帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

伊勢物語の秘儀(二)

2013-02-28 06:09:43 | 古典

    



             伊勢物語の秘儀



 伊勢物語や古今和歌集などの歌のほんとうの意味は、鎌倉時代に秘伝となって、やがて埋もれ木となって朽ち果てた。国学も国文学もそれを解き明かすことはできないままである。その解明方法が対象には適合していないからである。

和歌の意味が秘義となる以前に帰って、平安時代の人々は、物語や歌をどのように享受していたかということからはじめる。



 清少納言の言語観

清少納言は枕草子第三章に言語観を述べている。

同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉には必ず文字余りたり。足らぬこそをかしけれ」。

次のように読むことができる

同じ一つの言葉でも、聞き耳によって(意味の)異なるもの、それは、法師の言葉、男の言葉、女の言葉(われわれの言葉は全て、気ままに字義以外の意味に戯れる)。その圏外の衆の言葉は(文字にすると踏まえられていない)文字(の意味が)必ず余るのである。言葉足らずである方が、(業平の歌のように)おかしいことよ。

国文学は上のようには読まない。

同じ一つの言葉でも、聞き耳によって(聞く感じの)異なるもの、それは、法師の言葉、男の言葉、女の言葉(職域や性別によって言葉のイントネーションなどが異なるのである)。下衆の言葉は無駄が多く長たらしい。言葉少なである方がいいことよ。


 今の人々は、清少納言と言語観も言語感覚も異なっているため、言語観を述べた文も表層の意味に読み違える。そして同じ「伊勢物語」を読みながら、その読後感が全く異なるのである。


 清少納言の言語感覚で、「伊勢物語」の初段を読み直してみよう。一つの言葉に多様な意味がある、それらを踏まえながら、一つの文章や歌から複数の意味を読み取る。清少納言が「恨んでいる男のいやがらせか」と思い、大方の女たちが「主人公の心は最低よ」とくさしたくなる内容の片鱗が見える。


 伊勢物語初段の秘義

昔、をとこ(男…おとこ)、うゐかうぶり(初冠・元服…初々しい被りもの)して、平城の京、春日の里に、しるよしして(領地があったので…知り合いだったので・或る男と)、かり(狩り…めとり)に行った。そのさと(その里…さ門)に、とっても艶かしい、をんなはらから(姉妹…女の血を分けたもの)が、すみけり(住んでいた…棲んでいた)。この男、かひま(垣間…貝間)見た。意外にも、ふるさと(古里…生まれたところ)にはまったく相応しくなかったので心地が惑うた。男が着ていた狩衣の裾を切って、歌を書いて遣る。その男、しのふずりのかりきぬ(しのぶ摺り染めの狩衣…忍ぶ摺りのかり心地)きていたのだった。

かすが野の若紫の摺り衣 しのぶの乱れ限り知られず

(春日野の若紫草の摺り染め衣、あなたを偲ぶ乱れ心も限り知れない……春日野の若紫立つものの擦りここち、忍ぶの淫れ限り知れない)。

となむをいつきて(とだ大人びて…なんて感極まって)言い遣ったのだった。ついでおもしろいこととでも思ったのか、(女の返歌…連れの男の歌)、

みちのくのしのぶもぢ摺り誰ゆへに 乱れ染めにしわれならなくに

(陸奥のしのぶ文字摺り誰の所為、乱れ染めにしたのは、女のわたしではないのに……陸奥の忍ぶ文字擦りのように乱れたのは誰のせいだ、淫らに白染めにしたのは、まろではないからな)。

という。おもしろいのは歌の心のありさまである。むかし人(むかしの人…あの男と我の若い頃)は、このように、いちはやきみやび(早速の雅なこと…激しい雅でないこと)をだ、したのだった。


 清少納言のいう、聞き耳によって意味の異なるほどに戯れる女の言葉で語られ、歌は詠まれてある。言葉の戯れと言の心を紐解く。

「をとこ…男…おとこ…男の身の一つのもの」「うゐかうぶり…うひかうぶり…初冠(元服)…おとこの初々しい被りもの…有為かぶり…はかない仮の被りもの」「しる…領る…知る」「かり…狩…刈、漁、採、摘、引などと共に、めとり、娶り」「かいま…かひま…垣間…峡間…貝間…女」「貝…ほやの妻の貽貝すし・すしあわび(土佐日記一月十三日、身を清めるために衣を脛まで上げて海に入った女たちが海神に見せてしまったもの)」「さと…里…生まれたところ…女…さ門」「しのぶずり…しのぶ摺り…染色方法の名…忍ぶ擦り…ひとりでの淫らな行為」「かすがの…春日野…藤原氏の氏神の鎮座するところ」「わかむらさき…若紫草…染料…若紫だつもの…おとこ」「すり…摺り…擦り」「衣…心身を包むもの…心身の換喩…身と心」「乱れ…淫れ」「をいつきて…おいづきて…老いづきて…大人ぶって…追いづきて…終い尽きて…ものの極みとなって…感極まって」「いちはやきみやび…早速の雅…早熟な雅…激しい雅…雅ではないこと」。


