帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百七十四)(二百七十五)

2015-06-30 00:13:08 | 古典

 

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言枕草子女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。


 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

五月五日にあるをんなの人のもとにいひつかはしける   (読人不知)

二百七十四 いつかともおもはぬさはのあやめ草 ただつくづくとねこそなかるれ

五月五日に、或る女の人の許に言い遣わした       (よみ人しらず・恋し求めて合った男の歌として聞く)

(今日が・五日とも思わない沢の、色美しい・菖蒲草、ただ何となく根もとを、水が・流れている……合うを・いつかとも思わない、多の妖め女よ、ただづくづくと根が泣き涸れる、我は・声上げて泣いた)

 

言の心と言の戯れ

「いつか…(さつき)五日…何時か」「さは…沢…水辺…さはやかの語幹…爽やか…沢山…多々…多情」「あやめ草…五月五日の端午の節句に各家の軒に葺く草花…草花の言の心は女…あや女…彩女…色美しい女…妖女…妖艶女」「あや…彩…綾…妖し・怪しの語幹」「つくづくと…しんみりと…長らくぼんやりと…尽く尽くと…づくづく・ひたひたと、濡れるさま」「ね…音…声…根…おとこ」「こそ…強調する意を表す…こぞ…是ぞ…子ぞ…このわが貴身ぞ」「なかるれ…流る…泣かる…汝涸る」「るれ…る…自然にそうなる意を表す」「な…汝…親しきもの」

 

歌の清げな姿は、端午の節句など関係なく、色美しい菖蒲草の生えている様子の描写。ただゆっくりと根もとを水が流れている。

心におかしきところは、思わぬ多情な妖め女、尽く尽く根は泣き涸れ、我は思わず声上げ泣いた。

 

この歌は、作者も相手の女も、誰か知っていても、匿名にすべき歌だろう。


  歌の「あやめ草」が、「彩女…妖女」と聞こえる文脈に居ない人、言い換えれば「草」の「言の心」を女と心得ず、言の戯れを知らない人には、歌の「清げな姿」しか見えないので、恋歌として「優れた歌」とも思えないだろう。言葉の意味には根拠も理由もない、ただ、この平安時代の文脈では、「草」の意味の一つは「女」で通用していた事に数多く接するほかない。

清少納言は、この歌など、たちどころにわかっただろう。男の言葉も女の言葉も「聞き耳異なるもの」(聞く耳によって意味の異なるもの)と言う、枕草子「草は」の最初の一行を読む。

草は、さうぶ、こも、あふひ、いとおかし。

(草は、菖蒲、菰、葵、いとをかし……女は妖め、壮夫、来も、合う日、様子が・とってもおかしい)。


 言の心と言の戯れ

「さう…しょう…しゃう…菖…壮…壮年男子…盛ん…つよい」「こも…菰…来も…来るよ」「も…強調する意を表す」「あふ…逢う…合う…合体・和合」。

 

 

題不知                         躬恒

二百七十五 おふれどもこまもすさめぬ あやめ草かりにも人のこぬがわびしき

題しらず                       (凡河内躬恒・古今集撰者)

(生えているけれども、駒も好まない、あやめ草、刈りにも・引きにも、人の来ないのが、侘びしいな……極まるけれども、股間も遊べない、多情の・妖め女、かりしにも・娶りにも、男の来ないのが、わびしいな)

 

言の心と言の戯れ

「おふ…生える…追う…極まる…感極まる」「こま…駒…股間…おとこ」「すさめぬ…好まない…遊べない…手慰みにならない」「あやめ草…端午の節句には家々の軒の葺かれる…葉は剣型で香り強いためか駒も好まない草…妖め女…妖艶女…多情女」「草…言の心は女」「わびしき…つらい…くるしい…かなしい…心細い」

 

歌の清げな姿は、あやめ草の生えている様子。駒にも人にも好まれないため、五月四日以外は刈にも来ないとは、わびしい。

心におかしきところは、妖め、多情な女、こまのおとこも好まず尽く尽くと泣き涸れるので、わびしい。


 

