神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

私は主婦ニート?・・・録画してあった「山奥ニート」を観て

2016年09月14日 10時48分52秒 | テレビ番組
番組欄を見て興味をそそられたから録画しておいた、9月11日深夜放映のカンテレのドキュメント番組「山奥ニート」を観た。

引きこもりだった働き盛りの男性数人が和歌山県の山間部で、廃校になった小学校の建物で共同生活を送っている様子を取材したものだった。

みな見たところ健康そうに見えるが、それぞれ社会にうまく順応できなくて引きこもりになっていたようだった。

が、この山奥で暮らすようになって、必然的に生きていくための日々の仕事はできた。

ご飯を作ったり片付けたりの基本的なものから、アルバイトで引き受ける近隣の農家の仕事なども含まれる。

農家の手伝いをするだけでなく、彼ら自身も畑を耕して野菜を作ったりしている。

道路で見つけた鹿の死骸を解体して、食料にするというようなこともやってのける。

が、それらの仕事は、基本的に強制ではなく、自発的にするということらしい。

多少の取り決めはあるだろうが・・・。

この番組を観ていて、私も自分のことを体のいいニートだと思った。

主婦という職業を名乗ってはいるが、家事に疲れたら、こうして好きな時間にブログを書いたりしている。

外出は、ほとんどしない。

会話も、概ね夫とするのみである。

あと、ネットで知り合った人とコメントでやりとりするくらい。

考えてみれば、彼らと全く同じ生活をしている。

いや、ニートだった彼らの現在の生活のほうが、まだ外での作業をしたりしているから、私より人間らしい生活をしているといえるかもしれない。

ニートっていうと何か後ろめたいが、しかし、やみくもに働いているほうが人間らしさを失っているかもしれないと思ったりするときもある。

日本も人口減少期に入って、今までとは違う方向を模索していかなければならない。

その選択肢の一つに、こうした農村部に回帰する生活というものも入れるといいと思うのだが、どうだろう。、

現実は、決して甘いものではないと思うが・・・。

  一日中家から一歩も出ぬ日あるわれこそニート主婦ニートなり  biko

私と対照的に夫はよく外出する人である。仕事がらみのことが多いが、しかし楽しみで出かけることも多い。

夫婦二人とも外出好きだと、それはそれでちょっと困ったことにもなるだろうが、我が家の場合は、これでうまくいっているのかもしれない。

また台風? 天災、人災の押し寄せるこの国

2016年09月13日 17時45分44秒 | ニュース
ネットのニュースを見ていると、また台風が日本に近づいている?

なぜ、こんなに次々押し寄せてくるのだ。

天災だけならともかく、北朝鮮は水爆実験をやるし、中国は尖閣列島を実効支配しようとするし・・・。

天皇のおわしますこの国に何が起ころうとしているのだろう。

台風は禊ともいえるが、隣国のけしからぬ牽制はどう受け止めたらよいのだろう。

そこのあなた、笑っている場合ではありませんよ!

  この国を洗はむとして台風は何度も何度も攻めてくるにや  biko

  遠くから足音聞こえ雨風の強まる嵐タイフーンは  BIKO

  天皇(すめらみ)のいませる国を清めむと神風は吹く神国なれば  biko

  こちらから打ち返したき水爆を持たず国土は東西に寝る  biko

  人災の地震のあとの半島になぜか天災地震も来たり  biko

  奪おうと海にあまたの舟浮かべ尖閣列島にぎはせてゐる  biko

  堂々と盗まむとせる隣国の舟は漁船に見せかけた舟  biko

やはりヒラリーさん、お疲れ?

2016年09月13日 15時47分49秒 | ニュース
テレビ等でヒラリー・クリントン氏の大統領選挙の様子を見ていて、「えっ、この人が私と同世代?」と彼女のパワーに舌を巻いていた。

が、昨日のニュースで体調を崩したとお聞きして、不謹慎にも「ああ、やっぱり」と思ってしまった。

私は、自分が病気がちで体力がないことは認めるが、それでも寄る年波も関係していると感じているから、彼女の元気さは驚異的だったのだ。

私など、一仕事すれば一休み、それを繰り返しながら日々の家事を片付けているという体たらくであるので、ノンストップで働いたら死んでしまうと思う。

ヒラリーさんがいくらお元気な人でも、もう70歳も目前の人だから、お疲れの出るときもあるだろうと拝察していた。だから、体調を崩されたというニュースには、むしろ、ほっとしたくらいだ。

