神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

健やかに

2013年08月30日 11時43分13秒 | 聴覚障害
新聞の広告に「蜂蜜漬けラッキョウ」というのが出ていて注文したのが今年7月だった。

値段は決してお安くなかったが、おいしかったのと、体によさそうな感じがして、8月には追加注文した。

一昨日、そのお店から『健やかに』という冊子が送られてきたので手にとってみると、「難聴、耳鳴り、前立腺肥大症に」とタイトルが目に付いた。

前立腺は私には関係ないが、難聴は大いに関係あるので、中身を読んでみた。

すると、われわれ聴覚障害者や関係者には周知のことであるが、健康な方には目から鱗かもしれないことが書かれてあったので、一部抜粋して転記してみることにした。

健聴者の人も、現在は難聴でなくても、いついかなるときに難聴になるかわからないし、自分ではなく、身近な人が難聴になることは、もっと遭遇しやすいことだろうと。

                     *

<加齢性難聴は音が大きすぎても聞こえにくい>

●高音と大きすぎる音が聞こえにくい
     ↓
低めの声で、聴き取りやすい声で話す

●騒音があると、極端に聴き取りにくくなる。また、大勢での会話は苦手。
     ↓
できるだけ静かな場所で、1対1で話す。相手に口の動きを見せながら話す。

●聞き間違いが多くなる。
     ↓
はっきり、ゆっくり、必要に応じて繰り返す。言い方を変えてみる


                      *

以上、健聴者の方々が、上記のことを実行してくださると、私達聴覚障害者はどれだけ生きやすくなるかと思う。

空き地

2013年08月28日 09時04分09秒 | 日記
今年の4月に斜め向かいにあった文化アパートが解体されて更地になった。



初めは瓦礫を細かくしたもので覆われていたこともあって、文字通りの更地であった。が、夏を過ぎて、草が生い茂ってきた。



よく見ると、花の咲いている草もある。園芸の花なら珍重されるが、草も、季節がくれば精一杯花を咲かすのである。



不動産会社の所有地なので、草引きをする人もなく、草は夏日を浴びて大きく育った。



地味な花々ではあるが、見ていると、それぞれ味わいがある。

昨日、今日と

2013年08月26日 19時24分15秒 | 日記
昨日、今日と、ぼんやり過ごしてしまった。

母を送ってから、ずっと母の老いさらばえた姿がまぶたから消えないのだ。

若い頃は美人と賞賛されてきた人だけに、老残の姿は余計痛ましい。

年をとるとは何と残酷なことかと思ってしまう。

私は、もともと美人でもなく、才女でもないので、年をとることも、それほど残酷なことではないかもしれないが、それでも、自分の身の回りのことがスムーズにできなくなることは悲しいことであろう。

母のことを考えながら、いつのまにやら自身の老後の無残を思ってしまった昨日、今日であった。

母を送って

2013年08月24日 17時47分20秒 | 家族
今日のお昼の高速バスで母は帰った。

さきほど帰り着いたという電話があった。

88歳の母は、かなり頼りなくなっているので高知まで送ろうと思ったが、実家は高速バスはりまや橋停留所で降りれば徒歩5分たらずなので、バスに乗りさえすれば、あとは何とかなると思って、見送りは阪急梅田のバスターミナルまでにした。

母が川西に来たのが16日、帰ったのが今日24日なので、のべ9日間滞在したことになる。

その間、やさしくばかりはしてあげられなかったが、それでも精一杯親孝行したつもりだ。

母もそこのところは分かってくれたのか、今朝は何度もお世話になりましたとお礼を言ってくれた。

母からしてもらったことから比べれば、ささやかな親孝行だったけれど、少しは喜んでもらえたかと思うと嬉しい。

今年88歳になった母は会うたびに老いが深まる。別れるときは、今度いつ会えるだろう。もう会える日はないかもしれないなどと思うこともある。

いつまでも生きていてほしいと思う反面、老いによる不如意なことも増えてくるので、長生きを全面的に肯定する気持ちにはなれない。

母の老いを見ながら、自らの老いについても思いを致している。

名古屋に来ています

2013年08月22日 21時14分19秒 | 家族
母が娘のところの曾孫にも会いたいというので、名古屋に来た。川西から名古屋までは決して近いわけでもないが、老母の希望なので叶えてあげることにしたのだ。

娘の長男は現在塾通いが忙しく、今日は、お弁当持ちで朝8時から夕方の7時半まで塾だった。ちょっと可哀相な気もしたが、本人が勤しんで行っているのだから祖母の私がとやかく言うこともなかろう。

