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伊勢物語の秘儀
伊勢物語や古今和歌集などの歌のほんとうの意味は、鎌倉時代に秘伝となって、やがて埋もれ木となって朽ち果てた。国学も国文学もそれを解き明かすことはできないままである。その解明方法が対象には適合していないからである。
和歌の意味が秘義となる以前に帰って、平安時代の人々は、物語や歌をどのように享受していたかということからはじめる。
清少納言の言語観
清少納言は枕草子第三章に言語観を述べている。
「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉には必ず文字余りたり。足らぬこそをかしけれ」。
次のように読むことができる
同じ一つの言葉でも、聞き耳によって(意味の)異なるもの、それは、法師の言葉、男の言葉、女の言葉(われわれの言葉は全て、気ままに字義以外の意味に戯れる)。その圏外の衆の言葉は(文字にすると踏まえられていない)文字(の意味が)必ず余るのである。言葉足らずである方が、(業平の歌のように)おかしいことよ。
国文学は上のようには読まない。
同じ一つの言葉でも、聞き耳によって(聞く感じの)異なるもの、それは、法師の言葉、男の言葉、女の言葉(職域や性別によって言葉のイントネーションなどが異なるのである)。下衆の言葉は無駄が多く長たらしい。言葉少なである方がいいことよ。
今の人々は、清少納言と言語観も言語感覚も異なっているため、言語観を述べた文も表層の意味に読み違える。そして同じ「伊勢物語」を読みながら、その読後感が全く異なるのである。
清少納言の言語感覚で、「伊勢物語」の初段を読み直してみよう。一つの言葉に多様な意味がある、それらを踏まえながら、一つの文章や歌から複数の意味を読み取る。清少納言が「恨んでいる男のいやがらせか」と思い、大方の女たちが「主人公の心は最低よ」とくさしたくなる内容の片鱗が見える。
伊勢物語初段の秘義
昔、をとこ(男…おとこ)、うゐかうぶり(初冠・元服…初々しい被りもの)して、平城の京、春日の里に、しるよしして(領地があったので…知り合いだったので・或る男と)、かり(狩り…めとり)に行った。そのさと(その里…さ門)に、とっても艶かしい、をんなはらから(姉妹…女の血を分けたもの)が、すみけり(住んでいた…棲んでいた)。この男、かひま(垣間…貝間)見た。意外にも、ふるさと(古里…生まれたところ)にはまったく相応しくなかったので心地が惑うた。男が着ていた狩衣の裾を切って、歌を書いて遣る。その男、しのふずりのかりきぬ(しのぶ摺り染めの狩衣…忍ぶ摺りのかり心地)きていたのだった。
かすが野の若紫の摺り衣 しのぶの乱れ限り知られず
(春日野の若紫草の摺り染め衣、あなたを偲ぶ乱れ心も限り知れない……春日野の若紫立つものの擦りここち、忍ぶの淫れ限り知れない)。
となむをいつきて(とだ大人びて…なんて感極まって)言い遣ったのだった。ついでおもしろいこととでも思ったのか、(女の返歌…連れの男の歌)、
みちのくのしのぶもぢ摺り誰ゆへに 乱れ染めにしわれならなくに
(陸奥のしのぶ文字摺り誰の所為、乱れ染めにしたのは、女のわたしではないのに……陸奥の忍ぶ文字擦りのように乱れたのは誰のせいだ、淫らに白染めにしたのは、まろではないからな)。
という。おもしろいのは歌の心のありさまである。むかし人(むかしの人…あの男と我の若い頃)は、このように、いちはやきみやび(早速の雅なこと…激しい雅でないこと)をだ、したのだった。
清少納言のいう、聞き耳によって意味の異なるほどに戯れる女の言葉で語られ、歌は詠まれてある。言葉の戯れと言の心を紐解く。