 二首目の歌は、業平より三歳ばかり年長の源融の歌を引用して、女の返歌とも利己的な連れの男の歌とも聞こえるように、悪意ある変形利用がされてある。本歌は「みちのくの忍ぶもぢずりたれゆへにみだれむと思ふ我ならなくに」で、古今集にも採歌され恋歌四に収められてあるように恋歌。「貴女を偲ぶわが心のこの乱れは誰のせいなのか、乱れようと思うのは我ではないのに(貴女のせいですよ)」という。どちらかといえば、この恋の表現も利己的ではある。

初段だけではもの足りないので、伊勢物語第三章も読み直そう。


 伊勢物語第三段の秘儀

むかし、をとこありけり。けさうじける(懸想した…怪相した)女のもとに、ひじきも(ひじき藻…ひしゃがった毛)といふものをやるとて、

思ひあらばむぐらの宿に寝もしなむ ひしきものには袖をしつつも

(互いに思いがあれば葎の生えた宿でも共寝するだろう、引く敷き物には衣の袖をしてでも……そちらに思いがあるならば、葎のはえたやどで、共寝もしょう、ひしゃがったものには袖をかぶせつつな)

 
 言が戯れることを知り、言の心を心得れば、歌と物語の本音が聞こえる。

「けさうしける…懸想した…化粧した…怪相した…おばけ顔した」「ひじきも…ひじき藻…ひしぎ毛…ひしやがった毛」「むぐらのやど…荊の宿…荒れた女…ひどいや門」「むぐら…荊…ほめ言葉ではない」「やど…宿…やと…屋門…女」「しなむ…きっとするだろう…強く推量する意を表す…したいものだ…その事態の実現を強く望む意を表す」。


 このように、伊勢物語の百余りある章段を読み進めば、やがて、おとこの赤裸々な心身の有様や、女を恨んだり罵倒したりする有様が見え、主人公(作者)は色好みで淫れがましく最低の心だと言いたくなる事がわかる。清少納言や紫式部など、この時代の大人の女たちと読後感を同じくすることができるのである。


 伊勢物語の歌も文も、大方は、在原業平の仕業と思っていい。「いせの物語」は、「在五中将日記」「在五が物語」と言われるとおりである。業平の歌は「その心余りて、言葉足らず、萎める花の、色なくて匂い残れるがごとし」という紀貫之の古今集仮名序での批評も、妥当と思えるようになる。
 
 伊勢物語の「言葉」は、平安時代のこの文脈で生きていた意味で用いられてある。その「言葉」の意味は、江戸時代の国学に始まり近代から現代の国文学的方法(合理的思考、論理実証的方法)で解明できる対象では無い。言が複数の意味に戯れることを利して語られてある物語や歌なのに、唯一正当な言の意味を探求しようとする方法では、決して解き明かすことはできない。

伊勢物語の清げな衣だけが見えて中身の人の心の裏が見えない読み方を、都が江戸に移って以来、すでに数百年続けてきた。今では、国文学的解釈や注釈による読み方が正当だと誰もが思っているが、清少納言や紫式部の読んでいたほんとうの「伊勢物語」は埋もれたままなのである。


 この断章はもう少し続けるが、反国文学的である。勉学途中の諸君は読まない方がいいかもしれない。国文学の研究や教育に係ってっている方や、係わろうとする若い方には是非読んでほしい。


伊勢物語の秘儀(一)

2013-02-27 06:02:42 | 古典

    


             伊勢物語の秘儀



 和歌を中心とした古典文芸は、国学や国文学によって解き明かされてきたけれども、それは表層の意味である。『伊勢物語』『枕草子』『新撰和歌集』『金玉集』などを「帯とけの」と称して伝授聞書のかたちで、その深秘なるところを書き続けてきた。この間、聞書き人として気付いた事柄を断片的に記すことにする。