もう大統領選も終盤に差し掛かっているから、いまさら申し上げるのはためらわれるが、ヒラリーさん、どうぞ七十歳間近のお体をおいといくださいますよう。

命を懸けて闘っているのだから死んでも本望よ、とおっしゃるのなら、もう何も言うことはございません。

もし当選されたら、尋常でない激務が待ち受けているということももちろんご承知なのでしょうから。

これはヒラリー氏に対してだけではなく、対立候補のトランプ氏にも当てはまる懸念ではございますが・・・。

あとで、ああ、オバマは若かったからよかったということになりませんように老婆心より書かせていただきました。

  ヒラリー氏トランプ氏にも年寄りの冷や水といふことわざ贈る  biko

  年齢が近くありせば他国とは言へども親近感は強くて  biko

  六十の四年と違ふ七十の四年をいかに越ゆるや今後  biko

試練・・・上になったり下になったり

2016年09月12日 09時45分11秒 | 新聞記事
今日は新聞休刊日である。

そのことを忘れて、食堂の上においてあった新聞を、また読んでいると、昨日も読んだ記事だが、こういう歌の紹介があったので、備忘のために記録しておくことにする。
  
  片仮名のトの字に一の引きようで、上になったり下になったり


なるほど、うまくできた歌である。

そして含蓄がある。

同じ出来事でも、上におくか下におくかで受け取り方は全然ちがってくる。

私は、どちらかといえばペシミストで、物事を悲観的に受け取ることが多いが、

一昨日の「欠けたものを補って生きる・・・パラリンピック」に、やっほさんという方は、

>アナウンサーをしていたその人こそ、文章を書くのが得意だと思っていた。

その人からbikoさんに対して
>「この人は文章を書くことに自負があるのでしょう」
と言われたのだから、
少なくとも ”文章では叶わない” と認めたのでしょうから、
胸を張っていれば良かったのですよ。


と、コメントくださった。

私は、このメーリングリストでの、この発言、その他から鬱病になり、その後、精神薬を飲んで酷い目にあった。

やっほさんのような受け止め方をしていれば、鬱病などになる必要はなかったのだ。

話は変わるが、私の次男はアトピー性皮膚炎であった。

幼稚園に通っていた頃は、そのことで酷い苛めに遭い、辛抱強い次男も、ある朝ついに幼稚園に行けなくなった。

なにしろ、幼稚園では理由もなく、蹴飛ばしてくる子がいたし、言葉による侮辱もひどいものであった。

行けなくなるのが当たり前と思えるような酷い苛めだったので、私は幼稚園を休ませた。ずっと行かなくてもいいとさえ思っていた。

1週間くらい休ませたあとだったろうか。

次男は、また自分の意思で通園を再開した。

たぶん休んでいた間、幼い頭で考えたのだろう。休んで家にいても仕方ないと。

それからは、どんなに苛められても休むことはなかった。

次男の通った幼稚園は公立の幼稚園だったから、そのまま、小学校、中学校と、その苛めの構図は続いた。

が、幸い、次男は比較的勉強のできる子だったから、小学校に上がってからは、苛める子は苛める子でいたが、別の視点から次男の味方になってくれる子も増えた。

次男は、いじめっ子達も通っていた塾というものに一切行かなかった。

が、それでも、高校受験も、大学受験も、志望校に合格できた。

おとなしくて、やさしい次男ではあるが、芯は強いと思う。

幼稚園のころは、蹴飛ばしてくる子がいたら、蹴飛ばし返せばいいのにと、母親の私は思っていたのであったが、次男は、じっとされるがままになっていた。けっして仕返しはしなかった。

