帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔八十三〕職の御曹司に (その一)

2011-05-31 00:06:10 | 古典

   



                                     帯とけの枕草子〔八十三〕職の
御曹司に(その一) 



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔八十三〕しきの御ざうしに

 
職の御曹司におられる頃、西の廂の間にて、不断の御読経が行われていて、仏の画像などをお掛けして、僧たちが居たのは当然である。二日ばかりして、縁側のもとに、あやしい者の声で、「猶かの御ふくおろし侍なん(やはり、その御服のおろしを下さい…やはり、その御仏供のおろしを下さい…汝お、その身夫具のおろしを頂きたいのよ)」というと、「いかでか、まだきには(どうしてだ、まだその時ではないのに)」と僧が言うので、何を言っているのだろうかと立ち出て見ると、なまおいたる女法師(生半可に老いた女法師)が、ひどく煤けた衣を着て、さるさまにていふなりけり(そんなふうに言っていたのだった…猿楽のように言っていたのだった)。「かれは何事いふぞ(それは、何のことを言っているのか)」というと、女法師は声をつくろって、「ほとけの御でしにさぶらへば、御ぶぐのおろしたべんと申を、この御ぼうたちのをしみたまふ(私は・仏のお弟子でございますれば、御ふく(法衣)のお下がりを給わりたいと申すのを、このお坊さんたちが惜しまれるのです……ほと毛の身出子でございますれば、御夫具の下ろし、食べようと申すのを、このご棒立ちの惜しみ給う)」と言う。はなやぎみやびかなり(華やいで雅やかである……表面は装って心におかしきところがある言い方である)。このような者は、ただ嫌がったりするのはあわれである。
 いやに華やいでいるなということで、「こと物はくはで、たゞほとけの御おろしをのみくふか、いとたふとき事(他の物は食べないで、ただ仏のお下がり物だけを食べるのか、たいそう尊いこと……他の物は食わず、ただ、ほと毛の身下がりものだけを食うのか、とっても尊いことだねえ)」というと、こちらの気色を見てとって、「どうして、他の物を食べないことがありましょうか。それがございませんからこそ、とりあえず申したので」というので、果物、平餅などを物に入れてとらせたところ、むやみに仲良くなって、よろずのことを語る。
 若い女房たちも出て来て、「男はいるの、子はいるの、どこに住んでいるの」など口々に問うと、をかし事(心におかしいと感じさせる言)や、そへごとなど(好色なことを添える物言い)をするので、「歌はうたうのか、舞いなどするか」と、問いも終わらぬうちに、「夜は誰とか寝ん、常陸国の介と寝ん、寝たる肌よし……夜は誰と寝よう、肥たちの出家と寝よう、寝ている肌好し」と歌う。この末(歌詞)はたいそう多いようである。

また、「をとこ山の、みねのもみぢ葉、さぞなはたつや、さぞなはたつや(男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つや、さぞ名は立つや……男やまばの峰の色づいた端、さぞ評判がいいや、さぞ汝は立つや)」と、かしら(頭…もののかしら)を回し振る。ひどくみにくいので、わらひにくみて(笑い貶して)、「いねいね(去れ去れ)」と女房たちが言う。「いとほし(かわいそう…いじらしい)、このものに何をあげましょうか」と言うのを、宮・お聞きになられて、「ひどく片腹いたい芸をさせてしまって。聞かないで耳を塞いでいましたよ。その衣を一つ与えて、すぐに送り出しなさい」と仰せになられるので、「これを賜わせられる。衣が煤けているようよ白くして着なさい」と投げ与えれば、伏し拝んで、(白いものを)肩にかけて舞うことよ。まことに醜くてみな内に入った。

 後に、なれなれしくなったか、常に目立つようにうろつく。そのうち、ひたちのすけ(常陸の介…日経ちの出家…老いた女法師)と名を付けた。衣も白くならず同じ煤けたのだったので、あれはどこへやったのだろうかなど、にくらしく思う。


 右近の内侍が参上したので、「このような者を、女房たちは語らい手なづけて置いているようなの、隙を見ては常に来るのよ」と、その有り様を、小兵衛という女房に真似させて、お聞かせになられると、「彼女をなんとしても見たいものですわ、必ずお見せくださいね。お馴染みさんでしょうから、そのうえ、よもや私どもが騙り取ったり致しませんわ」、などわらふ(などと笑う)。

