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神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

今年も水仙の花が・・・年々歳々花相似たり

2018年03月18日 09時02分57秒 | 日記
お約束通り?(笑)

さきほどの記事の続きです。



*

・昨年と同じ黄色の水仙は咲けども再会できぬ人たち

・水仙の花が黄色く咲きしことわが忘れても黄色く咲けり

・その人を忘れたる日はあらざれどその人をらぬ今年の春よ

・黄に咲ける水仙の花見て思ふ昨年生きてゐし人たちを

・年々歳々花は咲き歳歳年年ひとは亡くなる




○菱城は堅牢なりき

2018年03月15日 15時58分50秒 | 日記
バスで降りた塚口本町も、城に近かったようでしたが、
住宅地に囲まれていて、行けども行けども突き当たり。

仕方なくJR塚口駅まで行き、駅前のショッピングセンターで休憩の後、
今度は道を変えてチャレンジして、やっと正門のような門を見つけたのですが、
「撮影禁止」と書かれてあるのと門番ならぬ守衛さんが睨んではるから退散。

また大通りに戻って歩いていると脇道があったので入りました。

結局○菱城は、上の写真のように遠景しか撮影できなかったです。

この脇道をさらに進むと、JR猪名寺駅が見えたので、帰途はJRにしました。

どうやら○菱城は
JR塚口駅から猪名寺駅まで、ずっとつながっているくらいの規模のようでした。

だから、

どの住宅地の間の道を行っても、〇菱城にぶつかって行き止まりになるのですね。




今日は、自転車で来なくてよかったです。

片道だけでも無理な距離なのに、往復なんて、とてもとても。

自分の歳と体力を考えろ、自分!

*

・塚口と猪名寺二駅にまたがれる三菱町の町の大きさ

・撮影は禁止とあれば見ただけで帰る三菱町の正門

・正門に門番ならぬ守衛さん立ちて守りてゐるを見てきし

・四月から次男がお世話になりますと心の中で頼みてきたり

今日は孫のお宮参り

2018年03月10日 18時59分40秒 | 日記
↑(写っている人達は関係ない人達です。念のため(笑)

今日は次男の長男のお宮参りです。

昨年11月に生まれた孫ですが、この冬は寒かったので、お食い初めと合わせてでした。

高速神戸駅で降りて、待ち合わせ場所のホテルの写真スタジオに向かいます。

孫の写真、孫と次男夫婦の写真、
その後、お嫁さん両親と私達、次男夫婦、孫の集合写真を撮ってから、
楠公さんの湊川神社へ。


神社でご祈祷していただきました。


ご祈祷が終わりました。


その後、神社併設の会館で、お食い初めの会食。


↓立派なお食い初めのセット。

お嫁さんが独り子のせいもあり、向こうのお家は何でも本格的にされるので、豪華です。

肝心の孫は眠いので、あまりご機嫌ではありません。


が、儀式なので、食べる(食べさせる)真似はしました。


孫を出しにして、私達が楽しく会食しました。


次々料理が運ばれてきましたが、写したのはここまでです。


お嫁さんのお母さんと私は同じ昭和48年生まれなので、話も弾みます。

最後は会館の人に促されてディエンドにしました。

楽しかったけれど、お歳のせいか疲れました。

夫も私も帰途の電車の中で眠ってしまいました。

*

・七十になりし私は疲れたり七十三の夫はもつと

・わたくしの祖母は六十八歳で曾孫生まれき私の娘

・曾孫見るだけでありにし祖母の歳超えて世話する孫でありせば

・可愛くはあれど世話する体力はなくて眺めることが主なり

・この孫が二十歳になれば私らは八十九の大婆さんに

川西能勢口バスターミナルに新しい路線ができたようなので

2018年02月05日 13時09分13秒 | 日記
わざわざ乗りにきました。

その路線は「宝塚行き」です。

・新しく宝塚行き路線成る川西能勢口バスターミナル

阪急宝塚駅までなら、阪急電車で行くのが便利で早いのですが、私には別の目的がありました。

それは阪急の高速バスで帰省するとき、宝塚インターで乗車すれば、梅田まで電車で行く必要がなくなるのです。

宝塚インターまでなら自宅から車で10分くらいの距離。



で、いつも夫に頼んでいたのでしたが、私が一人で帰省するのは主に平日だったから仕事のある夫に断られることが多かったのです。


←指が写ってしまった。

宝塚インター前停留所で降りました。

が、高速バス乗り場は道路の向かい側なので、この陸橋を渡る必要がありそうです。

荷物が多いときは大変だなあ。(あとで杞憂だとわかったのですが)