上の歌などに先行して、『伊勢物語』にあやめ刈りきみは沼にぞ惑ひける 我は野に出でて狩るぞわびしき(……妖めかり、貴女は、情欲の泥・沼にぞ、惑ひける、われは、山ばのない・野に出て、涸るぞわびしき)と言う、業平らしい歌がある。


 

歌の真髄が鎌倉時代に秘伝となって埋もれ、江戸時代には全ての歌の「心におかしきところ」を見失った。歌物語の解釈も不在となったのである。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百七十二)(二百七十三)

2015-06-29 00:23:23 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言枕草子女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。


 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

(題不知)                          人丸

二百七十二 みなといりのあしわけをぶねさはりおほみ  恋しき人にあはぬころかな

(題しらず)                        (柿本人麻呂・万葉集では名なし)

(我は・湊に入る葦分け小舟、何かと・さし障ること多くて、恋しい人に逢えないこの頃だなあ……身の門入りの脚分け小夫根、障りの日多くて、恋しい人に合わぬこのごろだなあ・口実かも)

 

の心と言の戯れ

「みなと…湊…水門…身の門」「み…水…言の心は女…身」「な…の」「と…門…言の心は女」「あし…葦…脚…肢」「をぶね…小舟…お夫根…おとこ」「さはり…障害…岩礁・浅瀬など…仕事などの支障…女の月のものの障り」「あはぬ…あわない…あえない…あってくれない」「逢う…合う」「かな…かも…感嘆を表す…疑いを表す」

 

歌の清げな姿は、公務にあれこれ支障があって、恋しい人に逢えない頃だなあ。

心におかしきところは、障り続くので、恋しい人に合えない、この頃なのかなあ。

 

万葉集巻第十一「寄物陳思」の歌群にある、よみ人しらず。

湊入之 葦別小舟 障多見  吾念公尓 不相頃者鴨

聞く耳によって色々な意味に聞こえるが、人麻呂が受け取った女の歌として聞く、

(湊に漕ぎ入る葦分け小舟なの・君は、支障多くて、わたしの思うに、公務なのね・仕事で、逢えない頃なのかも……身な門入りの脚分けお夫根、障り多し、わたしは念じる、君も認めることを、合えない頃かと)

 

「公…おおやけ…宮仕え…公私の公…私は犠牲にすべき公務…きみ…君」「尓…に…しかり…是認の意を表す」

 

 

(題不知)                         読人不知

二百七十三 しのばんにしのばれぬべき恋ならば つらきにつけてやみもしなまし

                                     (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(堪え忍ぼうとして、我慢できてしまう恋ならば、辛さにかこつけて、恋なんて・止めてしまうだろになあ……忍ぼうにも、耐えられない乞いなので、貴女の・薄情な仕打ちにつけて、病み、ものも、死んでしまうだろうに)

 

言の心と言の戯れ

「しのばん…偲ぼう…恋い偲のぼう…忍ぼう…堪え忍ぼう」「しのばれぬべき…堪え忍べてしまう…堪え忍んでしまわなければならない」「恋…乞い…求め」「つらき…辛き…苦痛に感じる…むごい仕打ちである…薄情な仕打ちである」「やみもしなまし…止んでしまうだろうに…病みて死んでしまうだろうに」「も…強調」「な…ぬ…完了する意を表す…ず…打消しを表す」「まし…(やむ)だろうに…仮想する中に、後悔、不満、恨めしい気持などを含む」

 

歌の清げな姿は、我が恋心は、薄情な仕打ちをされても、止められないだろう。

心におかしきところは、おとこの乞い求めは、堪え忍べない、我慢すれば病んでしまうだろう。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。

 

 

 


帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百七十)(二百七十一)

2015-06-27 00:22:30 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言枕草子女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。


 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

(題不知)                      (読人不知)

