川西市平成26年度上半期の要約筆記者養成講座の修了式を見学させてもらった。
今年は受講生が少なく2名だけだったようだが、していただく立場からすれば、1名でも2名でも有り難いと思う。
それより有り難いと思うのは、あらためて言うまでもないことだが、長い間コンスタントに川西市要約筆記ボランティアグループ”サマリー”を指導して牽引してくださっている方達である。本当に頭が下がる。
要約筆記は、けっこうキツイ仕事だと思う。話を要約しながら文字にしていくのは、頭も使うし手も使う。喋るのは好き勝手に口を動かしていればいいのだが、文字に起こすのは、それの何倍もの労力を必要とするのだ。
自分が逆の立場であった場合、してあげられるかどうか自信がない。
今日修了した2人の受講生の1人は、「私は心理学を学んでいますが、こういう自分を殺してただ通訳だけする作業は向いていません。よって、修了はしたけれど、活動はちょっと」というような挨拶をされた。
そうだろう。それが普通の人だろう。
が、もう1人の修了生は偶然私の要約筆記を担当してくださったが、初めてとは思えないくらい丁寧に、上手にやってくださった。横に座って書いてくださるだけで、その人の温かい人柄が私に伝わってきて、要約筆記の有り難さ+温かい人柄も感受させていただいて、幸せな時間を過ごすことができた。
修了生のTさん、どうもありがとうございました。
今日の参加を呼びかけてくださった”サマリー”のAさんもありがとうございました。
*
写真は、修了式で聴覚障害者”耳の会”全員の見るオーバーヘッドプロジェクターと、個人的にパソコンで見る要約筆記の画面だ。修了式のあとの交流会では個人的に紙に手書きしていただく要約筆記がついた。
今年は受講生が少なく2名だけだったようだが、していただく立場からすれば、1名でも2名でも有り難いと思う。
それより有り難いと思うのは、あらためて言うまでもないことだが、長い間コンスタントに川西市要約筆記ボランティアグループ”サマリー”を指導して牽引してくださっている方達である。本当に頭が下がる。
要約筆記は、けっこうキツイ仕事だと思う。話を要約しながら文字にしていくのは、頭も使うし手も使う。喋るのは好き勝手に口を動かしていればいいのだが、文字に起こすのは、それの何倍もの労力を必要とするのだ。
自分が逆の立場であった場合、してあげられるかどうか自信がない。
今日修了した2人の受講生の1人は、「私は心理学を学んでいますが、こういう自分を殺してただ通訳だけする作業は向いていません。よって、修了はしたけれど、活動はちょっと」というような挨拶をされた。
そうだろう。それが普通の人だろう。
が、もう1人の修了生は偶然私の要約筆記を担当してくださったが、初めてとは思えないくらい丁寧に、上手にやってくださった。横に座って書いてくださるだけで、その人の温かい人柄が私に伝わってきて、要約筆記の有り難さ+温かい人柄も感受させていただいて、幸せな時間を過ごすことができた。
修了生のTさん、どうもありがとうございました。
今日の参加を呼びかけてくださった”サマリー”のAさんもありがとうございました。
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写真は、修了式で聴覚障害者”耳の会”全員の見るオーバーヘッドプロジェクターと、個人的にパソコンで見る要約筆記の画面だ。修了式のあとの交流会では個人的に紙に手書きしていただく要約筆記がついた。
最近、心療内科および精神科のクリニックが増えた。
私の住んでいる最寄駅にも、あらたにこの八月に開院予定のクリニックがある。
すべてのクリニックに問題があるというわけではないと思うが、中には仁術より算術に重きを置いたクリニックもあるようだ。これは、ネットでさまざまの薬害被害者のブログを拝見していて、私自身が体験してみて、実感することである。
たしかに薬で急場をしのげた人もたくさんいるとは思うが、大半は薬の要らない患者だった可能性が高い。
現に私も平成11年の大鬱病の急場は薬でしのげたと思っているし、感謝もしている。
が、昨年(平成13年)の鬱は、カウンセリングなどで治せたレベルの鬱であったと思う。
なのに、躁鬱2型などという一生薬を服みつづけなければならない病名をつけられたら嫌でも一生薬漬けになってしまう。
脳に働きかける精神薬は、服用している間も副作用があるが、長期間服用していると耐性ができて、だんだん効かなくなるだけでなく、止めるときに離脱症状という禁断症状が起きる。
ほかの科では、薬の処方にあたって、薬の副作用を説明してくれることが多いが、こと精神科に限っては、どの医師も、説明がなかった。ただ「続けて服み続けてください」というだけだった。
薬局でもらう説明書も主に薬の効能が書かれてあるだけであった。あっても、「眠気を催しますので、車の運転は避けてください」くらいのものだ。
これは、どういう理由からであろうか?