明日は、朝スイミングに行ってから塾に行くという。娘は、それらの送り迎えをするので忙しい。孫は、それら以外に、ピアノも習っているので忙しい。しかし、全て喜んで通っているらしいので、これも祖母の私が口出しをすることではなかろう。

母と私は、今夜一晩泊まったら、明日は失礼をして帰ることにする。

母の昔話

2013年08月21日 09時42分51秒 | 家族
一昨晩、母が夜更かしして、昔の話をしてくれた。主に母が若かったころの父、母、祖父母のこと、親戚の誰彼のこと。

が、私は難聴、母は脳梗塞の後遺症で言語障害が残るので言語不明瞭である。

お互いにとても疲れるが、いま聞いておかないと母もいつまでも生きているわけではないと思いながら聞いた。

母の父、私からすれば祖父の家は山内家の小姓頭で美形の多い家筋であった。そのため、祖父の従姉妹達は、みな良家にお嫁に行っていて、こういう生涯を送ったという具体的な話や、母の実家は祖父が製糸工場を営んでいたから女工さん達はこんな様子だったとか、こういう生活であったとか。

母は認知症ではないが、それでも脳梗塞で倒れてからは以前の頭脳明晰が失せて話しが前後したり飛んだりする。それを不明瞭な発音で話すものだから、半分ほどしか理解できなかった。

以前、母方の従弟が母の実家の家系図を作って印刷してくれたことがあったが、母の話は、その従弟の作ってくれた家系図から漏れた話がいっぱいあったので、書き留めておく必要を感じた。

が、上記したように、難聴の私が言語不明瞭な母の話を書き留めるのは、かなりむずかしい。

母のお供で

2013年08月19日 14時52分41秒 | 家族
今日は朝から母のお供で銀行その他を回った。

母は相続のことを考えてか、銀行口座の名義を兄とか私、さらに孫にしてあるが、母の貯金でありながら、自分の名義になっていない口座なので、お金を下ろすのに苦労した。

最近は、本人確認が厳しくなって、いくら母が貯金したお金であっても、孫名義の預金は勝手に下ろせないようになっている。

銀行めぐりのあと、脚が痛いという母を連れて接骨院に行き、さらに買い物をして帰宅すると、もうお昼だった。

母が歩くのが遅いので、それに合わせて炎天下をゆっくり歩くだけで熱中症になりそうになる。

ふだんは離れて暮らしているから、我が家に来たときには優しく親孝行をと思っているのだが、自分の体がしんどくなってくると、この優しくしてあげるということがむずかしくなってくる。

考えてみれば、私も前期高齢者。老々介護に足を踏み入れた現実がこれなのかもしれない。

母が来て

2013年08月17日 15時24分36秒 | 家族
昨日の昼、88歳の高知の母が川西に来た。

長男一家は高知からの帰途鳴門で一泊して今日の昼寄ってくれた。同伴していた夫も帰宅した。

朝からハマチの短冊などを買ってきて大皿いっぱいの刺身にして出して、餃子を60個作った。おつゆは、アサリの味噌汁にした。

写真は、食事が終わり、ご満悦の老母と長男と孫の珠子です。

今夜は、川西の花火大会なので、今からいなりずしなどを作ります。

大勢が集まってくれると楽しいけれど、食事を担当する者は疲れます。

母は24日まで滞在の予定。

言霊のゆくえ

2013年08月15日 11時28分54秒 | 読書
スピリチュアリストの江原啓之氏の『言霊のゆくえ』を読んでいる。

その中に興味深い文章があったので転記してみたい。


ブログやフェイスブックのすべてが悪いというのではありません。どんな形であれ、人と交流することは素晴らしいと思いますし、情報を得ることで救われる人もあるでしょう。けれど私は、インターネットの世界を中心に生きる人が増えることに対して危機感を抱いています。

フェイスブックで公開される情報はリアルなものであっても、それがその人のすべてではありません。こんな場所へ行った、こんな人と会った、こんな食事をしたと切り取って貼り付けた人生のいいところ取りでしかないのです。

相手を賛同する意味でクリックする「いいね!」と思う行為の中に、実は「悔しい」という羨望が含まれてはいないでしょうか?自分とはちがう人をうらやましく思い、あせりに繋がってはいないでしょうか?