 伊勢物語や古今和歌集などの歌のほんとうの意味は、鎌倉時代になると一般には解らなくなった。歌の享受の方法や歌言葉の意味は、秘事となって、幾つかの歌の家に埋もれた。それらは、伊勢物語伝授や古今伝授と称する個人的講義(相伝)によって、秘義が口伝として伝授されることになった。和歌には、もとより字義から聞きとれるような意味だけではない秘儀に成り易い意味があったためである。絶艶、心におかしきところ、余情、下の心、秘々中の深秘などと古来から云われてきた事柄である。それらは口伝を受けても「秘すべし」といわれるままに、埋もれ木となってしまった。秘儀は今も埋もれたままである。国学も国文学もそれを明らかにはできていない。


 歌の意味が秘義となる以前に帰って、平安時代の人々は、物語や歌をどのように享受していたかということからはじめよう。

 

 

 清少納言の伊勢物語読後感

 
 「伊勢物語」を清少納言は、どのように読んでいたか、その読後感を窺える記述が枕草子(第七十八)にある。要約して示す。

 

 頭の中将藤原斎信が、あらぬ噂を聞いて恨んいた。恨まれるようなことは言っていないので、笑って聞き過ごしていたところ、出逢っても声がすると袖で顔を隠すなどして顔も見せたくないというありさま、そんな頃、「これ、頭の中将より。すぐにご返事を」と使いが文を持って来た。ひどく憎んでいるものを、如何なる文だろうと思ったが、そのうちに返事はすると、使いを帰したところ、立ち返り来て、返事をもらえないのなら、その文をすぐ取り戻せといわれたと言うので、「いせのものがたりなりや(伊勢の物語だろうか)」と思って開けて見れば、清よげに漢詩など書いてあった(予想は外れた)、心ときめきしつる(胸がどきどきしてしまった)さまにもあらざりけり(内容ではなかったのだった)。

 

「伊勢物語」は、女を侮辱し、時には罵倒することや、男女の心と身の赤裸々な有り様が描かれてある、と読んでいれば、「心ときめきしつる」はその為だとわかり、女を恨んでいる男の書きそうな「伊勢の物語なりや」と思ったのは当然と思える。しかし、国文学は「伊勢物語」を、そのように読まないので、「いせのものがたりなりや」を理解できない。伊勢物語の現在の国文学的解釈は、ほぼ正当であると誰もが思っていて、決して、国文学の伊勢物語解釈が間違っているのではないか、別の読み方をすれば清少納言と読後感を同じくできるのではないかという方向には進まない。清少納言の言う「いせのものがたり」は誤写かと疑い別の物語の事だろうとして、この場面を一件落着にしてしまう。

今では、「伊勢物語」の清げな姿しか読み取ることが出来なくなって、清少納言の読後感とは異なってしまっているために、「伊勢物語なりや」の意味も読み取れなくなったのである

 

紫式部の伊勢物語読後感


 紫式部は、「伊勢物語」にどのような印象をもっていたかを、窺い知ることの出来る場面が「源氏物語」の絵合の巻にある。
左右に別れ、絵巻物の「伊勢物語」と「正三位物語」について優劣を論じ合う場面である。


 右方の「正三位物語」は、おもしろく、賑わいがあって、内裏の周辺の近き世のことが書いてあるのは興味があって、見所が勝っている。

左方の平内侍「伊勢の海の深き心をたどらずてふりにし跡と波や消つべき。世の常のあだごとの、ひき繕ひ飾れるにおされて、業平が名をや腐すべき(伊勢物語の海のような深い心を辿らずに、古い過去のことと世の波などが消していいのでしょうか。世の常のあだごとが取り繕い飾られてある正三位物語ごときに圧倒されて、業平の名を腐していいのでしょうか)」と争いかける。

右方の典侍「雲の上に思ひのぼれる心には千尋の底も遥かにぞ見る(正三位の雲の上のような心に比べますと、伊勢の主人公の心なんて、遥か下、千尋の底、最低と思いますわ)

藤壺の宮「兵衛の大君の心高さは、げに、捨てがたけれど、在五中将の名をば、えくたさじ(正三位物語の主人公の気高さは、確かに捨て難いけれど、在五中将〈業平〉の名を貶し朽ちさせることはできません)」と仰せになって、宮、

みるめこそうらふりぬらめ年へにし 伊勢をのあまの名をや沈めむ

(海松藻こそ、寂しがるでしょう、年経た伊勢の海女が、業平の名声を沈めるのでしょうか……見る女こそ寂しいでしょう、疾しへた井背おの吾間が、汝を沈没させるのかしら)

女の言葉にて、みだりがましく争う。

 

歌の言葉(女の言葉)は戯れている。

「みるめ…海藻の名…見る女」「見る…まぐあう」「め…女」「とし…年…歳…疾し…早過ぎ」「あま…海人…海女…吾間…あが股間」「な…名…汝…親しい物のこと…おとこ」「や沈めむ…おとしめるだろうか…沈没させるだろうか」。

 

登場人物の台詞に、紫式部の伊勢物語読後感が顕われている。「伊勢物語」は、普通に女たちが下劣と貶すような物語である。それは清少納言と同じである。しかし、この世から消してしまえるような物語では無い「深い心」があるというのが、紫式部の伊勢物語読後感である。

 

清少納言や紫式部の「伊勢物語」の読後感は、今の人々が国文学の注釈や解釈で読む清げな「伊勢物語」とは別物と思えるほど異なっている。それは、伊勢物語の下の心が見えているか見えていないかの違いである。

清少納言や紫式部と同じ印象をもてるような「伊勢物語」の解釈こそ正当である。どうすれば、最低だと腐したくなり、且つ捨て難い物語だという読み方が出来るのだろうか。


帯とけの土佐日記 二月十六日 夜

2013-02-23 00:07:15 | 古典

    



                                      帯とけの土佐日記


 土佐日記二月十六日夜(夜ふけてくれば)

 
夜が更けてくるので、所々を見物することは出来ない。京にいりたちてうれし(京に立ち入って嬉しい…宮こに立ち入ってうれしい)。我家に至って門に入ると、月が明るいのでよく有様が見える。聞いていたのよりも増して、いふかひなくぞ(言ってもしかたがないほどよ)、壊れ破れている。いへにあづけたりつるひとのこゝろもあれたるなりけり(家の管理に託していた隣人の心も荒れていたのだった)。中垣はあっても、一つの家のようだから、望んで預かったのである。それでも便り毎に物も絶えず贈り届けていた。今宵は、「このような事」と、声高にものを言わせないようにする。たいそう辛く思えるけれど、寸志はしようとする。

さて、池のように窪んで水たまりがある。辺に松もあった。五、六年のうちに千年も過ぎたのかしら、片一方は無くなっていた。いま生えたのが混じっている。大方みな荒れていたので、「あはれ(あゝあ)」と人々は言う。思い出さないこととてなく、思い出すこと懐かしく思ううちに、この家にて生まれた女児、もろともに帰らないので、どれほど悲しいか。

船に乗ってきた人もみな、子供も集まって騒いでいる。こうするうちに、なおも悲しさに絶えられずに、秘かに、こゝろしれるひと(気心知った人…夫)と言った歌、

むまれしもかへらぬものをわがやどに こまつのあるをみるがゝなしさ

(生まれた者も帰らないのに、わが家に小松のあるのを見る悲しさよ……生まれた者も帰らないのに、可愛い少女のような小松を見るせつなさよ)

と言った。なほあかずやあらむ(なお飽き足りないでしょう)、またこのように、

みしひとのまつのちとせにみましかば とほくかなしきわかれせましや

(この世で見た人を松の千歳に看護していれば、永遠の悲しい別れをするでしょうか……見し男が、まつの千年の寿命のように見ているならば、疎遠で、せつない別れをするかしらね)

忘れ難く、口惜しい事は多くあるけれども、言い尽くせない。どうであるにせよ、とくやりてむ(日記を・早く破ってしまおう…憂いを・早く晴らそう)。

 

言の戯れと言の心
 
「京…極まり至るところ…宮こ」「いへにあづけたりつるひとのこころ…家の保全に託した隣人の心」「あづずく…管理や保全をたのむ…託す」。

「こころしれるひと…気心知った人…わが夫…いつもは下劣な歌を詠む人」。

「こまつ…小松…かわいい女…少女」「松…言の心は女…待つ」「かなしさ…悲しさ…せつなさ…愛おしさ」。

「みしひと…この世に見たひと…生まれた我が子…見し人…覯し夫」「まつのちとせ…松の千歳の寿命…女の長いいのち」「見ましかば…看護していれば…和合していれば」「見る…看る…看護する…覯する…媾する…まぐあう」「とほく…遠く…疎遠な…親密で無い」「わかれ…今生の別れ…身を焼くよりもかなしきは宮こしまべの別れなりけりと『伊勢物語』の女はいうが、その宮こ近くでの別れ」。

 「とくやりてむ…とく破りてむ…とく遣りてむ…早くこのような気を晴らそう」「やり…破り…遣り…心やり…うさばらし」「てむ…意志・当然などを表わす…してしまおう…するべきでしょう」。


 伝授 清原のおうな
 
聞書 かき人知らず(2015・11月、改定しました)

 
原文は青谿書屋本を底本とする新日本古典文学体系 土佐日記による。


 
聞書き人のあとがき


 これより後の世に、道綱の母、清少納言、和泉式部、紫式部らは、心に思うことをものに書きつけた。其の文芸の素養は和歌の表現方法に育まれたことは確かである。貫之の「とさの日記」も、きっと影響しているでしょう。

 
 和歌と仮名文を構成する「女の言葉」は、聞く耳によって(意味が)異なる(ほど戯れる)ものであるという清少納言の言語観で、これらの文芸は読むべきである。

 さらに後の世に、歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、(その戯れに)ことの深き旨も顕れる。顕れるのは煩悩であるが、(自覚した)煩悩は即ち菩提(悟りの境地)であるという、藤原俊成の和歌観で、これらの人々の歌を聞くべきである。


 後々の世の国学と国文学は、貫之や公任の歌論をないがしろにして、清少納言や俊成の言語観を無視して、この時代の言葉の、唯一の正当な意味を求めようとして数百年経った。彼らは確たる意味のある解釈に近づいているのだろうか、少なくとも論理実証的な其の方法は間違っていないと誰もが思いたくなる。しかし、対象とするこの時代の文芸は、言葉の意味の不確定性を利して、複数の意味を表したものだとしたら、国文学の歌の解釈も歌物語の解釈も、根本的に違っていることになる。
 一連の帯とけと称する古典解釈の試みは、反国文学的解釈である(特に受験生諸君はご注意ください)。



帯とけの土佐日記 二月十六日 夕方

2013-02-22 00:06:59 | 古典

    



                          帯とけの土佐日記


 土佐日記 二月十六日(今日の夜さつかた)

 十六日。今日の夕方、京へ上るついでに見ると、山崎の、こひつのゑもまがりのおほぢのかたも(小筆の絵看板も曲がりの大路の形も…こふでの柄も曲がりの大路の方々も)変わっていなかったことよ。うりびとのこゝろをぞしらぬ(売り人の気が知れない…あんなもの売るひとの気が知れないわ)、とぞいふなる(わが女たちは・と言っているようである)。こうして京へ行くときに、島坂にて、ひとあるじしたり(女がもてなしていた…小筆の枝どもを大路の女がもてなしていた)。かならずしもあるまじきわざなり(必ずしもこの世にあるべきとは限らない職業である……できればこの世に無い方がいい生業である)。出発していく時よりも、帰り来るときは、ひとはとかくありける(男どもは兎角あるのだった…帰り船の男どもは兎に角あるのだねえ)。これにもかえりごとす(このようなことにもお返しをする…このような事の代金をも払う)。


 言の戯れと言の心

 「こひつのゑ…小筆の絵…筆の絵看板か…小おとこの枝…男をさげすむ言葉…船着場にたむろする男たち」「こ…小…ほめ言葉ではない」「ひつ…筆…おとこ」「ゑ…絵…絵看板…柄…枝…身の枝…おとこ」「まがりのおほぢのかた…曲がっている大路の形…まともでないおお路の女たち」「まがり…曲がり…正常ではない」「大…ほめ言葉ではない」「ぢ…路…通い路…おんな」「かた…形…ようす…方…ひとたち…帰り船の男どもを相手にする女たち」「うりびと…売り人…春を売る人」「ひとあるじしたり…女、男をもてなした」「あるまじきわざ…あるべきではない業」「わざ…業…職…技」「ひとはとかくありける…男は兎角あるものだったのだ…帰り船の男どもには兎に角が生じるものだったねえ」「これにもかえりごとす…これにも返り事する…春買うことにも代価を払う」。


 物で包むように表現してあるが、現実の情況を綺麗ごとに取り繕ったりしない。言葉の戯れに生の情況が顕れる。これらの文は和歌の表現方法と同じである。


 夜になって京に入ろうと思うので、急ぎはしない、時に月が出た。かつらかはつきのあかきにぞわたる(桂川、月の明るいときに渡る…かつらかは、つき人壮士の元気なときにわたる)。人々の言うことは、「このかは、あすかがはにあらねば、ふちせかわらざりけり(この川、飛鳥川ではないので淵瀬は変わらないことよ)」と言って、あるひと(或る女)の詠んだ歌、