 その後、また、尼の乞食のずいぶん品のよいのが出て来たが、また呼び、出て行ってものなど言ったが、この尼はたいそうきまりわるそうに思えて、哀れなので、例の衣をひとつ与えたところ、伏し拝むのはいいとして、そうして、泣き出して喜んでいるのを、ほかでもない、「ひたちのすけ」がやって来て見ていたのだった。その後、久しく見かけなかったが、だれが思い出そうか。


 言の戯れと言の心

「御ふく…御服(法衣)…御ぶく…御仏供(お供えの食物)…みぶぐ…身夫具…おとこ」「さるざま…然る様…戯る様…猿楽風…好色なことなどを巧みに笑いに転じる類いの話芸…里の家には時々訪れるのでとり入れて聞く門づけ芸人のわざ」「おろしたべん…おろし給べむ…おろしくださる…おろし食べむ…おろし食べよう」「たぶ…食べる…食らう…くわえる…身に受ける」「このごぼうたち…この御坊達…子のご棒立ち…おとこ」「ほとけ…仏…ほと毛」「ほと…陰…おとこ」「かしら…頭…もののかしら」「白…おとこの色」「ひたちのすけ…あだ名…複数の意味を孕んでいてこそおかしいあだ名…常陸国の介…肥だちの出家…よく肥えた僧…日経ちの出家…生半可に老いた出家…なま老いたる女法師」。



 「みふく」は、まさに「聞き耳異なる言葉」。乞うているのは、服か食物か身夫具か、正しい意味を一つ見つけるというのではなく、多義のまますべて受け入れる。


 服(法衣)のお下がり頂きたいというのは「清げな姿」、本意は食べ物でしょう。「身夫具をたべむ」は添えた「心におかしきところ」。「ほとけの御おろしをのみ食ふか」という問いの「清げな姿」だけではなく、仏を、ほと毛と聞く「心におかしきところ」も通じたので、仲良くなった。


 
表現方法が同じ文脈にあるので、みやびやか。この話芸の源は和歌にある。古今和歌集真名序に「乞食の客、此れをもちて活計の謀りと為す」とある、此れとは、古今集編纂以前の或る時代に、色好みと化した和歌のこと。


 「いねいね…去れ去れ」は、ひたちの介の演技が次第に卑猥となったことに対する女たちの反応。


  
内裏の外、職の御曹司へお出になられた(出された)おかげで、このような者に出会えた



 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)

 
 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による

 

 


帯とけの枕草子〔八十二〕さてその左衛門

2011-05-29 00:02:01 | 古典

   



                      帯とけの枕草子〔八十二〕さてその左衛門
 



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔八十二〕さてその左衛門

 
さてその左衛門の陣(そうしたことがあって、その則光の前勤務先)へ行って後、里に退出してしばらく居る頃に、「早く参上しなさい」などとある仰せごとの端に、「左衛門の陣へ行った後ろ姿がね、常に思い出される。いかでかさつれなくうちふりてありしならん(どうして、そのように、よそよそしく、里で過ごして居るのか…どうして、あのように、平気を装って、急に老いて居たのかしら)。いみじう愛でたからんとおもひたりしか(とっても愛でたいと、則光のことを・思っているのね…とっても愛でたいと、自らを・思っているのか・と宮は仰せですよ」なとどある。お返事に「かしこまりました」の後に、私ごととして、「どうして、自らを・愛でたいと思っていないことがございましょう。宮におかれても(則光も)、私めを・中なる乙女(宮中に舞い降りた天女)と、ご覧になっておられるでしょうと思っておりました、(とお伝えください)」と伝えさせたところ、たち返り、「そなたが・とっても贔屓に思っている仲忠の面目をつぶすことをどうして申してよこしたの(仲忠は則光のように乙女を捨て去ったかしらね)。ただ今宵のうちに、よろずの事(愛も憎しみも)捨てて参上しなさい。そうしなれば(わたしがそなたを)ひどく憎むでしょう(と仰せです)」との仰せごとであれば、まあまあ程度でもおそれおおい、まして「いみじう」とある文字には、(則光への未練や憎しみどころか)命も身もさながら捨ててですね、ということで参上した。