一度などは、まっさらの白いTシャツの背に蹴飛ばされた時の靴跡をくっきりつけて帰宅したこともあった。

そのころは、私は、次男は弱い子だと思っていた。

が、今となると、次男は、三人の我が子のなかで一番強い子だったと思う。

次男は、トの字の上におく一の字を試練と受け止めて耐えたのだろう。

今はシステムエンジニアとして立派に仕事をしているらしいし、昨年は可愛いお嫁さんも来てくれた。

私は、わが子ながら、次男を尊敬する。

  アトピーであることだけで苛められぢつと耐えゐし幼き次男  biko

お金は魂の高低を計る物差し

2016年09月11日 11時29分13秒 | 私の意見
ブロ友さんの「お金は人の心を映し出す鏡」という記事を読ませてもらった。

なるほどと思いながら読ませていただいたが、私は、それに加えて、「お金は魂を計る物差し」ということも思う。

私達はお金がないと生きていけないと思っているけれども、実際はお金で生きられるのではなく、お金を介在した食べ物、家、衣服がないと生きていけないのだ。

それで、人はお金を稼ぐことに一生懸命になるのだが、いつのまにやら本末転倒して、お金を稼ぐことが人生の最終目標のようになってしまっている人もいる。

その意味では、その方の言われる通りなのであるが、しかし、もっと言えば、お金に対する態度で、その人の魂の高低も推し量れると思う。

魂の高い人は、お金より大事なものが何であるかわかっている。

だから、お金に執着しない。

お金に執着するのは、その大事なものにまだ気づいていない証しなのである。

先日、NHKの番組、歴史秘話「秀吉、天下人のマネー術」を観た。

秀吉ほど、お金を上手に使った人はいないだろう。

番組を観ていると、秀吉が出世できたのも、天下を手中にできたのも、全てお金の力であったことがわかった。

「お金」は、もともとは金属の金のことである。金だけでなく、銀、銅も含まれる。

番組では、私の住む川西市の隣町、猪名川町の多田銀山が取り上げられていた。

秀吉は、多田銀山で富(お金)を蓄えたらしい。

秀吉は、鳥取城の戦いではお金の力によって戦わずに勝利を収めた。

敵を兵糧攻めにしたのである。

兵糧攻めにする前に、鳥取城下の米を時価の倍の値で買い集めた。

そして、城を包囲したのである。

結果、戦わずに勝てた。

それには後日譚もあって、その買い集めた米を、今度は米不足になっていた福井県の若狭で三倍以上の値で売った。

結局儲かったのだが、しかし、最初の、倍の値段でお米を買い占めるという思い切った手段が使えたのも、秀吉が多田銀山で蓄えたお金があったからだ。

かように、お金の力というものは、戦の勝利も収めることができる。

その後、天下を手中に収めて、栄耀栄華の人生を送ったということは、われわれ知らぬ人はいない。

が、晩年まで幸せであったかどうかは、疑わしい。

結局、最後は、お金の魔力に負けて、生き方を誤ってしまったのではないか。

そんなふうに思える。

人は、お金があると慢心してしまう。

それが結局、命取りになるのだ。

魂の高い人は、お金が万能とは思っていない。

それより大事なものがあるということを知っているから、守銭奴にはならないのだ。

実際、お金はなくても、人は何とか生きていける。と思う。

「お金がなくても」という言い方が適切でないのなら、最低のお金があるだけで、生きていける。

日本は、現在、人口縮小中である。

その悪い面ばかりが取りざたされているが、なに縮小しながら歴史を遡ればいいのだ。

一気に遡るのは難しいかもしれないが、だんだん昔の農業国に戻っていけばいい。

人口が少なくなれば、現在の国土で、国民が食べていけるだけの収穫は望めるのではなかろうか。農作物だけでなく、畜産物も・・・。

漁業も、遠洋漁業に頼らなくても、近海で獲れる魚介に絞ったらどうだろう。

贅沢を望まなければ、日本は生き延びられると思う。

そうして自給自足の国を目指して、国民が心穏やかに生きていけたらと思う。

究極、国民の魂の高い、幸福度の高い国になればいいのだ。

「お金」から、そんなことまで思った。

  幸福を増すべし国土変はらずに国民減りてゆくこの国は  biko

  魂の高さで決まる幸せは金のあるなし関係あらず  biko

欠けたものを補って生きる・・・パラリンピック

2016年09月10日 07時03分28秒 | 私の意見
テレビではパラリンピックの花盛りである。

今朝は水泳を見ている。

腕のない人が、ふつうには歩けない人が、水の中では素晴らしい泳ぎを見せる。

それだけでも感動的である。

人は欠けたところがあると、それを補おうと努力する。

それをスポーツの場で最大限に見せるのがパラリンピックである。

観客は、スポーツと、そういう生き様と、二つながら見させていただくことになる。

話は全く変わるし、我田引水にもなるが、以前、私が高知新聞社のメーリングリストに参加していたとき、私をいじめた主犯の女性は私のことを、「この人は文章を書くことに自負があるのでしょう」と憎憎しげに言い放った。