ひさかたのつきにおひたるかつらかは そこなるかげもかはらざりけり

(久方の月に生えている桂の、かつら川、底に映る月影も変わらないことよ……久堅のつきひと壮士に感極まる、且つらかは、そこにあるつきの陰も変わらず健在だことよ)。

また、あるひと(或る男)が言う、

あまくものはるかなりつるかつらかは そでをひてゝもわたりぬるかな

(天雲のように遥か遠かった桂川、袖を浸して、いま渡ったのだなあ……あまの心の雲のはるかに限りない且つらかは、身の端ぬらして、わたったことよ)。

またあるひと(或る女)が詠んだ、

かつらかはわがこゝろにもかよはねど おなじふかさにながるべらなり

(桂川、我が心には通じていないけれど、心は同じ深さで流れているようねえ……且つらかは・なおもかは、わが心には似ていないけれど、同じ情の深さで流れているようねえ)。

京の嬉しさあまって、うたもあまりぞおほかる(歌も余りにも多く有る…歌も余情が多くある)。


 言の戯れと言の心

「かつらかは…桂川…且つらかは…猶も又の情態の女」「ら…状態を表わす」「かは…川…女…反語・疑問の意を表わす」「月…壮士…男」「あかき…明るい…赤き…元気な」「わたる…渡る…女のもとへ行く…やまば越える」「飛鳥川…流れの変わりやすい川…世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる(古今集)…男女の夜の仲は何か常なる、飛ぶ鳥の女かは、昨日の深情よ今日は浅くなる」「ふちせ…淵瀬…深淵浅瀬…深なさけと薄情さ」「ふち…女」「せ…男」。

「ひさかた…久方…久堅(万葉集では天や月の枕詞として多くはこのように表記されてある)」「つき…月…月人壮士…おとこ…突き」「おひ…生える…感極まる」「そこ…底…其処」「かげ…月影…月光…陰…おとこ」。

「あまくも…天雲…女の欲」、「くも…雲…心の雲…煩わしくも心にわきたつ思い」「そで…袖…端…身のそで」「わたる…渡る…達する…やまば越える」。

「かよはねど…通じていないけれど…似てないけれど」「ふかさ…水深…情の深さ」「ながる…流れる…同じ時が流れる…同じ思いが流れる」「べらなり…推量の意を表わす」。

「うたもあまりぞおほかる…(嬉しさ余って)歌数もあまりにも多くある…歌も余分な情が多くある…余情が過剰である」。


 桂川を渡った所で一休みして歌が始まったようである。題は桂川。京に至ったよろこびを表現する。それぞれ添えられた余りの情は性愛のよろこび、これが過剰だと言う。


 伝授 清原のおうな
 聞書 かき人知らず(2015・11月、改定しました)

 
原文は青谿書屋本を底本とする新日本古典文学体系 土佐日記による。


帯とけの土佐日記 二月十二日~十五日

2013-02-21 00:31:55 | 古典

    



                             帯とけの土佐日記


 土佐日記二月十二日~十五日(山崎に泊れり)


 十二日。山崎に泊まった。


 十三日。やはり山崎に。


 十四日。雨が降る。今日、車を京へ取りに遣る。


 十五日。今日、車を京より率いて来た。船がうっとうしいので、船より他人の家に移る。この人の家、喜ぶように、あるじしたり(もてなしをした)。このあるじ(この主人)の、また、あるじ(もてなし)の良さをみると、うたておもほゆ(異様に感じる)。いろいろとお返しをする(代金を払う)。家の人の振る舞い、悪い感じはない。ゐやゝかなり(礼儀正しいのである)。


 言の戯れと言の心

 「あるじ…饗応…主人」「うたておもほゆ…過剰で普通ではない感じがする…旅の宿で過剰なもてなしを受ける感じ」「うたて…益々…過剰…普通ではない感じ」「ゐやゝかなり…敬う感じである…礼儀正しいのである…宿の使用人の立ち居振る舞いは客をうやまい礼に適っている(これが商売であり仕事である)」。


 伝授 清原のおうな
 聞書 かき人知らず(2015・11月、改定しました)

 
 原文は青谿書屋本を底本とする新日本古典文学体系 土佐日記による。