二百七十   衣だになかに有りしはうとかりき あわぬよをさへへだてつるかな

(題しらず)                     (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(恋する二人に・衣でさえ中間に有ったのは疎遠に感じた、逢えない男女の仲までも、隔てていたなあ……求めあう身と心に・衣なんて中にあったのは、うっとしかった、合わぬ夜さえ、隔てていたなあ)

 

の心と言の戯れ

「衣…心身を被うもの…心身の換喩…身と心」「だに…でさえ…なんて」「なか…仲…中間」「うとかりき…疎遠だった…うっとしかった」「あわぬ…逢わぬ…逢えない…合わぬ…和合できない」「よ…世…男女の仲…夜」「よをさへ…夜をまでも…夜、お、さ枝…夜のおとこを」「つるかな…(隔てて)しまっていたなあ」「つる…つ…完了した意を表す」「かな…であることよ…のだなあ…感動を表す」

 

歌の清げな姿は、人の身と心を被う衣でさえ、恋する二人には、仲を隔てる邪魔物だった、互いに、ほんとうの心も身も見たい。

心におかしきところは、今は、生まれたままの姿になった、身も心も合体し、和合できるなあ。

 

 

(題不知)                       大伴坂上郎女

二百七十一  くろかみにしろかみまじりおふるまで かかる恋にはいまだあはざる

(題しらず)                      (大伴坂上郎女・大伴家持の叔母)

(黒髪に白髪まじり生えるまで、このような・初老の、恋には未だ出逢っていない・初めてよ……若き女に白髪が混じり生えるまで、このような・久しい、恋に未だ出遭っていない・出遭いたい)

 

の心と言の戯れ

「くろかみ…黒髪…若い女」「かみ…神…髪…言の心は女」「しろかみまじり…白髪混じり…初老となる」「おふる…生える…万葉集では、老い至る…老いる…(おいる)…極まる…感極まる」「かかる…このような…自らの恋のこと…他人の恋のこと」「あはざる…出遭ってない…初めてだ」「ざる…ず…打消の意を表す…ない…願望を表すことがある…(遭わ)ないかなあ・(出遭い)たいなあ…拾遺集では、あはざるに…出遭っていないので・出遭いたい」「に…願望を表すことがある」

 

歌の清げな姿は、若い頃より初老までの、久しき恋は、未経験。

心におかしきところは、このような恋に、出遭いたいなあ。

 

  この歌は、万葉集巻第四、相聞歌。太宰大監大伴宿祢百代の恋歌に答えた歌。原文は、

黒髪二 白髪交 至耆 如是有恋庭 未相尓

 

  彼女が憧れたらしい柿本人麻呂の妻の恋歌が、同じ巻の人麻呂との相聞歌に有る。その歌をぜひ聞いてみよう。

    柿本朝臣人麻呂妻歌一首

     君が家にわが住み坂の家路をも われは忘れじ命死なずば

(君の家に、わたしが住み、坂のある家路さえも、わたしは忘れない、命死なないならば……貴身が、井へ、我がす、見、山ばへの・坂、井へ路、おも、わたしは忘れない、命ある限り)

 

の心と言の戯れ

「君…貴見…貴身…おとこ」「家…いへ…言の心は女…井辺」「井…言の心はおんな」「住み…す身…おんな…す見」「す…洲…棲…言の心はおんな」「見…覯…媾…まぐあい」「坂…山路…山ばへの路…絶頂への山坂…坂上…大伴坂上郎女の住んだのは同じ地域か」「路…道…通い路…言の心はおんな」「をも…添加を表す…さえも…おも…おとこをも」

 

 この歌は柿本朝臣人麻呂歌三首に答えた歌。その人麻呂の一首は
  
未通女等が袖振山の水垣の 久しき時より思いき我は
 (乙女らが袖振る山の、瑞垣の神世の久しき昔より、貴女を・思い続けてきた、我は……おとめらの、身の端振 る山ばの、女の領域の久しき時間、絶えることなく・思っていた、我は)

 

