帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第六 別 (二百二十二)(二百二十三)

2015-05-30 01:12:29 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

和歌の表現様式は平安時代の人々に聞き、藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

藤原俊成は、歌の言葉について「浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕る」(古来風体躰抄)と教えている。歌の主旨や趣旨は歌言葉の多様な戯れの意味の内に顕れると理解してよさそうである。これを、公任のいう「心におかしきところ」を探り当てる助けとした。


 

拾遺抄 巻第六 別 三十四首

 

題不知                            右衛門

二百二十二 いのちをぞいかならんとはおもひこし ありてわかるるよにこそ有りけれ

題しらず                          (右衛門・名不明、男の歌として聞く)

(命なんて、いつどうなるだろうかとは思いつつ、過ごしてきた、命・在って、愛しい人と・別れる、世だったことよ・仏様……命、おとこなんて、何ほどのもんじゃとは、思いつつ、合坂上りつめて・越した、命あって・はかなく、別れる夜だったなあ)

  

言の心と言の戯れ

「いのち…人の命…生死…おとこの命」「を…対象を示す…お…おとこ」「ぞ…(をを)強調する」「いかならん…どうなるだろうか…どうであろうか…どれほどのものだろうか」「こし…過ごし…越し」「ありてわかるる…命あって別れる…男と女の離別…身と身の分かれ…山ばの峰の別れ」「よ…世…夜」「けれ…けり…詠嘆・気付きなどの意をあらわす」

 

歌の清げな姿は、世には八苦ある。そのうちの死は覚悟しているが、これは愛別離苦か。

心におかしきところは、懸命に山ばの峰に共にのぼったが、儚い別れが待っていた。

 

 

(題不知)                         読人不知

二百二十三 きみをのみこひつつたびのくさまくら 露しげからぬあかつきぞなき

(題しらず)                       (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(君だけを、恋いつつ、旅の宿の草枕、露いっぱいでない暁ぞ無き・いつも涙に濡れて夜が明ける……貴身、おの見乞いつつ度々の女、間暗ら、白つゆほんの少し、元気色の突きも無し)

 

言の心と言の戯れ

「きみ…君…貴身」「を…対象を示す…お…おとこ」「のみ…限定…の見」「み…見…覯…媾…まぐあい」「こひ…恋…乞い…求める」「たび…旅…度…度々」「くさまくら…草枕…旅の仮寝…女ま暗」「草…言の心は女」「ま…間…言の心は女」「露…白つゆ…ほんの少し…おとこ白つゆ」「しげからぬ…頻繁ではない…稀にしかない」「あかつき…暁…赤つき…元気色の突き」「ぞ…強調」

 

歌の清げな姿は、恋する男との夢破れ、父の赴任先への別れ旅だろうか。別れたわけは裏声で語っている。

心におかしきところは、おとこの浅く薄い情に、おんなの不満がたらたらと溢れでるところ。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第六 別 (二百二十)(二百二十一)

2015-05-29 00:20:14 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

和歌の表現様式は平安時代の人々に聞き、藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

藤原俊成は、歌の言葉について「浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕る」(古来風体躰抄)と教えている。歌の主旨や趣旨は歌言葉の多様な戯れの意味の内に顕れると理解してよさそうである。これを、公任のいう「心におかしきところ」を探り当てる助けとした。

 

拾遺抄 巻第六 別 三十四首

 

返し                           満仲朝臣

二百二十 君はよし行くすゑとほしとまる身の まつほどいかが有らむとすらむ

返し                          (満仲朝臣・源満仲・元輔より数歳若い同じ受領階級の人)

(君は良い、行く末遠く・いつまでも意気盛んだ、留まる我らの身が、君の帰京を・待つ間、どのように過ごすのだろうか、この世に・在るだろうか……貴身は好し、ゆく末遠く持続する、すでに・止まっている女の身は、貴身の末・待つ間、どう過ごして居ようとするのだろうか)

