帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑 (三百三十五と三百三十六)

2012-09-29 00:05:17 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(三百三十五と三百三十六)


 思ひいづるときはの山の岩つつじ いはねばこそあれ恋しきものを
                                  
(三百三十五)

 (思い出す常盤の山の岩つつじ、岩根こそはあれど散りし花、恋しいなあ……君が思い、出でた時は、変わらぬ山ばの岩つつし、言わないけれど、あれ恋しきもの、お)。


 言の戯れと言の心

 「思ひいづる…思い出す…思火が出て行く」「ときはの山…常盤の山…永い間変わらないさまの山…いつまでも変わらない山ば」「山…山ば」「岩つつじ…岩躑躅…女つつし」「岩…女」「つ…津…女」「し…肢…子」「いはね…岩根…岩にはった根…岩の中の根…いはの中のおとこ…言はね…言わず…言わない」「根…おとこ」「ね…ず…打消し」「こそあれ…在るにはあるが…こそ、あれ…強調、あの物」「恋しきものを…恋しきものだなあ…乞いしきものだなあ…求めし物を」「を…お…おとこ」。

 

 古今和歌集 恋歌一。題しらず、よみ人しらず。女の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、常盤の山の散ったつつじ花を偲ぶ心。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、和合なった後、なお、恋しく思う心。

 

 
忘られば時しのべとぞ浜千鳥 ゆくへも知らぬ跡をとどむる
                                  
(三百三十六)

 (忘れたらその時のこと偲べと、浜千鳥、先どうなるか知れぬ足跡を、砂浜に留めている……和すられれば、その時のこと偲べと、女たどたどしく、先行きもわからぬ文字を書き留めている)。


 言の戯れと言の心

 「わすられば…忘れられれば…見捨てられれば…和すられれば…和合成れば」「浜千鳥…女ちどり…女たどたどしく」「濱…女」「鳥…女」「千鳥あし…たどたどし」「ゆくへも知らぬ…行方わからない…先行きわからない…これからどうなるかわからない」「あと…跡…足跡…筆跡…文字」「とどむる…留める…書き留める…歌を遺す」。


 古今和歌集 雑歌下。よみ人しらず。初句「わすられむ」。女の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、砂浜の千鳥の足跡を見ての感想。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、和合なったか、その時のことを、歌に書き留めた。

 


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑 (三百三十三と三百三十四)

2012-09-28 00:25:11 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(三百三十三と三百三十四)


 あひ見ぬもうきも我が身の唐衣 思ひしらずもとくる紐かな
                                 
(三百三十三)

 (お逢いしない人も嫌な人も、我が身のうわべの色衣、こちらの思いも知らず思われて、ひとりでに解ける紐だこと……合い見ない人も浮かれ人も、わが空しい心身の思いもしらず、とけるおとこかな)。


 言の戯れと言の心

 「あひ…相…お互い…合い…和合」「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい」「ぬ…ず…打消しの意を表す」「うき…憂き…嫌な…うっとしい…浮き…浮かれた」「唐衣…女の色鮮やかな上着…色衣…空衣…うわ衣」「衣…心身を包んでいるもの…心身の換喩…身と心」「とくる…結んでいたものがほどける…溶解する…とぐ…はたす…はてる」「ひも…紐…緒…男…おとこ」「かな…であることよ…感動、感嘆の意を表す」。


 古今和歌集 恋歌五。題しらず、女の歌。

 歌の清げな姿は、男どもの注目の的、お色気たっぷりな女の思い。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、誰もかも、わが空しい思いも知らずとけると嘆く。はかないおとこのさがについての女の思い。

 


 われ死なば嘆け松虫空蝉の 世に経し時の友と偲ばむ
                                  
(三百三十四)

 (我が死ねば、鳴け松虫、空蝉のような儚い世で過ごした時の友と思い、その声を懐かしむよ……我がおとこ死ねば、嘆けよ女の身の虫、空しい背身と夜を過ごした時の、つれあいだなと、懐かしむだろうよ)。