 
言の戯れと言の心

「さて…そうして…そういうことがあって…左衛門の尉則光との別れがあって」「その左衛門の陣…則光の居た職場…今は則光の居ない所」「うちふりて…うち経りて…何となく過ごして…うち古りて…急に年寄って」「うち…接頭語」「いみじうめでたからん…(則光は)とっても良かっためでたいだろう…(則光は)なんとすばらしいのだろう…(自分は)身を引いてとっても愛でたいだろう」「なかなるおとめ…宇津保物語の仲忠の歌、あさぼらけほのかに見ればあかぬかななかなるおとめしばしとめなむ(朝ぼらけ、ほのかに見ればまだ明けていないのかな、宮中にいる乙女たちしばし留まっていてほしい……朝ぼらけほのかに見れば飽かぬかな、半ばなる乙女しばし宮こに留まっていてほしい)の舞降りた天女」「思へなる仲忠…(清少納言の)贔屓にしている仲忠」「おもてぶせ…面伏せ…面目を失くすこと」「よろずのこと…万の事…則光との諸々の事…則光への色々な思い…後悔、則光の為にはこれで良かったのだ、未練、嫉妬(たぶん若く美しい妻を連れて地方に赴任したのでしょう)、にくしみなど」「さながら…すべて…残すことなく全部」。



 宮のお言葉「いみじう愛でたからんとこそ思ひたりしか」には、含みがあるでしょう。


 地方官の任期は四年ながら帰京せず、そのまま定住する人も居た。則光とは今生の別れかもしれない。仮にも中関白家に深く関わった女房の夫では、行く末、道長の天下のもとでの昇進などおぼつかないのは明らか。地方への赴任は則光の賢明な選択でしょう。清少納言は、未練がありながら、あえて、則光と別れたのでしょう。

 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず  (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による


帯とけの枕草子〔八十一〕もののあはれ

2011-05-28 00:02:00 | 古典

   



                       帯とけの枕草子〔八十一〕もののあはれ
 



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
 



 清少納言 枕草子〔八十一〕もののあはれ
 

 
もののあはれしらせがほなる物、はなたりまもなふかみつゝ物いふ声、まゆぬく。


 文の清げな姿

何となく哀れを知らせ顔な情況、鼻みず垂れ、絶え間も無くかみながらもの言う女の声。眉抜く女。


 心におかしきところ

ものの哀れを知らせるかおなる物、ものはな垂れ、間もなく彼方を見つつもの言う男の声、小枝、間より抜く。


 言の戯れと言の心

 「物…もの…言い表し難い情況…はっきり言い表したくないもの」「あはれ…いたわしい…いとしい…さみしい」「かほ…顔…いかにもそのような様子である…彼お…もの…おとこ」「はな…鼻みず…花…先端」「たり…垂り…垂れる…垂らす」「まもなく…間も無く…絶え間なく…間もおかずすぐに」「声…こゑ…こえ…小枝…おとこ」「まゆ…眉…間ゆ」「間…女」「ゆ…より…から…動作の起点を示す」。


 男に去られた哀れな情況を、和歌の表現方法と同じく「清げな姿」に「心におかしきところ」を添えて表してある。言いかえれば、空虚な悲しみとその比喩の心におかしきところを、清げな姿で包んで表してある。
 


 空しきわが心の哀れは、生の感情として感じられるでしょうか。千年の時を隔てて伝わるならば、和歌の表現方法のすばらしさを讃えるべきでしょう。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず  (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による

 


帯とけの枕草子〔八十〕里にまかでたるに

2011-05-27 00:15:47 | 古典

   



                                        帯とけの枕草子〔八十〕里にまかでたるに
 



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」
のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。 



 清少納言 枕草子〔八十〕里にまかでたるに
 

 
 里に退出したときに、殿上人などが来るのをも、穏やかなことではないように里の人々は言うのである。いとうしむに(とっても有心に…ひどく好色な心が有って)引き入れてるおぼえはさらさらないのだから、そのように言われるのは煩わしいでしょう。また、昼も夜にも来る人を、どうして「なし(いない)」と、恥かかせて帰すのでしょう、たいして睦ましくない者もそうして来るだろうに。 