私は、そんなことは思ったこともない。

ただ、難聴のため、日常的にコミュニケーション不全感があるから、一生懸命に書いたことは事実である。

それを「自負があるから」などと、意地悪な見方をされたときは本当に悲しかった。

ブログもそうだが、ブログは、まだ写真が出せる。だけでなく、写真がメインのブログも結構多い。

が、ああいうメーリングリストでは写真を出すことはないから、ひたすら文章を書くことになる。

それを否定するようなことを言われたら、いっさい書けなくなる。

私は、アナウンサーをしていたその人こそ、文章を書くのが得意だと思っていた。

私など、素人の主婦の書く、つまらない文章だ。

それなのに、その人に、なぜそのようなことを言われなければならなかったのか。

いま思い出しても、悔しくて涙が出てくる。

人は、欠けたところがあれば、それを補おうとして、一生懸命になる。

パラリンピックを見ていて、そのことを痛感する。

そして、感動させてもらえる。

障害のある人の健闘には、素直に拍手を送りたいと思う。

  腕のない、歩けない人らが見せる水のなかなる美しき技  biko

  懸命は命を懸けて生きることパラリンピックもデフリンピックも  biko

(註)デフリンピック(英語: Deaflympics)は、4年に1度、世界規模で行われる聴覚障害者のための総合スポーツ競技大会であり、国際ろう者スポーツ委員会(ICSD、CISS)が主催する障害者スポーツにおける最初の国際競技大会である。(ウィキペディアより)

病人にならないと病人の気持ちはわからない

2016年09月09日 11時01分57秒 | 私の意見
私の夫は、心身ともに健康である。

まず、71歳の現在も、虫歯らしい虫歯がない。

毎日、早朝に山に登る。

帰宅して、おいしそうに朝食をとる。

その後、2階に上がって昼まで仕事をする。

昼食後は、シニアカレッジかテニスに出かける。

夕方帰宅して、おいしそうに夕食をとる。

満腹になれば、そのままぐっすり眠ってしまう。

多少悩み事があっても、一晩眠れば忘れられるようだ。

それほど健康な人であるから、

欠点といえば、病人の気持ちがわからないということだろうか。

むかし兼好法師が「病気のない人は友人にしてはいけない」というようなことを言ったと思うが、それは仕方のないことだと思う。

私のような病気がちの人間に、病気がちの夫がいれば、家が回っていかない。

だから、天才バカボンのお父さんではないが、これはこれでいいのだ。



友とするに悪き者、七つあり

一つには、高く、やんごとなき人

二つには、若き人

三つには、病なく、身強き人

四つには、酒を好む人

五つには、たけく、勇める兵

六つには、虚言する人

七つには、欲深き人

山下れいこさんの歌・・・短歌結社のインターネット歌会から転記

2016年09月09日 07時54分07秒 | 短歌
短歌の記事が続きます。

自分の備忘のために、さきほど所属する短歌結社のインターネット歌会に書き込んできた文章を貼り付けます。

短歌に関心のない人には退屈な記事で申し訳ありません。

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bikoです。皆様の地方では台風の被害とかありませんでしたか?

昨日、「塔」9月号が届いて、編集後記を読んでいると・・・

このe歌会の常連参加者だった山下れいこさんが亡くなられたのですね。

たしか昭和20年生まれであられたと思いますから、今年70歳か71歳で
あられましたか。今の時代、まだまだお若かったと思います。

山下さんには、生前、その歌集も賜りました。

和歌山全国大会の懇親会だったと思いますが、偶然席が隣り合わせになり、
親しくお話させていただきました。

山下さんのお連れ合いも聴覚に障害がおありだとかで、私の不自由を察して、
懇親会場の舞台で進行していた話の要点をお伝えくださった親切が忘れられ
ません。(懇親会場では要約筆記がつきませんから)

以下、山下れいこさんの作品を「塔」誌から探し出して書かせていただきます。
(「塔」1月号から)