「をとこ…男…おとこ…男の身の一つのもの」「うゐかうぶり…うひかうぶり…初冠(元服)…おとこの初々しい被りもの…有為かぶり…はかない仮の被りもの」「しる…領る…知る」「かり…狩…刈、漁、採、摘、引などと共に、めとり、娶り」「かいま…かひま…垣間…峡間…貝間…女」「貝…ほやの妻の貽貝すし・すしあわび(土佐日記一月十三日、身を清めるために衣を脛まで上げて海に入った女たちが海神に見せてしまったもの)」「さと…里…生まれたところ…女…さ門」「しのぶずり…しのぶ摺り…染色方法の名…忍ぶ擦り…ひとりでの淫らな行為」「かすがの…春日野…藤原氏の氏神の鎮座するところ」「わかむらさき…若紫草…染料…若紫だつもの…おとこ」「すり…摺り…擦り」「衣…心身を包むもの…心身の換喩…身と心」「乱れ…淫れ」「をいつきて…おいづきて…老いづきて…大人ぶって…追いづきて…終い尽きて…ものの極みとなって…感極まって」「いちはやきみやび…早速の雅…早熟な雅…激しい雅…雅ではないこと」。
二首目の歌は、業平より三歳ばかり年長の源融の歌を引用して、女の返歌とも利己的な連れの男の歌とも聞こえるように、悪意ある変形利用がされてある。本歌は「みちのくの忍ぶもぢずりたれゆへにみだれむと思ふ我ならなくに」で、古今集にも採歌され恋歌四に収められてあるように恋歌。「貴女を偲ぶわが心のこの乱れは誰のせいなのか、乱れようと思うのは我ではないのに(貴女のせいですよ)」という。どちらかといえば、この恋の表現も利己的ではある。
初段だけではもの足りないので、伊勢物語第三章も読み直そう。
伊勢物語第三段の秘儀
むかし、をとこありけり。けさうじける(懸想した…怪相した)女のもとに、ひじきも(ひじき藻…ひしゃがった毛)といふものをやるとて、
思ひあらばむぐらの宿に寝もしなむ ひしきものには袖をしつつも
(互いに思いがあれば葎の生えた宿でも共寝するだろう、引く敷き物には衣の袖をしてでも……そちらに思いがあるならば、葎のはえたやどで、共寝もしょう、ひしゃがったものには袖をかぶせつつな)
言が戯れることを知り、言の心を心得れば、歌と物語の本音が聞こえる。
「けさうしける…懸想した…化粧した…怪相した…おばけ顔した」「ひじきも…ひじき藻…ひしぎ毛…ひしやがった毛」「むぐらのやど…荊の宿…荒れた女…ひどいや門」「むぐら…荊…ほめ言葉ではない」「やど…宿…やと…屋門…女」「しなむ…きっとするだろう…強く推量する意を表す…したいものだ…その事態の実現を強く望む意を表す」。
このように、伊勢物語の百余りある章段を読み進めば、やがて、おとこの赤裸々な心身の有様や、女を恨んだり罵倒したりする有様が見え、主人公(作者)は色好みで淫れがましく最低の心だと言いたくなる事がわかる。清少納言や紫式部など、この時代の大人の女たちと読後感を同じくすることができるのである。
伊勢物語の歌も文も、大方は、在原業平の仕業と思っていい。「いせの物語」は、「在五中将日記」「在五が物語」と言われるとおりである。業平の歌は「その心余りて、言葉足らず、萎める花の、色なくて匂い残れるがごとし」という紀貫之の古今集仮名序での批評も、妥当と思えるようになる。
伊勢物語の「言葉」は、平安時代のこの文脈で生きていた意味で用いられてある。その「言葉」の意味は、江戸時代の国学に始まり近代から現代の国文学的方法(合理的思考、論理実証的方法)で解明できる対象では無い。言が複数の意味に戯れることを利して語られてある物語や歌なのに、唯一正当な言の意味を探求しようとする方法では、決して解き明かすことはできない。
伊勢物語の清げな衣だけが見えて中身の人の心の裏が見えない読み方を、都が江戸に移って以来、すでに数百年続けてきた。今では、国文学的解釈や注釈による読み方が正当だと誰もが思っているが、清少納言や紫式部の読んでいたほんとうの「伊勢物語」は埋もれたままなのである。
この断章はもう少し続けるが、反国文学的である。勉学途中の諸君は読まない方がいいかもしれない。国文学の研究や教育に係ってっている方や、係わろうとする若い方には是非読んでほしい。