34Leftで

チャリオで20分
羽田空港が子供の頃からの秘密基地
ハンバーガーとモンブランが大好きで時々オリーブも

おいらの ルーツを少し

2016年01月29日 | まち歩き
祖父とはアルバムの中で会っただけ。
どんな人だったんだろう。
幼い頃から祖母に聞かされていたのが、
住まいは芝(港区) 新橋6丁目・・・・おいらの本籍はココ
東京湾で海苔を採る漁師の家に生まれ、
曾祖父が海苔を採っては日本橋の山本へ納め生計をたてていた。
でも祖父は継がず、報知新聞の記者になり横浜支局で活躍していたと。
英語が堪能で 酒豪でもあり、仕事で幾日も家を空けていた。
その為 家計も苦しく 祖母は麻布十番でミルクホールを営んでいた。
戦争の影が忍び寄ってきた時代、近くに陸軍本部があった事もあり
若い兵隊とその家族との面会所に指定され、繁盛していたと。
それを知ってか 祖父は仕事の名目で蓄えを崩して。

本籍がある場所を歩いてみました。幼い頃の親父殿もココで遊んでいたのかな?
戦後 焼け出され、南方へ出征していた叔父の帰還を大田区六郷で待ち
川崎大師に移り住む。
親父殿は横浜の進駐軍の基地内のスナックでハンバーガーを焼き、
夜はキャバレーでウッドベースを弾いて糧に。
渋谷の道玄坂あたりを根城に、毎夜 悪巧みに勤しんでいたみたいな親父殿
その血をひくおいらは・・・・・・!

近くにあった店に飛び込んで 一休み。

1人で切り盛りしているマスターの横顔、えっ?・・・・・・
時間の過ぎるのも忘れコーヒーの香りに

ご馳走さまでした


2 コメント

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想いをはせます (jibunid)
2016-01-30 09:47:13
私は新橋七丁目で生活をしていたことがあります。
きっと、とゆうか間違いなく時代は違う頃と思いますが、その場所が特別な場所で私にとってかけがえのない場所です。
祖父様や祖母様、親父様のお話を聞いて、その頃のあの場所を想い描くのは、とても楽しかったです。
マスターの横顔に何を感じたのか気になるとこですねー。
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消えていく物語を (しぇふ)
2016-01-30 15:16:24
jibunidさん どうもです。

こんな話でも 聞いてくれる方が居る、
アップした甲斐があります。
ありがとうございます。

あっ 横顔!
世の中には 3人 似ている人が居ると親父殿が申してました。
ご想像に・・・・

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