神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

りゅうきゅうの酢の物と次男のお嫁さん

2015年08月31日 18時23分09秒 | 料理
きのうは高知で「りゅうきゅう(=はす芋)」という野菜をもらって帰った。

次男のところにも分けてあげようかと思ったが、神戸育ちのお嫁さんには料理の仕方も分からないだろうと思って止めた。

それが正解だった。

というのが、昨日、大阪のマンションに2人を送ってから帰宅して荷物を降ろしていると、お嫁さんのタブレットの入った紙袋が出てきた。

すると今朝、お嫁さんから「お昼過ぎに川西にとりに行きます」と電話がかかってきた。

ネット世代にとってはスマホやタブレットは必携品なので、なければ困るのだろう。

幸い、お嫁さんは今日はお休みをとっていたからよかった。

お嫁さんは昼過ぎに大阪から乗った電車の時刻を知らせてきたので、夫が駅まで車で迎えにいった。

お昼は過ぎていたけれど念のため、「お昼ごはんは?」と聞くと、「まだです」と正直に応えてくれたので、大急ぎでご飯の支度をした。

そこで、昨日分けてあげなかったりゅうきゅうで酢の物を作った。

入れるお魚がないのでシーチキンの缶詰で代用して、高知でもらってきた茗荷も入れて作った。

次に鰹と昆布でおつゆを作ってかき玉汁を作った。

高知からもらってきたたくあんと私の作った糠漬けの胡瓜も切って並べた。

メーンのおかずは、取って置きの、お取り寄せの北海道の高級ソーセージを湯がいた。

お嫁さんは、おいしそうに食べてくれた。

特に、琉球の酢の物がおいしかったらしく、何度も小皿にとって食べてくれた。

あまりにもおいしそうに食べるので、タッパーに入れて持たせてあげることにした。私の糠漬けの胡瓜もおいしいというので、高知のたくあんとともにビニール袋に入れてあげた。

少し固くなっていたが、高知でもらった餡餅もあったので、オーブントースターで炙ってあげると、「もうお腹いっぱい」といいながらも、おいしそうに食べてくれた。

こういうふうに、おいしそうに食べてくれると作り甲斐があるというものである。

急なご飯作りで疲れたが、疲れ甲斐があった。

  食べさせる喜びここに ふるさとの琉球(りうきう)酢のもの嫁に食はせて  biko

実家の家族とフランス料理で懇親会

2015年08月31日 03時14分31秒 | 家族
昨日は朝一番に香美市の母の実家に挨拶に行ってから高知市追手筋にあるフランス料理店で、実家の家族と懇親会の席をもちました。

席に着いたのは、実家の家族、母、兄嫁、亡兄の次男、その奥さん、亡兄の三男の5人にわれわれ4人の合計9人でした。



最初のスープは写すのを失念していましたが、その後、ブログを思い出して撮影。

↓私は、メーンディッシュにお魚を注文しました。(お魚の種類は聞きそびれました)


↓最後のデザートを私はアイスクリームにしましたが、


↓隣席に座った次男のお嫁さんはケーキ


↓斜め向かいに座った甥の奥さんも(違う種類の)ケーキ


↓ご紹介する順番が逆になってしまいましたが、入ったところに生けてあったお花。


↓これがお店の写真です。


その後、次男たちは日曜市を見ることにして、私達とは、はりまや町の実家で集合して帰途に着きました。

帰途、神戸市のお嫁さんの実家に寄りお土産を渡して、次男たちを大阪のマンションに送って、帰り着いたのが9時ごろ。車に乗りっぱなしだったので、疲れました。

夜のお薬を飲むこともせずに、さきほどまでソファで眠ってしまっていました。

日付が変わってしまいましたが、備忘のために記事にしておきます。

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これで、われわれ親の、次男の結婚に関する大きな行事はおわりました。

次男たちは、まだこれから友人関係を招待しての披露宴を予定しているようです。

南国市のホテルで摂った夕食

2015年08月29日 22時16分38秒 | 日記
ホテルに泊まる人にはレストランからのサービスで酒の肴のセットが↑

夫と次男はビール。お嫁さんはいける口のようで、栗焼酎の酎ハイを頼んでいた。私は最近、肝臓の数値が悪いと言われているから、アルコールは自粛。

↓夫と次男は、”かつおたたき定食。


↓私とお嫁さんは、かつお茶漬け。


↓それとは別に南国市の名産という、しゃも肉の餃子というのも注文。


↓レストランの売店では、かつおたたきチップスというお菓子が売られていた。

帰省(淡路島パーキングエリア~南国市)

