海外に出かけてみると、日本の都市における生活こそ、人類が望んでいる、世界最高峰の生活なのだろうと思えます。
パリ、NY、ボルドーにしても、古びて、住みにくそうだし、バルセロナも行くたびに、ランプラス通りも不潔になり、治安も悪くなっています。
Mさんは、池袋から私鉄で10分くらいの駅から2分のところに住んでいますが、ものすごく便利な環境だというのです。
スーパーマーケットもコンビニも歩いて2~3分の圏内に、4件もあります。 病院もたくさんあり、イタリアンやラーメンなど、おいしい飲食店が山ほどあります。
こうした東京での生活は、もしかしたら、世界最高の『贅沢』な生活ではないだろうか、というのです。
贅沢とは、結局、物やサービスへのアクセス時間が短いことだというのです。
何かを買おうとしたときに、すぐ買える。 医療サービスを受けたい時に、すぐ受けられる。
これこそが、贅沢であって、日本人の変な感覚では、お城の中に住んでいるのが贅沢だと考えてしまいますが、お城に住んでいる人が、週刊誌を歩いて買いにはいけません。
Mさんは、歩いて1分で、コンビニで買えますし、少し大きな買い物をしたければ、2分歩いて、電車に乗って池袋へ行けば、何でも買えるというのです。
徒歩で、どこへでも行けますし、そもそも犯罪などは、殆どないわけで、これに勝る生活はないと思うというのです。
ところが、地方へ行くと、やはり事情は違います。 クルマ社会になっていて、イオンなどの大きなショッピングセンターへ行かないと物が買えません。
この状態で、地方のお年寄りは、今後どうするのか? 車を運転しなければ、何も買えない状態で、果たして大丈夫なのでしょうか?
こうしたアメリカ的なクルマ社会、あるいは、ショッピングセンター的な方向というのは、日本人には合っていないのではないでしょうか?
しかし、考えてみると、アメリカ人だって、好きでやっているわけではなく、自動車で30~40分の範囲にウォルマートしかない人たちは、あんなに『ひどい物』を買わされているのです。
安いと云うけれど、品質から言えば、どう考えたって安くはない。 そんなひどいものを買わされていて、しかも、ウォルマートのバイヤーが買ってきてものしか選択肢がない、そんな生活を好きでやっている人がいるとは、到底思えません。
でも、いったん、安売りで客を獲得し、他のスーパーを『追い出す』と、必ず、そうなってしまうのです。 アクセスの短さとともに、『選択肢の豊富さ』も、贅沢の要素としてあるのだと思います。
東京や大阪に住んでいれば、日本にいながらにして、世果中の料理が、いつでも好きな時に食べることができます。
こんなことができるのは、世界中で、東京と大阪だけです。 もちろん、アメリカやヨーロッパの大都市でも、お金を出せば、世界中の料理が、だいたい食べられますけれども、それは、あくまでも、知的エリ-ト向けです。
やはり、選択肢の豊富さは、大事です。 選択肢の豊富さは、ある程度の人口集積がないと、つくりようがないのです。
エチオピア料理とかボリビア料理の店は、人口100万人のところでは成り立ちません。
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