神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

私、去年の今日、交通事故に遭ったみたいです

2016年09月30日 18時18分02秒 | ブログについて
gooブログでは、毎日一年前の記事を送ってきてくれる。

これは、とても役に立つ。

なぜなら、たった一年前の出来事でも忘れていることがあるから。

今日の一年前の私は交通事故に遭ったようだ。

幸いたいしたことはなかったが、それでも、その後1ヶ月くらい痛みが続いたと思う。

心配になって数日後、保険なしの全額自費で病院でレントゲン撮影もしていただいた。

そんな大きな出来事だったのに、すっかり忘れていた。

私は健忘症になったのだろうか?

gooブログが教えてくれなかったら、そのまま忘れてしまったかもしれない?

まあ、死ななかったし、大きな後遺症もなくて、運がよかった。

私は、やっぱり神様に守られているのだろう。

神様への感謝を忘れないように、gooブログが教えてくれた。

gooブログ、ありがとう!

  昨年の今日事故に遭ひ助かつたことなど忘れ今日のわたくし  biko

教訓・・・救急車が来たら、恥ずかしがらずに担架で運ばれてください。あとで痛みがくることがありますから。交通事故は保険が利かないので、100パーセントの支払いになってしまいます。

勝負服・・・きのうヒラリー・クリントン氏きょう蓮舫氏

2016年09月28日 16時17分45秒 | 日記
昨日はアメリカ大統領選の討論会があるというので、見忘れないように録画して観た。

私と同世代のヒラリー・クリントン氏は真っ赤なパンタロンスーツで登場した。

これは明らかに勝負服である。

この派手の極北ともいえる真っ赤なスーツにヒラリー氏は負けていなかった。

だけでなく、肝心の討論も討論相手のトランプ氏に負けてなかった、と思った。



髪も化粧も気合が入っていて、先日体調を崩したことが嘘のように若々しくて綺麗だった。

ヒラリー氏を見ていて、女はやはり美貌だという感を強くした。

それを裏付けるように今日の午後は、わが国で、新しく民進党代表になった蓮舫氏の姿を拝見した。


蓮舫氏はヒラリー氏のような襟のついた正装ではなかったが、ドレッシングな服を身に着けていた。

若さもあって、なかなか美しいと思った。

蓮舫氏は国籍問題という爆弾を抱えているが、しかし、それはさておき、美しいということはいいことだ。

二人とも、もともと美人である上に、こういうふうにドレスアップすると、さらに美しくなる。

撮影はしなかったが、今日拝見した小池百合子さんのファッションもよかった。

「女は美貌」あるいは、「女はファッション」という思いを強くした。

私も、家の中にくすぶっていないで、たまには勝負服を着て、どこかで人目を引きたいと思わないでもないが、そんな場はもとよりあるはずもなく、さらに難聴では、討論の入り口にも立たせてもらうことができない。

今度生まれ変わるときは、五体満足で、その上、人をうならせられるような弁舌の才も持って生まれたいものだ。

  ヒラリー氏蓮舫氏とも美しくかくありたしと見とれる画面  biko

  ファッションも上々貫禄ありありて小池百合子氏所信表明  biko

飛鳥井和子歌集『けやき道まで』

2016年09月26日 05時04分36秒 | 短歌
結社のインターネット歌会のお仲間である飛鳥井和子さんから歌集の贈呈を受けた。

飛鳥井さんは、63歳まで京都の私立校の先生をしていられた方らしい。

歌会でも、ときどき発言されるから、私と同年輩くらいの方かと思っていたが、お歌から推測するのに、80歳くらい方のようだ。

年齢的にも、ひねった詠い方はなさらないから、すんなり読み取れる歌がメーンだ。

とはいっても、若い人たちには理解の及ばない歌も多いかもしれないと思った。

すんなり読み取れるのは、私も老人の仲間入りをしているからだろう。

テーマは、生、老、病、死ということになるだろうか。

現在は、車椅子を使っておられるから、ご家族の迷惑にならないように老人ホームに入所しておられるようだ。

という著者の飛鳥井さんのご紹介はさておいて、その作品のご紹介を。

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  プロ野球の開幕を見ては冬越せる喜びとせし夫いまはなし