2015年08月29日 21時30分52秒 | 旅行
お昼まで病院の薬剤師の仕事のあるお嫁さんを病院の前で待って一緒に帰省の途に。↑途中淡路島パーキングエリアで昼食。

↓お分かりいただけるだろうか。今日は曇天だったから明石大橋はぼんやり写っている。


↓パーキングエリアを出ると驟雨に。


↓鳴門大橋も驟雨だった。


↓徳島の脇町、美馬あたりになると雨も止んでやれやれ。


↓高知の山間部にも驟雨があったのだろう。香美市繁藤あたりは山に霧がかかって水墨画のようだ。


↓お墓参りのころにまた降り出して、濡れながらお墓参りをした。


我が家のお墓は今は亡き義父が建て替えたまま、その後建て替えをしていない。というのが、次の世代はどうなるか分からないから。

既に義父母は宝塚市の中山寺に分骨して納骨してあるから、われわれもそうしてもらうことになると思う。まだ子供達には相談していないが・・・。

↓やっとホテルに到着


↓きれいな部屋でよかった。


夜はホテルに隣接したレストランで夕食を摂った。

昔のモノクロ写真

2015年08月28日 08時56分03秒 | 思い出
夫が写真の整理をしてくれていたら、私の、こんな写真があったと出してきたからアップします。

上の写真は、短大に入学した年に写したものだから、私は18歳です。もう半世紀近くも昔の写真!母も若かった!

下の写真もそのころのものです。左側が私。



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一昨日、その冊子をご紹介した川添英一さんが、今朝、このブログ「神鳴り」を川添さんのブログ「流氷記」に紹介くださったとメールがあった。

いま確かめてみると、「流氷記の仲間たち」の欄で紹介されている。

関心のある方は、どうぞ。

川添さんは、「塔」の永田和宏・前主宰がアメリカから帰国するまで「塔」誌の編集をしてくださっていた方だ。

「流氷記」の今号にも前々主宰であり「塔」を創立した高安国世氏の原稿が掲載されている。

早朝の散歩・・・白い花ばかり

2015年08月27日 11時20分24秒 | 日記
                 (↑槿?)

今朝は午前2時ごろ目覚めて4時ごろまで他の人のブログを読ませてもらったり、メールをしたりしていたが、その後、軽食をとって、二度寝しようとしているうちに空が白み始めた。

せっかくだから、久しぶりに散歩をすることにした。

早朝の空気には早い秋が感じられて気持ちがよい。

はなこころさんのブログ「みみかほう」の今日の記事「秋隣(あきとなり)」そのものだ。

歩きながら、ケイタイでお花を撮影した。

圧倒的に白い花が多かった。

↓アベリア


↓午前5時半を過ぎたところだ。


↓鉄砲ゆりが咲いていた。後ろは阪神高速小花出入り口。


↓鉄砲ゆりの横に咲いていた花。朝顔に似ているから夕顔?どなたかご教示を。


↓月見草?


↓猪名川の河川敷に来た。


↓人っ子ひとりもいないと思っていると、女性が一人走ってきて走り去った。


↓阪急電車の橋脚


↓また白い花を見つけたが、これも何の花かわからない。


↓呉服(くれは)橋で休憩。休憩するほど歩いていないが、しばし川水の流れを眺めるため、石のイスに座らせてもらった。


↓阪神高速道路の橋脚の下は子供の遊び場とか公園になっているが、その案内板。


↓昼間は注意を払わないが、お地蔵さんの祠もあったので撮影。

↑お賽銭を入れる穴が開いているところがおもしろい。

↓昔は、池田市のバスターミナルから川西市に阪急バスが回って来ていたから、この呉服橋の袂にもバス停があったが、現在は観光バス等の降り場があるのみ。


↓近くの交番には殺人犯のポスターが貼られている。数年前までは、オウム真理教の殺人犯の写真が貼られていたが、つかまったので、違う顔ぶれが。


↓われわれと同年輩の殺人犯。どういう因果で殺人を犯してしまったかはしらないが、親鸞上人の「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という言葉が思い浮かぶ。


