<福沢諭吉先生の『脱亜論』(その2)>
(続き)
「輔車唇歯(ほしゃしんし)。」とは、隣国が互いに助け合う喩(たとえ)であるが、今の支那・朝鮮はわが国にとって髪一筋ほどの助けにもならぬ。
のみならず、西洋文明人の目から見れば、三国が地理的に近接しているため、これを同一視し、支韓の評価によってわが日本を判断することもありうる…。
喩えるなら軒を並べた村や町内の者たちが愚にして無法、残忍無情であれば、同じ町村内の家人の正当なふるまいも、その醜さに『埋没』するようなものだ。、
されば隣国の開明を待ち、ともにアジアを発展させる猶予はなく、むしろその仲間から「脱して。」西洋の文明国と進退をともにし、隣国だからと特別扱いをするに「及ばず。」、西洋人がこれに接するように処するべきである…。
『悪友』と親しく交わる者もまた、『悪名』をまぬかれない。
我は心において、東アジアの悪友を『謝絶』するものである…。
(明治一八年三月十六日)
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