思うに、怖ろしい副作用の説明をすると服用する人がいなくなるからではなかろうか。
副作用もだが、医師からの説明がなくてわれわれ患者の蒙る被害で特筆するべきは、断薬後の”離脱症状”である。
これは、”医師自身もよく知らない”という事情があると、あるサイトに書かれてあった。
薬そのものは断薬後2週間ほどで抜けるらしいが、薬にならされていた体が急な断薬で薬の作用の逆の状態になって問題を起こしてしまうのだ。
たとえば睡眠薬だと、患者の体は筋弛緩作用で眠らされていたわけだから、薬が切れたら反動で全く眠れなくなってしまう。
離脱症状は、だいたい服薬していた期間続くといわれているが、それ以後も、すっきり消えてしまうものではないらしい。
そんな事情を知ってか知らずか、製薬会社の説明を鵜呑みにして、「服用を中止しても大丈夫です」などという医師が多いらしい。
製薬会社の売らんかなの思惑に疑問を持たずに、これら劇薬を処方する医師の自覚の足りなさも困るが、”知っていて処方”するのなら、これは犯罪行為だ。
こうなると、われわれ患者は、自ら勉強して、自らを守るしかない。
私は今回、初めて医療が犯罪?に繋がることを知ったが、しかし11年前の心臓弁膜症では施術によって一命をとりとめたし、7年前の大腸がんも然りである。
医学の恩恵には十分浴してきた私だが、今回初めて医療の暗部を見たような気がしている。
*
人口減少が取りざたされている日本だが、こうした精神薬の薬害で自殺する人も多いと聞く。
若い有為の人たちをこうした精神薬で廃人、または死に至らしめることだけは避けなければならないと思う。
私の住んでいる最寄駅にも、あらたにこの八月に開院予定のクリニックがある。
すべてのクリニックに問題があるというわけではないと思うが、中には仁術より算術に重きを置いたクリニックもあるようだ。これは、ネットでさまざまの薬害被害者のブログを拝見していて、私自身が体験してみて、実感することである。
たしかに薬で急場をしのげた人もたくさんいるとは思うが、大半は薬の要らない患者だった可能性が高い。
現に私も平成11年の大鬱病の急場は薬でしのげたと思っているし、感謝もしている。
が、昨年(平成13年)の鬱は、カウンセリングなどで治せたレベルの鬱であったと思う。
なのに、躁鬱2型などという一生薬を服みつづけなければならない病名をつけられたら嫌でも一生薬漬けになってしまう。
脳に働きかける精神薬は、服用している間も副作用があるが、長期間服用していると耐性ができて、だんだん効かなくなるだけでなく、止めるときに離脱症状という禁断症状が起きる。
ほかの科では、薬の処方にあたって、薬の副作用を説明してくれることが多いが、こと精神科に限っては、どの医師も、説明がなかった。ただ「続けて服み続けてください」というだけだった。
薬局でもらう説明書も主に薬の効能が書かれてあるだけであった。あっても、「眠気を催しますので、車の運転は避けてください」くらいのものだ。
これは、どういう理由からであろうか?
思うに、怖ろしい副作用の説明をすると服用する人がいなくなるからではなかろうか。
副作用もだが、医師からの説明がなくてわれわれ患者の蒙る被害で特筆するべきは、断薬後の”離脱症状”である。
これは、”医師自身もよく知らない”という事情があると、あるサイトに書かれてあった。
薬そのものは断薬後2週間ほどで抜けるらしいが、薬にならされていた体が急な断薬で薬の作用の逆の状態になって問題を起こしてしまうのだ。
たとえば睡眠薬だと、患者の体は筋弛緩作用で眠らされていたわけだから、薬が切れたら反動で全く眠れなくなってしまう。
離脱症状は、だいたい服薬していた期間続くといわれているが、それ以後も、すっきり消えてしまうものではないらしい。
そんな事情を知ってか知らずか、製薬会社の説明を鵜呑みにして、「服用を中止しても大丈夫です」などという医師が多いらしい。
製薬会社の売らんかなの思惑に疑問を持たずに、これら劇薬を処方する医師の自覚の足りなさも困るが、”知っていて処方”するのなら、これは犯罪行為だ。
こうなると、われわれ患者は、自ら勉強して、自らを守るしかない。
私は今回、初めて医療が犯罪?に繋がることを知ったが、しかし11年前の心臓弁膜症では施術によって一命をとりとめたし、7年前の大腸がんも然りである。
医学の恩恵には十分浴してきた私だが、今回初めて医療の暗部を見たような気がしている。
*
人口減少が取りざたされている日本だが、こうした精神薬の薬害で自殺する人も多いと聞く。
若い有為の人たちをこうした精神薬で廃人、または死に至らしめることだけは避けなければならないと思う。
2月7日から精神薬のデパケン200、リチオマールと睡眠薬のソレントミン0,25mg、ビビットエース1mgを服み始めた。
そのころは、まだc医師に対して不信感がなかったので、それら精神薬と睡眠薬を服み続けた。
が、ひと月ぐらい服み続けていると、どうも頭がぼんやりしてきたような気がする。
と同時に感情が鈍磨してきて、テレビのドラマなどを見る気がなくなってきた。本好きの私なのに、読まないというか読めなくなった。新聞も。
何もする気が起こらず、一日中黙ってソファに座っていた。まるで痴呆のお婆さんだ。
わずかだが、手も震えるようになって文字が書けなくなった。