↓とある家の花壇の植え込みに見つけた白い花。にらの花だろうか。


↓これも別の花壇に見つけた白い花。


↓これは日日草だろう。


  秋にまだ届かぬ朝の散歩にてあきとなりとふ季語が立ち来る  biko

  白秋の近づく朝は白むくげ白アベリアと白花つづく  biko

川添英一さんの短歌冊子「流氷記」第六十二号『花水木』

2015年08月26日 22時01分20秒 | 短歌
大阪府茨木市立中学校の国語の先生をされている川添英一さんから短歌冊子「流氷記」第六十二号『花水木が届いた。

川添さん、どうもありがとうございます。

川添さんは60歳のときに一旦定年退職されて、現在は再任用最後の夏なのだそう。

お忙しい中、こういう冊子を作られるのは大変だろうと推測させていただく。

川添さんの短歌を読ませていただくと、もうすぐ65歳になられる人とは思えないくらい瑞々しい。

今回の冊子にも、そういう歌が散見される。

  教師ではなくて詩人の目でいよう不思議不可思議見逃さぬよう

  生徒とは馴染み大人と相容れぬ気性もつらしぞえぽんわれは

その一方で、長年中学校の先生をしてこられたという自負の感じられる歌も

  分かるには十年早い職人の技術が国語の授業にもある

  文学に最も遠し当たり前すぎる国語の正答なれば

  このときの作者の思いは?などと問うけれどもボーッとしている時ほど浮かぶ

今号には、命終を見つめた歌が散見されるのも特徴かもしれない。

  救急の担架に運ぶさっきまで風呂に浸りし生ま足が見ゆ

  あのときの父の齢を我は生き父と重なるところもありぬ

  最後かも桜咲くその喜びを噛み締めている

3首目の歌は大幅な字足らずというか第五句が欠落した構造になっているが、意識的に?

  存在が死ねばなくなる恐怖にて無限に堕ちてゆく夢を見る

↑これは死ぬことを恐れている歌なのだろうか。それとも「死」を恐ろしい夢の喩にしているのだろうか。とにかく「無限に堕ちてゆく」とはただごとでない。

  母の声母の姿がよみがえりそぼ降る雨の中の紫陽花

ただお母様を懐かしんでいるだけの歌でもなさそうだが、川添さんは、最近は、「死」に親しんでおられるのだろうか。

次の歌は叙景歌と思うが、歴史的人物の名前も詠み込まれているせいで、重厚な歌に仕上がっていると思った。

  大職冠鎌足眠る阿武山が四角い窓にすっぽり嵌る

↑勤務していられる中学校の教室の窓から見える景色と思う。

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短歌を話題にすると、読者数が微妙に減るけれども、私のブログなので、減ろうが増えようが、書きたいものを書かせていただいている。

↓今号の表紙絵はきれいだったので、表側の表紙絵だけでなく、裏側の表紙絵も撮影させていただいた。


秋鮭のホイル焼き・・・お料理ブログではないけれど(笑)

2015年08月26日 13時38分12秒 | 料理
朝晩は、ぐっと秋めいてきましたね。

今日のお昼は「秋鮭のホイル焼き」にしました。

おいしそうな秋鮭を見つけて買ったけれど、鮭だけではボリュームがないので昼食用にホイル焼きにしました。

アルミホイルにおいた鮭に塩コショウして、その上に玉ねぎの薄切り、ピーマン、椎茸の薄切り、トマト、を載せて、とろけるチーズを被せて、アルミホイルで包んでロースターで焼きました。

焼きあがったホイル焼きに酢橘をかけていただきました。

いろんな味が渾然一体となって、おいしかったです。

アルミホイルに包むまでが手間ですが、ロースターに入れたらほっておいて出来上がるから楽です。

このブログはお料理ブログではないのですが、他に話題がないので、アップしました。

  秋鮭に玉ねぎピーマン椎茸とトマト、チーズを載せてホイルす  biko

そのままで、歌にもなっていないのですが、たまには歌もと思って・・・。(笑)