という歌から、お連れ合いは、もう鬼籍に入られていることが窺われる。

長年連れ添った夫婦というものは、お互い、相手の喜びが己の喜びに感じられるくらい同体化していくものかもしれない。

現在は、春になっても開幕戦を喜んでいた夫がいない不在ばかりが思いやられる。

  枕辺にいつもバッハを聴きゐたる君の孤独の今迫り来る

一人きりで部屋にいるときなどに、今は亡き夫の闘病中のころの孤独がひしひしと身に迫ってくる。

今、飛鳥井さんは、その「君」に成り代わってその部屋に存在しているのかもしれない。

  一点の紅と化し夕陽落つ夫の鼓動もかく止みたりき 

連れ合いの臨終をこのように美しく詠われるくらい飛鳥井さんの心は静かに澄み切っていられたのだろう。ある覚悟のようなものも読み取れると思う。

  このままに包まれゐたしここちよく夫の好みし古き浴衣に

いかに仲のよいご夫婦であられたかが伝わってくる。

お連れ合いは、この着古した浴衣のように、飛鳥井さんになじんだ、優しい方だったのだろう。

  老いぬれば賀状の多弁もふむふむと整理終へたり蝋梅香る

私の夫などは賀状は簡潔に限るというのであるが、しかし、一年の無沙汰を賀状で取り戻そうといわんばかりにたくさん近況を書いてくる賀状もよくある、

飛鳥井さんは、そこのところも理解しながら、ふむふむと近況を聞き終えて、その年の賀状を束ねたのだろう。結句の「蝋梅香る」が年賀状整理の時期の空気を運んでくる。

  口ゆがめ重たき鍵をかけてゐるをかしな顔をドアは見てゐる

いつも鍵をかけるのに難儀していられるのだろう。

それを客観的に自虐化して詠われているからユーモアの歌に仕上がった。

  あかり消しま夜の湯ぶねに想ひをり春生るる児は今いかならむ

連れ合いを亡くして一人暮らしを余儀なくさせられていても、人生には何らかの喜びが付録として備わっているものだ。

飛鳥井さんにとっては、孫の誕生、成長がそれなのだろう。

とはいえ、

  さびしさは集ひの後に襲ふなり灯火(あかり)の中に立ちつ座りつ

という日もある。

その集いが楽しいものであったなら、なおさらその後の寂しさは強いのである。

「灯火(あかり)の中に立ちつ座りつ」に身の置き所もないほどの寂しさが伝わってくる。

歌集中には回想の歌も多い。

それが今の歌と並べられてあったりするから時系列が定まらない感もあるが、しかし、生きてこられた年代の重みとして感じられる面もある。

  乳房一つくいくいと飲み笑む吾子にお地蔵様と母は呼びかく

などは回想の歌であろう。

あるときは現在形のお孫さんを詠みながら、過去の自分の子育てを回想したりしているのだ。

あるいは、過去を回想しながら、現在の自分の境遇をかみ締めている。

病の歌も多くある。

高校教諭の職を引かれてからすぐに髄膜腫の手術を受けられ、その後、お連れ合いを亡くされた後、腰部脊柱管狭窄症、さらに脳内出血と。

老いに病はつき物とはいうものの、まさに、生、病、老、死を見据えた歌集ということもできるかと。

しかし、その老、病の中で歌作が生きがいになったようで、このように詠われている。

  はじめての欠詠号はさびしかり「塔」六月号の光あびながら

私のように確信犯的に欠詠している者からみると、あっぱれというほかない。

ということで、飛鳥井さんのますますのご健詠をお祈りさせていただきたきながら、この記事を『けやき道まで』の感想とさせていただきたい。

また、私も、たくさん病気してきたから、個人的にも、たいへん共感できる歌集だったということも付記しておきたく。