陸橋を渡って反対側にきましたが、高速バス乗り場がなかなか見つからず、やっと見つけたのは12時前でした。

宝塚インター停留所についたのが午前11時すぎだったから1時間近く探したことになります。

いきなり高速バスに乗るために来ていたら大変なことになるところでした。

高速バス乗り場は、二つの大きな道路の間の島のようなところにありました。

もっと年とったら、この停留所までくるのに渡る横断歩道を渡れるかどうか。

が、帰りは、陸橋を渡らなくても少しバックすれば信号でわたれる歩道を見つけたので、次回はスムーズに来られると思います。(この写真の横断歩道を見て杞憂を解消できた)

と、言っても、母が亡くなったので、もう今までのように、たびたび帰省することはありませんが。

さて今度は帰ろうと、来た道を戻ったのですが、行けども行けどもバス停は見つかりません。

仕方なく、また宝塚インター前の停留所に戻り、来た道の反対方向に数分歩いてやっとバス停を見つけました。

この間、30分。

川西行きのバスは1時間に1本なので、この停留所で30分待ちです。

おかげで今日はよい運動になりました。

家を出たとき、顔が寒いと思ったので、マスクをしてくることを忘れたことに気付きました。

それで駅前でマスクを買ってマスクをしていたので、今日の冷たい風にも何とか耐えられました。

たかがマスク、されどマスクです。

それと、せめて晴れていてよかった!

曇っていたら、もっと寒さが堪えたでしょうから。

と、ここまで書いたけれども、やっぱり冷えてくるので、もう1停留所歩いて宝塚市立病院バス停まで来ました。


こちらまで来て正解でした。

バス停にベンチがあったし、ベンチには寒さ避けの囲いがありましたから。

待ち時間も10分ほど短縮されたし、乗る人が多いから停留時間も長かったし。
川西バスターミナルで降りてから、予約してあった本を受け取るため図書館へ。

ついでに角川「短歌」の馬場あき子さんの歌を手書きで写してこようとノートまで買っていったのに、肝心の筆記具が入ってなくて、断然。

最近は、何か忘れ物をしたり、へまをしてしまいがちなわたし。

これも歳のせいか?トホホ

*


・高知行き高速バスに乗るためのバス停見つけ確かめに行く

・梅田まで三十分が宝塚インターまでの十五分に

・梅田発十一時のバス宝塚インターなれば三十九分

・宝塚インターまでは十五分三十九分足せば五十四

・一時間ちかく遅くに家を出ることが可能になる停留所

・雨かぜがなければ断然よろしきが雨かぜある日は梅田がよきか

・まう母は亡くなり帰省することはなくなることを思へばむなし


昨日の満月は見事でしたね

2018年02月01日 05時50分24秒 | 日記
が、残念ながら天体ショーまでは起きていられませんでした。

ご覧になられた方は多かったでしょうね。

私も、めったにない機会なので観たいと思っていたのでしたが、睡魔には勝てませんでした。

が、起きていたとしても、この寒さですから、早々にリタイヤしたかもしれません。

それでも大きな満月を見られただけで満足でした。

でも、月って、こんなに大きいときでも、こんなに寂しい、とも思いました。

月の寂しさから比べたら、どんなに寂しい人生を送ってくる人でもかないませんね。

しかも月は「寂しい」なんて一言も言わずに孤独に耐えているのだからご立派です。

そんなことを思いながら眺めた昨夜の満月でした。

*

・こんなにも孤独に耐える存在をほかに知らざり月読みの月

・唯一であること非常に尊きが堪えうる人はまれかもしれぬ

・耐えてゐるわれらの孤独一身に集めて月のいませる夜空

・話することすらできぬ孤独もて暗き夜空に独りいませる

・みづからはしやべらぬ月は聞きてゐる此の世の孤独うつたふる声

風邪が抜けない

2018年01月31日 15時58分02秒 | 日記
母の葬儀で引き込んだ風邪がいまだに抜けきらない。

治ったかなと思っても、突然激しい咳が出たりするから、完全に治ったわけではなさそうだ。

もともと高熱を伴う風邪ではなかった。

だから、治りが悪いのだろうか?

