった・和合ならなかった」「けり…詠嘆」「見…覯…媾…まぐあい」。

「むらさき…紫草…草花の言の心は女…むらさき立つもの…おとこ」「色…色彩…色気…色欲」「草木…女と男」「草…女」「木…男」「め…目…女」「わかれ…区別…分かれ…別れ…離れ」「ざりける…打消し・詠嘆を表す…(離れられなく)なったなあ」。

 「むさしのの心…武蔵野のように広い心…博愛心…草花なら皆あはれと見るような心…むさい野の心…きたない粗野な男心」。



 最後の一行は、後の人の書き加えだろう。在原業平は余計な言は書かない、言葉足らずに語る人。


 (2016・5月、旧稿を全面改定しました)