帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの小町集 41 みるめあらばうらみむやはと

2014-01-31 00:16:10 | 古典

    



               帯とけの小町集



 小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。



 小町
41


 (とあるかえし)

みるめあらばうらみむやはと海人問はば 浮かびて待たむうたかたの間も

(貴女のそでに溜まらない白玉は、合い見ても飽き足りることのない、をんなの涙だったのだなあ、このようなことを言われた、返し)

(海草あれば、浦見るでしょうかと、海女が問えば、浮かんでいて待つわ、はかない間でも・見たい……見るめあれば、裏見するかなと、男が問えば、浮かれたまま待つわ、うたかたの間も・一瞬の見でも)。


 言の戯れと言の心

「みるめ…海草…見るめ…見る機会…見る情態」「見…見物…覯…媾…まぐあい」「浦見…裏見…二見…二度目のまぐあい」「む…意志を表す」「やは…疑問の意を表す」「あま…海女…海士…男」「浮かびて…潜れないので浮かんでいて…心浮かれたまま」「うたかたのま…泡沫の消える間…一瞬の快楽の間」「も…であっても…なりとも」。


 

女は常に受け身。「宮こを離れよう」と言われればいくわと言い、「うら見ようか」と言われれば「待つわ」と言う。何が悪いのか、これが小町の言い分である。


 

 『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。



 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集真名序には「彼の時、澆漓(薄ぺらい)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されることを前提にした定義である。


 貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。


帯とけの小町集 39 つゝめども 40 おろかなる

2014-01-30 00:04:28 | 古典

    



               帯とけの小町集



 小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。



 小町
39


    あべのきよゆきがかくいへる

 つゝめども袖にたまらぬしら玉は 人をみぬめのなみだなりけり

安倍清行がこのように言った……安倍清行が(古今集の詞書によると或る法師の説教を聞いてそれをもとに小町に)このように言った、

 (包もうとも、袖に溜まらない真珠は、男に逢えないときの、貴女の・目の涙なのだなあ……つつんでも、貴女のもとに・留まらない白玉は、おとこに合えないという、をんなのなみだだったのだなあ)。


 言の戯れと言の心

「つつむ…包む…慎む」「しらたま…白玉…真珠…おとこ白玉…おとこのたましい」「人を…人に…男に…おとこ」「を…に…対象を示す…おとこ」「みぬ…見ぬ…逢えない…合えない…和合できない」「見…目で見ること…覯…まぐあい」「め…目…女…おんな」「なりけり…断定し詠嘆する意を表す…だったのだなあ」。

 

定まった男もなく、煩悩のおもむくままに生きていると見える小町に説教したのである。清行が蔵人か侍従の時と思われる。

このような忠告や説教に返した小町の歌が以下六首並べられてある。一首づつ聞きましょう。



 小町集 40
    
    とあるかえし

 おろかなる涙ぞ袖に玉はなす われはせきあへずたぎつせなれば

 とある事への返事……とある言への返答

 (愚かな女の涙が、袖に玉を為す、わたしは堰止められず、滝津瀬なので……おろそかで浅はかなおとこ涙が、身の端に白玉放す、わたしは塞き止められず、滾り流れる背の君なので)。


 言の戯れと言の心

 「おろか…愚か…知恵が足りない…煩悩のままに生きるもの…疎か…疎かである…いいかげんである…おとこの性そのものである」「そで…袖…端…身の端」「玉…涙の玉…おとこ白玉」「はなす…は為す…放す」「たきつ…滝津…滾る津…激しく流れる津」「瀬…浅瀬…背…男」。


 おろかなことになるのは、浅はかで激しい男のさがの所為よ。これが小町の返答である。


 

 『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。



 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集真名序には「彼の時、澆漓(薄ぺらい)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。


 貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。


帯とけの小町集 38 わびぬれば身を浮草の

2014-01-29 00:24:40 | 古典

    



               帯とけの小町集



 小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。



 小町
38


   やすひでが三河になりて、あがた見にはいでたゝじやといへるかへりごとに

わびぬれば身を浮草のねを絶えて 誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ

 

文屋康秀が三河の国司となって、県(地方)見物に出かけないかと言った返事に……康秀が三日はとなって・宮こは飽きた、あがた見に、出て絶たないかと言った返事に、

(心ぼそく嘆いていたので、わが身を・浮き草のように根を絶えて、誘い水あれば、流れて往こうと思うわ……気力無くして嘆いたので君の身お、浮かれ女が、声を絶えて、誘う見つあれば、逝こうとは思うわ)。

 

言の戯れと言の心

「みかは…三河…三河の橡(国司の三等官、古今集の詞書)…三日は…新婚三日目は…見交は…身交すは」「み…見…交合」「は…特に取り立てて言う意を表す」「あがた…県(地方)…都ではないところ…京ではないところ…絶頂ではないところ」「いでたつ…出発する…出て立つ…出て止まる…出て絶つ」。

歌「わぶ…心細く思って嘆く…無気力となる」「身を…わが身を…(男の)身お」「の…所有等を表す…が…主語を示す…のように…比喩を表す」「ね…根…おとこ」「みづ…水…みつ…蜜…三つ…見つ」「いなむ…往なむ…行こう…逝なむ…逝こう」。

 

 文屋康秀はこのような歌がある。古今和歌集 秋歌下

 草も木も色はかはれどもわたつみの 浪の花には秋なかりける

 (草も木も色は変わるけれども、わたつ海の浪の花には、秋は無かったなあ……女も男も、気色は変わるけれども、ひろがりつづく、女の汝身の華には、厭きがきて涸れることはなかったなあ)。


 言の戯れと言の心

「草…女」「木…女」「色…色彩…色気…色情」「わたつみ…海…女…海の枕詞…ひろがる…つづく」「なみ…浪…波…汝身…その身…並み…普通」「花…華…栄華…宮こ…絶頂」「秋…飽き…飽き満ち足り…厭き」「けり…気付き…詠嘆」。

 

  『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。



 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集真名序には「彼の時、澆漓(薄ぺらい)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。


 貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。


帯とけの小町集 37 みちのくの玉つくり江に

2014-01-28 00:01:47 | 古典

    



               帯とけの小町集



 小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。



 小町
37


     わすれやしぬるとある君だちののたまへるに

 みちのくの玉つくり江にこぐ舟の ほにこそ出でね君を恋ふれど

 忘れてしまったかと、或る君達がおっしゃったので……見捨ててしまったかと、或る君たちがおっしゃったので、

(陸奥の玉造り江で、漕ぐ舟のように、目立たないのよ、わたしは・君を恋しているけれど……みちの奥の玉造りえに、こくふ根が、ほに出ないのねえ、わたしは・君を乞いしているけれど)。


 言の戯れと言の心

「わすれ…忘れ…失念…思いを失くす…見捨てる」「きんだち…君達…親王または摂関家の子息等」。

歌「みちのく…陸奥…地名…名は戯れる、未知の奥、路の奥、女」「玉造り江…江の名…名は戯れる。真珠や宝玉のとれる江、玉で造られたような美しい江、玉のをんな」「江…女」「こぐ…漕ぐ…掻き分け進む…こく…体外に出す」「ふね…舟…夫根…おとこ」「ほにでる…目立つ…抜きん出る」「ほ…帆…穂…お…おとこ」「恋ふ…乞う…求める」。


 

江戸時代以来の学問的解釈は、「陸奥の玉造り江に漕ぐ舟の」を、「ほ」の「序詞」と名づけ、訳さない。そして「わたしは・目立つように表に出さないの、君を恋しているけれど」と言う歌だという。これを聞けば、小町本人も貫之も公任も俊成も、あきれ返って笑いだすだろう。

 

鎌倉時代(後掘河天皇の御代)に藤原定家が撰進した『新勅撰和歌集』恋一では、歌は少し変えられてある。わかりやすさのためだろう。この集を最後に、全ての和歌は、秘伝となって埋もれたのである。
 みなと入りの玉つくり江にこぐ舟の 音にこそたてね君を恋ふれど

(湊入りの玉造り江にこぐ舟の 音には立てない、君を恋しているけれど……水門入りの玉造りえに、こぐふねの音こそ、根さえ立てないのね、わたしは・君を求めているけれど)。


 言の戯れと言の心

「みなと…湊…水門…をんな」「水…女」「門…女」「江…女」「舟…夫根…おとこ」「ね…音(舟漕ぐ音)…声…根…おとこ」「ね…ず…打消しの意を表す」「恋ふ…乞う…求める」。



 『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。



 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集真名序には「彼の時、澆漓(薄ぺらい)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。


 貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。


帯とけの小町集 36 独寝のわびしきまゝに

2014-01-27 00:04:22 | 古典

    



               帯とけの小町集



 小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。



 小町
36

中たえたるをとこの忍びきて、かくれてみけるに、月のいとあはれなるをみて、ねむことこそいとくちをしけれと、すのこにながむれば、をとこ、いむなるものをといへば、

独寝のわびしきまゝに起きゐつゝ 月をあはれと忌ぞかねつる

(仲絶えた男が忍んで来て、隠れて見ていたところ、小町は・月がとっても情趣があるのを見て寝るには惜しいことよと、すのこで眺めていると、男、月を眺めるのは忌むものなのにと言ったので、……ものの途中で絶えたおとこが、隠してみていたところ、女は・月人壮士がとっても素晴らしいのをみて、寝るには惜しいことよと、すの子に長めていると、おとこ、つきをながめるのは忌むものなのにと言ったので)、

(独り寝がもの足りず心細いままに、起きて居つつ、大空の月を、情趣の深いことよと思い、忌み避け難かったので・見ているの。……独り寝のもの足りずさびしきままに、置き座し筒、をとこを、あゝあわれと思って、忌みづらかったのよ)。


 言の戯れと言の心

 「なか…仲…中…途中…中途半端」「見ける…目で見た…思った…まぐあった」「月…大空の月…月人壮士(万葉集の歌語)…男…ささらえをとこ(万葉集以前の月の別名)…突き…尽き」「すのこ…板敷の縁側…すの子…おんな」「す…洲…おんな」「ながめ…眺め…もの思いに耽る…長める」「忌み…嫌うこと…慎むこと…避けること」。

歌「おきゐつつ…起き居つつ…起きて座って…男木座し筒…おとこ座し中空」「月を…壮士を…男お」「ぞ…強く指示する意を表す」「かねつる…(嫌うことが)難しかった」。

「忌む」という言葉は、『竹取物語』に、かぐや姫が、五人の求婚者たちを次々に断った後に、月の面白く出でたのを見て、もの思いに耽っていると、或る人が、「月の顔見るは忌むこと」と言って制する場面に用いられてある。或る人は、「若い娘が月人壮士を見つめてはいけません」というのであるが、その思惑と違って、かぐや姫は「月の都の人」なので、近々帰らなければならない事を思って、月を眺めて嘆いていたのだった。


 

小町は「月をあはれと忌みぞかねつる」と詠んだ。「つきひとをとこ(中絶えたささらえおとこ……尽きたおとこ)を、あはれと思って、忌み嫌うことができそうもない」と言うのである。このように聞くことによって、歌の「心におかしきところ」と、詞書のほんとうの意味が伝わるでしょう。


 

  『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。


 
 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集真名序には「彼の時、澆漓(薄ぺらい)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。


 貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。