宮崎和牛のハンバーグ

2015年08月25日 16時34分58秒 | 料理
数日前の夕食に”びっくりドンキー”でハンバーグを食べたが、ライスなども含めてだが、2人で3000円以上したので、今日のお昼は家で作った。

外で食べることを考えたら、上等のひき肉を買っても、と思って宮崎和牛のひき肉を買った。100グラム260円だから、ひき肉としては高いがステーキを買うことを考えれば安い。

400グラム買った。一人200グラムずつ。欧米の人から見るとちょっぴりかもしれないが、われわれには十分すぎる量だ。冷蔵庫にあった椎茸としし唐をトッピングした。

おいしかった(^^)。ファミリーレストランのハンバーグは、混ぜ物で増量しているのではないかと感じるときがあるが、自家製は(パン粉玉ねぎは入れるが)まるまるお肉だから。

われわれの年代になっても、ときどきは肉を食べたほうがいいらしいが、しかし、食べるときはおいしいものを食べたい。

別にステーキである必要はないので、私はハンバーグにする。

手間がかかるといっても、大した手間ではない。

というわけで、今日のお昼は大満足のハンバーグランチであった。

ライオンのように、昼食後、さっきまで昼寝してしまった。(笑)

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昨日の夜は鯖の塩焼きとベーコンと野菜の炒め物にしたが、このごろは鯖も高くて一匹400円もする。新鮮な鯖だったからおいしかったが、しかし、お肉の満足感には劣る。

二枚におろした鯖は、骨のついた片身は塩焼きにしたが、残りはシメサバにした。このシメサバは今夜の食卓に出る。売っているシメサバのようにすっぱくないからおいしいはず。

親戚はだんだん遠くなっていくもの、それは仕方ないことだと思う

2015年08月24日 12時00分37秒 | 私の意見
昔から「兄弟は他人の始まり」という。

まあ兄弟は、まだそんなことはないが、いとこ、はとこと、だんだん親戚は遠くなっていくものだと思う。

これは仕方のないことだし自然なことと思う。

なのに、夫は、夫の親戚が疎遠になっていくのは嫁の私の責任という。

それでまた喧嘩になった。

実は、今度結婚した次男たちを高知の親戚に紹介するためと墓前に結婚の報告をするため、帰省することにしている。

私のほうは、私の母や兄嫁や甥達と食事することが決まっている。

が、夫が、私のほうばかりでなく、自分の親戚とも会いたいと言い出して、夫の従兄の息子さんに連絡をした。

すると先方からは、「あいにくその日は予定があってお会いできない」と返事があった。

夫の今は亡き伯母さんはもちろん、医師をしていた従兄も親切な人だったので、私達が帰省して訪問したときは、いつも歓迎してくれた。

その従兄が亡くなって、もう10年くらいになる。

その間、その従兄の長男さんとはあまり交流していなかった。

というのが、その息子さんは夫の従兄である、そのお父さんが亡くなった頃はまだその子供達が小さく、その上、夫の従兄が亡くなった直後に、新しく自分の医院を開業したりして超多忙だったから、私達は行くのを遠慮していたところがあった。年代が違うことも理由にあった。

私どもの長女や長男が結婚したころは、夫の従兄は存命だったから挨拶に行った。

今回は、その従兄が亡くなっているから、その代わりにその息子さんのところに挨拶に行こうというのが夫の考えだった。

しかし、その息子さんにしたら、年代の違う、ふだん全然交流もしていない遠い親戚に急にこられたら迷惑ということは普通に考えたら分かる。

が、夫は、妻の私の付き合いの悪さで親戚関係が遠くなったとご立腹である。

なぜそういうふうに考えるのであろうか。

私は、夫の伯母さんともなかよく付き合ってきたし、その息子の、夫の従兄ともなかよくさせていただいてきたつもりだ。

が、その下の世代の、従兄の子という関係になると、疎遠になってくるのは仕方ないと思う。

それがどうして私のせいになるのだろう??