  老、病の進行形の歌集かも飛鳥井さんの『けやき道まで』  biko

  やがてわが行く道筋の歌集かもとも思ひつつ読み終へにけり biko

涼しくなったので、朝の散歩

2016年09月24日 10時32分50秒 | 日記
今朝は肌寒く思うくらい涼しかった。

夫は毎朝近くの長尾山に登るが、私は長尾山のふもとを散歩することにした。

阪急宝塚線は長尾山の斜面を走っているが、JR宝塚線は山沿いの平坦地を平行して走っている。

今朝、私が散歩したのは、JR川西池田駅のさらに南側に広がっている住宅地だ。

ここらあたりは、昔は田園地帯だった。

バブルのころに住宅地として開発されて売り出された。


阪急宝塚線沿線が高級住宅地として開発されたのと比べると、どちらかといえば、庶民的な住宅地といえるだろうか。

しかし、バブルのころは、ちょっとした住宅でも、億の値段がついたりしたものだった。

駅の反対側なので、今まで、あまり来たことがなかった。

新興住宅地で碁盤の字に開発されているわけではないから、思わぬところで行き止まりになった。

行き止まりになったところから引き返すことにした。

同じ道を引き返すのは面白くないので、JRの線路を渡って北側の線路沿いの旧国道を歩く。

電車が来たので真正面から撮影しようとしたが、タイムラグが生じて真正面は撮影できなかった。


通勤時間帯なので、川西池田駅のホームには人がたくさんいた。



現在は、JR宝塚線と呼ばれて利用者も増えたが、昔は福知山線と呼ばれて、この川西池田駅も、ごく田舎の駅だった。

こちらが川西池田駅前広場。阪急川西能勢口駅と比べると賑わいが違う。

歩行者は、主にこの写真の2階部分の陸橋を歩くから、余計に・・・。


駅前広場には、この川西市が発祥である源氏の祖、源満仲公の銅像が建っている。

この銅像の後ろに見えるのが、JR川西池田駅と阪急川西能勢口駅をつなぐ陸橋。

私も銅像の後ろ側にある階段で陸橋に上がる。

阪急百貨店の入っている商業施設アステが見える。


これがアステ入り口で、阪急電車への連絡通路になっている。


アステを抜けて、阪急川西能勢口駅前広場。

駅前広場といっても、高架された駅に繋がった広場だから、2階部分になる。


ここから、また下道に下りて帰宅。1時間ほどの散歩だった。

帰宅すると、夫は一人で朝食を食べていた。

  いつもとは違う散歩のコースなり違う道には違う景色が  biko

  朝登山せしわが夫は帰宅して朝ドラ見つつ朝の食事を  biko

あまりにも可愛かったので

2016年09月23日 14時12分31秒 | ニュース
一昨日、ニュースを観ていて、思わず録画してしまった。

録画は、そのうち消すと思うので、とりあえずブログに残しておくことにする。



愛ちゃんも、可愛かったけれど、ハズバンドが、また素敵!!(*^_^*)



久しぶりにホンワカさせていただけた。

お幸せになっていただきたいと心より思った。

  絵に描いたやうなメルヘン目にしたり卓球姫と卓球王子  biko

  愛ちやんに卓球台が高すぎて持ち上げるごと玉打ち返し  biko

  四歳の愛ちやん今でも目に浮かぶ四回目とぞオリンピックは  biko

  台湾の卓球王子のプロポーズ家の鍵とふ家管理してと  biko

  幸せになれるならねばならないと応援すなりわが子のやうに  biko

政治家の出馬には年齢制限を

2016年09月22日 12時14分53秒 | 私の意見
今朝の新聞を読んでいると、現在問題になっている東京都の豊洲市場建設決定当時、東京都知事であった石原慎太郎氏は、