体の芯が異常に熱い。なのに、手足は冷たく、寝るとき足元に電気あんかを置かないと寒くて眠れない。さぞ高体温だろうと体温を測ってみると平常だった。
目の奥というか目の玉が痛くなり、耳は激しい耳鳴りがした。
それと、洗髪のときの抜け毛が凄い。6年前大腸がんで抗がん剤を服用していたときの抜け毛に負けないくらいの量だ。
そして、極め付きは、もともと心臓の悪い私だが、動悸が酷い。睡眠薬で眠っていても飛び起きてしまうほどの激しさだった。ひょっとすると急死するかもしれないと真剣に思った。夫には死んだあとのことをいろいろ頼んだりした。
次回の診察時にそれらのことを先生に言うと、先生は涼しい顔で、「そんなことはないと思います」といわれる。現に服用している私が言っているのだから、間違いないことなのに・・・。
ついでに私のことを躁鬱病と診断した理由を尋ねると、「そうふうにいろいろ言うところが躁の証しです」といわれる。そんな・・・(絶句)。私は、ただ薬に疑問をもって質問しただけなのに・・・。
さらに、もらった処方箋を見ると、何と私の訴えたことを無視したかのように、薬の量が増やされている。
ぼんやりしてきた頭で考えても「これ、どういうこと?」と疑問に思ったので。処方された薬を薬局で受け取りはしたものの、その後増やされた分は服まず、それまでの服用量を維持した。
そのころから、ネットで薬の副作用について調べたり、離脱症状という言葉を学んだりもした。
デパケンにも、リチオマールにも、頭を呆けさせる副作用があるらしいことが分かった。
というより、主作用というべきか。
というのが、呆けさせることで、余計なこと(実際は余計なことではないのだが)を考えて鬱にならないようにしたり、意欲を殺いで躁にならないようにするのだから。
抜け毛はデパケンの副作用だった。そのころから一日中下痢ばかりしていたが、これはリチオマールの副作用だということが分かった。
その他の異常も、この頃はさまざまな薬害被害のブログを読むようになっていたから、いずれかの薬の副作用だということを知ることができた。インターネットがなければ、今でもこれらの症状が薬害であることを知ることができなかったと思う。
私は心臓関係のお薬も8種類ほど服用しているから、薬同士の相互作用で精神薬の副作用も強く出たかもしれない。が、プロの医師ならお薬手帳を見た段階で判断できるはずだから、漫然と処方したのは無責任ではないか。
ただちにこれら精神薬を断薬したいと思ったが、そのころ離脱症状の怖ろしさを学んだ直後だったので、すぐに踏み切ることができなかった。
12月、1月と、不眠、強烈な不安感、悪夢で私を苦しめたのが、その前に服用していたジプレキサの急な断薬によるものであったと気づいたころでもあったから。
しかし今止めないとますます止めにくくなって大変なことになると思ったので、少しずつ薬を減らしていくことにした。
4月初旬からまず朝晩の服用を夜だけにした。
この頃は、デパケン、リチオマールを服んだあとに、下痢、動悸が激しくなるので、薬の副作用を確信するようになっていた。
4月中旬には一日おきの服用にした。
そのころの私は、薬による食欲不振と睡眠薬による不自然な睡眠のせいで体力を消耗して急激に痩せてきていた。
顔の表情も尋常でなくなっていたようだ。昼間もほとんどベッドで寝ているような状態になっていた。頭も正常に働かなくなって、食事作りが困難になって、夫が仕事の合間に馴れない食事作りを担ってくれたりしていた。
こんな状態の私を心配した私の母は、また別のメンタルクリニックで診ていただいたらと言う。こんな言い方があるかどうかは分からないが、三軒目のクリニックだから”サードオピニオン”というべきか。このクリニックは、先生の奥さんが母の活け花のお弟子さんだった関係で良心的に診ていただけるのではないかと。
電車で1時間ほどの距離があったが、夫に付き添ってもらって受診に出向いた。
その先生の診断というかアドバイスは、
・ちょっと見ただけで躁鬱病と診断を下すことはできない。
・断薬は、現在服んでいる量であれば、一気に止めても差し支えない。ただ睡眠がとれないと体力の消耗が激しいから、自力睡眠ができるまで睡眠薬は続けたほうがいいと思う。
というものだった。
これで安心して、睡眠薬以外の断薬することができた。4月25日のことだ。
薬の怖ろしさが身にしみていた私は、その後、睡眠薬も断薬することにした。離脱症状が怖いので、一日1錠ずつ2種類服んでいた睡眠薬を毎日1種類1錠ずつに半減して、2週間後には、さらに1種類を半錠ずつにして、だんだん減らしていき、約1ヶ月で断薬した。
この睡眠薬の減薬で一日2、3時間しか眠られない日が続いたし、断薬してからは3日間くらいまったく眠れない日が続いたりしたが、頑張った。
5月15日に初めて睡眠薬無しの自力で1時間ほど眠れたときは、おおげさだが、天に昇るほどの嬉しさだった。当たり前のことがこんなに嬉しいとは。
自力睡眠できるようになってもしばらくは1時間単位くらいの細切れの睡眠しかとれなかったが、やっと最近、連続して眠れるようになってきた。
それにしても精神科医は、副作用の説明無しにお薬を出し、その薬を断薬したときに、どんな(怖ろしい)離脱症状が現れるかを説明しないのは無責任すぎないか。
私は、いま会う人ごとに精神薬の怖ろしさを伝えている。
そのころは、まだc医師に対して不信感がなかったので、それら精神薬と睡眠薬を服み続けた。