それとも、こんなしつこいタイプの風邪なのか。

ふだん元気な夫も、いまだに咳をしている。

夫は、風邪を引いたとき、医院に行き、風邪薬を処方してもらって、2回だけ飲んだ。

なぜ2回だけかというと、処方された風邪薬が悪名高きタミフルだったからだ。

私が飲むのをやめさせた。

風邪薬が対症療法で風邪そのものを直す力はないということを聞いているから私は飲まない。

私は、精神薬で酷い目に遭ってから、薬に関しては臆病になっている。

本当は心臓の薬も飲みたくないのだが、これは命にかかわってくるから仕方なく飲んでいる。

とにかく風邪は安静にしているのが一番なのだ。

*

・いつまでも咳の止まらぬ風邪を引きまうすぐひと月経たむとしをり

・疲れから引き込みし風邪なほらぬは寒さのせいか明日から二月

・如月の終はりに四十九日くる睦月に死にしわたくしの母

・如月が終はれば春は来るらむか母もあの世にいくそのころは

・やすらかに彼の世にいけるやう祈る娘のわれは風邪を引きつつ

・梅の花咲くころ咳は止まるべしそのころわれは七十となる

・七十になるわたくしを見ず死にし垂乳根の母しづかに眠れ

・まう電話かかることなし呼吸器の弱りし母の小声の電話

・かぼそかる声と文脈乱れたる母の電話はかからずなりぬ

*

また最後は母の歌になってしまった。

ひさしぶりに自力で買い物

2018年01月30日 20時41分27秒 | 日記
最近はほとんど生協で買っている。

そうでないときは、たまの外食のついでに郊外のスーパーで夫に手伝ってもらって買い物をするというパターンが定着していた。

が、母の葬儀以降、日常がなくなっていたため、家にあるものでやりくりしながら生きていた。

が、今朝も書いたように、今週の生協の注文書も出しそびれたから、仕方なく、今日の午後は、自力で買い物に出かけた。

といっても、行くのは、徒歩5分くらいの駅の高架下の中規模のスーパーである。

川西に来た当時は自転車で行っていたが、最近は自転車置き場も止めるのがややこしくなったので、歩いていく。

近いから、歩くことには問題ないのだが、問題は、買ったものを持ち帰ることである。

ついついたくさん買いすぎると、家まで持ち帰るのに難儀する。

今日は、そのことを見越して、母の愛用していたキャリーケースというか、杖代わりにもなる車輪付きの袋を引っ張って行った。

こんなものを使うのは初めてである。

軽くて快適なのだが、しかし、これに入りきらないくらいたくさん買ってしまったので、キャリーケースを引っ張りながら、同時に、別に買い物袋二つを手に提げて帰宅した。

けっこう大変だった。

というか、私もいつのまにか、いっぱしの老婆になったような気分だった。

一昨年春、生協の配送を頼むまで、ふつうに買い物に行っていたのに、いつのまにやら買い物がこんなにたいそうになるとは。

それにしても夫婦二人だけなのに、朝、昼、晩の食材を買おうとすれば、ずいぶんな嵩になる。