 あまりうるさくもあれば(里人が・あまりにもうるさいので…斉信が・あまりにひつこいので)、このたび退出した住処をば、どことも皆には知らせず、左中将経房の君、済政の君などだけは知っておられる。左衛門の尉則光が来て話をしていると、「きのう宰相の中将(斉信)がまいられて、『いもうとの居る所、まさか知らないようなことはないはず、言え』と、しつこく問われるので、ぜんぜん知らないと申したのに、無理強いされたのよ」などと言って、「あることをなしと逆らうのは、ほんとに苦しいことだよ。あやうく笑ってしまいそうなので困っているときに、左中将(経房)がほんとうにつれなく知らん顔でおられたのを、この君と目でも合わせれば、笑ってしまうだろうと苦しくて、台盤の上に、め(海草)があったのを取って、ただ食いに食って笑いを紛らわしたところ、中途半端な時に変な物食うなあと人々見ただろうよ。だけど、しっかりと、そのおかげでだ、此処と申さなくてすんだのだ。笑っていればそうはいかないよ、まことに知らないのだろうと思われたのも、おかしくてな」などと語るので、「さらに、なきこえ給そ(これからも、お聞かせしないでよ)」などと言って、日が経ち久しくなった。

 夜がかなり更けたころに、門をひどく驚くほどに叩くので、何用のために、心ないことに遠くもない門を音高く叩くのだろうと聞いていて、問わせると、滝口(陣にいる侍)であった。「左衛門の尉(則光)の――」と文をもって来た。みな寝ているので、灯火とり寄せて見ると、「明日、御読経の結願で、宰相の中将(斉信)は御物忌みに籠もられ暇になる。『いもうとの居所を言え、言え』と責め立てられても、どうするすべもない。決して隠しとおせないだろう。ここですよとお聞かせするべきかどうか、如何にすべきか。おっしゃるとおりにするつもりです」と言っている。返事は書かないで、め(海草)を一寸ばかり紙に包んで遣った。

 さて、後日に来て、「一夜は責め立てられて、なんでもない所々へ心あたりあるふりしてお連れしてまわった。本気で、さいなまれる(責めいじめる)ので、まったく辛い。それはそうと、どうして何ともお返事がなくて、め(海草)の端をば包んでくださったんだよ、おかしな包み物やないか、人のもとにあんな物を包んで贈る習慣なんてあるの、取り違えてるのか」と言う。いさゝか心もえざりける(少しも覚えていないことよ・海草食って我慢したこと…すこしも心得ていないことよ・めの言の心を)と、見ているとにくらしかったので、ものも言わないで、硯のそばにある紙の端に、

かづきするあまのすみかをそことだに ゆめいふなとやめをくはせけん
(潜っている海女の住処を底とだなんて ゆめゆめ言うなと目くばせしたのでしょうが……隠れている女のすみ処を其処なんて ゆめゆめ言うなとめを食わせているでしょうが)。

と書いて差し出したので、「歌を詠ませようとされるのか、さらに見はべらじ(決して見ません…もう見ません)」といって、あふぎ返して(扇返して…合う気返して)逃げていった。

  このように語らい、お互い後ろ盾になったりするうちに、何となく少し仲が悪くなっているころ、文をよこした。「ぐあいの悪いことがございましても、やはり契りました方をお忘れにならないで、よそ目にでも、そうであろうとは、まろのことを・見ていて戴きたいとですね、思います」といっている。常に言っていることは「我を思う女は歌を詠んでよこさないように、よこせばすべて敵とですね思う。今は限りと仲絶えようと思うようなときに、そのようなことは言え」などと言っていたので、この返しに(歌を詠んで遣った)、

くずれよるいもせの山の中なれば さらに吉野の河とだに見じ

(崩れ寄る妹背山の中だから、もう吉野の川とは見なさないのね……くずれ寄り添う女と男の山ばの中ほどで成れば、もう見よしのの好しのの女とは見ないのね)。

と言って遣ったものの、まことに見なかったのだろうか、返しもせずであった。さて、則光は・五位に叙せられ冠得て、とうたあふみのすけ(遠江国の介…遠い合う身のすけ)と言ったので、にくゝてこそ(憎らしくてね)、仲は終わったのだった。