まもなく84歳になる年齢の影響もあり、「記憶が薄れたり勘違いすることも考えられる」として、今後、報道関係の取材を受けることは控える。

と、書かれてあった。

ということは、もし石原元都知事に何か責任問題があったとしても、

「もう呆けてきましたから、取材も、政治的追及もごめん蒙ります」

と言っているようにも受け取れる。

それでは困るではないか。

私は、石原氏に問題があったといっているわけではない。

しかし、当時、都知事だった人に、責任が全くないということはありえないと思う。

が、もし、こういう言い訳がまかり通るのであれば、今後は高齢の政治家に年齢制限を設ける必要がある。

現在、都知事は、小池百合子さんという働き盛りの女性が選ばれて、やる気まんまんで仕事をこなしてくれている。

これが、もし、癌闘病中の鳥越氏だったら、どうだったろう。

何かことがあったとき、私は高齢ですからと言い逃れもできるし、病気が重くなりましたと逃げることもできる。

私は、都民ではないが、しかし、都民の皆さんも、高齢者を追及したり、病気療養中の人の責任問題を追求したりはしにくかろう。

それは、人として、当たり前の感情である。

そういう事態から鑑みて、今後は、高齢の方、病気療養中の方の出馬は、ご遠慮していただいたほうが、都政のためだ。

これは都政に限ったことだけでなく、全ての国政にいえることだ。

年齢制限は、何歳くらいがいいだろう。

まあ、現在は、70歳くらいまでは、大概の人は元気かもしれない。

しかし、出馬するのが70歳では、実際仕事をするのは70歳を超えた年齢になるから、逆算して、65歳くらいが妥当なのではなかろうか。

企業等でも、65歳が定年になっているのは、妥当な線引きだと思われる。

政治家の場合は、止めてから今回のような責任問題も発生する仕事柄、重要なポストへの出馬年齢制限を60歳にしてもいいくらいかもしれない。

自分自身が高齢者の仲間入りをした現在、なるべく高齢者の応援をしたいとは思うが、健全な国政のためには、年齢制限を厳しくしたほうがいい。


  老齢を理由に都知事なりし人呆けた忘れたと答弁したり  biko

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これとは逆に、天皇陛下の退位は、そのお役目が”象徴”であることから鑑みて、高齢になられても、痴呆を含めた、ご病気になられても、生きて命のある間は、天皇の位にいていただきたく思う。

その役目が果たせないという事態になれば、全て摂政にお任せすればいいのだから。

それが、天皇陛下と政治家の違いといえるのかもしれない。

  高齢を理由に退位願望のお言葉述べしこの国の帝  biko

  摂政といふ法律のありたれば老いは恐るるものにあらずや陛下  bko

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読書しようとしばらくブログをお休みする予定だったが、今朝の新聞記事を見て書かずにはいられなくなって、書いた。

台風一過の猪名川

2016年09月20日 18時30分18秒 | 日記
大きい、大きいと言われていた台風16号が通りすぎたようだ。

前評判ほどは大きいと思わなかったが、それは私が台風銀座の高知県出身者であるからだろう。

夫が猪名川を見てくるといって家を出たから、私も追いかけた。

まず陸橋の上から撮影。

上の写真の遠くの道路は阪神高速空港線で、道路の向こうのほうには伊丹空港がある。

川幅いっぱいに流れている景観は迫力がある。

今度は北東方向にカメラを向けて撮影、遠方左の緑の山は池田市五月山。

橋の上を小豆色の宝塚行き阪急電車が通り過ぎようとしている。

陸橋を降りて伊丹空港方面に向いて歩く。

しばらく散歩にも来なかったが、サイクリングロードべりには彼岸花も咲いていた。

サイクリングロードを降りて、さらに川に近づく。

川幅いっぱいに流れる濁流は、怖いくらい迫力がある。

帰ろうとすると、黄花コスモスが咲いていたから撮影した。


猪名川のそばのこの大きなマンションは、昔、大きな市場のあった跡に10年以上前に建った。


大きすぎて一枚に収まらないから、もう一枚。


私がお嫁に来たころは、まだ市場に数軒の店舗が残っていた。

ああ、あれから、もう44年の歳月が流れた。

  濁流と思ふほどではなけれども巻き込まれつつ四十四年  biko

昨日は敬老の日だったので、

2016年09月20日 09時38分47秒 | 親戚
母担当のケアマネージャーさんが、デイサービスでの母の様子を撮った写真をメールに添付して送ってきてくださった。

忙しい兄嫁にはこういう気遣いをしてもらえないから、ケアマネージャーさんの親切には感謝だ。

私も、ネットに繋がる幸せを噛み締めた。

いい時代になったものだと思う。

ところで敬老の日といえば、私達初老の人間は、まだ老人には入れてもらえないか。

71歳の夫には、町内からお祝いの商品券が届いた。

現代の老人は何歳からを言うのだろう?