それほど親戚が大事であるなら、なぜ自分が率先してなかよくしてこなかっただろう。

現に私は自分の従弟たちとは現在もなかよく交流している。その子供達となると、どうなるか分からないけれども・・・。

私は、そういうものだと思う。

いとこくらいまでは何とか交流する。

しかし、それ以上になると、近くに住んでいるか、何かの事情がない限り疎遠になっていくのは、これはもう仕方ないことだと思う。

そういうふうに疎遠になっていく親戚がある一方で、自分の子供達には伴侶ができて、新たな姻戚関係ができる。

だから、全体的にみれば、必ずしも親戚が減っていっているわけではない。

そんなこともわからないだろうかと思う一方、なぜ、何でも私のせいになってしまうかと、私は夫に対して怒っている。

大阪府警は、なかんずく高槻警察署は頑張ったと思います

2015年08月24日 04時55分23秒 | 私の意見
仕事といえばそれまでなのですが、それでも、今回の中学生殺人事件で、大阪府警は、なかんずく高槻警察署は、よく頑張ったと思います。

私は、これほどスピーディに犯人を挙げたことに感動すら覚えています。

いや、犯人を挙げたのみならず、殺されていた少年の遺体も速やかに発見しています。

防犯カメラが威力を発揮したともいえますが、しかし、それを分析、推理するのは人間です。

捜査された警察の方々の熱意がなければ成し遂げられなかった快挙だと思います。

もうずいぶん昔の事件ですが、グリコ森永犯を取り逃がした残念は現在もわれわれの記憶に残っています。が、今回は迷宮入りしなくて本当によかったと思います。

頑張ってくれた大阪府警、高槻警察署の皆さんの健闘は、やはり褒め称えるべきだと思い、記事にさせていただきました。

こういうふうに書くと上から目線のようですが、要するに感謝しているということです。

(年甲斐もなく)素敵に変身?

2015年08月22日 11時22分38秒 | テレビ番組
                (↑そろそろ食べ上げなければ!)

遅い朝食を食べながらテレビを見ていると、「素敵に変身」というような番組名で、私と同年輩と思しき女性が「まな板の鯉」になって、変身させられていた。

いえ、ご本人は(頼まれて演技しているのかもしれないが)喜んでおられる様子だったから、「まな板の鯉」と言ってしまうのは語弊があると思う。だから正式な番組名は書かない。

その番組を見ていて、私なら、「ああいうふうに変身させられるのは真っ平ごめん」と思った。

というのが、出てこられた初老の女性は年相応の知的な感じのよい方なのに、番組で変身させられて、「若作りのお化け」のようなファッションに変身させられていたから。

私はいつも思う。年相応でどこが悪い?

その年齢でしか体験できない老化、その他を、なぜごまかさなければならないのか。

女優さん達が若く見えるのは、それなりの職業的努力の結果だと思うし、それが必要な場面もあるかもしれないが、素人のわれわれが、どうしてそれを真似ねばならないのか。

適齢期に(適齢期でなくてもいいが)結婚して、子供ができて、その子供が結婚して孫ができる。

なら、孫のおばあさんらしい風貌でいいではないか。

変に若々しいおばあさんだと孫も気持ち悪く思うかも知れないし、その前に、子供達がいやではないか。

いつまでも不自然に若々しくいる必要はない。

まして派手な浮ついたファッションなど、こちらから願い下げだ。

年相応に老けて、年相応に枯れていく。これが一番の幸せではないかと思う。

最近の私は、お化粧もしないし、服も地味なものを着る。

そうしているのが、一番心安らかにいられるから。

まあ、しかし、人それぞれなので、年齢に抗って、若作りをするのが生きがいの人は、それはそれで、またいいとも思う。

それに私も前期高齢期の現在は地味にしているが、よぼよぼの後期高齢期になったら、あるいは、ど派手な格好をおっぱじめるかもしれないし・・・。(笑)

ひどい、あんな可愛い顔をした子を殺すなんて

2015年08月21日 22時17分48秒 | ニュース
さきほどテレビのニュースを見ていると、寝屋川市の行方不明になっていた男児も殺されていたとか。

ひどい!あんな可愛い顔をした子を。

同じ中1生の私の男孫も可愛い顔をしている。

男の子の中学1年生は、まだまだ子供だ。

私は女の子も男の子も育てたからわかるのだが、女の子は、小学校上級生あたりから大人と変わらないくらい大人びた子もいる。が、男の子の中1生は、心身ともに、まだまだ子供だ。