言の心と言の戯れ
 
「未通女…おとめ…未婚の若い女」「袖…衣の袖…心身の端…身の端」「山…山ば…山坂…感の極み」「より…起点を表す…経過を表す」「水垣の…瑞垣の…神世の…久しさの誇張表現」「の…比喩を表す」

 

   羨ましくも、憧れてしまう、恋の相聞歌(清げに包装して贈答する歌……相互に心の内を表現し聞き合う歌)である。


『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。



帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百六十八)(二百六十九)

2015-06-26 00:15:54 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言枕草子女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。


 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

入道摂政のまかりたりけるに、かどをおそくあけはべりければ、たちわづらひぬ

といひければよめる                     右大将道綱母

二百六十八    なげきつつひとりぬるよのあくるまは いかにひさしきものとかはしる

入道摂政(藤原兼家)が来られた時に、(寒い朝で家の者が手間取って)門を遅く開けたので、「立ちくたびれてしまった」と言ったので詠んだらしい、 (道綱の母・蜻蛉日記の著者)

(君の帰らないのを・嘆きつつ独り寝る夜の明ける間は、どれほど久しいものとかは、ご承知ですか……投げ気、筒・となった貴身に妻が、独り寝る夜の明ける間は、如何に久しいものか、ご承知かしら)

 

の心と言の戯れ

「なげき…嘆き…悲嘆…嘆息…溜息…なげ木…薪…雑木…投げやりな…無げ気」「木…言の心はおとこ」「つつ…反復する意を表す…継続する意を表す…筒…おとこ…中空…空っぽ」「あくる…明ける…開ける」「ま…間…言の心はおんな」

 

歌の清げな姿は、冬の暁に朝帰りして門叩く夫への妻の言い草。

心におかしきところは、独り寝の嘆きの、憂さ晴らし、おとこを、さげすむ言葉を添える。

そのような言葉は、筒の他に、すすき、小枝、枝垂れ木、ほ伏しなどがある。

 

蜻蛉日記(上)によると、九月頃の事、夫の兼家が出かけた後に、文箱があるので見ると、他の女に渡すための恋文であった。その文(ふみ)に、「疑わし、他に渡せる文見れば、此処や途絶えにならんとすらん……疑わしい、他の女に渡せる、夫身見れば、此処や、門絶えになろうとするのでしょうか」と書きつけてやった。

そんな事が有って、二カ月程経った頃(真冬である)、「これより、夕方に宮の内で、抜けられないことがあってね」と言って出掛けた。他の人に・後をつけさせたところ、「町の小路の、何処そこの家にお泊りになられました」という。心憂しと思うものの言いようがなくて、二三日過ごすほどに、暁方に、門(かど)を叩く。例の家に泊まった帰りだろうと、「なほもあらじ(やはりこのまま黙っておれない……汝おも、直ではないないだろう)」と思って、詠んだ歌である。

 

 

題不知                          読人不知

二百六十九    たたくとてやどのつまどをあけたれば 人もこずえのくいななりけり

題しらず                        (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(くつ音がして来つ来つと・叩くので、家の妻戸を開けたところ、人も、来ずえの・梢の、くいな鳥だったことよ……愛おしがり・叩くので、わが妻門を開け・招き入れた・ところが、この人たら、小枝が、悔い汝・こうべ垂れたもの、だったことよ)

 

の心と言の戯れ

「たたく…叩く…(合図のように戸を)叩く…叩きまながる…手に触れて可愛がる」「やど…宿・家…言の心は女」「つまど…妻戸…引き戸」「と…戸…門…言の心は女」「人も…この人も…男も」「も…並列を表す…添加を表す…主語などについて表現を和らげる」「こずえ…梢…小枝…おとこ…来ずえ」「え…愛…枝」「くいな…鳥の名…名は戯れる。水鶏、水辺の木つつき、悔い汝、悔いた汝身…反省するもの」「な…汝…親しきものをこう呼ぶ」「なりけり…断定し、詠嘆する意を表す」

 