私自身、まだまだ若いつもりでいるが、若い人たちからみれば、十分年寄りだろう。

テレビを観ていても、若い人たちの若さをまぶしく思うことが多い。

本当に若さはすばらしいと思えるようになったのも、自分が老いたせいだろう。

が、母のそばにいると、私はまだ若いと思えるから、老いというものは相対的なものであるか。

  敬老の日は祝ふ日か祝はれる日か老いの半ばにゐるわたくしに  biko

いただいたコメントで考えさせられること

2016年09月19日 20時20分22秒 | 私の意見
靖国神社参拝について」にいただいたコメントへの考察は、まだ続くのである。

この陸氏は、何の目的でコメントを残していかれたのだろう?

それより、日ごろ思っていることを書く。

いつまでも日本を戦犯国扱いする国々は、いつまでも言いがかりをつけ続けて、日本から賠償金、その他をせしめようとしているのではないか。

日本はお人好しだから、はいはいと支払い続けてきた。

が、そろそろ目を覚ます時期ではあるまいか。

負けてしまったから全て日本が悪いように言われてしまうが、しかし当時はそれなりに戦争に突入した理由もあったはずだ。

世界的な情勢もあった。

日本だけが悪かったわけではない。

それなのに、いつまでも日本から援助をせしめようとする国こそ恥知らずだ。

日本がお人好しなら、それを要求する国々は恥知らずだ。

このいつまでも厚かましく要求してくる国々を、われわれの世代で断ち切ってやるようにしなければ、われわれの子孫が被害を受け続けることになる。

それには毅然とした態度が必要だ。

そのために軍備が必要だとまでは言わないが、しかし、一言だけ書いておく。

軍備は、もとより戦争のためのものではなく、国防のために必要なのだということを。

お行儀のあまりよくない近隣国に取り囲まれていることを考えれば、必要悪であるかも知れない。

いただいたコメントから、そんなことにまで思いを致した。

それにしても、私も含めた日本の皆さん、もっと賢くなりましょう。

  いつまでも保障、援助と言ひ募る国に援助をするアホな国  biko

  アホな国愛してをれば集(たか)りくる国こそ憎し睨みてやらむ  biko

  この国の戦争犯罪言ひたてて隣の国は永久に盗らむとす  biko

  自虐史を教へる国ゆ奪はむと嘘の歴史を教へる国よ  biko

  この国を貶めながらこの国の血税脅しとらむとしをり  biko

最初は靖国参拝のことについて書いただけであったが、へんないちゃもんをつけてくる怪しい人がいたから、こんな記事まで書くことになってしまった。

私の今朝の記事にいただいたコメントと私のコメント返し

2016年09月19日 14時12分39秒 | ブログについて
今朝の私の記事「靖国神社参拝について」に陸さんというハンドルネームの方から次のようなコメントいただきました。


Unknown (陸)2016-09-19 10:40:38

本当に日本人として勉強しなければいけませんね。

台湾に行かれたという事ですが
どういう戦争で誰と戦って亡くなられたのでしょうか。

先の戦争では日本の統治下にあった台湾人。朝鮮人の皆さんは「日本が起こした戦争で」「日本軍の名の元に」「日本人として」戦死した方々だとご存じですか。

その方たちは「靖国神社」には合祀されていないことをご存じですか?

どのようなお気持ちで台湾の霊廟を参拝なさったのでしょう。台湾の人は台湾の為に死んだのではないことを日本人として全く知らないのでは本当に申し訳ないと思います。


が、私の今朝の記事の主題は、台湾のことではなく、日本の靖国神社参拝について、でした。

私は、お国のために闘ってくれた自国(日本)の英霊を大切にしたいと書いたまでです。

先の大戦で、義母の兄弟(はらから)が二人も亡くなっておりますもので・・・。

それを台湾の戦没者の方々に対する態度が云々と書かれましても、私としては何とも答えようがありません。まして、朝鮮の方々のことなど???

むしろ陸さんのほうが台湾の戦没者の方々のことを誤解していらっしゃるのではないかと次のようにコメント返しをいたしました。


陸さんへ (biko)2016-09-19 13:31:16コメントありがとうございました。

これを書くと反発される方もいらっしゃるかもと思っておりましたが、案の定。

でも、陸さんも少し誤解されていらっしゃるところもおありでは?

