帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの小町集 12 秋の夜も、 13 長しとも

2013-12-31 00:07:43 | 古典

    



               帯とけの小町集



 小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも伝わるでしょう。

 


 小町集
12  


 人とものいふとてあけし、つとめて、かばかり長き夜に何ごとを、よもすがらわびあかしつるぞと、あいなうとがめし人に、

(人と語らって夜が明けた早朝、これほど長い、秋の・夜に、何ごとを、一晩中、もの足りないと言い明かしたのだと、わけもなく咎めた人に……男と情けを交すということで夜が明けた早朝、これほど長い、飽き満ち足りた・夜に、何ごとを、一晩中、ものたりなくてと言い明かしたのだと、愛想もなく咎めた男に)、

 秋の夜も名のみなりけりあひとあへば ことぞもなくあけぬるものを

(秋の夜長も、名目だけだったことよ、逢って語らっていると、何となく夜が明けてしまうので……飽き満ちた夜は、汝の身だけだったわ、逢い合えば、何ごともなく果ててしまったもので)。


 言の戯れと言の心

「ものいふ…言葉を交す…情けを交す」「わびあかす…もの足りずつらいまま果てる」「あかす…夜明けを迎える…限度・限界となる」。

歌「秋…飽き…飽き満ち足り…厭き」「名のみ…名目だけ…汝の身…君の身…おとこだけ」「あへば…逢えば…合えば…合体すれば…和合すれば」「あけぬる…明けてしまう…期限・限度などが来てしまう…果ててしまう」「ものを…のになあ…のでなあ…感嘆・詠嘆の意を表す」。

 



 小町集 13
  

  返し

 長しとも思ひぞ果てぬむかしより あふ人からの秋の夜なれば

(秋の夜は長くとも、人の思いは果ててしまう、昔より、逢う人の思いによる秋の夜の長さだから……もの長くとも、思いは果ててしまう、武樫よりも、合う人の柄によって、長さのきまる・飽きの夜だから)。


 言の戯れと言の心
 「長し…夜が長い…物が長い」「むかし…昔…武樫…強く硬い」「あふ…逢う…合う」「から…柄…によって」「秋…飽き」。


 もとより男の返歌はない。そこで古今集編者の躬恒が返歌を作り、古今集の恋歌三では、二首をただ並べ置いた。小町の歌を活かす為だろうと思われる。また、この歌もそれでこそ活きる。



 『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。

貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。


 藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。


帯とけの小町集 10 山ざとの、 11 秋の月

2013-12-30 00:11:18 | 古典

    



               帯とけの小町集



 小野小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心に伝わるだろう。歌は言の心を紐解けば、帯は自ずと解ける。



 小町集 10 


    山里にて秋の月を
 山ざとのあれたる宿をてらしつゝ 幾夜へぬらむ秋の月影

    山里にて秋の月を詠んだ……山ばの麓にて厭きの月人壮士を

 (山里の荒れている宿を、照らしながら、幾夜経たでしょうか、秋の月光は……山ばの麓の荒れているや門よ、自慢し筒、幾夜経たのかしら、厭きの尽き陰よ)。


 言の戯れと言の心

歌「山…山ば」「さと…里…女…さ門」「と…戸…門…女」「荒れたる…荒廃している…白けている…興ざめしている」「やど…宿…女…屋門…女」「てらしつつ…照らしながら…輝きながら…衒しつつ…見せびらかしつつ…自慢しつつ」「つつ…継続を表す…筒…中空…充実感なし」「秋…飽き…厭き」「月…月人壮士…男…をとこ…突き…尽き」「かげ…影…光…恵み…蔭…陰…陰り…体言止めは余韻に詠嘆の意を表す」。


 

小町集 11

 
    又、
 秋の月いかなるものぞわが心 なにともなきにいねがてにする

   再び秋の月を…その上に厭きのつきを、

(秋の月、如何なるものか、わが心、何でもないのに、眠れなくする……厭きのつき人をとこ、何なのよ、わたしの心、何とも感じないのに、眠れなくする)。


 言の戯れと言の心

「秋の月…上の歌に同じ」「いかなる…如何なる…どのような…どういう…如何に成る…どのように成就する」「なきに…無いので…無いことにより」「いねがてに…寝られないように…寝難く…眠れなく」。