夫がお勤めをしていたころは主に夕食のことだけ考えればよかったのに、現在は、昼食、夕食と献立を考えなければならないから、前より忙しくなった。

買い物の嵩も増えたし。

現在は、夫が自宅で仕事をしているから、三度の食事の支度くらい私が頑張らなければならないのだが、しかし、これもだんだんしんどくなってくる。

長生きはしたくないなあと思うが、これは不謹慎なことであろうか。

*

・ひさしぶり自力で買ひ物してみれば二人分でも嵩高くあり

・買ひ物で草臥れ帰り買ひしものしまふにまたも疲るるお歳

・買ひ物に行く前今日の夕食の支度しておく段取り必須

・見送りし母の齢になるまでに二十三年生きねばならぬ

・九十二はるか遠くの齢なり母よよく生き永らへました

・お母さん死ぬまであなたが愛用をしてゐたキャリーケースを今日は

・これからはあなた偲びて使ひませう死ぬまであなたが使ひゐしゆゑ

・自転車はまうやめませう危ないし歩いたほうが安全だから

日常を取り戻そうと

2018年01月30日 12時02分42秒 | 日記
昨夜は久しぶりに生協の注文書きをした。

それを始めたのが、夜中の12時過ぎだったので、寝るのは夜中の2時過ぎになってしまった。

が、いつものくせで午前5時前には目覚めてしまった。

そのまましばらく起きていたが、やはり眠くなり、7時くらいだったと思うが、また寝た。

生協の注文書は勝手口のドアのノブにかけておいた。

外向けにかけておいたらよかったのだが、風が強かったら飛ばされるかもと内側にかけておいたのがよくなかった。

今度目覚めると、なんと午前11時半。

こんな時間まで寝たことは近年ない。

お昼ではないか。

生協の配送は午前10時半くらいなので、もう駄目だ。

ああ、せっかく時間をかけて書いたのに・・・。

1か月以上注文していないので、足りなくなっているものや、なくなりそうなものがいっぱいあったのに・・・。

こうなれば、今日は自力で買い物に行くしかないか。

玄関に回ると、郵便入れに来週の注文書が入っていた。

ああ寝坊助な私!

明日午前中は歯科医の予約をしてあるから、ぜったいこんな無様はできない。

*

・午後九時に就寝する吾(あ)が午前2時過ぎまで起きてゐたり無理して

・目覚めしはいつも通りの時間なりされど二度寝をしたのがわろし

・さんさんと陽は上にあり冬陽とはいへ眩しみて見たり寝坊は

・こんなにも寝坊したのは何時以来?思ひ出だせぬほど昔なり

・生協の注文書をば出し忘れ慌てふためく昼近き朝

このまま冬が続くわけではないと思うが、それにしても寒い

2018年01月29日 05時37分59秒 | 日記
北国に住んでいられる方々はさらなり、という状況であられる。

私は、どちらかといえば、寒さには強く暑さに弱いのであるが、今年の寒さは堪える。

母を亡くしたから、余計寒さが沁みる。

16日に帰宅してから、ほとんど閉じこもり切りである。

冬だから、こういうことができるが、これが春とか夏だったら、どうだったろう?

