朝の七時半より三十分だけの羽田空港名物、RunWay34Leftからのハミングバードデパーチャー3(事前に決められた限定五機だけの出発方式)。 家のベランダからも見えるが、
で15分 京急天空橋駅の横まで来たほうが良く見渡せるので たま~に来るのである。 いつもどうり順序よく離陸していくのだが、如何せんコンデジではこれが限界。 なんとか
一眼がほしいな。あれ
TWRをワッチしていたら聞き覚えのある声、今日のタワーは Good Day
あの堀井さんみたいだ。 すると英語
から日本語になったので聞いてみるとJAJ1103旭川行きが34Rightへタクシーイングしている途中お客様にトラブルが発生したらしく一度スポットへ戻りたいとの事らしく急を要して日本語になったらしい。 落ち着いた対応でグランドにハンドオフしていた。 さっ
仕事 行こっ
立替が決定した歌舞伎座の向かいの路地を入ると、そのホテルはあった。
銀座東急ホテル、今から40年近く前 親父が築地に品物を卸していた関係で 夜
12時過ぎに品物を配達するのだが、たま~に おいらを連れて行ってくれるのだ(今 そんな事したら青少年・・・条例違反だ)。オンボロ軽
で横羽線を走れば子供としてはワクワク。羽田空港に駐機している海上保安庁の機体を探したり、途中にある
ネオンサイン
中でもビタワンの巨大な
犬のネオンサインを見るのが楽しみになり、父からのお呼びを布団の中で待っていて、GOサインが出れば、たちどころに半ズボンにヒジアテを付けたヨレヨレの
セーター、それに裸足でズック。まるで
3丁目の夕日から出てきた少年のよう、親父はネクタイにウールモドキの上着にサンダル履き、少し前のキャバレーの呼び込みのよう。 日曜日も働いて家族の団欒など無かった、親父と唯一 男どおしの話が出来る時間だったのだ。
帰りぎわ 三回に一回ぐらいの割合で
銀座東急ホテルの1階にある24時間営業のレストラン その名も024(オートウーフォー、)でご馳走してくれるのである。これが一番の楽しみであった。まだ
コンビニもファミレスも無かった時代、どこも営業していないのに ここだけは灯りが点いている。クルマを店の前に止め、ヨレヨレの服装で堂々と入って行った。支配人も何度か行くうちにドアーを開けてくれるようになり、見よう見
まねで
の使い方を覚え、食べたハンバーグの味は今でも忘れない。新橋演舞場にも近く、 歌舞伎役者や俳優さんにお笑いの芸人さん、議員さんに訳ありカップル そのスジの方まで、(少しはカタギの人も)会うことが出来たのである。
でも もうそれも 遠い過去の話、何年か、前に取り壊され 今では時事通信のビルになり、
1階の場所にはレストランがあったが高級フレンチに。
懐かしい記憶がまた・・・・