が、ひと月ぐらい服み続けていると、どうも頭がぼんやりしてきたような気がする。
と同時に感情が鈍磨してきて、テレビのドラマなどを見る気がなくなってきた。本好きの私なのに、読まないというか読めなくなった。新聞も。
何もする気が起こらず、一日中黙ってソファに座っていた。まるで痴呆のお婆さんだ。
わずかだが、手も震えるようになって文字が書けなくなった。
体の芯が異常に熱い。なのに、手足は冷たく、寝るとき足元に電気あんかを置かないと寒くて眠れない。さぞ高体温だろうと体温を測ってみると平常だった。
目の奥というか目の玉が痛くなり、耳は激しい耳鳴りがした。
それと、洗髪のときの抜け毛が凄い。6年前大腸がんで抗がん剤を服用していたときの抜け毛に負けないくらいの量だ。
そして、極め付きは、もともと心臓の悪い私だが、動悸が酷い。睡眠薬で眠っていても飛び起きてしまうほどの激しさだった。ひょっとすると急死するかもしれないと真剣に思った。夫には死んだあとのことをいろいろ頼んだりした。
次回の診察時にそれらのことを先生に言うと、先生は涼しい顔で、「そんなことはないと思います」といわれる。現に服用している私が言っているのだから、間違いないことなのに・・・。
ついでに私のことを躁鬱病と診断した理由を尋ねると、「そうふうにいろいろ言うところが躁の証しです」といわれる。そんな・・・(絶句)。私は、ただ薬に疑問をもって質問しただけなのに・・・。
さらに、もらった処方箋を見ると、何と私の訴えたことを無視したかのように、薬の量が増やされている。
ぼんやりしてきた頭で考えても「これ、どういうこと?」と疑問に思ったので。処方された薬を薬局で受け取りはしたものの、その後増やされた分は服まず、それまでの服用量を維持した。
そのころから、ネットで薬の副作用について調べたり、離脱症状という言葉を学んだりもした。
デパケンにも、リチオマールにも、頭を呆けさせる副作用があるらしいことが分かった。
というより、主作用というべきか。
というのが、呆けさせることで、余計なこと(実際は余計なことではないのだが)を考えて鬱にならないようにしたり、意欲を殺いで躁にならないようにするのだから。
抜け毛はデパケンの副作用だった。そのころから一日中下痢ばかりしていたが、これはリチオマールの副作用だということが分かった。
その他の異常も、この頃はさまざまな薬害被害のブログを読むようになっていたから、いずれかの薬の副作用だということを知ることができた。インターネットがなければ、今でもこれらの症状が薬害であることを知ることができなかったと思う。
私は心臓関係のお薬も8種類ほど服用しているから、薬同士の相互作用で精神薬の副作用も強く出たかもしれない。が、プロの医師ならお薬手帳を見た段階で判断できるはずだから、漫然と処方したのは無責任ではないか。
ただちにこれら精神薬を断薬したいと思ったが、そのころ離脱症状の怖ろしさを学んだ直後だったので、すぐに踏み切ることができなかった。
12月、1月と、不眠、強烈な不安感、悪夢で私を苦しめたのが、その前に服用していたジプレキサの急な断薬によるものであったと気づいたころでもあったから。
しかし今止めないとますます止めにくくなって大変なことになると思ったので、少しずつ薬を減らしていくことにした。
4月初旬からまず朝晩の服用を夜だけにした。
この頃は、デパケン、リチオマールを服んだあとに、下痢、動悸が激しくなるので、薬の副作用を確信するようになっていた。
4月中旬には一日おきの服用にした。
そのころの私は、薬による食欲不振と睡眠薬による不自然な睡眠のせいで体力を消耗して急激に痩せてきていた。
顔の表情も尋常でなくなっていたようだ。昼間もほとんどベッドで寝ているような状態になっていた。頭も正常に働かなくなって、食事作りが困難になって、夫が仕事の合間に馴れない食事作りを担ってくれたりしていた。
こんな状態の私を心配した私の母は、また別のメンタルクリニックで診ていただいたらと言う。こんな言い方があるかどうかは分からないが、三軒目のクリニックだから”サードオピニオン”というべきか。このクリニックは、先生の奥さんが母の活け花のお弟子さんだった関係で良心的に診ていただけるのではないかと。
電車で1時間ほどの距離があったが、夫に付き添ってもらって受診に出向いた。
その先生の診断というかアドバイスは、
・ちょっと見ただけで躁鬱病と診断を下すことはできない。
・断薬は、現在服んでいる量であれば、一気に止めても差し支えない。ただ睡眠がとれないと体力の消耗が激しいから、自力睡眠ができるまで睡眠薬は続けたほうがいいと思う。
というものだった。
これで安心して、睡眠薬以外の断薬することができた。4月25日のことだ。
薬の怖ろしさが身にしみていた私は、その後、睡眠薬も断薬することにした。離脱症状が怖いので、一日1錠ずつ2種類服んでいた睡眠薬を毎日1種類1錠ずつに半減して、2週間後には、さらに1種類を半錠ずつにして、だんだん減らしていき、約1ヶ月で断薬した。
この睡眠薬の減薬で一日2、3時間しか眠られない日が続いたし、断薬してからは3日間くらいまったく眠れない日が続いたりしたが、頑張った。
5月15日に初めて睡眠薬無しの自力で1時間ほど眠れたときは、おおげさだが、天に昇るほどの嬉しさだった。当たり前のことがこんなに嬉しいとは。