 

このような歌を、大空の秋の月の景色の歌、または月を観賞しての感傷の歌と聞いているかぎり、古今集序文の小町歌批評にそぐわない。われわれが歌の聞き方を根本的に間違えていたのである。古今集などが秘伝となった鎌倉の時代以来のことで、歌の「心におかしきところ」を見失って八百年以上経つ。


 

  『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。


 貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。

 


帯とけの小町集 9 よそにこそ峰の白雲と

2013-12-28 00:08:06 | 古典

     



               帯とけの小町集



 小野小町の歌は、清げに包まれてあるけれども、紀貫之のいう歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心に伝わるだろう。歌は言の心を紐解けば、帯は自ずと解ける。



 小町集 9 


    めのとのとほき所にあるを

よそにこそ峯の白雲と思ひしに ふたりが中にはや立ちにけり

  (乳母が遠い所に居るので……めの門が気のりしないところにあるので)、

(遠い他所によ、峰の白雲はあると思っていたのに、二人の仲に、はやくも立ち遮ったことよ……よそよそしいのよ、山ばの頂上の色褪せた心雲と思った時に、あの人との二人の中で、はや、絶ったことよ)。


 言の戯れと言の心

「めのと…乳母…乳母は一生近くに居るものだけれども、その夫が地方に赴任したりすると遠く離れることになる…めの門…女のと…おんな」「とほき…遠き…よそよそしい…気のりしない」。

歌「峰…山の頂上…山ばの頂上…京」「白…白色…白々しい…色情なし」「雲…心雲…心に煩わしくも湧き立つもの…色情」「二人…乳母と二人…男と二人」「なか…仲…中」「はや…早々に…さっさと…あゝ…感嘆・詠嘆の意を表す」「たち…立ち…断ち…絶ち」「けり…詠嘆の意を表す」。


 乳母はこのようなことを遠慮なく話せる相手である。「それが男の性(さが)よ」と応えるしかないだろう。

 


  『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。

 


 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 

紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のように記した。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。逆に言えば、歌は清げな姿、心の深さ、心におかしきところを味わうものである。


 貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。

 

古今集真名序には、「小野小町之歌、古衣通姫之流也。然艶而無気力、如病婦之著花粉」――小野小町の歌は、いにしえの美女衣通姫の歌の流派である。艶っぽい、にもかかわらず無気力。病める女の目立つ花やかな化粧した如し、とある。
 古
今集仮名序には、「いにしへの衣通姫の流れなり。あはれなる様にて、強からず、いはば、よき女の、悩めるところあるに似たり。強からぬは、女の歌なればなるべし」――小野小町の歌は、昔の美女衣通姫の歌体の流れである。あはれ(哀れな…情愛が深い)ようで、それを強く表現していない。いはば、美女が悩んでいる様子に似ている歌である。(情愛、色情が)強くないのは、女の歌だからだろう、とあった。



帯とけの小町集 8 結びきといひけるものを

2013-12-27 00:08:42 | 古典

    



               帯とけの小町集



  小野小町の歌は、清げに包まれてあるけれども、紀貫之のいう歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、藤原公任のいう「心におかしきところ」として、今の人々の心に直接伝わるだろう。言の心を紐解いてゆけば、歌は自ずと解けるのである。

 


 小町集 8 


   あやしきこといひける人に

 結びきといひけるものを結び松 いかでか君にとけて見ゆべき

   あやしき(奇異な…聞き苦しい)ことを言った男に

 (結んだと言ったのに、結び松、どうして君に、解けて見えるのでしょうか……すでに或る人と・結ばれたと言ったのに、既婚の女、どうして、君にうち解けて、見ることができますか)。


 言の戯れと言の心

「結び…約束…結婚」「松…待つ…女」「とけて…結びめがほどけて…うちとけて…隔てなく親しんで」「見…目で見ること…思うこと…覯…媾…まぐあい」「ベき…べし…推量の意を表す…可能の意を表す」。