その意味では、母が大寒に入る前に亡くなったことは、季節的にはいいめぐり合わせだった。

母の亡くなる半年前から毎月帰省していた。

虫が知らせたのだろう。

8月に帰省したとき、よさこいの時期でもあったので、高知には泊まらず、数時間滞在しただけだった。

そのとき、母が非常に名残り惜しい様子だったので、その後、毎月帰ることにしたのだった。

9月は、親友だった村形明子さんが亡くなったこともあって、帰省して、母と一緒に彼女の死を悼んだ。

このときは三翠園ホテルに泊まった。

さしもの夏の暑さも収まったころだったので、翌日は二人で実家まで歩いて帰った。

途中、母がアイスクリンを食べたいというので、探して、帯屋町のベンチに二人で座って食べたのも、いい思い出になった。

9月は下旬の帰省だったので、10月は飛ばして11月の初めに帰省した。

このときは、城西館に泊まった。

皇太子殿下ご夫妻が泊まられた直後だったので、皆に羨ましがられた。

が、この時は母の体調がよくなくて、翌日近くのオリエンタルホテルに泊まった朝、タクシーで実家に戻った。

その後、母は緊急入院した。

12月も、また城西館を、今度は連泊で予約していたが、母が「高級なホテルは気を遣う」と言い出したから、菜園場のホテルに変更した。

このときの母の体調はよかったので、喜んでくれた。

連泊したので、間の一日はゆっくりすることができた。

が、そのあとの12月29日の帰省は楽しいものではなかった。

私は予定していない帰省であったし、母は救急救命室に入院中の外出であったから、ひやひやしながらの外出だった。

それに引き続いての、この1月9日の帰省は私の疲れが取れ切れていなかったことも相まって、多少しんどい帰省であった。

が、母が喜んでくれたらという一心で帰省した。

甥(母には孫)とゆっくり過ごさせてやりたいという目的があったから。

そして、それを叶えた直後に母は亡くなったのだ。

そのときは、思い残すことはないと思った。

これでよかったのだと思ったことは事実だった。

が、日が経つにつれて、やはり辛くなってくる。

食欲もわかない。

体は正直だ。

心が悲しんでいると、体もそれに反応するのだ。

母は個性の強い人だったから、数えきれないくらい困らされた。

が、親子という絆はまぎれもない。

兄嫁や私の夫が、あとはケロッとしていられるのとは事情が違う。

問題のある老人であったかもしれないが、私を生んで育ててくれた人である。

さまざまな思い出を共有した親子である。

そんなに簡単に忘れられるわけはない。

親を亡くした気持ちは、親を亡くした人にしかわからない。

父を亡くしたときは、その衝撃が消えるのに数年かかった。

大往生だったと言われた母の死に対しても、数年はかかるかもしれない。

そんな気がする。

*

・十分に生きた人とは思へども親でありせば惜しみて惜しむ

・なぜもつとやさしく接してやらざりしかと思ふなり亡くしてみれば

・後悔は先には立たぬ理(ことはり)のありて後悔すなりその死後

北国のような寒さだと思って

2018年01月27日 10時20分19秒 | 日記
窓を開けると雪が積もっていました。

ここ川西は、大阪市と比べるとだいぶん寒いのですが、しかし、不思議と雪は積もらない土地なのですね。

どうしてなんでしょうね。

大阪の北海道と言われる能勢から国道173号線でまっすぐに寒さが運ばれてくるのですが、不思議と雪は降らないし、積もらないのです。

が、北海道が東北より寒いけれども、雪は東北ほど降らないのと似た状況のようです。

それで、いつも高知から帰ってきますとですね。

大阪でバスを降りると、高知と比べると寒いと感じるのですが、電車で川西に帰ってきますと、もう一段も二段も寒いのです。

高知ではブレザーで歩けたのに、大阪に着くとオーバーを着ないといけなくなり、川西に帰りつくと、その上にマフラー、手袋必携になるというような差があるのです。

が、ともかく、今日は、川西も雪が積もりましたから、ふだんの空威張りならぬ、空寒さを一蹴する出来事です。

斜め向かいのお孫さん達は、朝から大はしゃぎしています。

数年前までの私だったら、年甲斐もなく大はしゃぎしたかもしれませんが、さすが70歳も近くなりますと、あまりはしゃぐ気持ちにはなれません。

*

・犬でなき人の幼な子も喜びて雪を団子にして投げ合へり

・めづらしき故に有難がる雪も東北のとも恐怖と言ふも

・雪下ろし来月三日まで来ぬと東北の友なげくこの朝

・あと十日待てばこの家潰れるかしれぬと雪の多き土地人

・一回の雪下ろしには六人の人手がいると東北の人

・六万円以上がかかる雪下ろし何度もすると東北の友

・雪下ろし一日がかりでしてもらひその日いちにち外立ちすとも

・雪国の苦労を知らぬ土地に住むわれら無邪気に雪をよろこぶ

時間が止まった我が家、否、わたし

2018年01月27日 06時33分13秒 | 日記
11日に母が亡くなってから既に半月が経った。

私は、まだ買い物らしい買い物に、一度も出かけていない。

一昨日は、夫が珍しく果物その他を買ってきてくれた。

夫も、まだ風邪が全快したわけではないが、ほぼ平常通りの生活をしている。

が、私は、まだ座標軸を失ったままの状態だ。

この機会に積読してある本を読めばいいのだが、その気になれない。

新聞を読んだりはする。

テレビを見たりもする。

しかし、見たい番組がないというのが実情だ。

で、結局、ふだん以上にパソコンの、ことに人様のブログを読むことになる。

ブログって、なぜこれほど面白いのだろう?

