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帯とけの拾遺抄
和歌の表現様式は平安時代の人々に聞き、藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。
藤原俊成は、歌の言葉について「浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕る」(古来風体躰抄)と教えている。歌の主旨や趣旨は歌言葉の多様な戯れの意味の内に顕れると理解してよさそうである。これを、公任のいう「心におかしきところ」を探り当てる助けとした。
拾遺抄 巻第六 別 三十四首
題不知 右衛門
二百二十二 いのちをぞいかならんとはおもひこし ありてわかるるよにこそ有りけれ
題しらず (右衛門・名不明、男の歌として聞く)
(命なんて、いつどうなるだろうかとは思いつつ、過ごしてきた、命・在って、愛しい人と・別れる、世だったことよ・仏様……命、おとこなんて、何ほどのもんじゃとは、思いつつ、合坂上りつめて・越した、命あって・はかなく、別れる夜だったなあ)
言の心と言の戯れ
「いのち…人の命…生死…おとこの命」「を…対象を示す…お…おとこ」「ぞ…(をを)強調する」「いかならん…どうなるだろうか…どうであろうか…どれほどのものだろうか」「こし…過ごし…越し」「ありてわかるる…命あって別れる…男と女の離別…身と身の分かれ…山ばの峰の別れ」「よ…世…夜」「けれ…けり…詠嘆・気付きなどの意をあらわす」
歌の清げな姿は、世には八苦ある。そのうちの死は覚悟しているが、これは愛別離苦か。
心におかしきところは、懸命に山ばの峰に共にのぼったが、儚い別れが待っていた。
(題不知) 読人不知
二百二十三 きみをのみこひつつたびのくさまくら 露しげからぬあかつきぞなき
(題しらず) (よみ人しらず・女の歌として聞く)
(君だけを、恋いつつ、旅の宿の草枕、露いっぱいでない暁ぞ無き・いつも涙に濡れて夜が明ける……貴身、おの見乞いつつ度々の女、間暗ら、白つゆほんの少し、元気色の突きも無し)
言の心と言の戯れ
「きみ…君…貴身」「を…対象を示す…お…おとこ」「のみ…限定…の見」「み…見…覯…媾…まぐあい」「こひ…恋…乞い…求める」「たび…旅…度…度々」「くさまくら…草枕…旅の仮寝…女ま暗」「草…言の心は女」「ま…間…言の心は女」「露…白つゆ…ほんの少し…おとこ白つゆ」「しげからぬ…頻繁ではない…稀にしかない」「あかつき…暁…赤つき…元気色の突き」「ぞ…強調」
歌の清げな姿は、恋する男との夢破れ、父の赴任先への別れ旅だろうか。別れたわけは裏声で語っている。
心におかしきところは、おとこの浅く薄い情に、おんなの不満がたらたらと溢れでるところ。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。