帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 恋(四十二) 凡河内躬恒

2012-11-30 01:01:26 | 古典

    



             帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。


 公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。



 金玉集 恋(四十二) 躬 恒

 我が恋はゆくへもしらず果てもなし 逢ふをかぎりと思ふばかりぞ

 (我が恋は、行き先も知れず、果てもない、あのひとに逢うことを極限と思うだけだ……我が乞いは、逝く手立ても知らず、果てもない、合うを限りと思うばかりだ)。


 言の戯れと言の心

 「恋…乞い…乞い求め」「ゆくへ…行方…行き先…逝く方…逝く方法」「あふ…逢う…愛しい人に巡り合う…物越しにでも会う…合う…合体する…和合する」「かぎり…限り…極限…終極」。


 歌の清げな姿は、恋人は深窓の姫君なのか、男の一途な思い。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、健康な若者の心身の趣くままのさが。


 古今和歌集 恋歌二。題しらず、みつね。

 古今集では次に、同じ作者の同じ趣旨の歌が並べられてある。


 我のみぞかなしかりける彦星も 逢はで過ぐせる年しなければ

 (我だけだ、悲しいことよ、彦星も織姫星に逢わずに過ごす年なんて無いのに……我の身ぞ、いじらしく愛しいことよ・がんばれ、彦星も織姫に合わずに過ぎる疾しなんて無かったのだから)。


 「かなし…悲しい…いとしい…かわいい」「彦星…織姫と年に一度しか逢えない星」「あはで…逢わず…合わず」「で…打消しの意を表す」「年…とし…疾し…早過ぎ…一瞬の和合」「ば…接続助詞…のに…から」。


 青年の一途な思いと迷い無く突き進むさが。繰り返すと両歌のおかしみが増す。


 さて、公任のこがねの玉の集では、どのような歌を次に並べるでしょうか、明日をお楽しみに。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの『金玉集』 恋(四十一) 在原業平

2012-11-29 00:03:51 | 古典

    



             帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。


 公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。

 

 金玉集 恋(四十一) 業 平

恋せじとみたらし川にせしみぞぎ 神はうけずもなりにけるかな

(恋しないと御手洗川でした禊ぎ、神は受け付けなくなったのだなあ……乞い求めないと、見たらしかはにした身削ぎ、上は承知しないほどにも、なったのだなあ)。


 言の戯れと言の心

 「恋…乞い…求めること」「みたらし川…御手洗川…川の名、名は戯れる。手洗いし身を清める川、見垂らし女、身垂らし女」「見…覯…まぐあい」「たらし…誑し…だまし…たぶらかし…垂らし…だらだら続ける」「川…女」「みぞぎ…禊ぎ…御祓い…みそき…身削ぎ…身をはがすように離す」「かみ…神…髪…上…女」「うけず…受けない…受け付けない…承知しない」「ける…けり…今気付いたことを表す」「かな…感嘆・感動を表す」。


 歌の清げな姿は、我が恋は神にも止めてもらえない程になったと感嘆する歌。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、身をひきはがそうとすれば、受け付けないほどになった女に、感嘆する歌。


 この歌は伊勢物語(六十五)にある。物語の中で上のように聞くと物語が生き生きとして、男と女の匂いが漂ってくるでしょう。内容を少し紹介しましょう。


 むかし、帝にお仕えしていた女がいた。在原なる男、まだとっても若かったので、女の居る所に出入りを許されていて、相知りあった。女「とっても具合がわるいの、そういうことはしないで」と言ったけれど、あふ(逢う…合う)ことさえできれば、どうなってもいいと言って、女の、みざうし(御部屋…身双肢)に上っていたのだった。このように不都合なことをしているうちに、身も滅びてしまいそうに思えたので、「どうしょう、我がこのような心を止め給え」と、ほとけ、かみ(仏、神……ほと、毛、かみ)にも申したけれど、恋しさ増さるばかりであった。わけもなく、こひしうのみ(恋しいとばかり…乞いしいの身)思えたので、陰陽師など呼んで、「こひせじ」という祓えの具(そんな道具はない)をもって祓っていたが、以前よりもまして愛しいとばかり思えたので、「こひせじとみたらし川にせしみそぎかみはうけずもなりにけるかな」と言ってなのだ、帰ってきた。

帝はこの男を流しつかわされ、御息所は従姉妹のこの女を蔵に閉じ込めて折檻なさった、云々と物語は続く。

 

紫式部の伊勢物語読後感が「源氏物語」絵合の巻にある。左右に別れて、絵物語の優劣を論じあう平内侍の台詞に表れている。


 左方の平内侍伊勢の海の深き心をたどらずてふりにし跡と波や消つべき。世の常のあだごとの、ひき繕ひ飾れるにおされて、業平が名をや腐すべき(伊勢物語の海のような深い心を辿らずに、古い過去のことと世の波などが消していいのでしょうか。世の常のあだごとが取り繕い飾られてある他の物語に圧倒されて、業平の名を腐していいのでしょうか)と右方に争いかけたとある。


 今の人々は、業平の歌や物語の「清げな姿」だけを見せられて下半身が見えていない。

「伊勢物語」は、普通に女たちが下劣と貶すような物語である。しかし、この世から消してしまえるような物語では無い「深い心」があると思って読みましょう。


 伊勢物語(65)の全文は、帯とけの伊勢物語(六十五)をご覧ください。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの『金玉集』 恋(四十) よみ人しらず

