さきほど同じ団塊の世代村に属している”団塊の世代のひとりごと”ブログの記事
「老後の生き方に正解はない」を読ませていただいた。
それに触発されて書いているのだが、私は「人生は終わってみないとわからない」ということも思う。
それは、死期の近づいている自分の母の最近を見ていて思うことがあるからだ。
母は、子供の頃から器量よしで、才色兼備で甲斐性もあった。
その娘の私は、何をしても母にはかなわなかった。
母の妹であった叔母もそうだった。
母は自分でも言っていた。
私ほどすべてのそろった人は珍しいと。
が、いま死を目前にして、必ずしも理想的な状態ではない。
歳をとるにつれて明晰だった判断力も衰えてきて、それより何より、自慢だった美貌が失せた。
まあ年取れば誰でも容色は衰えてくるが、母の場合は、最近の心がけの悪さ?で醜い。
それに対して母の妹の叔母は信仰をしていたせいもあったと思うが、死に際は見事であった。
以前も書いたが、死の前日に、叔父さんが親族、友人に知らせたため、叔母の病室にはあふれんばかりの見舞客が集まった。
そのとき、叔母の発した言葉、
「皆さん、今日はわざわざありがとうございます。が、うるさくてたまらないので、部屋を出ていただけますか?」と堂々と挨拶したのだ。
その後意識不明となって、翌日亡くなったのだが、私には、叔母は従容と死を受け入れて死んでいったようにみえた。
それに対して母は、いまだにその天職だった生け花にしがみついている。
だから死ねないのだ。
28日の強制外出も、正月花のお稽古が気になってのことだった。
師匠としての責任感といえば聞こえがいいが、要するに生け花の師匠職を失いたくないのだ。
文字通り死守したいのだ。
もうここまでくれば見苦しい。
その一生を家族に捧げて死んでいった叔母のほうがよほど綺麗な晩年だったと思う。
叔母は、いまだに叔父さんにはもちろん、そのお嫁さん以外の家族に惜しまれている。
あの信仰心の篤かった叔母でも、嫁姑の仲だけは例外で、従弟の奥さんはけっこう意地悪されたらしいけれども・・・。
ま、そういう例外はあったけれども、総じて叔母は惜しまれて亡くなった。
が、母は、どうなるだろう。
あれだけ権力を奮っていたから恩恵を受けた人たちには感謝されているかもしれないが、身近な家族は、現在のところは早く死んでほしいというのが本心のようだ。
母も14年前、脳梗塞で倒れたときに即死していたら、たぶん大勢の人に惜しまれただろう。
母自身も幸せなまま死ねたと思う。
が、神様は、そうはなさらなかった。
それには、やはり神様の思惑があるのだろう。
*
・死ぬときを選べぬわれら死も生も神にゆだねて今生きるのみ
・天職のありし幸せありしかど死ぬまで幸せとは限らざり
・天職のあらざるままに死にし叔母されど今でも家族は感謝す
ところで、私は早朝、15年間在籍させてもらったインターネットに退会の挨拶をしてきた。
その母体の「塔」短歌会には18年間在籍させていただいた。
残念無念は書きつくせぬが、しかし、これも神様の采配であろう。
自分で自分をあきらめなければ、また道は開けると思いたい。
よしんば、道が開かれなかったとしても、それはそれで、叔母のように従容と受け入れて死んでいけたらと思う。
・歌うたふことは止めしにあらざれど辞めたり短歌会「塔」を今日
・十五年参加しつづけゐしインターネット歌会も同時に辞める
・縁あらばまた御目文字もあるならむ同じ短歌をたしなむ同士
・老年になりたるわれに正解はなくてただ前を向いていくのみ
・人生は終わつてみないとわからないわれにも未だある可能性
「老後の生き方に正解はない」を読ませていただいた。
それに触発されて書いているのだが、私は「人生は終わってみないとわからない」ということも思う。
それは、死期の近づいている自分の母の最近を見ていて思うことがあるからだ。
母は、子供の頃から器量よしで、才色兼備で甲斐性もあった。
その娘の私は、何をしても母にはかなわなかった。
母の妹であった叔母もそうだった。
母は自分でも言っていた。
私ほどすべてのそろった人は珍しいと。
が、いま死を目前にして、必ずしも理想的な状態ではない。
歳をとるにつれて明晰だった判断力も衰えてきて、それより何より、自慢だった美貌が失せた。
まあ年取れば誰でも容色は衰えてくるが、母の場合は、最近の心がけの悪さ?で醜い。
それに対して母の妹の叔母は信仰をしていたせいもあったと思うが、死に際は見事であった。
以前も書いたが、死の前日に、叔父さんが親族、友人に知らせたため、叔母の病室にはあふれんばかりの見舞客が集まった。
そのとき、叔母の発した言葉、
「皆さん、今日はわざわざありがとうございます。が、うるさくてたまらないので、部屋を出ていただけますか?」と堂々と挨拶したのだ。
その後意識不明となって、翌日亡くなったのだが、私には、叔母は従容と死を受け入れて死んでいったようにみえた。
それに対して母は、いまだにその天職だった生け花にしがみついている。
だから死ねないのだ。
28日の強制外出も、正月花のお稽古が気になってのことだった。
師匠としての責任感といえば聞こえがいいが、要するに生け花の師匠職を失いたくないのだ。
文字通り死守したいのだ。
もうここまでくれば見苦しい。
その一生を家族に捧げて死んでいった叔母のほうがよほど綺麗な晩年だったと思う。
叔母は、いまだに叔父さんにはもちろん、そのお嫁さん以外の家族に惜しまれている。
あの信仰心の篤かった叔母でも、嫁姑の仲だけは例外で、従弟の奥さんはけっこう意地悪されたらしいけれども・・・。
ま、そういう例外はあったけれども、総じて叔母は惜しまれて亡くなった。
が、母は、どうなるだろう。
あれだけ権力を奮っていたから恩恵を受けた人たちには感謝されているかもしれないが、身近な家族は、現在のところは早く死んでほしいというのが本心のようだ。
母も14年前、脳梗塞で倒れたときに即死していたら、たぶん大勢の人に惜しまれただろう。
母自身も幸せなまま死ねたと思う。
が、神様は、そうはなさらなかった。
それには、やはり神様の思惑があるのだろう。
*
・死ぬときを選べぬわれら死も生も神にゆだねて今生きるのみ
・天職のありし幸せありしかど死ぬまで幸せとは限らざり
・天職のあらざるままに死にし叔母されど今でも家族は感謝す
ところで、私は早朝、15年間在籍させてもらったインターネットに退会の挨拶をしてきた。
その母体の「塔」短歌会には18年間在籍させていただいた。
残念無念は書きつくせぬが、しかし、これも神様の采配であろう。
自分で自分をあきらめなければ、また道は開けると思いたい。
よしんば、道が開かれなかったとしても、それはそれで、叔母のように従容と受け入れて死んでいけたらと思う。
・歌うたふことは止めしにあらざれど辞めたり短歌会「塔」を今日
・十五年参加しつづけゐしインターネット歌会も同時に辞める
・縁あらばまた御目文字もあるならむ同じ短歌をたしなむ同士
・老年になりたるわれに正解はなくてただ前を向いていくのみ
・人生は終わつてみないとわからないわれにも未だある可能性