帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第九 羇旅歌 (412)北へ行かりぞなくなる連れてこし

2018-02-08 20:37:52 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第九 羇旅歌

 

題しらず             よみ人しらず

北へ行かりぞなくなる連れてこし 数は足らでぞかへるべらなる

この歌は、ある人、男女もろともに人の国へまかりけり。男、まかり至りてすなはち身まかりにければ、女、ひとり京へ帰りける道に、帰る雁の鳴きけるを聞きて、よめるとなむいふ。

 

(題しらず)             (よみ人しらず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(北へ行く雁が鳴いている、連れて来た 員数が足らないで、帰っていく様子だわ……来たあたりへ、返りゆく・そうするしかない、連れて山ば越した数は足りなくて、独り京へ返ってゆくような心地する)。

 

この歌は、或る人、男女諸共に、他国へ赴任した。男が、赴任してすぐに亡くなったので、女は独り、京へ帰る道で、きた国へ帰る雁が、鳴いたのを聞いて、詠んだと思われる・歌と言う……この歌は、或る人、男女もろ共に、女のせかいに行ったという、男が、いってすぐに、その身の端亡くなったので、女は独り、山ばの京へ、返る道で、来たせかいへ帰る雁(鳥…女…おんな)が、泣いたのを聞いて、詠んだらしい・歌と言う。

 

 

「北へ…来たへ…もとのせかいへ」「かり…雁…鳥…言の心は女…狩…刈…娶り…まぐあい」「なくなる…鳴いている…無くなる…空しくなる…おとこは亡くなったらしい」「つれてこし…連れて来し…連れだって越した」「数…員数…人数…(山ば越した)回数」「かへる…帰る…返る」「べらなる…のようすだ」。

 

 

連れ合いを亡くしたか、鳴きながら、きたへ帰る雁の様子――歌の清げな姿。

我が身の上を、雁の鳴き帰るようすに託した。

 

来たあたりへ、返りゆく・そうするしかない、連れて山ば越した数は足りなくて、独り京へ返ってゆくような心地する――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)