テレビではパラリンピックの花盛りである。
今朝は水泳を見ている。
腕のない人が、ふつうには歩けない人が、水の中では素晴らしい泳ぎを見せる。
それだけでも感動的である。
人は欠けたところがあると、それを補おうと努力する。
それをスポーツの場で最大限に見せるのがパラリンピックである。
観客は、スポーツと、そういう生き様と、二つながら見させていただくことになる。
話は全く変わるし、我田引水にもなるが、以前、私が高知新聞社のメーリングリストに参加していたとき、私をいじめた主犯の女性は私のことを、「この人は文章を書くことに自負があるのでしょう」と憎憎しげに言い放った。
私は、そんなことは思ったこともない。
ただ、難聴のため、日常的にコミュニケーション不全感があるから、一生懸命に書いたことは事実である。
それを「自負があるから」などと、意地悪な見方をされたときは本当に悲しかった。
ブログもそうだが、ブログは、まだ写真が出せる。だけでなく、写真がメインのブログも結構多い。
が、ああいうメーリングリストでは写真を出すことはないから、ひたすら文章を書くことになる。
それを否定するようなことを言われたら、いっさい書けなくなる。
私は、アナウンサーをしていたその人こそ、文章を書くのが得意だと思っていた。
私など、素人の主婦の書く、つまらない文章だ。
それなのに、その人に、なぜそのようなことを言われなければならなかったのか。
いま思い出しても、悔しくて涙が出てくる。
人は、欠けたところがあれば、それを補おうとして、一生懸命になる。
パラリンピックを見ていて、そのことを痛感する。
そして、感動させてもらえる。
障害のある人の健闘には、素直に拍手を送りたいと思う。
腕のない、歩けない人らが見せる水のなかなる美しき技 biko
懸命は命を懸けて生きることパラリンピックもデフリンピックも biko
(註)デフリンピック(英語: Deaflympics)は、4年に1度、世界規模で行われる聴覚障害者のための総合スポーツ競技大会であり、国際ろう者スポーツ委員会(ICSD、CISS)が主催する障害者スポーツにおける最初の国際競技大会である。(ウィキペディアより)
今朝は水泳を見ている。
腕のない人が、ふつうには歩けない人が、水の中では素晴らしい泳ぎを見せる。
それだけでも感動的である。
人は欠けたところがあると、それを補おうと努力する。
それをスポーツの場で最大限に見せるのがパラリンピックである。
観客は、スポーツと、そういう生き様と、二つながら見させていただくことになる。
話は全く変わるし、我田引水にもなるが、以前、私が高知新聞社のメーリングリストに参加していたとき、私をいじめた主犯の女性は私のことを、「この人は文章を書くことに自負があるのでしょう」と憎憎しげに言い放った。
私は、そんなことは思ったこともない。
ただ、難聴のため、日常的にコミュニケーション不全感があるから、一生懸命に書いたことは事実である。
それを「自負があるから」などと、意地悪な見方をされたときは本当に悲しかった。
ブログもそうだが、ブログは、まだ写真が出せる。だけでなく、写真がメインのブログも結構多い。
が、ああいうメーリングリストでは写真を出すことはないから、ひたすら文章を書くことになる。
それを否定するようなことを言われたら、いっさい書けなくなる。
私は、アナウンサーをしていたその人こそ、文章を書くのが得意だと思っていた。
私など、素人の主婦の書く、つまらない文章だ。
それなのに、その人に、なぜそのようなことを言われなければならなかったのか。
いま思い出しても、悔しくて涙が出てくる。
人は、欠けたところがあれば、それを補おうとして、一生懸命になる。
パラリンピックを見ていて、そのことを痛感する。
そして、感動させてもらえる。
障害のある人の健闘には、素直に拍手を送りたいと思う。
腕のない、歩けない人らが見せる水のなかなる美しき技 biko
懸命は命を懸けて生きることパラリンピックもデフリンピックも biko
(註)デフリンピック(英語: Deaflympics)は、4年に1度、世界規模で行われる聴覚障害者のための総合スポーツ競技大会であり、国際ろう者スポーツ委員会(ICSD、CISS)が主催する障害者スポーツにおける最初の国際競技大会である。(ウィキペディアより)
プロの技ですね。
観客も多くて声援もすごく盛り上がっています。
パラリンピックも魅了させてくれますね。
>アナウンサーをしていたその人こそ、文章を書くのが得意だと思っていた。
その人からbikoさんに対して
>「この人は文章を書くことに自負があるのでしょう」
と言われたのだから、
少なくとも ”文章では叶わない” と認めたのでしょうから、
胸を張っていれば良かったのですよ。
パラリンピックも、最初は、気の毒な気持ちも持ちながら観始めるのですが、途中からは、そんなことをすっかり忘れてしまいますね。
ただ、感動が残るのみです。
私は、その女性に、「私とあなたは感性が違うから」という私を否定する言葉も頂戴したから、自負がある云々の文章も、私を否定する言葉だったと受け取りました。
実は、その人は、私の高校の先輩で、リアルにお目にかかった人でもあったから、公の場で発せられた、それらの言葉に余計傷ついたのでした。
普段は忘れているのですが、時々思い出して、悔しさを噛み締めています。
でも、今では、その悔しさは私の生きていく芯にもなっているかもしれません。(苦笑)