自力睡眠できるようになってもしばらくは1時間単位くらいの細切れの睡眠しかとれなかったが、やっと最近、連続して眠れるようになってきた。
それにしても精神科医は、副作用の説明無しにお薬を出し、その薬を断薬したときに、どんな(怖ろしい)離脱症状が現れるかを説明しないのは無責任すぎないか。
私は、いま会う人ごとに精神薬の怖ろしさを伝えている。
私が本当に躁鬱病2型であったかどうかは未だに疑問だが、一応躁鬱病のお薬ということで、Bメンタルクリニックのb医師に処方されたジプレキサは、平成13年3月から11月まで、約9ヶ月間服用した。が、糖尿病を誘発させたので中止したことは書いた。
問題は、ここからだった。
服用を中止して1週間ぐらいして、猛烈な吐き気が襲ってきて食事が摂れなくなった。と同時に全く眠れなくなった。今から思えば急に薬を止めたことによる典型的な離脱症状だったのだが、そのことを知らなかった私は焦った。
信頼感をなくしていたBメンタルクリニックには行きたくなかったが、仕方なく、また予約して出向いた。
b医師は、どういうわけか嬉しそうに、「ほら、薬を止めたから鬱が酷くなったでしょ」と違うお薬の処方箋を。
そのときのお薬は、エビリファイ錠3mg、プリンペラン錠5 5mg、リーマス錠200 200mgである。
服みたくはなかったが、ほかに為す術もなく、服用した。
が、よくなるどころかますます体調が悪くなる。疑問に思ったので服用を中止した。
それからひと月は、不眠、吐き気、疲れ果ててたまにうとうとすれば、ものすごい気持ちの悪い夢が襲ってきて悲鳴を上げたりもした。それに不眠といっても、ただ眠れないだけでなく、起きている間中そわそわしてじっとしていられない。で、しなくていい片付けを始めたりするのだが、頭が混乱しているから、まったく捗らない。しかし何かしていないと気が変になりそうになる。これらは全部離脱症状からくるものだとは、あとでネットを検索していて偶然知りえたことだ。
たまりかねて、忘れもしない今年の2月7日、以前お世話になったAメンタルクリニックに駆け込んだ。
あいにく以前お世話になったa先生の担当日でなく、別の先生の診断を受けることになった。以前診察してくれた女先生は、じっくり話を聞いてくれて信頼できる先生だったが、今回のc先生は、人当たりこそ決して悪くなかったが、私の話はろくに聞かず、お薬手帳の過去の記録を参考にして診断した。これは、あるいは、診断名を変えることは、医師同士の仁義にもとるという考え方からであろうか?これではセカンドオピニオンを期待しても意味がないではないか。
そして結局、「b先生と同じ種類のお薬を出しておきます」と言われて、リチオマール200mgとデパケンR200mgと、睡眠薬としてソレントミン0,25mgとビビットエース1mgが出された。
離脱症状で気が狂いそうなくらい苦しんでいた私は助かりたい一心で、処方箋に疑問を持つゆとりもなく、それらを服用した。睡眠薬のせいで睡眠だけは何とか確保された。
(続く)
問題は、ここからだった。
服用を中止して1週間ぐらいして、猛烈な吐き気が襲ってきて食事が摂れなくなった。と同時に全く眠れなくなった。今から思えば急に薬を止めたことによる典型的な離脱症状だったのだが、そのことを知らなかった私は焦った。
信頼感をなくしていたBメンタルクリニックには行きたくなかったが、仕方なく、また予約して出向いた。
b医師は、どういうわけか嬉しそうに、「ほら、薬を止めたから鬱が酷くなったでしょ」と違うお薬の処方箋を。
そのときのお薬は、エビリファイ錠3mg、プリンペラン錠5 5mg、リーマス錠200 200mgである。
服みたくはなかったが、ほかに為す術もなく、服用した。
が、よくなるどころかますます体調が悪くなる。疑問に思ったので服用を中止した。
それからひと月は、不眠、吐き気、疲れ果ててたまにうとうとすれば、ものすごい気持ちの悪い夢が襲ってきて悲鳴を上げたりもした。それに不眠といっても、ただ眠れないだけでなく、起きている間中そわそわしてじっとしていられない。で、しなくていい片付けを始めたりするのだが、頭が混乱しているから、まったく捗らない。しかし何かしていないと気が変になりそうになる。これらは全部離脱症状からくるものだとは、あとでネットを検索していて偶然知りえたことだ。
たまりかねて、忘れもしない今年の2月7日、以前お世話になったAメンタルクリニックに駆け込んだ。
あいにく以前お世話になったa先生の担当日でなく、別の先生の診断を受けることになった。以前診察してくれた女先生は、じっくり話を聞いてくれて信頼できる先生だったが、今回のc先生は、人当たりこそ決して悪くなかったが、私の話はろくに聞かず、お薬手帳の過去の記録を参考にして診断した。これは、あるいは、診断名を変えることは、医師同士の仁義にもとるという考え方からであろうか?これではセカンドオピニオンを期待しても意味がないではないか。
そして結局、「b先生と同じ種類のお薬を出しておきます」と言われて、リチオマール200mgとデパケンR200mgと、睡眠薬としてソレントミン0,25mgとビビットエース1mgが出された。
離脱症状で気が狂いそうなくらい苦しんでいた私は助かりたい一心で、処方箋に疑問を持つゆとりもなく、それらを服用した。睡眠薬のせいで睡眠だけは何とか確保された。
(続く)
