<言葉。保守(コンサヴァティヴ)>
「保守と革新。」という言葉は、それ自体としてはほとんど無内容です。
つまり、「何を保守するか?」。そして「どんな革新を起こすのか?」について、一言もありません。
しかし、相対比較でいえば、「プログレッシヴ。」(革新)の方が内容への示唆が多いようにみえます。
というのも、2つの理由があって、1つに、創出可能な『変化』はごく限られているので新たな内容を特定しやすいということです。
企業経営を例にとると、コンピューターの導入、不定期雇用の採用、中国への市場開拓といったふうにです。
そしてその変化には「現状の『破壊』。」が不可欠ですので、「失うもの。」の内容がほぼ確実に勘定できます。
ただし、『変化』は、未経験であればこその変化ですから、変化によって「得られるもの。」は大いに「不確実。」で、それを割引いて考えれば、革新の内容は相当に希釈されましょう。
「コンサヴァティヴ。」は、すでにあるものを『保守』するのですから、その内容は確実なように思われましょう。
しかし、その「すでに。」は過去の全域に及ぶのであって、必ずしも「現状維持。」のことではありません。
過去の状態は、一応は記憶・記録されておりますので「確実性。」が(未来の変化と比べれば)高いかもしれません。
しかし、それらの記憶・記録の内容は『解釈』次第のところがありますので、その分内容が曖昧になります。
とはいえ、どの変化・革新を選ぶかの選択基準は過去からやってくるのである以上、保守の側に言い分が多いことは認めなければなりますまい。
確認さるべきは、保守は「現状維持。」のことではない、ということです。
これこそ、わが国の保守思想が見逃しがちであった点です。
保守は革新に『反対』しているのではありません。
保守が『問う』ているのは「何のための革新か?」ということについてです。
バークは「リフォーム・トゥ・コンサーヴ。」つまり「保守するために『改革』せよ。」といいました。
変化の選択基準を示す『伝統』を守るため、またその伝統を内蔵しているはずの『良習』を守るため、それを抑圧したり排除したりしている現状がありとせば、それを改革しなければならないということです。
「革新のための革新の。」という変化の自己運動ではなく、「守るべきものの『ため』の改革。」、バークが要求したのはそのことです。
ここで『革新』(イノヴェーションあるいはプログレス)といわずに『改革』といったについては理由があります。
後者の『改革』には、その後の慣用において、『改良』という意味が強いからです。
英語「リフォーメーション。」もそういう使われ方をしております。
『改革』が「漸次的変革。」だということにこだわっていうと、『抜本』改革とか構造改革とかいうのは言葉の『誤用』だということになります。
以上
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます