神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

欠けたものを補って生きる・・・パラリンピック

2016年09月10日 07時03分28秒 | 私の意見
テレビではパラリンピックの花盛りである。

今朝は水泳を見ている。

腕のない人が、ふつうには歩けない人が、水の中では素晴らしい泳ぎを見せる。

それだけでも感動的である。

人は欠けたところがあると、それを補おうと努力する。

それをスポーツの場で最大限に見せるのがパラリンピックである。

観客は、スポーツと、そういう生き様と、二つながら見させていただくことになる。

話は全く変わるし、我田引水にもなるが、以前、私が高知新聞社のメーリングリストに参加していたとき、私をいじめた主犯の女性は私のことを、「この人は文章を書くことに自負があるのでしょう」と憎憎しげに言い放った。

私は、そんなことは思ったこともない。

ただ、難聴のため、日常的にコミュニケーション不全感があるから、一生懸命に書いたことは事実である。

それを「自負があるから」などと、意地悪な見方をされたときは本当に悲しかった。

ブログもそうだが、ブログは、まだ写真が出せる。だけでなく、写真がメインのブログも結構多い。

が、ああいうメーリングリストでは写真を出すことはないから、ひたすら文章を書くことになる。

それを否定するようなことを言われたら、いっさい書けなくなる。

私は、アナウンサーをしていたその人こそ、文章を書くのが得意だと思っていた。

私など、素人の主婦の書く、つまらない文章だ。

それなのに、その人に、なぜそのようなことを言われなければならなかったのか。

いま思い出しても、悔しくて涙が出てくる。

人は、欠けたところがあれば、それを補おうとして、一生懸命になる。

パラリンピックを見ていて、そのことを痛感する。

そして、感動させてもらえる。

障害のある人の健闘には、素直に拍手を送りたいと思う。

  腕のない、歩けない人らが見せる水のなかなる美しき技  biko

  懸命は命を懸けて生きることパラリンピックもデフリンピックも  biko

(註)デフリンピック(英語: Deaflympics)は、4年に1度、世界規模で行われる聴覚障害者のための総合スポーツ競技大会であり、国際ろう者スポーツ委員会(ICSD、CISS)が主催する障害者スポーツにおける最初の国際競技大会である。(ウィキペディアより)

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2 コメント

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障害者とは言えない技術 (やっほ)
2016-09-10 11:04:02
今朝、バスケットボールに釘漬けになりました。
プロの技ですね。
観客も多くて声援もすごく盛り上がっています。
パラリンピックも魅了させてくれますね。

>アナウンサーをしていたその人こそ、文章を書くのが得意だと思っていた。

その人からbikoさんに対して
>「この人は文章を書くことに自負があるのでしょう」
と言われたのだから、
少なくとも ”文章では叶わない” と認めたのでしょうから、
胸を張っていれば良かったのですよ。
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やっほさんへ (biko)
2016-09-10 15:20:20
いつも温かいコメントをありがとうございます。

パラリンピックも、最初は、気の毒な気持ちも持ちながら観始めるのですが、途中からは、そんなことをすっかり忘れてしまいますね。

ただ、感動が残るのみです。

私は、その女性に、「私とあなたは感性が違うから」という私を否定する言葉も頂戴したから、自負がある云々の文章も、私を否定する言葉だったと受け取りました。

実は、その人は、私の高校の先輩で、リアルにお目にかかった人でもあったから、公の場で発せられた、それらの言葉に余計傷ついたのでした。

普段は忘れているのですが、時々思い出して、悔しさを噛み締めています。

でも、今では、その悔しさは私の生きていく芯にもなっているかもしれません。(苦笑)
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