  うたた寝の夢の続きに母のこゑ空耳だろうか空耳だろう

  やはらかき秋のひかりを混ぜながら糠床に茄子の紺沈めゆく

  舟いくつ流せば秋となる川か先きへ先きへと夏の雲湧く

  蕺草へ開かれてゐる窓のあり検査結果をひとり聞きに来

  過去形に友の語れる恋に似て口にざらつく伯方塩飴

  しろがねの鋏にやをら切り開く息が出来ないほどの濃き闇

  隠しごといくつかのあり黒日傘とづれば小暗き真昼であるよ

以上です。

謹んで、ご冥福をお祈りさせていただきます。

噂をすれば河野裕子

2016年09月08日 21時04分38秒 | 短歌
うわさをすれば何とかやらで、今朝書いた記事「芦屋・・・短歌に関わる思い出」に河野裕子さんのことを書いたが、今日届いた「塔」誌に珍しくパンフレットが同封されていて、見ると『あなた 河野裕子歌集』とあった。

短歌に関心のない人は、河野裕子さんといっても、「なにや、その人」と思われるだろうから、このパンフレットの写真を貼り付けさせていただく。

岩波書店の刊行で、値段は本体1800円です。

高いようですが、普通の歌集を買うよりは安いです。

普通歌集は、だいたい2500円から3000円しますから。

別に岩波書店の回し者ではありませんが、ご紹介させていただきました。

  亡くなりて六年経ちぬ「あなた」とふ題名つけてあなたの歌集  biko

  朝書きし記事にあなたの教室を、夜の記事にはあなたの歌集  biko

芦屋・・・短歌に関わる思い出

2016年09月08日 07時02分47秒 | 思い出
芦屋は、県外の人たちもよく知っている高級住宅地である。

この芦屋には少し思い出がある。

私が短歌を最初に始めたのは、この川西市のアステという商業ビルにある朝日カルチャーセンターの短歌教室であったが、ある日、教室の待合室でパンフレットを眺めていると、芦屋教室では河野裕子さんが講師をしていられることがわかった。

河野裕子さんは、当時NHKの短歌の番組で先生をしていられた。

その番組を観ていた私は、河野裕子さんにお習いしたくなった。

それで、川西教室に籍を置きながら、芦屋教室にも通うことにした。

そのころ私は大阪に住んでいたから、芦屋の教室も、川西の教室と同じように、簡単に通うことができた。

むしろ、芦屋の教室はJRの駅前にあったから、JR川西池田から長い陸橋を歩いていく川西教室より楽に行けたくらいだった。

その後、河野裕子さんが先生をしていられた結社に入会させていただき、その結社の芦屋歌会にも出させていただくようになったから、川西の教室のほうは止めた。

大阪からは、そのほうが便利でよかったのだが、その後、川西に引っ越してきてからは、芦屋に通うのは、ほんの少し不便になった。

だけでなく、認知症の義母の世話をしないといけなくなったから、物理的にも通うことができなくなった。

それと前後して、先生の河野裕子さんの癌の再発があったりして、芦屋教室に通うのも止めてしまった。

思い返せば、川西の短歌の教室に通い始めたのは、将来川西に住まなければならなくなるのを見越して、川西で友人を作っておこうという軽い気持ちだった。

始めたのは1998年4月だったから、今春で満18年経った。

最初のころこそ、よく勉強したが、最近は半ば惰性でやっているようなところがある。

短歌賞に応募したりして賞をいただいたりしたのも、最初の数年だった。

いわゆるビギナーズラックで、賞がいただけていたのだろう。

その後は、応募するのにも飽きて応募することも止めてしまった。

それと比例して、だんだん下手になってきているようにも思うが、しかし、そうではなくて、最初のころは自分を過信していただけのことだったのだろう。

止めよう止めようと思いながら、止めないのは、好きというより、他に何のとりえもないから、続けているのではないか。

  JR芦屋駅前ラポルテの故河野裕子さんの教室  biko

  難聴のわれは真横に座らせていただき聴きき先生の声  biko

  あれはまだ二十世紀のことなりしと二十一世紀の今日思ひ出す  biko

  あのころはわれも河野先生も若かりしかな五十の初め  biko

  先生のお宅に塔誌の校正に行かせていただきしころの先生  biko

  岩倉のお宅でお茶を淹れくれし河野裕子先生の影  biko

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今朝、ブロ友さんのブログを拝見していると、芦屋のことが書かれてあったので、思い出して書いてみた。