 言の戯れと言の心

 「あま…海人…女」「そこ…底…其処」「め…目…海草…言の心は女」「妹背山…紀伊の国の山の名…女と男の山」「山…山ば」「河…川…女」「中…仲」「見…覯…媾…まぐあい」「いさゝか心もえざりける…少しも言の心を心得ていない」。


 
 歌の様を知り言の心を心得る人は、古今の歌を仰ぎみて恋しくなるだろう(仮名序)と、貫之は述べている。心得ないと、藤原公任のいう「心におかしきところ」が聞こえないので、則光と同様、和歌は味気なくて興味がもてないでしょう。

 
 左衛門の尉則光との別れの経緯は斯くの如し。未練がないのではない、悲しくないわけがない。心情は次の〔八十一〕以下に記す。



 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)

   原文は 「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」 による


帯とけの枕草子〔七十九〕返としの二月

2011-05-26 00:09:40 | 古典

  



                                    帯とけの枕草子〔七十九〕
返としの二月



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔七十九〕
返としの二月

 
 翌年の二月二十日すぎ、宮が識の御曹司へ出られたお供には参らないで、梅壺に残っていた。次の日、頭中将(藤原斉信)のお便りということで、「昨日の夜、鞍馬寺に詣でたが、今宵、方角が悪いので、方違えに行く(行先が忌む方角のとき前夜に他の方角へ泊まりに行くこと)。未明に返るつもりだ。必ず、言いたいことがあるので、あまり戸を叩かせないように、待っていてくれ」とおっしっていたが、「局に独りでどうしているの、ここにねよ(こちらでおやすみ)」と御匣殿(宮の妹君)がお召しになったので参上した。久しく寝坊して起きて、局に下がったところ、留守居の女・「ゆんべ、たいそう人が戸をお叩きになったので、かろうじて起きましたら、『(少納言は)上にか、居るならこうして来たと言い伝えよ』と言うことでしたけど、よもやお起きにはならないと言って、ふし侍りにき(寝てしまいました)」と語る。心もなの事や(情の無いことよ…情の無いことかな)と聞いているところに、主殿司(例の女官)が来て、「頭の殿(斉信)が申しておられます『ただい、退出してそちらに行く、言いたいことがある』と」と言うので、「執務があって、上にですね、参ります。そこにて」と言ってやった。

局では簾などを引き開けられるかもしれないと、胸がどきどきして煩わしいので、梅壺の東面の半蔀を上げて、「ここに」といえば、すばらしい様子で歩み出られる。桜の綾の直衣がとっても華やかで、裏の艶など、いいようのないほど美しいうえに、葡萄染のたいそう濃い色の指貫は、藤の折枝が目を見張るばかりに織りみだれ、出だした内着の紅の色、光沢など輝くばかりに見える。白いの、薄色など下にたくさん重なり、狭い縁に片足かけ片一方は下のままで、少し簾のもと近くに寄っておられるのが、まことに絵に描いたり、物語で素晴らしいことにいうのは、これこそそうなのだと見える(まさに錦の帳のもとに居る男を演じているようだ)。

 御前の梅は、西のは白く東は紅梅で少し散り落ちかけているけれども、なお趣があって、うららかで日ざしはのどかで、人にも見せてあげたい。御簾の内に、まして若やかな女房などが髪麗しくこぼれかかって、などといった様子で話の応対をしていたのならば、いま少し趣もあり見所もあろうが、お相手は全く盛り過ぎた古びた女の、かみなどもわがにはあらねばにや所々わなゝきちりぼひて(髪なども我が地毛でないからか、それでかな、所々ぶるぶると震えるようにちりぢりとなって…ちぢれ髪なもので)、大方の人は(故関白道隆の喪中のため)服色の異なる頃であったので、有るか無きかの薄い鈍色の、かさねても色の区別も見えない衣ばかりをたくさん着重ねていても、つゆも見栄えしない。宮がいらっしゃらないので裳も着ていない袿姿で居るのも、物そこなひにて口惜けれ(ぶち壊しでおきのどくなことよ・まさに、草の庵、粗野な女でしょう)。