平成11年7月から12月まで服用した鬱薬ならびに睡眠薬はいったん中止していたが、その後数ヶ月続いた高血圧、高体温、頭痛は、今から思えば、薬の離脱症状だったと思う。が、その時点では、離脱症状などという言葉はおろか、お薬に副作用があるということも思わなかった。
そのまま薬なしでいればよかったのだが、ときどき襲ってくる過去のトラウマが、また私を違うメンタルクリニックに行かせた。平成13年3月のことだ。
同じところに行けばよかったのだが、鬱が長引いたので、(今から思えば鬱というほどのものではなく、ただのメランコリーという程度のものであったのだが)インターネットで探した別のクリニックに行った。
それが大きな間違いだった。
最初の診察で、私の話も十分聞かないで、躁鬱2型と病名を付けられた。あとで、その先生は、誰にでもその病名をつけるので有名ということを聞いたが、後の祭りだった。
で、ジプレキサ2,5mgというお薬を処方された。
特に効いたとも思わなかったが、日中眠くなる以外は特に不都合もなかったので、先生の診断を信じて、3月から11月まで服用した。途中、ジプレキサザイディス5mgが追加されたが、先生を信じきっていた私は、何の疑問も持たずに規則正しく服用した。
が、私は、過去心臓弁膜症の手術を受けているので、毎月か2ヶ月に一度、循環器科の定期健診がある。そこでジプレキサを服用するようになってから毎回、「最近血糖値が上がっています」と注意を受けていた。そして11月の検診のときに、「もう糖尿病になってしまっています」と宣告されてしまった。
ここで呑気な私も初めて処方されていたジプレキサに疑問をもった。そして帰宅してネットで調べてみた。
何とアメリカでは多くの糖尿病患者を生み出している欠陥薬で、訴訟だらけの問題薬ということが判明した。
で、次回そのメンタルクリニックに行ったとき、そのことを告げた。すると、その先生は、「あ、あなたは糖尿体質だったんですね」と、いかにも私に問題があったといわんばかりの対応であった。そもそもこんな問題薬なら処方するのが間違っているし、処方をするならその危険性を説明してから処方するべきだと思うのだが、どうだろう。
で、この時点で私はこの先生に不信の念をもってしまった。
その日は「別の薬を出します」と種類の違う薬の処方箋を出してくれたが、私は薬局で受け取りはしたものの、それらのお薬は服用せずに捨てた。
これで終わりであればよかったのだが、ここから地獄が始まった。
(続く)
そのまま薬なしでいればよかったのだが、ときどき襲ってくる過去のトラウマが、また私を違うメンタルクリニックに行かせた。平成13年3月のことだ。
同じところに行けばよかったのだが、鬱が長引いたので、(今から思えば鬱というほどのものではなく、ただのメランコリーという程度のものであったのだが)インターネットで探した別のクリニックに行った。
それが大きな間違いだった。
最初の診察で、私の話も十分聞かないで、躁鬱2型と病名を付けられた。あとで、その先生は、誰にでもその病名をつけるので有名ということを聞いたが、後の祭りだった。
で、ジプレキサ2,5mgというお薬を処方された。
特に効いたとも思わなかったが、日中眠くなる以外は特に不都合もなかったので、先生の診断を信じて、3月から11月まで服用した。途中、ジプレキサザイディス5mgが追加されたが、先生を信じきっていた私は、何の疑問も持たずに規則正しく服用した。
が、私は、過去心臓弁膜症の手術を受けているので、毎月か2ヶ月に一度、循環器科の定期健診がある。そこでジプレキサを服用するようになってから毎回、「最近血糖値が上がっています」と注意を受けていた。そして11月の検診のときに、「もう糖尿病になってしまっています」と宣告されてしまった。
ここで呑気な私も初めて処方されていたジプレキサに疑問をもった。そして帰宅してネットで調べてみた。
何とアメリカでは多くの糖尿病患者を生み出している欠陥薬で、訴訟だらけの問題薬ということが判明した。
で、次回そのメンタルクリニックに行ったとき、そのことを告げた。すると、その先生は、「あ、あなたは糖尿体質だったんですね」と、いかにも私に問題があったといわんばかりの対応であった。そもそもこんな問題薬なら処方するのが間違っているし、処方をするならその危険性を説明してから処方するべきだと思うのだが、どうだろう。
で、この時点で私はこの先生に不信の念をもってしまった。
その日は「別の薬を出します」と種類の違う薬の処方箋を出してくれたが、私は薬局で受け取りはしたものの、それらのお薬は服用せずに捨てた。
これで終わりであればよかったのだが、ここから地獄が始まった。
(続く)
13日の「コサージュ」で少し書いたが、今日から精神薬の怖ろしさについて少し書いてみる。
私が最初に精神薬を服んだのは今から10年あまり前である。
インターネットの某メーリングリスト上でのトラブルがきっかけであった。私がパソコンの操作を覚えてまもなくの頃のことである。
原因は、ささいなことといえばささいなことである。私が、さる人のホームページに実名で訪問して、さらにその人の実名を書き込んだことから起こった。その人に、個人的にならともかく、大勢の人の読むメーリングリスト上でネチケット違反と糾弾されてしまったのである。根が気が小さく、真面目な私は衝撃を受けた。
しかし、今でも思うのだが、それほど糾弾されなければならないことであっただろうか。