そんな幼い子をどうして殺さなければならなかったのか。

事件の解明はこれからだから今は何もいえない段階だが、私は、どこかに生きていることを期待していたから、悲しい。

とても他人事とは思えない(涙)。

高槻市で発見された、寝屋川市の中1生殺人事件

2015年08月21日 04時53分42秒 | 新聞記事
高槻市で発見された、寝屋川市の中学1年生殺人事件には震えた。

私と同じ阪急沿線での事件であるとともに被害者が私の孫と同じ学年の生徒だからだ。

まだ子供といえるような年代の中1生を深夜に徘徊させる親のことも気になった。

その親は、私の子供達と同年代か少し若いかもしれない。

その親を育てた親は、どんな親だったのだろう。

私は、子供達が大学生になっても門限は10時と決めていた。

それに遅れたら、激しく叱った。

今から考えたら厳しすぎたかもしれないと思うが、私には夜10時を過ぎたら街の空気が変貌するという認識があった。

子供達を信頼していなかったわけではないが、危険には近づけたくなかった。

この殺された子供、あるいは行方不明になっている子供の親はどういう育て方をされたのだろう。

ひょっとすると心配もしてもらえない境遇であったかもしれない。

世の中にはさまざまな人がいるから、人のことはあまり言いたくはない。

しかし、上記したように、孫と同い年の子供達なので、どうしても気になってしまう。

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一昨日は書いた記事が突然消えてしまって書き直したが、昨夜も書いている最中に突然消えたので、まあまあと思って書き直してアップして寝た。今朝、自分のブログを出して見てみると、なんと同じタイトルで3回もアップしている。送信した記憶は1回しかないのだが、どうしたのだろう?取り急ぎ、書きかけの形でアップされていた2記事は削除した。

精神科について

2015年08月20日 22時20分45秒 | 精神医療
ネットのトラブルで鬱病になった私が飛び込んでしまった精神科の精神医療については、もう私の中では終わっている。個人的には忘れたいと思っている。

が、今日、毎日読ませていただいている駅前糸脈さんの記事のタイトルが「社会の医者は無理な相談か」で、精神科について書かれていたから、糸脈さんの記事の主旨には合わないと思ったが、精神科について思うところをコメントさせていただいてきた。

糸脈さん自身も医師であられるから、私のコメントは迷惑かもと思ったので、「没にしてくださってもかまいません」と断りを入れておいた。

一昨年から昨年前半まで精神薬の副作用、離脱症状、後遺症に悩まされた私にとって、精神薬は害のみあって益になることはひとつもなかった。

しかし現代医学にとっぷり浸かっていられる医師、薬剤師さん達に精神薬の薬害を訴えても聞いてもらえるとは思っていない。

が、それでも声を上げなければ泣き寝入りになる。

それで、糸脈さんの記事の文脈には関係ないと思いつつもコメントを残してきたのだ。

私のように、毒牙から逃れられた者はまだよい。

だまされたままの人、気がついても薬の離脱症状が恐ろしくて断薬できない人、さらに今後その毒牙につかまるかもしれない人たちのことを考えれば、多少でも体験した者の勤めとして、声を挙げていかざるを得ない。

じっさい被害者はたくさんいて、さっきも、「ベンゾジアゼピン、離脱症状」という言葉を入れて検索すると、すぐにいくつかヒットした。

そのひとつを貼り付けさせていただく。

安易に処方される薬の恐しさ ~ベンゾジアゼピン~

全然存じ上げない方のブログで、勝手にリンクを貼らせていただいていいのか分かりませんが、フェイスブックでシェアしてもかまわないみたいですので、貼らせていただきました。

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何一ついいことのない精神医療でしたが、しいて利点をあげれば、あの鬱病の苦しみを霞めてしまうほどの強烈な苦しみを得たことでしょうか。

あの頭が呆けていく恐怖、離脱症状の怖さを知らずに、断薬して(させられて)しまったあとの体調の悪化による苦しみ、それらの苦しみによって、私は鬱病の苦しみから解放されたのです。

これは治療といえるものではありませんでしたが、結果的に荒療治にはなったと思います。

それ以来、私の人生観も変わりました。