今日も暑い!朝の涼しい間に赤飯と南瓜の煮物を作りました

2016年09月07日 10時23分40秒 | 料理
昨日は寝る前に食堂のエアコンを切って寝たはずなのに、朝食堂に入ると涼しい。

エアコンのリモコンの電池が切れていて、切ったつもりが切れていなくて、朝まで付けっぱなしだったのですね。

で、すぐに窓を開け放ち、またエアコンを入れる前にお昼の食事の準備を。

特にお祝い事があるわけではないけれど、たまにはお豆も食べたほうがいいと思って、赤飯にしました。

ご飯は、夏の間は土鍋で炊きます。3合炊いて、昼と夜と食べて、あとは冷蔵庫へ。

赤飯を炊くのと平行して、8月28日に買った特大南瓜を煮物にしました。

このお鍋いっぱいの煮物で、あの南瓜の四分の一です。

数日前に一度作ったのでしたが、ほくほくして、とても美味だったので、すぐに完食してしまいました。南瓜の煮物は夫も大好物なのです。

ちなみに夫は、女、子供の食べ物といわれている、芋も栗も大好物なのです。(^^)

さすが、私が一目惚れした南瓜だけはあって、上等の南瓜でした。

これも、たぶんあっと言う間になくなると思うけれども、あと2回分残っていますからっ。

  少量の醤油と大目の味醂、酒入れて南瓜の旨煮完成  biko

  ごくたまに炊く赤飯のよろしさは小豆の赤き色のよろしさ  biko

この二つは、すぐに仏様にお供えしました。(^^)

あと、お昼になったら、↓この生協で買った「鰯の生姜煮」と私の漬けた糠漬けの茄子を出すつもり。


糠漬けの漬物は、胡瓜も茄子も少し漬かり過ぎくらいに漬けたのが私好みです。(^^)