余談だが、短歌の世界では、ネットの世界でも、実名を名乗ることにそれほども抵抗はない、ように思う。よしんば、ネチケット違反としても、何も大勢の前で糾弾しなくても、個人的に教えてくださり、静かに削除してくださればよいことではなかったかと今でも思う。お会いしたこともあった人だったから、なおさら。
既に何度も書いているけれども、私は、難聴という障害を持っているのと、私の生来の気質から普通の人よりインターネットに嵌りすぎてしまっていたところはあったと思う。が、ともかく、この事件で、私は、夜眠られないくらい衝撃を受けた。
そのメーリングリストを退会したあと、私は、さる大病院の心療科で鬱薬(メイラックス)を処方してもらって数ヶ月服用した。この頃は、まだお薬手帳を持っていなかったので、今となると、どの程度服用したかは不明だ。
その後、義母の介護のため夫の実家の現在地に引越してきたので、しばらく鬱からも薬からも離れていた。
ふたたび服用したのは、平成23年、止めておけばよかったのに、そのメーリングリストに再入会したあとだ。
なぜ再入会したのかは、私自身も「?」である。たぶん、私のどこかに名誉挽回したい気持ちが残っていたのだろう。
が、新たに私を非難する声を聞いた(読んだ?)ため、ふたたび鬱になってしまった。1週間以上、何も食べられず、夜は一睡もできないという状態になり、現在の住いの近くにあったメンタルクリニックに駆け込んだ。
そのときに処方されたのは、ジェイゾロフト25mg錠、睡眠薬として、レンドルミン0,25mg、ロヒプノール11mg錠であった。これが平成11年7月のことである。そのまま12月まで服薬量を増やしながら通院した。12月に処方されていたのは、ジェイゾロフト50mg、リスペリドン0,5g、ミルナナシプラン塩酸塩15gと睡眠薬レンドルミン、ロヒプノールなどである。
このあと、高体温が続き、血圧も170ぐらいに上がったため、通院と服薬を中止した。ちなみに、それまでの血圧は概ね120未満であった。
お薬手帳を見ると、翌平成24年2月には近くの内科医院で降圧剤と熱を下げる頓服を出してもらっているので、ずっと高血圧と高体温は続いていたのだろう。3月には近くの総合病院で脳のCT撮影もしてもらっているから、酷い頭痛がずっと続いていたと思う。
(続く)
私が最初に精神薬を服んだのは今から10年あまり前である。
インターネットの某メーリングリスト上でのトラブルがきっかけであった。私がパソコンの操作を覚えてまもなくの頃のことである。
原因は、ささいなことといえばささいなことである。私が、さる人のホームページに実名で訪問して、さらにその人の実名を書き込んだことから起こった。その人に、個人的にならともかく、大勢の人の読むメーリングリスト上でネチケット違反と糾弾されてしまったのである。根が気が小さく、真面目な私は衝撃を受けた。
しかし、今でも思うのだが、それほど糾弾されなければならないことであっただろうか。
余談だが、短歌の世界では、ネットの世界でも、実名を名乗ることにそれほども抵抗はない、ように思う。よしんば、ネチケット違反としても、何も大勢の前で糾弾しなくても、個人的に教えてくださり、静かに削除してくださればよいことではなかったかと今でも思う。お会いしたこともあった人だったから、なおさら。
既に何度も書いているけれども、私は、難聴という障害を持っているのと、私の生来の気質から普通の人よりインターネットに嵌りすぎてしまっていたところはあったと思う。が、ともかく、この事件で、私は、夜眠られないくらい衝撃を受けた。
そのメーリングリストを退会したあと、私は、さる大病院の心療科で鬱薬(メイラックス)を処方してもらって数ヶ月服用した。この頃は、まだお薬手帳を持っていなかったので、今となると、どの程度服用したかは不明だ。
その後、義母の介護のため夫の実家の現在地に引越してきたので、しばらく鬱からも薬からも離れていた。
ふたたび服用したのは、平成23年、止めておけばよかったのに、そのメーリングリストに再入会したあとだ。
なぜ再入会したのかは、私自身も「?」である。たぶん、私のどこかに名誉挽回したい気持ちが残っていたのだろう。
が、新たに私を非難する声を聞いた(読んだ?)ため、ふたたび鬱になってしまった。1週間以上、何も食べられず、夜は一睡もできないという状態になり、現在の住いの近くにあったメンタルクリニックに駆け込んだ。
そのときに処方されたのは、ジェイゾロフト25mg錠、睡眠薬として、レンドルミン0,25mg、ロヒプノール11mg錠であった。これが平成11年7月のことである。そのまま12月まで服薬量を増やしながら通院した。12月に処方されていたのは、ジェイゾロフト50mg、リスペリドン0,5g、ミルナナシプラン塩酸塩15gと睡眠薬レンドルミン、ロヒプノールなどである。
このあと、高体温が続き、血圧も170ぐらいに上がったため、通院と服薬を中止した。ちなみに、それまでの血圧は概ね120未満であった。
お薬手帳を見ると、翌平成24年2月には近くの内科医院で降圧剤と熱を下げる頓服を出してもらっているので、ずっと高血圧と高体温は続いていたのだろう。3月には近くの総合病院で脳のCT撮影もしてもらっているから、酷い頭痛がずっと続いていたと思う。
(続く)