 言の戯れと言の心

 「死なば…死ねば…逝けば…小さなものの死があれば」「なげけ…嘆け…悲しみ泣け…溜息をつけ…乞い願え」「松虫…女の虫…女の身に棲む虫…人の身にはもとより三びきの虫が棲んでいるという、虫の知らせとか、虫が好かんなどと言う時の虫らしい」「松…待つ…女」「空蝉…殻蝉…空背身…むなしいおとこ」「世…夜」「とも…友…伴…つれあい」「偲ばむ…恋い慕うよ…懐かしむよ」。


 古今集の歌ではない。よみ人しらず。男の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、辞世の歌のよう。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、常に、まつ虫から、悲嘆され溜息つかれていた男の開き直り。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑 (三百三十一と三百三十二)

2012-09-27 00:04:57 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(三百三十一と三百三十二)


 思ひやる心や行きて人しれず きみが下紐ときわたるらむ
                                  
(三百三十一)

 (思いやるわが心が、もしかして行って、人に知られず、君の下着の紐を今ごろ解き続けているでしょう……わたしを思いやる心がもしや逝きて、ひとに感知されず、君の下お、解けたまま続くのでしょう、どうしてよ)。


 言の戯れと言の心

 「思ひやる心…わたしが君を思い遣る心…君がわたしを思ってくれる心」「や…疑問の意を表す」「ゆき…行き…逝き」「人しれず…他人に知られず…女に感知されず」「きみが下紐…君の下着の紐…君の下ひも…君のおとこ」「ときわたる…解け続ける…わが中に溶解したまま続く…感知されない状態が続く」「らむ…推量する意を表す…原因理由を推量する意を表す」。


 古今集の歌ではない。よみ人しらず。女の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、人に思われると下紐がひとりでに解けるという俗信の確認。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、張りつめていたものが、わが中でとろけたままであることへの疑問。



 ありはてぬ命待つ間のほどばかり 憂き事しげく思はずもがな
                                  
(三百三十二)

 (在り果てていない我が命、限りを待つ間の時間だけは、世の憂き事を頻繁に思いたくないなあ……中に在り果てたおとこの命、復活待つ間の程だけは、きみは浮きこと頻繁に思わないでほしい)


 言の戯れと言の心

 「ありはて…在り果て…命を全うする…いつまでも同じ情態でいる」「ぬ…ず…打消しの意を表す…ぬ…てしまった…完了の意を表す」「命…男の命…おとこの命」「待つ間…余生の果てるのを待つ間…復活するのを待つ間」「ばかり…だけ…限定の意を表す」「うき…憂き…いやでつらい…浮き…浮かれた」「しげく…絶え間なく…煩わしいほど多く」「もがな…願望を表す」。


 古今和歌集 雑歌下。男の歌。詞書に「つかさ(官職)解けて侍りける時よめる」とある。

 歌の清げな姿は、退職後の余生だけは、のんびり暮らしたい。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、やまばから逝けに堕ちたおとこが、這いあがり再び山ばを目指す間は、力なき蛙状態である。せめ立てないでほしいとのおとこの願い。



 和歌は、ものに包み、このような事柄まで表現できる様式であった。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑 (三百二十九と三百三十)

2012-09-26 00:01:12 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(三百二十九と三百三十)


 思ふとも恋ふとも逢はむものなれや ゆふてもたゆくとける下紐
                                   
(三百二十九)

 (思っても恋しがっても、逢えるのか逢えないものなのか、結ぶ手もだるく解ける下紐よ……思うとも乞うとも、合うのか合わないものなのか、むすぶ手もたるんで、とける下およ)