歌の清げな姿は、木つつきの音に騙されて、あの人来たかと戸を開けた、待ち焦がれ女の自嘲。

心におかしきところは、たたきまながるので、妻戸、開けたらば、この人たら、小枝も悔い反省して、こうべ垂れていたことよ。

 

心配、どこか悪いの、宮仕え辛いの、休みの日まで上司につきあわされていたというの、どこの女に絞り取られたのよ。女の諸々の思いが、歌言葉の戯れに顕れている。ただの、さげすみならば、恋は終わっていて、離別歌となる。


 

一千年以上隔たった平安時代の二人の女の、「心の種が言の葉となった」歌の心が、今の人々の心に直に伝わるだろう。和歌はそのような表現様式を持っていたのである。

 


 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百六十六)(二百六十七)

2015-06-25 01:47:53 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言枕草子女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。


 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

                   読人不知

二百六十六 うつつにもゆめにも人によるしあへば  くれ行くばかりうれしきはなし
                                                                                    
(よみ人しらず・男の歌として聞く)

(現実にも夢にも、あの人に夜、逢えれば、日の・暮れ行く程、嬉しいことはほかにない……現にも、夢の中でも、思う・人に夜合えれば、感極まり・こと果てて逝く程、嬉しいときはほかにない)

 

の心と言の戯れ

「ゆめ…夢…夢中」「人…あの人…思う女」「よるし…夜に…寄るし」「し…強調…肢…子…おとこ」「あへば…逢えば…合えば」「くれ…日の暮れ…たそかれ時…夕方…果て方」「行く…進行する…逝く…果てる」「ばかり…程…程度…間…時間」「うれしきはなし…嬉しきはなし…快楽の時は他にない…こころよさは他にない」

 

歌の清げな姿は、現実はもちろん、夢中であろうとも、恋人に逢うのは、快楽。

心におかしきところは、春立ち、張る立てば、花咲き、散り果てるのは、おとこの嬉しき一瞬。


 

この歌、延喜十三年、亭子院歌合で、「歌よみ」として参加した躬恒の歌で、「左方」の提示した歌であるが、「右方」の歌の勝となった。勝った歌は、どのような歌か聞いてみよう。


        右方             (よみ人しらず・女の歌として聞く)

たまもかるあまとはなしにきみこふる わがころもでのかわくときなし

(玉藻刈る海人ではないのに、君を恋するわたしの衣の袖が、辛い涙で・乾く時がない……玉もかる海女ではないのに、貴身乞うる、わが心と身の端が、潤む汝身唾で・乾く時がない)

 

の心と言の戯れ

「君…男…貴身」「こふる…恋する…乞うる…求める」「ころもで…衣の端…袖…心身のそで…身の端…おんな」「衣…心身を被うもの…心身の換喩…心と身」

 

女の妖しい色香がいみじう漂う。この歌の勝ちに、誰も不服はないだろう。おとこの果ての嬉しさなどを詠んだ歌に勝ち目はない。

 

 

題不知                        藤原有時

二百六十七 あふことのなげきのもとをたづぬれば ひとりねよりぞおひはじめける

題しらず                      (藤原有時・生年不詳、歌は拾遺集に二首のみ)

(恋しあう辛い嘆きの、もとを尋ねたら、男の・独り寝よりぞ、生じ始めていたことよ……合うことのなげ木、後の詠嘆の、根本を尋ねたら、独り根よりぞ、感極まり初めていたことよ)

 

の心と言の戯れ

「あふ…逢う…合う…和合」「なげき…嘆き…溜息…恋する辛さ…投げ木…たき木」「木…言の心は男」「もと…源…元…根本」「独り寝…ひとり根」「根…おとこ」「おひ…生ひ…生じる…(老い)…歳の極まり…ものの極まり…感の極まり」「はじめ…始め…初め」「ける…けり…気付・詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、恋し逢う辛さなど、独り寝の時より、経験していることよ。

心におかしきところは、合った後のむなしい詠嘆など、独り寝の根より、手軽に経験していたことよ。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。