 「松」と「見る」の言の心を心得れば、男は何を言って来たかがわかり、どのような気持ちでこの歌を詠んだか、小町の生の心も伝わる。



  『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。

 


 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 「松」が女などとは、非論理的であるとして、あたまから認めないのが学問的思考である。しかし、言葉の孕む意味にいちいち根拠など無い。「言の心」を心得よと言った紀貫之は『土佐日記』で、それとはなしに松の「言の心」を教示している。土佐国に赴任早々女児を病で亡くした。四年ほど経て帰京して、我が家の庭の小松を見て、共に帰れなかった少女を思い、親の詠んだ歌がある(土佐日記一月十六日)。「松…女」であると心得て、その歌を聞くべきである。又は、この歌によって松の「言の心」を心得るべきである。
 生まれしも帰らぬものをわが宿に 小松のあるをみるがかなしさ

「小松…少女」「松…待つ…女」「見る…思う」「かなし…いとほしい…悲しい…哀しい」「さ…接尾語…形容詞などについて名詞をつくる…感動・感嘆の意を表す」。

 

紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。

 

貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。


帯とけの小町集 7 やよやまて山ほととぎす

2013-12-26 00:05:21 | 古典

    



               帯とけの小町集



 古
今集仮名序に、小野小町の歌についての批評文がある。

小野小町は、いにしへの衣通姫の流れなり。あはれなる様にて、強からず、いはば、よき女の、悩めるところあるに似たり。強からぬは、女の歌なればなるべし。

――小野小町の歌は、昔の美女衣通姫の歌体の流れである。あはれ(哀れな…情愛が深い)ようで、それを強く表現していない。いはば、美女が悩んでいる様子に似ている歌である。(情愛、色情が)強くないのは、女の歌だからだろう。


 紀貫之が書いたと思われるこの批評に合致する歌の解釈を志向する。
今では、このような批評に同感できるような小町の歌の解釈は不在である。われわれが和歌を根本的に聞き間違えて居るのではないのか。この観点から、平安時代の文脈に立ち入って、其の時の言語感と歌論に従って小町の歌を全て紐解く、千百年以上前の美女の悩ましい声が、今の人々の心に直接伝わるだろうか。


 

小町集 7

 やよやまて山ほとゝぎすことづてむ われ世の中に住みわびぬとよ

(ちょっと待ってよ、帰る山ほととぎす、ことづけたい、わたくしこの町の中に住み辛いと思うのよ……八百夜そのままでいて、山ばのほと伽す、こと告げたいのよ、わたくし夜の中に、済み辛いのよ)。


 言の戯れと言の心

「やよや…呼びかけのことば…八百夜」「まて…待て…持続して」「やま…山…寺…山ば」「ほととぎす…時鳥・郭公…鳥…女…ほと伽す…男女夜伽す…且つ乞う」「ほ…お…男」「と…門…女」「すみ…住み…(心)澄み…(山ば)済み」「わぶ…心ぼそく思って嘆く…つらく思う…しづらい…し難い」「とよ…と思うのよ…念を押す意を表す…だよ…感嘆を表す」。


 古今集には、作者、三国の町とある。仁明天皇の后で、常康親王の母、紀種子とすると、小町がお仕えしていた人かもしれない。すると、歌は小町の代作となる。

 


 『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 古今和歌集撰者の一人、壬生忠岑のほととぎすの歌を聞きましょう。同じ言の心で詠まれてあるはずである。古今集 夏歌、
 くるゝかと見ればあけぬる夏の夜を あかずとやなく山郭公
 
(暮れたかと思えば明けてしまう夏の夜を、飽き足りないとや、鳴く山ほととぎす……来る、繰るかと見れば、明けてしまった撫づの夜を、飽き足りないとか泣く、山ばのほと伽すひと・且つ乞う)。
 言の戯れと言の心
 
「くる…暮る…来る…繰る…繰り返す」「見る…思う…まぐあう」「見…覯…媾」「なつ…夏…撫づ…愛撫…懐」「あかず…飽きない…飽き満ち足りない…満足できない」「鳴く…泣く」「山…山ば」「郭公…かっこう…ほととぎすのこと…且つ恋う…且つ乞う」「鳥…女」。

  紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。


 貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。