写真を見せてもらうだけでも楽しいが、その人の生活を垣間見せてくれるブログの面白さといったら、もうこれだけで生きていけると思えるくらい面白い。

自分の考えを述べた記事も興味をそそられる。

私と同じ考え方をする人の記事には握手したくなるほどの喜びがあるし、違う考え方の記事には、「なるほど、そういう考え方もあるか」と感心させられる。

ブログの面白さとは、要するに人間の面白さなのだろう。

神様は、こんな面白い動物をよく作られたものだと感心する。

これは、たぶん、神様が、自分が楽しみたいから作った作品なのだろう。

そう、私達は神様の作品なのである。

*

・神様は楽しむために人間を作りしならむわれも楽しむ

・苦しみも喧嘩もすべて面白し生きてゐること宝と思ふ

・肉体を脱ぎて魂ただよはす母も楽しみゐるや此の世を

寒さの底&「地下室のメロディ」

2018年01月26日 06時21分29秒 | 日記
日本列島は寒さの底にいるようだ。

といっても、家にこもっている私に実感はない。

相変わらず食欲もないから、家にあるものでやりくりして食事作りをしている。

昨年末に狂ったようにたくさん生協に注文したから、たんぱく質の供給に困ることはない。

野菜も、玉ねぎ、ジャガイモを買い込んであったことと、これまた年末に大きな白菜を二玉買ってあったことと、白ネギも買ってあったことから、何とかなっている。

そうそう、金時ニンジンもたくさん買っておいたのだった。

キノコ類もたくさん買って、半分冷凍しておいたから、鍋にしろ、シチューにしろ、加えればいい。

昨日は骨とり、皮むき鮭でクリームシチューを作った。

その前の日は、ニンジン、シイタケ、こんにゃくなどを細かく切ったものにシーチキンを入れて、高野豆腐も細かく切っていれて、バラ寿司を作った。

昨年帰省したとき、母の世話をしてくれていたおばちゃんに山のようにもらった生姜も役立っている。

このバラ寿司にも入れた。

生姜を入れると味が引き締まるだけでなく、今の季節、風邪の薬にもなるのだ。

パンも、年末に買った強力粉をこねて焼いている。

昔、「アンネの日記」を読んだとき、生き延びるため、ジャガイモなどを大切に食いつないでいる記述があったように記憶しているが、現在の私は、まさにそういうふうな生活をしている。

昨日は、昼食後、なにげにBS放送をつけると、大昔の映画、「地下室のメロディ」をやっていた。

夫が見たいというので一緒に見た。

モノクロ映画で、本当に旧い映画なのだが、主演のジャン・ギャバンとアラン・ドロンの存在感に打たれた。

まだまだ母を失った喪失感の中にいる私であるが、ぼちぼち元気を出さなければ!

