帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百二十八〕故殿の御ために

2011-07-26 06:13:07 | 古典

 


                                 帯とけの枕草子〔百二十八〕故殿の御ために



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百二十八〕故殿の御ために

 
故殿(道隆)の御為に、宮は月毎の十日に経、仏の供養をなさっていらっしゃったが、九月十日は識の御曹司にておこなわれる。上達部、殿上人がたいそう多く居る。清範、講師として説くことは、やはりとっても悲しかったので、とくにもののあわれ深く感じていない若い人々もみな泣いたようである。果てて、酒飲み詩を朗詠したりするときに、頭の中将斉信の君が、

月秋ときして身いづくか――
 
(月は秋と期して身何処へ・去ったのか…つきは飽き満ちる時と期して御身何処へ・去ったのか)。

ということを吟じだされた、詩もまたひじょうに愛でたい。どうして、このように(適宜に詩を)思い出されるのだろうか。宮がいらっしゃるところに人かき分けて参るときに、宮も立ち出でこられて、「めでたしな、いみじう。けふのれうにいひたりけることにこそあれ(愛でたいねえ、ひじょうに。今日のために用意したことを言ったにちがないのです)」とおっしやられるので、「それを申し上げようと、物見してましたのを、しさしで参りました。やはりとっても愛でたく思いました」と申し上げると、「まいて、さおぼゆらんかし(意見が一致して増してそう思うでしょう…彼を憎らしがっていたから増してそう思うでしょうよ)」と仰せられる。


 斉信がわざわざ呼び出したりして、会う所毎に、「どうして、まろを、まことに近しくして語り合ってくださらないのだ。それでも憎いと思っているのではないと知ってはいても、ひどく不安に思えてくるのだ。これほどの年数になった気心知った仲が、疎遠なまま終わりはしない。行く末殿上で明け暮れない時期もあれば、何事をば思い出にしょうか」とおっしゃるので、「言うまでもないこと、(近しくなるのは)難しいことでもないけれど、そうなってしまった後には、お褒めして差し上げられなくなるのが残念なのです。主上の御前にても、役目と与えられて褒め申し上げるときに、どうなるか、ただ思ってもみてくださいよ、かたはら痛くなって、心に鬼が出て来て、言いにくくなるでしょう(夫を褒めるなんて)」と言えば、「どうして。このような男をですねえ、妻より他にほめる同類がいるんですか」とおっしゃるので、「それが(褒めるのは、君を)にくからず思っているからでしょう。男でも女でも近い身内を思い、片ひいきして褒め、人がいさかでも悪く言えば腹立ちなどするのは、やりきれないなあと思えるのです」と言えば、「たのもしげなのことや(頼みがいのないことよ…頼もしげではないってことか、まろが)」とおっしゃるのも、いとをかし(とってもおかしい)。

 

 頭の中将斉信は故道隆のいとこにあたる。その言動は〔七十八・七十九〕などにも記したように、憎らしい男。この度、朗詠した詩句は和漢朗詠集 懐旧にもあり、「金谷酔花之地(金谷園、花見酒に酔ったところ)」とはじまる。実は酒のために亡くなった道隆を懐かしむのに相応しい。


 「花毎春匂而主不帰。南楼嘲月之人、月与秋期而身何去(花は春毎に匂えどもあるじ帰らず。あの南楼にて月を嘲りし人、月は秋と期してのぼれども、御身はいづこにか去る)」。
 道隆はのぼりつめた人、月を観賞するにも酔って「さるがう言」をした人。「嘲月」は翫月(月をもてあそぶ、月の詩や歌を作りあそぶ)ではなく、月をあざける。道隆お得意の「さるがう言」は、月を愛でるにしても、先ずあざける。たとえば業平のように「月を愛でる若くは無い諸君よ、月なんて積もれば人の老いとなるものですぞ、やめたまえ。老いても『つき』を忘れてはいけませんがね」などと。「月…月日の月…大空の月…月人壮士…男…突き…尽き…おとこ」「秋…飽き満ち足りるとき…厭き」。

伝授 清原のおうな

聞書 かき人知らず    (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による