 「職の御曹司へですね、参る。ことづけなどありますか。あなたはいつ参りますか」などとおっしゃる。

「それにしても、昨夜未明に、それでも、かねてからそう言ってあるから待って居るだろうと、月がたいそう明るいので、西の京という所より来て、そのまま局の戸を叩いたとき、出て来た女の、かろうじて寝ぼけ起きた様子、応対のはしたなさ」などと語って、わらひ給ふ(お笑いになられる)。

「むげにこそ思ひうんじにしか(やたらうっとしい女だと思ったよ…やたらうっとしい男だと思われたのだな)、どうしてあんな者をば置いといたのだ」とおっしゃる。確かにそうでしょうと、をかしうもいとほしうもありし(おかしいやらおかわいそうでもあった)。しばらく居て退出された。外より見る人ならば、興味深くて内にどんな女人が居るのだろうと思うでしょう。奥の方より見られるわが後ろ姿こそ、外にそのようなご立派な人がとは、思えないでしょうよ。

 くれぬればまゐりぬ(日暮れたので参上した・明るいときは苦手なもので)。御前に人々たいそう多く、殿上人らも侍って居て、物語の良し悪し、難点などを指摘しては貶している。涼、仲忠など(宇津保物語の登場人物)のことを、宮も優劣などを論じておられた。「(少納言殿)先ずは、これは如何に。さっそく判断なされよ。仲忠の童子のころの生活の怪しさを、宮は重大に仰せになっておられます」などというので、「どういたしまして、涼は琴などを天人が降りて来るだけの弾きっぷりで、とっても悪い人です。仲忠のように帝の御娘を得たでしょうか」というと、仲忠方の人も、ところを得て、「そうですとも」などと言っているときに、「そのことなどよりは、昼、斉信が参ったのを見ると、そなたなら・どんなにか愛で惑うであろうかと思いましたよ」と宮が仰せになられると、女房たちも「そうよ、ほんとに、いつもよりも最高よ」などと言う。「まず、そのことを申し上げようと思って参りましたのに、物語のことに紛れて」と、あった事情をお聞かせすれば、女房たち、「ぬひたるいと、はりめまでやは見とほしつる(服の縫い糸や針目までは見通したか…斉信の心の意図や些細なところまで見透かしたか)」、とてわらふ(と言って笑う)。

 西の京のしみじみとしたことを、斉信「もろともに見る人が居たらなあと思いました。かきなども皆ふりて苔おひてなん(垣などもみな古びて苔むしていてねえ牆に地衣有りて)」などと語れば、宰相の君が、「かはらに松はありつや(瓦松有…つまらぬ女いましたか)」と応じたので、いみじうめでて(たいそう愛でて)、「にしのかた、都門をされること、いくばくの地ぞ(西方へ都の門を去ること、どれほどの地か…宮この女とどれほどかけ離れていたことか)」と口ずさんだことなど、女房たちがやかましいくらいに、いひしこそをかしかりしか(言ったのがおかしかったのだ)。


 
言の戯れを知り言の心を心得ましょう

 「だれも見つれど、いとかう、ぬひたるいと、針目までやは見とほしつる……斉信の意図や些細なことまで見透かしているので、女房たちが感心した言葉」「糸…意図」「針目…小さい…些細なこと」「垣なども皆古りて苔おひてなん…牆有衣兮…下女なども古びて苔生えていてねえ」「牆…垣…しょう…松…嬙…下女」「衣…心…地衣…苔」「瓦に松はありつや…白楽天の詩句・牆有衣兮瓦有松を踏まえて、牆に衣有りて、瓦屋に松は有りましたか…下女に情ありて、つまらぬ女房はいましたか」「瓦…瓦家…がれき…玉では無い…つまらぬ人のこと」「松…しょう…嬙…女房女官…まつ…待つ…女」「都門を去ることいくばくの地ぞ…西去都門幾多地…みやこの女とどれほどかけ離れていたことか」「門…女」。



  宰相の君の言葉を、斉信が「いみじう愛でた」のは、ただ、漢詩を知っていたからではない。男の言葉の言の心を心得ているからでしょう。

話題をを提供したので、女たちは、喧しいくらいに色々と言っている。そのことが目的なので満足すべき結果である。

ただし、斉信の方は、これでは収まらないでしょう。


 伝授 清原のおうな
 聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)

 
 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による