埼玉県の豊島ゆきこさんから『冬の葡萄』という歌集を贈っていただいた。少し古風な感じの装丁が素敵な歌集だ。
これは彼女の第二歌集になる。
彼女は、お若い頃から歌を作っておられたので、第一歌集の上梓こそ5年ほど前であられたが、その歌集に収録された歌群は約20年ほどの年月の凝縮されたものだった。
今回の第二歌集は、その第一歌集上梓ののち5年間くらいの歌群なので、比較的最近の歌ばかりということになる。
彼女は、私と同じインターネット歌会に参加されているので、この歌集に収録されたご境涯は既におおかた私の頭にインプットされていてスムーズに読み進むことができた。
また、彼女も私同様鬱がちの方なので、感情移入しやすかったといえるかもしれない。
前置きが長くなってしまったが、よかったと思う歌をいくつか。
帽かむり首筋伸ばして老父(おいちち)がすきとほる秋の陽のなかを行く
鬱うつと七、八年を伏しをりし父なりにはかに生きむとし始む
「柩」とふ漢字のなかに久しきといふ字のありて永遠(とは)に忘れじ
「祭のあと」「荷下ろし鬱」と聞きしより霧晴るるごと見えしものあり
わたくしはゐるだけでいいこの家にひつそり灯つてゐるだけでいい
予約をし、また予約をしてわたくしの生をこの世に繋ぎとめおく
病とは健康のためになるものと知りていくばくか明るむこころ
まひるまのテレビに見をり幕下の力士ら歓声なくたたかふを
これは彼女の第二歌集になる。
彼女は、お若い頃から歌を作っておられたので、第一歌集の上梓こそ5年ほど前であられたが、その歌集に収録された歌群は約20年ほどの年月の凝縮されたものだった。
今回の第二歌集は、その第一歌集上梓ののち5年間くらいの歌群なので、比較的最近の歌ばかりということになる。
彼女は、私と同じインターネット歌会に参加されているので、この歌集に収録されたご境涯は既におおかた私の頭にインプットされていてスムーズに読み進むことができた。
また、彼女も私同様鬱がちの方なので、感情移入しやすかったといえるかもしれない。
前置きが長くなってしまったが、よかったと思う歌をいくつか。
帽かむり首筋伸ばして老父(おいちち)がすきとほる秋の陽のなかを行く
鬱うつと七、八年を伏しをりし父なりにはかに生きむとし始む
「柩」とふ漢字のなかに久しきといふ字のありて永遠(とは)に忘れじ
「祭のあと」「荷下ろし鬱」と聞きしより霧晴るるごと見えしものあり
わたくしはゐるだけでいいこの家にひつそり灯つてゐるだけでいい
予約をし、また予約をしてわたくしの生をこの世に繋ぎとめおく
病とは健康のためになるものと知りていくばくか明るむこころ
まひるまのテレビに見をり幕下の力士ら歓声なくたたかふを
ずいぶん更新が滞ってしまった。
その間、何度も覗きにきてくださっていた方もいたようで、そのことを個人メールで知った。
また休んでしまうかもしれないけれど、今日は、昨日のコサージュ作りの話題を。
参加している川西市難聴者の「耳の会」と要約筆記をしてくださるボランティアグループ「川西サマリー」の定期交流会があった。今回は「コサージュ作り」であった。
まだ心身ともに元通りになれない私に手先の仕事は無理と思って申し込みをしていなかったのだが、熱心に誘ってくださる方があって、頑張って行ってきた。
ところで、「心身ともに元通りになれない」とひと言で言ってしまったが、実は、ブログをお休みの期間、私は大変なことになっていた。
おいおい書いていくつもりだが、簡単にいえば、服薬していた精神薬を急に止めたことによる離脱症状。
離脱症状という言葉も知らず、その離脱症状によって大変なことになることも知らずに、さらに、その症状を治さんとして別のクリニックで別の精神薬を処方されて服んだことによる副作用。その一連の行為によって、この世の地獄のような体験をした。
その離脱症状の状態をブログに記録として残しておけばよかったと今になれば思うのだが、その最中はあまりにも苦しくて、書く気力は湧かなかった。
*
写真のコサージュは、あまり出来のよいものではないけれど、記念に撮影したものだ。
その間、何度も覗きにきてくださっていた方もいたようで、そのことを個人メールで知った。
また休んでしまうかもしれないけれど、今日は、昨日のコサージュ作りの話題を。
参加している川西市難聴者の「耳の会」と要約筆記をしてくださるボランティアグループ「川西サマリー」の定期交流会があった。今回は「コサージュ作り」であった。
まだ心身ともに元通りになれない私に手先の仕事は無理と思って申し込みをしていなかったのだが、熱心に誘ってくださる方があって、頑張って行ってきた。
ところで、「心身ともに元通りになれない」とひと言で言ってしまったが、実は、ブログをお休みの期間、私は大変なことになっていた。
おいおい書いていくつもりだが、簡単にいえば、服薬していた精神薬を急に止めたことによる離脱症状。
離脱症状という言葉も知らず、その離脱症状によって大変なことになることも知らずに、さらに、その症状を治さんとして別のクリニックで別の精神薬を処方されて服んだことによる副作用。その一連の行為によって、この世の地獄のような体験をした。
その離脱症状の状態をブログに記録として残しておけばよかったと今になれば思うのだが、その最中はあまりにも苦しくて、書く気力は湧かなかった。
*
写真のコサージュは、あまり出来のよいものではないけれど、記念に撮影したものだ。