  漬けすぎた糠漬け旨しいくらでもご飯食べられ いかん食べ過ぎ  biko

暑っ!地獄(?)の通院

2016年09月06日 16時48分32秒 | 日記
今日は心臓の定期健診日だった。

台風10号が過ぎてから数日涼しくなっていたせいもあって、残暑が堪える。

私の診察曜日、診察時間は、火曜日の午後2時である。

夏場は、この時間帯が一番暑い。

なら午前中に診察してもらうようにすればいいのだが、午前中の病院の待合室は座るところがないほど込み合うし、それに比例して待ち時間も長くなる。

だから、平日の午後の予約をしているのだが、夏場はこの時間帯は地獄の暑さだ。

前回の検診は7月だった。

7月も暑かったが、しかし、まだ暑くなり始めた時期だから、気合で乗り越えられる。

が、9月になって少し涼しくなったあとの暑さのぶり返しは本当に堪える。

しかも病院は南北の大通りの東側に位置しているから、ほとんど陰のない道を歩かなければならない。

夫に車で送ってもらうという手もあるが、家の南側に駐車してある車の中は炎熱地獄になっている。

それなら歩いて行ったほうがましと歩いていくのだが、この15分から20分の道のりが地獄なのだ。

病院についても息を整えるのに時間を要するし、汗の引くのにも、時間がかかる。

やっと汗が引いたと思ったころには、どっと疲れが出て、猛烈に眠くなる。

体力のある人なら私と同じ年齢の人でも、こんなことはないだろうが、私は、こんな具合である。

家を出るまでは、駅前でタクシーを拾って行こうと思っていたのだが、やっぱりもったいなくて、歩いていった。、

思い出してみれば、義母は、すぐにハイヤーを呼んでいた。

私くらいの年齢のころは、呼ぶハイヤーの会社も決まっていたようだった。

義父の入院中も毎日往き復りはハイヤーであった。

私も、そろそろそんな贅沢の許される年齢なのかもしれない。

ところで、肝心の今日の検診結果だが、いつものように、「ご飯、パン、果物を食べ過ぎないように」であった。気をつけないと糖尿病になると。

でも、食べないと元気が出ないのよ、私は。食べなきゃ、お肌も荒れてくるし・・・。

ああ、夏の間は食欲がなかったから、少しはAST、ALTの数値が低くなっていると期待したけれど、クーラーの中に閉じこもっていたのが、よくなかったのね。

といっても、歩きすぎると膝が痛くなるし、いったいどうすりゃいいんだ。

  卵だめご飯もパンも果物も食べ過ぎるなと医師に言はるる  biko

  がんばつて歩けば膝の痛くなるこの脚これからいかになりゆく  biko  

                    *

帰宅して、これを書いていると外が暗くなって、驟雨になった。道理で蒸し暑かったはずだ。

  蒸し暑き道を汗かき帰りたりそのあと空は暗みて驟雨  biko

”ひこにゃん”と彦根図書館と要約筆記

2016年09月05日 19時56分41秒 | ニュース
今朝は、朝刊一面の「生前退位」の記事について書いたが、夕刊の一面には、滋賀県彦根市の「ゆるキャラ」”ひこにゃん”のことが載っていた。

”ひこにゃん”は、全国の「ゆるキャラ」ブームの火付け役になったキャラクターらしいが、その使用に、原作者の「もへろん」さんが、「彦根市の”ひこにゃん”のキャラクター設定」に対して異を唱えるという事件があって、民事調停に持ち込まれていたらしい。

そんな新聞記事に目を留めたのは、この夕刊を見る前に、彦根市在住のハイジさんというハンドルネームの方に、今年5月18日付の「聴覚障害者制度改革推進中央本部ブログ」というブログを見つけました」の記事にコメントいただき、彦根図書館のイベントを教えてもらった直後だったからです。

彦根図書館は、今年100周年を迎えるとかで、さまざまなイベントが催されるそうですが、中でも特筆するべきイベントは、10月10日に開催される「夢枕獏さんによる講演『物語と旅』」であるらしいです。

夢枕獏さんといえば、『陰陽師』という小説を書かれた方ですね。

私も聴きに行きたいなあと思ったのですが、さらに羨ましいことに、その講演には、手話通訳や要約筆記がつくのだそう。

もう羨ましくてたまりません!!

「川西市の図書館でも、こういうイベントを献立ててくれないかしら」と思ったのですが、そうしてほしかったら、自分から行動しないと駄目ですね。

障害があるからといっても、待っているだけでは叶えられるはずがありません。

だって、障害のない人たちには私達がどんなに不自由しているかなど、わかりっこないのですから。

  要約筆記(えうやく)も手話もこちらがお願ひをせずば叶へてもらふは難(かた)し  biko

え、『生前退位』で特措法ですって!

2016年09月05日 07時10分40秒 | 私の意見
今朝の新聞の一面のトップにそう書いてありました。

私は、自身のブログが政治問題のブログになることを好みません。

が、これは話題にしなければ!

先日より、少し勉強させていただいているので、今朝のこの見出しには思いっきり反応してしまいました。

「日本丸」大丈夫かい?

今こそ、われわれ団塊の世代有識者は踏ん張って、この法律を阻止しないといけないのでは?

そうしないと、気づいたときは、われわれは国の根幹を乗っ取られて流浪の民になっているかも。

そのくらい危険な法律であるのかもしれませんよ!

皆さん、もっと勉強してください!

「生前退位(譲位)」などしていただかなくても、「摂政」という立派な方法があります。

天皇陛下は、国の安寧だけ祈っていただくだけで十分でございます。

今後は、全て、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご一家にお任せくださいますよう!

元号が変わるということは大変なことなのですよ!

ひょっとすると

2016年09月04日 13時08分47秒 | ブログについて
私の今朝のこの記事の「不特定多数」氏は、「皇室の一大事は国の一大事」の記事に反応したのかもしれない。

それで、ブログを書くことを止めさせようとしたのかも。

ということは、私達が思っている以上に、皇室は現在危険な状況なのかもしれない。

私達がぼんやりしている間に・・・。

先月の天皇陛下のお言葉も、時期的に、なぜ今頃?と疑問に思ったことは事実だ。

私も、これからは本腰を入れて、これらmさんの教えてくださったサイトを読み込みたいと思います。

尖閣列島の問題も、案外絡んでいるのかもしれないし・・・。

気がついたら、国が乗っとられていたということのないように!

まだ気づいておられない方々も、今後は、少し注意するようにしてください。

杞憂であれば、いいのですが・・・。