 

言の心と言の戯れ

「君…きみ…貴身…おとこ」「行くすゑとほし…長寿である…意気は果てしない…ものが尽きない」「とまる身…留まる身…我ら…止まる身…果てた女の身」「まつ…待つ…末…松…長寿…言の心は女」「ほど…程…時間…間…ほと…言の心はおんな」「いかが有らむとすらむ…(我々は)どのように暮らそとすればいいのだろうか…(まつ女は)どのように過ごすのだろうか…(末待つおんなは)どのように間をもたせようとするのだろうか」

 

歌の清げな姿は、元輔の歌の姿(どれほどの思いなのだろうかと、諸君は思うだろう、老いて別れゆく遠い赴任の我が道をば)に応えている。「君は良いなあ、いつまでも意気盛んで、止まる我らが身は、君の帰りを待つ間、どのように過ごしているだろうか」。

心におかしきところは、元輔の歌のそれ(女はどれほど思うのだろうかと、諸君も思うだろう、感極まって別れる女の遥かなる満ち足り)に応えている。「貴身は好し、尽きない、止まった女の身は、尽きを待つ間、どうしていれば好いのだろう」。

 

客人の心も身も持ち上げて快く別れられる。他の男どもの心も和む歌だろう。

だそくながら、元輔は八十三歳まで現役を全うした。満仲は八十六歳まで生き長寿を全うした。

 

 

前日向守にはべりける人のつくしへまかりけるにいひつかはしける  橘倚平

二百二十一 むかし見しいきのまつばらこととはば わすれぬ人もありとこたへよ

前日向守であった人が、筑紫(九州地方)へ行くという人に言い送った (橘倚平・前日向守)

(むかし見た壱岐の松原、土地の人と・言葉を交わすならば、この景色・忘れられない人が、都に・居ると応えてくれよ……むかし、情けを交わしたいきの女ばら、何か訊ねたならば、貴女のことを・忘れられない男も、健在であると答えてくれ)

 

言の心と言の戯れ

「見し…見物した…娶った…情けを交わした」「見…覯…媾…まぐあい」「いきのまつばら…松原の名…名は戯れる。壱岐の女ばら、生きの女たち、粋な女たち」「松…言の心は女」「原…はら…ばら(接尾語、複数を表す)」「こととはば…言問はば…言葉を交わせば…何か訊ねれば…もしも我が事を訊ねたら」「わすれぬ…忘れてしまえない…忘れられない…未練たっぷりな」「人もあり…人が居る…(貴女同様)人も健在である」「も…強調する意を表す…同類であることを示す」

 

歌の清げな姿は、昔の恋人宛ての、消息の伝達を依頼した。

心におかしきところは、むかし遊んだのだろう粋な女たちが懐かしく未練たっぷりなところ。

 

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第六 別 (二百十八)(二百十九)

2015-05-28 00:19:11 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

和歌の表現様式は平安時代の人々に聞き、藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

藤原俊成は、歌の言葉について「浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕る」(古来風体躰抄)と教えている。歌の主旨や趣旨は歌言葉の多様な戯れの意味の内に顕れると理解してよさそうである。これを、公任のいう「心におかしきところ」を探り当てる助けとした。


 

拾遺抄 巻第六 別 三十四首

 

藤原雅正が豊前守に侍りける時、ためよりがおぼつかなく侍るとて下り侍り

けるに、馬のはなむけし侍るとて               藤原清正

二百十八 おもふ人あるかたへゆくわかれぢを をしむこころぞかつはわりなき

藤原雅正が豊前守であった時、子息の為頼が、何だか父が心配で行くというので、餞別の宴をするということで、(藤原清正・雅正の弟)

(思う人の居る方へ行く別れ路よ、片や敬愛する心・片や別れ惜しむ心ぞ、両方では、筋道があわない……もの思う女、或る方へ逝く、ものの・別れ路よ、ゆこうとする心、惜しみ留める心ぞ、片や男は困る)

