<人間中心主義という思い上がり>
ルネッサンス以来、人間中心主義の時代になり、「ヒューマニズム。」があふれ出てきて、人間性というものを解放した素晴らしい時代がやってきた、というふうに今日われわれは思っています。
だから、マックス・ウェバーも「近代とは、宗教的なものからの解放だ。」といい、ニーチェのいうように、『神』も「イデア。」もただの幻影であって、そんなものに縛りつけられている理由はどこにもないといえます…。
けれども、絶対的なものをことごとく否定した結果出てくるものは何かというと、「人間自身。」を、つまり自分自信を絶対化してしまうという「自己中心主義。」であります。
たとえば人間の『自由』を絶対的なものとして打ち立てると、自由への欲望は無限に広がってゆき、快楽や欲望を無条件に肯定して、その無限の追求に歯止めがかからなくなってしまうでありましょう…。
しかも、それを万人が持って生まれた基本的人権、人間が生まれ持つ「自然の権利。」だというのが、近代という時代になってゆくのでありますよ。
その一番の根底にあるものは、次のような考え方です…。
人間が人間として生まれてくることによって、「そのままで絶対的に価値がある。」ということです。
「人間が生きているということ。」それ自体を「絶対的な価値。」と見なすことこそが、「近代のヒューマニズム。」であり、そこから人間の「基本的権利。」というような思想も出てくるのであります…。
<続く>