時々乗っては
45年以上前
この階段に座りふてぶてしい顔でソラをあおぎ。
門をくぐっては
なぜか先生じゃなく
ココで何を学んだか忘れちまったけど
留年が決まっていた おいらに 担任が、単位と引き替えに
言葉が通じない海外❗
おいら1人で❗
無理❗
すると担任が
後輩よ
いつもの乗降駅は妙蓮寺駅だった。
横浜方面のホームへ続く地下通路
体格がイイわりに
初めてパスポートを取りに行く時もこのホームから。
早朝の川崎周辺は日曜日とあってクルマの量も少なく静かです。イチョウ並木もサラサラと落ち始め?もとい!散り始め? いやもとい!何て言えばいいのっ 本日は娘の合格発表の日。この一週間、皆 顔には出していないが(たぶん おいらの顔はかなり変だっただろう、それは生まれつきでもあるが)ピリピリした空気が漂っていたのだ。変に気をつかったり、新聞を読むフリをして娘の顔色をうかがったり。だから昨晩 テーブルのグラスを取り間違え、娘のアップルジュースを飲んでしまった。ヴィンテージ白州を注いだロックグラスと なっちゃんのグラスを間違えるなんて、かなり動揺している。しかし本日も仕事なので、おいらには夜11時過ぎに帰るまで知るよしもない。長い一日になりそうだ
これは 今から34年前 高校の夏休みを利用して参加した、海上自衛隊館山航空基地での思い出の修了書。 担任の先生におまえは 頭が悪いから身体を使った仕事に就いたほうが良いと、渡された夏季航空学校の申込書に半強制的にサインさせられ、(家の家訓で学校の先生は偉いのだから間違った事を言われても殴られても従いなさい、ミタイナア)で横須賀の海上自衛隊基地から高速艇で東京湾を横断して館山航空団まで連れて行かれ、他の都道府県からの同じ境遇の高校生達と 合流し、補給部で制服と作業着、その他もろもろを受け取り、隊舎へ直行、五分で着替え格納庫前へ整列。何が何だか判らないまま基礎訓練が始まったのだ。夏の太陽は容赦なく身体の体力を奪い、海での訓練ではクラゲに刺されるし、少しでも休めば、罵声の嵐。一日が終わり部屋に戻ればドッと疲れが出て筋肉痛。でも夕食の美味かったのは心の支えになったな。三日を過ぎると他の高校生とも仲間意識が強まり助け合う気持ちが芽生えてきた。そして待望のヘリでの訓練。五人一組で搭乗するのだが、一人だけ高所恐怖症がいて(離陸してから それが判明)ホバーリングからのオートローテーションなんぞは どこからか悲鳴とも嗚咽とも聞きなれない声が。オ~ロ~シ~テエ~その翌日 彼の姿は航空団には無かった。 終了式の時 兄貴のような 担当の教官が涙しておいら達に声をかけてくれた言葉、ヘリの爆音でかき消されて、何を言っていたかわからないけど。たぶんここへ戻って来いよ ハイ戻りません