 

言の心と言の戯れ

「おもふ人…思う人…親愛なる父…思う女」「かたへゆく…方へ行く…方に向かって行く…片へ逝く」「わかれぢ…別れ路…見送る人と最後に別れるところ…ものの峰での別れ」「路…言の心は女」「をしむ心…愛しむ情…敬愛する心…その許へ早く行こうとする心…惜しむ情…出し惜しむ心…愛着し引き留める心」「かつはわりなき…両方では道理に合わない…片や困る」

 

歌の清げな姿は、敬愛する父の許へゆくものを、別れ惜しみ引き留めるのは、筋道がたたない。

心におかしきところは、もの思う女、逝く別れ路、惜しんで引き留める男の心困る、なんて普通はあり得ないことで、おとこ自慢。

 

藤原雅正・清正の父は、中納言藤原兼輔。なお、雅正は紫式部の祖父で、為頼は叔父にあたる。紫式部源氏物語に於ける和歌もまた、このような和歌と同じ文脈にある。一義に聞いては、おかしくないはずである。

 

 

丹後守にて清原の元輔がまかりくだりけるに源満仲朝臣せんし侍りけるに

かはらけとりて                         元輔

二百十九 いかばかりおもふらんとかおもふらん おいてわかるるとほきみちをば

丹後守(集では肥後守)にて清原の元輔が下って行くので、源満仲朝臣が餞別の宴をしたときに、素焼きの酒杯を手にとって、(元輔・清少納言の父)

(この男・どれほどの思いなのだろうかと、諸君は・思うだろう、老いて別れゆく遠い任地への道をば……女は・どれほど思うのだろうかと、諸君も・思うだろう、感極まって別れる、女の・遠き満ちをば)

 

言の心と言の戯れ

「いかばかり…如何ばかり…どれ程…どんなに」「おいて…老いて…極まって…感極まって」「わかるる…別れる…自然に身が離れる」「る…自然にそうなる意を表す」「とほき…距離が遠い…(思いの程が男とは)かけ離れている」「みち…道中…道程…路…満ち…満ち足り」「路…言の心は女」

 

歌の清げな姿は、元輔の最後の赴任は七十九歳の時、任地で八十三歳で亡くなった、生涯現役の鑑。

心におかしきところは、その身の端も、立派に現役だったように、聞こえるところ。

 

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第六 別 (二百十六)(二百十七)

2015-05-27 00:33:10 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄

 

和歌の表現様式は平安時代の人々に聞き、藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

藤原俊成は、歌の言葉について「浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕る」(古来風体躰抄)と教えている。歌の主旨や趣旨は歌言葉の多様な戯れの意味の内に顕れると理解してよさそうである。これを、公任のいう「心におかしきところ」を探り当てる助けとした。


 

拾遺抄 巻第六 別 三十四首

 

帥にて橘の公頼がくだり侍りけるに、馬のはなむけに装束調じてつかはしける

二百十六 あまたにはぬひかさねねどから衣 おもふこころはちへにざりける

太宰府の帥として、橘の公頼が下ったときに、餞別に装束を調えて遣わした、(作者名なし)

(数多く縫い重ねないけれども、色彩豊かな女の上衣、彼女は・思う心は千重ではないかなあ……あま多には寝日重ねずとも・君は空こころだぞ、色豊かな女の身と心、思う心は千重にして、去るのだなあ)

 

言の心と言の戯れ

「あまた…多く…多数…あま多」「ぬひかさねねど…縫い重ねないけれど…寝日重ねないけれど…娶って日が浅いけれど」「ぬ…寝る」「ね…打消しを表す」「から衣…唐衣…女の上着…色彩豊かな衣…空の心身…薄情な身と心」「衣…心身の換喩…身と心」「ざりける…ではなかったかあ…さりける…去ることよ…(集の歌では)ありける…であるなあ」

 