*

・ジャン・ギャバン、アラン・ドロンの存在感そこにゐるかのやうな男ら

・ちよい悪か大悪なのかは知らねどもしらばつくれて悪なす輩

・ハンサムでなければ絵にはならぬなとアラン・ドロンの演技見てわれ

・札束がほどけてプールに浮かぶ図が最終章である滑稽を

・生真面目に悪事をなせし男らの努力プールの水に浮かびて

・水泡に帰すとふ言葉そのままにプールの水に浮かぶ札束

・最悪の結末見せる場面にも慌てふためくことなく終はる

*

結果的に楽しい?映画を見せてもらった。

高知新聞社に新聞送付の依頼

2018年01月19日 15時39分42秒 | 日記
家族葬だった母の葬儀の報告を、兄嫁が地元高知新聞社にお願いしてくれてあった。

その記事を見た親戚から電話がかかってきたから、記事の掲載を知ることができた。

が、自分の名も出ていることだし、私自身も自分の目で確かめたいと高知新聞社に問い合わせをすると、一部のみの送付も可という返事だった。

それですぐにお願いをして、その代金を今日お支払いしてきた。

便利な時代になったものだ。

親戚に手間をかけさせることもなく、こうしてメール1本で直送していただける。

その値段も、送料込みで186円という安さで。

送金手数料を入れても266円。

こういう訃報欄の記事でなければ、ネットで記事を送ってくれるシステムがあって、もっと便利らしいが。

が、とにもかくにも、たった一人の母親の訃報記事の載った新聞記事が、遠方に住んでいても、こういうふうに手に入れられるのはありがたい。

他の訃報記事を参考にさせていただいたものだが、一応、文面は私が考えたものだったので、確認もしたかった。

届くのに1週間くらいかかるそうだが、ときにはアナログな時間を味わうのも悪くなかろう。

この代金を払うため、帰宅後、初めて外出したが、日差しが春のように明るかった。

寒さはこれから本番になるが、しかし、これからは、どんどん明るくなる季節でもあるのだ。

*

・亡くなりし母の新聞訃報見て電話くださる親戚の人

・その記事をまだ見ぬわれに送付してくるるシステムあり有難し

・難聴のわれも難なくメールにて親の訃報の載る記事ゲット

・難聴のわれらをバリアフリーにすネット環境かしこみかしこむ

明日は葬儀

2018年01月14日 16時16分33秒 | 日記
明日朝が明くればあとは焼かるるを待つばかりなるははそはの母

干からびし海老の体になりはててホテルベッドで亡くなりし母

亡くなりし母の最期の言の葉は「酸素吸入すれば楽だが」

七十年ちかく私を慈しみゐしひと死にて一言もなし

おととひはまだ音立ててものを食(は)みゐし母が亡くなり無音

死ぬことは静かになるの謂ひなればいたく静かに母の亡骸

生きてゐし頃の面影ありながらもはや動かぬこの眉まつげ

生き返ることは望めず望まぬが静かになりし母に祈りを

杖を突き黄泉路よろよろ歩を運ぶ母よ迷ふな真直ぐに進め

足元のおぼつかなきに大阪に高速バスで来たまひし母

ははそはの母の愛してやまざりし娘でありし己と思ふ

自慢にもならぬ娘のわたくしを自慢してゐし母ありがたき

「昔はね坂本龍馬直系の人から見染められたこともあつたの」とか

子のわれのよきことばかり覚えゐて人に自慢をする母なりき

子を思ふ気持ちは老いて呆(ほう)けても解(ほど)けぬ綱のやうに強くて

これからはこんなに私の応援をする人ゐぬと思へば涙

最期まで叱り続けて逝かしめし母に感謝は死後やつと湧く

脳梗塞起こしし七十八歳ゆ九十二歳まで十四年間の過酷は

栄光の座より転落して死にき言語障害起こして母は

それならと文を綴れば誤字脱字かつての母から考えられぬ

お嬢様育ちの母はそれでもまだ人懐こくて人を信じて

絹糸の製糸工場いとなめる家の長女でありしわが母

糸を摂る女工さんらにお嬢さんお嬢さんとぞ言はれきし母

嫁入りのときの打掛自前にて整えもらひき終戦前に

近隣になきほど衣装もたされて嫁ぎ越し母の苦労それから

収入をすべて己の小遣ひにする夫とは知らず嫁ぎて

その代わりその後才覚発揮して生け花界で頭角表す

絶頂でありにしころに転落はありぬ脳の梗塞

聞き取れぬ発音、発話で聞く人は迷惑顔を隠そうともせず

恥かしき、悔しき思ひをし続けて母は死にたり九十二歳で

長寿とは長生き寿ぐ言葉なりされど寿ぐことばかりでなく

脳梗塞起こしし時に即死してゐればその後の不名誉なきに

よく生きて生き切つたとぞ褒めやらむ馬鹿にされても蔑まれても

甥たちと一緒にホテルで朝食

2018年01月10日 09時26分57秒 | 日記
北海道から帰省している甥と一緒に朝食をいただいてから、甥の長女のピアノ演奏を聴きに行く予定。

母は食事に時間がかかるから、先に食堂に来て、和朝食を食べ始める。

8時に甥一家が入ってきて、彼らは洋朝食。

ホテルの人にお願いして、いっぱい記念写真を撮影した。

プライバシーの観点からお見せできないのが残念。

私が二人の少女に上げた洋服を甥夫婦はとても喜んでくれた。

・お揃ひのホワイトの服喜びてくれき北海道のおみなご

・雪国の町から南国土佐の町飛機で一気に来たり一月

・屋内は南国高知より温し北海道に住む甥は言ふなり

・定年後高知に戻ると甥は言ふされど北海道生まれの子供ら

・老い母を連れて訪れお邪魔した五年前夏なつかしきかな

・夏行けば涼しき町が羨ましされど豪雪物置つぶす

・物置の屋根に積もりし雪おもく屋根を壊してのちに溶けたり

・屋内にこもりてピアノ弾く日々であるらむ二人おみなご

・いつしらにピアノ弾く指鍵盤に馴染みて聞かす名演奏を