台湾の人たちが、みな日本のために死んでくれたというわけではないと思います。

中には、そういう方もいらっしゃるでしょう。

しかし、祀られている戦没者の方々は、主に国民党だった方々で、毛沢東率いる共産勢力と闘った方々と認識しております。

私も、もう一度勉強しなおしますが、陸さんも、勉強しなおしてくださいませ。

よろしくお願い申し上げます。m(_)m


皆様にもお読みいただきたいと記事にいたしました。

靖国神社参拝について

2016年09月19日 07時52分40秒 | 私の意見
よくニュースで話題になる靖国神社参拝であるが、私は一昨年夏、初めて参拝させていただいた。

夫は前から参拝したかったようだった。

というのが、夫の母方の伯父さん一人(義母の次兄)が戦死、叔父さん(義母の弟)は戦病死しているから。

義母は4人兄妹であったが、その男兄弟の三人のうち二人が戦死しているというのは、確率としても高いといえるのではなかろうか。

義父は男兄弟がいなくて、義父は五番目の長男であったが、幸い戦死は免れている。

ちなみに、私の父方は、父は三人兄弟だったが、誰も戦死しなかっただけでなく、その従兄弟達も誰も戦死していない。

母方は、母の弟が予科練に入って特攻隊を志願したが、戦争末期で飛行機がなくて、飛ばぬまま終戦を迎えた。

それらからみると、義母の兄弟は本当に気の毒に思う。

義母の両親、すなわち夫の祖父母は、大きな悲しみを体験されたのだ。

それがあったから夫は靖国神社を参拝したいと思っていたようだったが、その靖国神社参拝は、時の政治家が参拝しようとすると必ず近隣国から横槍が入る。

なぜ自分の国の英霊を参拝することに対して他国から干渉を受けなければならないのだろう。

ところで、私達夫婦は今年2月に台湾を旅行した。

その旅行で驚いたことは、その旅程に、台湾の戦死者の御霊の慰霊が組み込まれていたことだった。

それも一箇所だけではなかった。

いずれの場所も、風光明媚な場所で、整備もされていたから、観光といわれても疑問に感じなかったが、これを日本に当てはめてみると、どうだろう。

日本も、先の大戦で命を懸けて闘ってくれた英霊を、もっと大事にしなければならないのではないかと思った。

戦争に負けてしまったから何もかも悪いように言われてしまうが、しかし、国のために闘ってくれた戦死者が未だに慰霊を阻まれているとすれば、これは由々しき問題だ。

戦争をすれば、負けた国は何から何まで悪く言われてしまうということは歴史が教えてくれる、

国内の戦国時代を省みても、勝てば官軍、負ければ賊軍であった。

どんなに大義があっても、負ければ賊軍になってしまうのである。

したこと全てが悪く言われるのみならず、していないことまでしたかのように言われるのが、この「勝てば官軍、負ければ賊軍」のことわざの意味するところなのである。

日本も、先の大戦から、もう70年を経た。

いつまでも、賊軍の不名誉に甘んじている必要はないと思う。

というと、戦争を賛美するのかといわれそうだが、そうではなくて、これからこの国を支えていく人たちに、いつまでも日本は賊軍という教育をしていては、国の発展はないということを言いたいのだ。