ブログやフェイスブックは基本的にひけらかし文化といえます。昔の日本人の感覚であれば、日記など個人的な書き物は「「墓場まで持っていくもの」という認識があったと思います。他人にはいえない心の内を記したり、整理のつかない思いを書き出し、わが身を見つめ直す「内観」の道具だったのです。だからこそ、他人には見せるものではないという意識を持っていたはずです。


う~ん、きびしい!

私は、基本的にひけらかしのつもりはないし、また、人のブログを読んで、うらやましいとは思わないつもりだが、しかし、そうはいっても、ある意味、真実をついた文章かもしれないと思いながら読んだ。

私にとって、ブログとは何だろう?

お盆その2

2013年08月14日 14時13分16秒 | 日記
今日は、長男一家が来てくれた。というより、高知にお墓参りに行く前に寄ってくれた。

午前中に来るというので、お昼を食べてもらおうと昨日のうちに買い物に行って、今日は朝から昼食作りを頑張った。頑張ったといっても、いつもの作りなれているものばかり^_^。

鰹たたき(これは従弟からのお中元で、久礼の明神水産のもの)、しめさば(スーパーで新鮮な鯖を見つけて昨日から造っておいたもの)、鶏のからあげ(これも昨日鶏もも肉を買って一晩下味をつけておいたものを今朝2度揚げしたもの)、和牛のハンバーグと付け合せにポテトサラダ(これも昨日作って冷蔵庫に入れておいた)などを出した。

長男夫婦は「おいしかった」と言ってくれて、さきほど夫と一緒に一路高知に向かった。

本当は私も一緒に行くべきなのだが、暑さに弱いので体調を崩して却って迷惑をかけることになるかもしれないので、止めておいた。夫は、孫が障碍児で手がかかるので、運転の交代要員として同乗して行ったのだ。

長男一家は今夜、明日と高知市泊、明後日は鳴門泊の予定である。夫は明後日鳴門から一人で高速バスで帰るか、長男達と鳴門でもう一泊して明々後日に帰るかは未定である。

それとは別に、明後日は高知の母が1週間滞在の予定で、川西に来る。

(註)写真の白百合の籠は鹿児島の娘婿のご両親から届いた。

               *

鹿児島のお父さん、お母さん、その後も、このブログを読んでくださっていますか?立派なお花、ご丁寧に、どうもありがとうございました。その上、娘一家は今年の夏休みは鹿児島に帰省するらしいので、お世話になると思いますが、よろしくお願いいたします。

あなたになら言える秘密のこと

2013年08月12日 19時57分17秒 | 映画
録画してあったスペイン映画「あなたなら言える秘密のこと」を見た。

戦争で心に傷を負った女性が、ある男性を介護することでだんだんと心を開いていくストーリーだった。

単純に要約するとそういうことだが、心に傷を負ったというより、体に傷を負って、それが心の傷になっているのだ。それも、自分の身体のみならず、戦時に彼女同様、暴行されていた友人(=彼女よりさらに過酷な暴行を受けていた)を助けることができず、死なしめてしまったことに対する悔しさが彼女の深い心の傷の源になっているのだ。

一方介護される男性は、働いていた海上にある石油採掘所で大やけどを負ってしまっていた。

その大やけどの原因というか遠因は、彼が夫ある女性と不倫の関係になって、その夫がそのことを悲観して自殺しようとする。彼は、それを助けようとして受けたやけどだった。

彼も、そういう意味では心に傷を負った人間だった。が、同時に、人に傷を負わせてしまった人間ともいえるのだけれども・・・。

非常にシリアスな映画で見るほうも暗い気持ちになってしまうが、それだけリアリティのある作品だったともいえる。

いろいろ考えさせる、感じさせる映画だったと思う。

主役のハンナ役のサラ・ポーリーの、傷ついて心を閉じた女性の演技、相手役の患者、ジョゼフ役のティム・ロビンスの患者の演技は、いずれも秀逸だった。

が、ただ一つ、難聴者で補聴器を使用している立場から言わせてもらうと、ハンナは難聴で補聴器を使用しているのだが、補聴器を付けたとたん、健聴者と同様の行動をとれるところに違和感があった。われわれ難聴者は、補聴器を付けたからといって、近視の人がめがねをかけたときのようには自然にふるまえない。たとえば、ハンナが石油採掘所の屋上で、コック役の男性と並んでブランコに乗りながら会話する場面があった。が、難聴者なら、いくら補聴器をつけていても、まったく相手の口元を見ないで会話をするのは難しいし、ほかにも、不自然な場面を散見した。補聴器というのは補助器具で、万全の役目の果たせる器具ではない。そこのところは健常者には理解の及ばないところかもしれない。