歌の清げな姿は、太宰府の長官となって赴任する人、残されて唐衣着て宮仕えする妻への同情。

心におかしきところは、妻にして日も浅いのに、よく残して行けるなあ、空こころ、と聞こえるところ。

 

「拾遺集』の詞書きによれば、息子(既に宮仕えしていたのだろう)と、継母(典侍・次官、女官では実質最も重要な立場の人)を、都に残して赴任するときの餞別の宴の歌。作・貫之。貫之が土佐の守の任解けて帰京して一年後の事のようで、太宰府往復の旅だけでも女子供には過酷なことをよく承知した上での歌である。

 

この歌に限らず、歌言葉の「からごろも」は上のような多様な意味に既に戯れていたとして、古今集の羇旅歌、業平の歌を聞く。

唐衣きつつなれにしつましあれば はるばるきぬるたびをしぞおもふ

(唐衣着つつ・宮仕えしつつ、慣れ親しんだ妻が居るので、はるばる来てしまった旅を残念に思う・妻を愛おしく思う……浅はかな身と心で来つつ、よれよれになった身の褄があるので、張る張る来てしまった此の度を惜しく思いう・我が身の褄を愛おしく思う)


 歌の言葉は「浮言綺語に似た戯れである」。「唐衣」以外にも、「なれ…慣れ…熟れ…よれよれ」「つま…妻…褄…衣の端…端…身の端」「はるばる…遥々…張る張る」「たび…旅…度」「をし…惜しい…愛おしい」と戯れている。。

 

古今集の詞書きには、「恋の心を詠まむとて、詠める」とある。

また、伊勢物語では、この歌を聞いた連れの男ども皆、携帯食の干飯の上に涙をこぼして、「ほとびにけり(ふやけてしまった)」とある。

 

 

源のひろかずがものへまかりけるに装束調じて給ふとて  大皇太后御歌

二百十七 たび人の露はらふべきからころも  まだきも袖のぬれにけるかな

源のひろかずが使者としてだろう出かけるときに、装束を調えられるということで、 大皇太后御歌

(旅人の露払うべき唐衣、未だその時でないのに、別れの涙で・袖が濡れてしまったことよ……たびかさなる人のつゆ払うべき、からころも・女の身と心、まだその時でないのに、そでが濡れてしまうかな)

 

言の心と言の戯れ

「たび…旅…度…度々…度数」「人…男」「露…白露…白つゆ」「はらふ…除き去る…追いはらう…拒む」「べき…しなければならない…したほうがいい」「唐衣…女の上着…女の身と心…色豊かな女の身と心…空ころも…浅はかな身と心」「袖…そで…端…身の端」「かな…感嘆・詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、君の旅の装束を調えている時から、女は哀しみの涙で袖濡らしてしまうのよ。

心におかしきところは、旅立つ前から奥方はそでぬらし待っているのよ、早く無事に帰って来なさい。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第六 別 (二百十四)(二百十五)

2015-05-26 00:14:20 | 古典

         


 

                       帯とけの拾遺抄


 

和歌の表現様式は平安時代の人々に聞き、藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

藤原俊成は、歌の言葉について「浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕る」(古来風体躰抄)と教えている。歌の主旨や趣旨は歌言葉の多様な戯れの意味の内に顕れると理解してよさそうである。これを、公任のいう「心におかしきところ」を探り当てる助けとした。

 

拾遺抄 巻第六 別 三十四首

 

大江為基がみかはへまかりくだりける時に、あふぎなど調じてたれかともなくて

さしおかせ侍りける                    衛門赤染めすめ

二百十四 をしむともなきものゆゑにしかすがの わたりときけばただならぬかな

大江為基が三河の国へ宮の内を出て下った時に、扇(あふき)などを調達して誰からとわからないように、さし置いてこさせた、(衛門赤染むすめ・赤染衛門)