悪かったことは悪かったと認めましょう。

しかし、してもないことまでしたといわれることには反論もいたしましょう。

それが、これから日本を背負って立つ人たちに対する、私達、年配者の義務である。

私自身、戦後生まれなので、又聞きの域を出ないのであるが、まだ身近に大戦の体験者の残っている今、しっかり話を聴いて、あるいは勉強して伝えていなけなければ、と思う。


  大戦の体験者減り真実が撓められゆくことを恐れる  biko

  誇りもつことを教えてゆかむかな教育すなはち誇りと思へば  biko

最後に、おまけとして、俳人だった、今は亡き義母の作った俳句のご紹介を

  
  聖戦と信じて果てし墓洗ふ


義母のお兄さんと弟さん、その他、この国のために闘ってくれた英霊のご冥福をお祈りします。

今日は雨なので、一日読書・・・紫陽花の葉に光る宝石

2016年09月18日 22時10分55秒 | 日記
  昨夜から降り続けたる大雨の小止みとなれば光る露の葉  biko

ここ川西市は、台風に刺激を受けた秋雨前線が活発化して、昨夜から大雨だった。

こんな日にパソコンを開くと一日中パソコンと仲良くしてしまうので、ネットで買った本を開いた。

それが面白くて、食事の支度以外の時間は読みふけった。

読んでいる本は、上森三郎著『超建国裏返史』

ネットで、毎日著者の上森氏のブログを読ませていただいているが、まとまったものを読ませていただきたくて買った。

もちろん図書館の蔵書も検索したのだが、なかったから。

内容は、最近私のはまっているユダヤ関係の本ということになる。

もう半分以上読んだが、感想は、また後日アップするようにする。

現在、読みたい、あるいは読まなければならない本が5,6冊ある。

雨は数日続きそうだから、読書がはかどりそうだ。

被害さえなければ、台風も、雨も、悪いばかりではない。

  主婦われにありがたきかも雨の日は朝からずつと読書ができて  biko

歌舞伎の歌を除けると舞妓になる

2016年09月17日 20時24分08秒 | 私の意見
だから、本来とっても近い関係なのでしょうね。

だからといって、許されることではないけれど、でも、許してあげてほしいです。

だって、中村橋之助さんって、とっても優しそうだし、いい人に見えるから。

私は、三田寛子さんのことも大好きです。

実は、私の娘は若いころ、三田寛子さんに似ていると言われることもあったんですよ。

だからずっと、自分のもう一人の娘のように拝見していました。

お二人には、いつまでも仲のよいご夫婦でいていただきたいです。

  歌の字を除けて舞妓になる歌舞伎かはら者とは今は言はねど  biko

平成16年度川西市要約筆記者養成講座に行ってきました

2016年09月16日 21時01分31秒 | 聴覚障害
今日の午後は、平成16年度川西市要約筆記者養成講座の見学に行ってきた。

ここ一週間くらい涼しくなったと思って出かけたが、思ったより暑くて会場についたときは汗だくだった。

行ったと言っても私は見学させてもらうだけで、講座を受講するのは健聴者の皆さんである。

今日は3回目だったので要約筆記の基礎知識の講座と聴覚障害者体験談があった。

私は、主に体験談を聞かせていただくのが目的で行ったのだ。

会場に入ると、うれしいことに、以前、私が体験談をしたときに受講生だった方が要約筆記者になり、作業されていた。

聴覚障碍者の体験談の前に、障碍者全般の基礎知識のお勉強があった。


まず、本年平成28年施行の「障碍者差別解消法」の説明。


障碍者に、どういうふうに接したらよいかの説明。

事業者を啓蒙する説明のあと、

障碍者に対する具体的な手助けの仕方。

私は、聴覚は障碍者だが、歩けるし、腕も使えるので、別の場面では、それらの障害を持った人の手助けをする義務がある。



いよいよ待ちに待った(?)障碍者体験談の発表。

今日体験発表されるのは、小林和子さんという、私より大分若い中途失聴の方。

小林さんの体験談を聴かせていただいていると、まったく同じ悲しみを体験した私は、ついもらい泣きをしてしまった。

彼女は聴こえなくなって、今年で8年になるという。

いきなり難度難聴になったため、数年は怖くて一人で外出できなかったという。

それ以上に辛かったのが、まだ学生だった息子さんとご主人のお母さんの世話が十分できなくなることだったと話された。

突然聴こえなくなったのが、金曜日の夜だったため、対応が遅れたのが今でも悔やまれると。

突発性難聴は、処置が早かったら治ることもあるということを後で知ったが、後の祭りであったらしい。

受講生の皆さんも熱心に聴かれていた。




その後、要約筆記の要点の講義があった。