健聴者に難聴者の実態を知ってもらうことは、まだまだ道が遠いと思った。


なおスペイン映画ではあったが、全編、会話は英語だった。

お盆

2013年08月10日 08時52分13秒 | 家族
             (↑ピンボケですみません)

毎年8月10日早朝には、お坊さんが来てくださる。お盆のお経を上げてくださるのだ。

私達が若い頃も、それは同じだった。

当時は大阪に住んでいたが、お坊さんが来てくださる8時には川西に到着していなければならなかった。

われわれは、子供達が小さい頃は、自家用車ももっていなかったので、8月10日は大変だった。バス、電車を乗り継いで早朝に拝みにきた。

ところが大変な思いをして来てみると、当時来てくださっていたお坊さんはおじいさんだったせいか、予定の8時よりずっと早く来られて、われわれが到着した頃は帰られたあとだったりした。

最近は、そのお坊さんのお孫さんが来てくださるが、まだお若いせいか来られる時刻は8時半と遅くなった。

今朝は次男が来てくれることになっていたのだが、お坊さんが来られても来ない。

さっきメールを送ると時間が分からなかったという。夫のケイタイに電話を入れたらしかったが、夫がそれに気付かなかったので、結局、来れなかったのだ。

でも、せっかくだから、お昼にきたらと誘ったら来るという。

私達の頃は、義母が厳格だったので、来ないということは許されなかったが、いま逆のの立場になって、仕事盛りで多忙な子供達に強制することなど、とてもできない。

これも時代の趨勢だろう。

緊急地震速報

2013年08月09日 19時32分35秒 | 日記
昨日の午後4時56分、私のケイタイに緊急地震速報として、「奈良県で地震発生。強い揺れに注意してください。(気象庁)」と入ったので驚いた。

が、同5時33分に兵庫県災害対策センターから、「16時56分ごろ、緊急地震速報が発表されましたが、兵庫県内で震度1以上は観測されていません」と連絡が入ったので、ホッとした。

しかし、近い将来、必ず南海地震は来るといわれているから、昨日は誤報だったとしても、覚悟はしておかなければならないだろう。

ところで、今日は、北東北で今までになかったような大雨が降ったらしい。

さきほどのニュースによると、秋田、岩手では山の崩れたところもあるという。

日ごろの備えをしてあっても、これほどの災害になると人はなす術がない。

東北は、一昨年の大震災の復旧もまだこれからという時期なのに、次々と災難が襲っている。

東京電力福島第1原発で汚染された地下水が海に流出しているというニュースもあったところだ。

東北に、日本に、これ以上の災害が起きませんようにと祈らずにはいられない。

波動

2013年08月07日 10時43分29秒 | 読書
最近、宇宙の波動に関心があって、この本も図書館で借りてきて読んだ本だ。

本の題名は『波動干渉と波動共鳴』。

むずかしくて一度読んだだけでは全て理解するのは無理だが、共感できた次の詩を転記して何度も何度も読み返したいと思う。



宇宙の法則

宇宙は闇に満ちている。

満天の星空。

光は闇に支えられ、闇は光をもりたてる。

光と闇が争えば、無論、母なる闇が勝つ。

光は闇から生れた父なるものだ。

やがては闇に取り込まれ、安息に溶ける。

光には速さがある。故に有限。

闇に速さはなく、初めからそこにある。

故に無限。

生れて初めて見る無限は闇。

闇は恐い、なのに安らぐ。

永遠の眠り、魂の安息は光の中?闇の中?

月面の太陽の光は、残酷に照らす。

光の暴力、なのに尊い。

生れて初めて見る無限の恐怖。

しかし、やがてなつかしさに包まれる。

光と闇、闇と死。

光は闇から生まれ、闇に還っていく。

宇宙は闇に満ちている。

夫が帰国

2013年08月05日 15時32分23秒 | 日記
昨夜帰国の予定だった夫が今日の昼前に帰国した。

なんでも、上海で雷雨がひどく、搭乗予定の便が欠航になったという。まあそれは仕方ないのだが、その説明が航空会社から何時間もなく、ロビーにいた人たちが騒ぎ始めて、やっとホテルに送ってくれたそう。4日間の出張の仕事のあとだったから夫はさぞ疲れたろう。無事帰ってきてくれて本当によかった。

日本もこのところ大気が不安定だが、お隣の中国も、どうもそうらしい。

この私のブログ名は「神鳴り」だが、これら天候不順は神様からのお知らせだろうか?