帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百二十三〕関白殿

2011-07-20 06:16:42 | 古典

 



                     帯とけの枕草子〔百二十三〕関白殿



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百二十三〕関白殿


 関白殿(道隆)、黒戸(清涼殿黒戸の御所)よりお出になられるということで、女房が隙間なく控えて居るので、「あないみじのおもとたちや、おきなをいかにわらひ給らん(あゝひどい女たちかな、翁をどのように笑い給うのだろうか……あな、ひどい女たちやないか、老いたおとこを、どのようにお笑いになるつもりかな)」と言って、かき分けお出でになられると、戸口ちかき人びと(と口に近い女房たち)、色々の袖ぐちしてみすひきあげたる(色々の袖口して御簾ひき上げている……色気たっぷりの別れに身すをひきあけている)ときに、権大納言(伊周)が御沓とっておはかせになられる。たいそうものものしく清げに、装い美しく、下襲の裾長く引き、所せく(堂々と…所せましと)控えておられる。ああ愛でたい、大納言に沓の世話をおさせになられることよと見ている。山の井の大納言(伊周と異母兄弟)、その御次々のそれほどでない人々、黒いものをひき散らしたように、藤壷(飛香舎)の塀のもとより登華殿の前までひざまずいて並んでいるところに、殿はしなやかにとっても優雅に、御佩刀など整えられ、休んでおられるときに、宮の大夫殿(殿の弟、道長)は、戸の前に立っておられれるので、ひざまずかれないのだろうと見ていると、関白殿が少し歩み出されると、ふとゐさせ給へりしこそ(大夫殿はさっとひざまずかれたのだけは)、いかばかりのむかしの御をこなひのほどにか見奉りしこそいみじかりしか(どれほどの若い頃の弟に対する御行為のほどかと拝見したがすごかったのだ)。

 
 中納言の君(女房)が、き日とてくすしがりおこなひ給しを(忌日ということで薬師如来のもとでお勤めなさったので……女の奇日ということで奇妙がってお勤めなさったので)、「頂戴したいわ、そのずゝ(その数珠…そのすす)、しばしの間。お勤めしてわたしもおめでたい身になりたいの」と借りるといって、女房たち集まって笑うけれど、なおもおめでたい様子だったことよ。宮もお聞きになられて、「仏になりたらんこそは、是よりはまさらめ(仏になればね、この邪気のなさよりは勝るでしょう)」と微笑んでおられるのを、また、愛でたく拝見し奉る。

 
 大夫殿(道長)が殿(兄道隆)の御前で、
居させ給へる(ひざまずかれた)のを、返す返すお聞かせすると、「れいの思ひ人(例のそなたの思慕する人……例の気がかりな人)」といって、わらはせ給し(お笑いになられた)。まして、この後の(道長の)御ありさまをご覧になられれば、ことわりとおぼしめされなまし(道理でとお思いになられるでしょう……気がかりで心配した筋書き通りねとお思いになられるでしょう)。


 言の戯れを知り言の心を心得て、枕草子は読みましょう

 「おきなをいかにわらひ給ふらん…翁を如何にお笑いになられるのかな…一交もままならずでていくとお笑いになるのかな…早く散り落ちて出てゆくとお笑いになられるのかな」「戸口…門口…女」「袖口…別れぎわ…端口」「みす…御簾…身す…女」「あげて…あけて」「中納言の君…風変わりな女房…あだ名は『ひひなのすけ』…雛人形のすけと女たちに笑われる女房(二五四に登場する)」「き日…忌日…誰かの命日…奇日…奇妙な日…月のものの日」「くすし…薬師…奇し…不思議だ…霊妙だ」「くすしがり…薬師(如来)のもと…奇妙がって」「がり…許…がって」「ずゞ…数珠…すす…女おんな」「す…女」「居させ給へる…ひざまずかれる…畏させ給へる…畏怖される」「思ひ人…恋人…気がかりな人…心配な人」。



 道隆のもの言いと振る舞いの特異なさま。中納言の君(女房)の言動の特異なさま。道長の振る舞い、その後のありさまと並べてある。このお三人に共通するのは、振る舞いが常識など超越していること。
三つの話の並べ方にも意味がある。

 

もしも道隆というタガが外れると、道長はどのように振舞うか心配な人であることは、宮も重々感じておられた。


 伝授 清原のおうな

聞書 かき人知らず    (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による