これは、実際の要約筆記の画面=オーバーヘッドプロジェクターである。


聴覚障害者と聞けば、世間一般の人々の頭に浮かぶのは手話であるが、実は手話のできる聴覚障害者は限られている。

難聴者や中途失聴者は手話を学ぶ機会に恵まれなかった人が多いから、要約筆記が頼りということを知っている人は案外少ない。

周囲に同じ聴覚障害者がいなければ、苦労して学んでも覚えた片っ端から忘れるのが手話というものでもあるらしい。

今日体験談をされた小林さんも、初めて要約筆記してもらったときは感激したそうだ。

伝わるということは、こんなにもうれしいことかと。

聴こえなくても自分から「書いてください」と言うことは、なかなか勇気が要るし、お願いしても書いてくださらない人は多い。それは、私自身が体験済みである。

せっかく「障碍者差別解消法」が施行されたのだから、これからは障害のない人達も努力して、手助けをするように心がけてほしいと思う。

  目に見えぬ障碍なれば頼むしか術あらざりし聴覚障害  biko

  頼んでもしていただけぬこと多し字が下手だからなどと言ひ訳  biko

  間抜けにも見ゆる聴覚障害者聴こえぬだけで間抜けにあらず  biko

  伝はれば人並みになる聴障者あなたの文字がわれらを救ふ  biko

引きこもり・・・夫の姪の場合

2016年09月15日 11時52分28秒 | 新聞記事
今日の産経新聞の「主張」欄に「引きこもり」について書かれてあった。

現在半年以上自宅にこもっている15~39歳の「引きこもり」は全国で約45万人に上るという。

すごい人数だ。

ただでさえ、少子高齢化が問題にされているというのに、これだけの若い人たちが引きこもったのでは、日本の大きな損失だ。

なぜ、こんなふうになってしまったのだろう。

私もそうだったから言いにくいが、これは親の期待が強すぎて、子供が自分に自信が持てなくなったケースも多いのではないかと推測する。

実は、私も、母の期待が強すぎて、昔はしんどかった。

その私も、長女、長男のときは、かなり教育ママであった。

が、幸い、二人とも登校拒否もせずに、引きこもりもせずに育ってくれた。

次男だけは、昨日も書いた通り、幼稚園時代に、苛めによる登園拒否を起こしたことがあった。

だから、必ずしも、親の教育熱心が原因といえるわけではないが、自分のことから推測して・・・だ。

夫の妹も、私以上の教育ママであった。

そのせいだけでもなかろうが、その長女は、中高一貫の私立中学に入学したものの、わずか1ヶ月ほど通ったあと、登校できなくなってしまった。

義妹の心労は大変なものだったと思う。

結局、中学3年になってから、私立中学に籍を置いたまま、公立高校を受けた。

そのために塾は通っていたらしく、一応、その学区のトップ公立高校に合格した。

それで義妹も一安心と私は思っていたのだったが、後で聞いたところによると、せっかく合格したその高校も、最低限しか通わなかったそうな。

が、どういうわけか、関関同立のうちの一つの私立大学に合格した。

その後その大学に通ったかどうかは確かめなかったが、たぶんあまり通わなかったのではなかろうか。

が、大学になると、サボる人も多いから、姪の引きこもりは目立たなかっただろう。

で、4年になって、大手スポーツ新聞社の就職試験を受けて、校閲として採用された。

現在は、その新聞社に席を置いて一人暮らしをしている。

姪は、法事などのときには律儀に我が家に来てくれるから、その折、仕事のことを聞くと、その新聞社にはあまり出社しなくてもいいと。

どうやら一人暮らしをしているアパートで、ほとんどの仕事をやっているらしい。

主な仕事は校閲らしいが、自分で記事も書くと言っていた。

彼女の場合は引きこもり状態のままできる仕事に就けたから、ニートにはなっていないが、これが、違う職業だったら、どうなっていただろう。

そのことから考えれば、適切な仕事を与えられれば、引きこもりがちの人でも、こうして立派にやっていけるのだ。いや、引きこもりのまま仕事をすることもできる。

45万人もいるという引きこもりの人たちも、なにかその人に合った仕事に恵まれれば、引きこもりから脱出できるのではないかと思う。

そのとき親は、世間体とか学歴にはこだわらないで、本当にその子に合った、または、その子が本当にしたい仕事を応援してあげるようにしてほしいと思う。

夫の姪の場合は引きこもりから脱出できたわけでもなく、引きこもりのまま仕事ができているという稀有なケースであるかもしれないが、一つのヒントになるような気がしたから書いてみた。

  引きこもる人に才能多くあること多きかな悲しきことに  biko

  ひつそりと生きる人らにぴつたりの仕事与へよ仕事は光  biko