<麻布問答。「此処より下に家を建てるな」と先人の津波被害の教訓を伝える石碑>
R(麻布老人):私は、神仏なんかいないと思っているのですよ…。
だって、神仏が居るはずがないのは、木曽の御嶽山では、最も信仰の厚い人も火山噴火に巻き込まれました事から見ても明らかですよ…。
K(喜多八):そうですよねえ~。
科学文明が発達して、人間は「自然を征服した…。」と思い上がった面もありましたが、台風の襲来や桜島の噴火などを見ると、人力の限界を感じますけれどねえ~。
そこで、昔から「自然(人知を超えた力、The great something、宇宙、天…)には逆らえない。」とかはよく言いますね…。
R:まあ確かに、自然の仕組み(摂理)というものはあるわけで、例えば年をとると成長が止まり、しわが増えたり、髪が薄くなったりするのは、人間の意思とか努力の埒外ではあるけれどね~。
そういうことをいえば、地球が太陽の周りを公転していて、地球が傾いて自転しているために四季があるなどというのは、誰がやっているんだろうかなあ~!?
K:う~ん。 昔から、そこらへんのことに畏敬の念を抱いていた人類は、人智(力)を超えたものとして『神』の存在だとしたのかなあ~?
そうした自然の働きを例えば『神』と呼んだとして、それが嫌だというのなら、他の名前でいうと何と言えばよいのかなあ~!?
R:う~む。 そうした自然の摂理(人知を超えた力)は「the great aboveとか天。」とかいうことになるかもねえ…。
しかし、先に言ったように神仏があるなら、3・11の三陸沖地震で大勢の人が亡くなるのはおかしいじゃあないのかい…!??
K:なるほど。 そうだよねえ~。
そういえば、「自然の力。」を『神』(仮称)だとすると、自然は人間の都合のよいようには動いていないなあ~!??
以前あなたのブログの「広島の土砂災害…。」というのがあった時に、私は「あれは、『災害』ではなくて自然『現象』でありましょう…。」とコメントをしたことがありましたよ…。
あれは、自然が人を災難に合わせたのではなくて、沢筋(水の通り道・自然現象)を開発してそこに家を建てたためではないですかいね…!?
火山国のわが国では、御嶽山が噴火するのは自然現象であり、いろいろの『理由』で、そこに登山していた人が噴火に『遭遇』して、災難になったということなのかなあ…。
まあ、「厚い信仰…。」というのも吟味する必要はあるかもしれないですけれどね…。
R:う~ん。 3・11の三陸沖地震についても、「此処より下に家を建てるな」と先人の津波被害の教訓を伝える石碑=宮古市重茂があるというねえ~。
<続く>