2012-11-28 00:49:50 | 古典

    



             帯とけの金玉集



  紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。


  公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。

 

 金玉集 恋(四十) よみ人しらず

 我が恋はむなしき空に満ちぬらし 思ひやれども行く方もなし

 (我が恋は空虚な空に、きっと充満したのだろう、思い晴らすけれど、思いの行き先もない……我が乞いは空虚なひとにきっと満ちただろう、同情すれども、もう逝く手立てもなし)。


 言の戯れと言の心

 「恋…乞い…求め」「むなしき空…空虚な空…宇宙…空しき天…空しきあま」「空…天…あま…あめ…女」「らし…確信を以て推定する意を表す」「思ひやる…思いを晴らす…くるしい思いを何処かへ遣る…同情する…気を遣う」「行く方…行く方向…行き先…逝く方法…逝く手立て」。


 歌の清げな姿は、我が恋は宇宙に充満しただろう、苦しさを晴らすにも、もう遣り場も無いという、どうしょうもない男の恋心。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、我が乞い求めは、むなしいというあまに、きっと満ちただろう、同情するが、これ以上、逝きばも手だてもないという、おとこのはかない乞い心。

 
 古今和歌集 恋歌一。題しらず、よみ人しらず。男歌として聞く。


 上の歌は、次の二首の女歌に挟まれてある。

  ちはやぶる賀茂の社のゆふだすき 一日も君をかけぬ日はなし

 するがなる田子の浦浪たたぬ日は あれども君を恋ぬ日はなし


 この二首の、女の強い思いや強い恋(乞い)心は、男歌のおかしさを増す。そのような効果があるように並べられてある。



 伝授 清原のおうな

 
  鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
 
聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの『金玉集』 冬(三十九) 平 兼盛

2012-11-27 00:01:22 | 古典

    



            帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。


 公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。

 

 金玉集 冬(三十九) 兼盛

 かぞふれば我が身につもる年月を おくりむかふと何いそぐらむ

 (数えれば我が身に積る年月を、送り迎えると、年末に慌ただしく、何を急いでいるのだろう……彼ぞ触れば、わが身につもる疾し尽きを、おくりだし、むかえると、人は何をどうして急ぐのだろうね)。

 
 言の戯れと言の心

 「かぞふれば…数えれば…計算すれば…彼ぞ触れば…彼ぞ振れば」「か…彼…あれ」「つもるとしつき…積る年月…重ねる年齢…つもる疾し尽き…たび重なる早い尽き」「とし…年…歳…疾し…早い」「つき…月…突き…尽き」「を…お…おとこ」「おくりむかふ…送り迎える…出入りさせる…送り出し受け入れる」「いそぐ…仕度する…用意する…急ぐ…早くものごとを行う」「らむ…推量する意を表す…原因理由を推量する意を表す」。
 
 歌の清げな姿は、年末の忙しさを、もてあそぶ歌。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、男子禁制の斎宮の女たちを、皮肉を効かせた笑いで慰める歌。


 拾遺和歌集 冬。詞書「斎院の屏風絵に、十二月つごもりの夜」とある。


 年が「疾し…早い」などと戯れることを、全く知らされないと上の歌を一生わからないまま過ごす。知らなくても日常には支障ない事柄だから。

 

 
 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

 
 
『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの『金玉集』 冬(三十八) 坂上是則

2012-11-26 00:12:39 | 古典

    



            帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。


 公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌
言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。

 

 金玉集 冬
(三十八) 坂上是則

 みよしのの山の白雪つもるらし 古里さむくなり増さるなり

 (吉野の山の白雪、積っているらしい、奈良の古里、寒さ増している……身好しのの好しのの山ばに、白逝きつもっているにちがいない、古妻、心寒くなり増さっているようだ)。


 言の戯れと言の心

 「みよしのの…吉野の美称…見好しのの…身好しのの」「山…山ば」「白雪…おとこ白ゆき…白逝き…おとこの白々しい果て」「つもるらし…積っているにちがいない…多くなっているにちがいない…近ごろ重ねているにちがいない」「らし…(己のことを)確信を以て推定する意を表す」「ふるさと…故郷(奈良の旧都)…古里…古妻…古さ門」「里…女…さ門」「さむく…気候が寒く…心が寒く…冷たく」「なりまさる…成り増さる…ますますそうなる」「なり…断定する意を表す…(ひとのことを)推量する意を表す」。


 歌の清げな姿は、吉野山の深雪を思い遣って奈良でのつのる寒さを表現した、四季の移ろいについての人の思い。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、み好しのの好しのの山ばであるべきを、白ゆきつのり、古妻を冷ややかにしていると推定する男の忸怩たる思い。

 古今和歌集 冬歌。詞書「ならの京にまかれりける時に宿れりける所にてよめる」とある。

 奈良の旧京に出かけた時に宿った所で詠んだ(寧楽の京にて逝った時に宿っていたところで詠んだ)。「まかる…都から地方へ行く…退出する…京(頂上)から下る」。

 人にとって心におかしいものは、四季の景色よりも人の心の気色である。和歌は生な人の気色を清げな姿に包んで表現する様式をもっていた。
 

 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


   『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。