 言の戯れと言の心

 「思ふ…(君を)思う…(和合を)思う」「恋ふ…恋う…偲び慕う…乞う…求める」「あはむ…逢う…合う…和合する」「ものなれや…(あう)ものだろうか否だめだろう…反語の意を表す」「ゆふて…結う手…結ぶ手…つなぎ合わせる側」「たゆく…たゆみて…だるくなって…たるんで…(君も私も)張りを失って」「とける…解ける…ほどける…(合体していたものが)解消する」「下紐…下着の紐…人に思われると解けるといわれる紐…下緒…下お…おとこ」「紐…緒、綱、縄などと共に男」。


 古今和歌集 恋歌一。題しらず、よみ人しらず。女の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、悩ましき逢えない恋い。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、和合できぬまま、とけゆく下緒についての詠嘆。

 


 あはれてふ言の葉ごとにおく露は むかしを恋ふる涙なりけり
                                   
(三百三十)

 (みすぼらしく哀れという言の葉毎におりる露は、盛んだった昔を恋しく思う涙だったことよ……あゝ感じるというきみの言の葉毎に贈り置く白つゆは、武樫を乞うおとこの涙だったよ)


 言の戯れと言の心

 「あはれ…哀れ…不憫だ…あゝ…感激して発する言葉…感に堪えない」「おくつゆ…降りる露…贈り置くつゆ」「つゆ…露…白つゆ…おとこ白つゆ」「むかし…昔…以前…武樫…強く堅い」「恋ふ…思い慕う…乞う…求める」「なりけり…だったことよ…詠嘆の意を表す」。


 古今和歌集 雑歌下。題しらず、よみ人しらず。男の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、現状を哀れと嘆き、良かった昔を恋う心。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、一過性のおとこのさがに逆らっての懸命な努力を訴えた。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑 (三百二十七と三百二十八)

2012-09-25 00:06:35 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(三百二十七と三百二十八)


 伊勢の海の海人のたく縄うちはへて 苦しとのみや思ひわたらむ
                                  
(三百二十七)

 (伊勢の海の漁師の手繰る縄、延びきって、心配ばかり、思いつづくのだろうか……井背の倦みの、吾女があやつるつな、伸びきって、苦しいとばかり思いつづくようなのだ)


 言の戯れと言の心

 「伊勢…所の名…名は戯れる。井背、女と男」「海…憂み…つらい情態…倦み…うんざりする情態」「あま…海士…海女…吾女…妻」「たく…手繰る…あやつる」「つな…縄…緒、紐などと共に男…おとこ」「うちはへ…引き続く…延びきる…伸びきる…こと切れそうな情態」「くるし…心苦しい…心配だ…胸が苦しい」「む…推量の意を表す…推定するような言い方で、柔らかく遠まわしに言う意を表す」。


 古今和歌集 恋歌一。題しらず、よみ人しらず。第二句「あまのつりなは」。男の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、人の世の心配事は次から次へとつづくのだろうか。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、女と男の仲、うんざりするとき、弱気な男の発言。



 かくしつゝ世をやつくさむ高砂の をのへに立てる松ならなくに
                                  
(三百二十八)

 (こうして、世を過ごし尽くすのでしょうか、高砂の尾根の上に立っている松ではないのに……こうして、夜を過ごし尽くすのでしょうか、あの小高い山ばの峰の上に立っている女ではないのよ)


 言の戯れと言の心

 「世…夜」「つくさむ…尽くすのだろう…はてるのだろう」「たかさごのをのへ…高砂の尾の上…小高い山ばの峰の上…絶頂…京…宮こ」「松…待つ…女」「ならなくに…ではないのに…ではないのだよ…男は女を山ばの京へ送り届けるのが業であるのに未だ成らずよ」。


 古今和歌集 雑歌上。題しらず、よみ人しらず。女の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、わたしの人生、こうして終わってしまうのか、その辺の草木じゃあるまいし。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、今夜はこうして、尽きてしまうの、いまだ山ばの峰に立っていないのに。男に対する女の詰問。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。