(別れ惜しむ気もないのに、しかしさすがに・しかすがの渡りと聞けば、ただならぬ気になることよ・すこし未練あり……愛しい気もないのに、行くところが肢下洲かの辺りと聞けば、普通ではない気がすることよ・貴身は合う木だった)

 

言の心と言の戯れ

「あふぎ…扇…逢う気…合う気…合う木」「木…言の心は男」。別れ歌なので、貴身は「合う木だった」と過去形に聞く。

「をしむ…惜しむ…失うのをおそれる…愛しむ…愛しいと思う」「ゆゑに…故に…のために…それが理由で…なのに…にもかかわらず」「しかすがのわたり…(三河の)然菅の渡り…渡し場の名…名は戯れる。しかしさすがのわたり、肢下すかの渡り」「す…洲…おんな」「わたり…辺り…渡り…(川の)わたり…(川の)許へ行く」「川…言の心は女」「ただならぬ…普通ではない…平静ではない」「かな…感動・感嘆・詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、餞別の扇に添えた歌。三河の国へ行くと聞けばちょっと気にかかる。

心におかしきところは、今さら逢う気はないけど、合う木だった、他所の肢下洲かを渡ると聞けば心静かではない。

 

女心の複雑な思いの程を言い表してしかも相手の心を傷付けない見事な別れ歌だろう。

 

 

みちの国のかみこれのぶがめのくだり侍りけるに、弾正のみこの内方の香薬

つかわし侍りけるに、                                        戒秀法師

二百十五 かめ山にいくくすりのみありければ  とどめんかたもなきわかれかな

陸奥国の守これのぶの妻が下るので、弾正の親王が内方の香薬を餞別に遣わしたので、  戒秀法師

(蓬莱山に・理想郷に、行く香薬なので・女の幸だけを願っている、止める方法もない別れなのだなあ……みちのくまでの長い女のたび路にとって男は・伊勢の亀山あたりに行き着く薬にすぎないので、男の峰とも女とも・止める方法の無い別れなのですねえ)

 

言の心と言の戯れ

「かめ山…亀山…蓬莱山…不老不死の理想郷…伊勢国の亀山…東海道の出だし」「とどめんかた…止める方法…留める手立て」「かな…詠嘆」

 

清少納言に、相性のいい男は如何と訊ねたら、合う木ねえ、わが「彼が身は、八寸五分」と応えていた。相性の悪いのは如何、非合う木ねえ、「檜扇は、無文、唐絵(非合う木は、文寄こさない男、空洞の枝)」と枕草子に応えてあった。この時代の歌をはじめとする言説は、言葉の戯れを楽しんでいる。言葉の戯れは、人の論理理性で牛耳るように把握することなどきない。貫之の言うように、そうなのかと、心得るだけである。


 

御製、女の歌、法師の歌とつづいて、紐解くのにいささか疲れたので、あたま休めのため、少年の恋歌を一首聞こう。

大江為基が元服したばかり十五歳位の時の歌。『拾遺集和歌集』恋二。


     女の許にまかり初めて                大江為基

日のうちにものをふたたび思ふかな とく明けぬるとおそく暮るると

   女の許に通い初めて                 大江為基

(一日のうちに、ものを二度、思うことよ、早く夜が明けてしまうなあと、遅く暮れるなあ・夕暮が待ち遠しいと……一日のうちにものを二度思うことよ、おとこは・早く飽き果ててしまうなあと、おんなは・おそくめが眩み、果てるなあと)


 言の心と言の戯れ

「もの…はっきり言い難いこと」「かな…感嘆・詠嘆の意を表す」「とく明けぬる…早く夜が明けてしまう…早く限りが来てしまう・早く飽きが来てしまう」「おそく暮るる…遅く暮れる…遅く果てになる…遅く眩む…遅く理性を失い乱れる」「る…自然にそうなる意を表す」

 

この歌は、大人の男なら誰にでも、清げな姿と心におかしきところが、共に実感として伝わるだろう。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。