神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

般若心経

2012年06月10日 08時44分30秒 | 
この5月11日に亡くなった義母は、49日が過ぎるまでは中陰で、まだこの世と彼の世をさまよっているらしいから、私は折をみて般若心経を上げている。

以前、ものの本で、お経を上げるのは、仏様のためではなく、実は、この世に遺されたわれわれのためという下りを読んだ記憶がある。

般若心経は、音読と訓読とで上げているが、たしかに訓読のほうを上げていると、そのことを実感する。

たとえば、次のようなことが書かれている。

「人は私や私の魂というものが存在すると思っているけれど、実際に存在するのは体、感覚、イメージ、感情、思考という一連の知覚・反応を構成する5つの集合体(五蘊)であり、そのどれもが私ではないし、私に属するものでもないし、またそれらの他に私があるわけでもないのだから、結局どこにも私などというものは存在しないのだ。しかもそれら5つの要素も幻のように実体がないのだと。」

読み上げているうちに、お釈迦様が私に言い聞かせてくださっているように感じる。

梅雨入り

2012年06月09日 04時56分16秒 | 天候
ここ数日蒸し暑いと思っていたら、入梅した。

私は、雨降りは好きだ。植物が嬉しそうに雨に打たれているのを見ると、自分が元気付けられるような気がするから。

いま、家の前のプランタには、へちま、ゴーヤ、朝顔などを植えてある。今年の電力不足を心配して早めに夏の暑さ対策を講じたというわけだ。その様子が食堂からも見えるように、窓ガラスも透明の二重ガラスにした。

ほんのこの間まで、赤、ピンクのスプレーカーネーション、白いナデシコ、薄桃色のカスミソウがプランターを彩っていたのだが、現在は、赤、ピンクの葵の花を、これら蔓性の植物の緑が引き立てている。そして、アベリアの紫が、それらの裳裾になっている。

            *

ここから、昨日の記事への追記です。

最近、このブログを歌の友人に読んでもらっている。昨日の記事、「冤罪」を読んだ友人が、高知県出身の冤罪被害者、郵便不正事件で無罪が確定した村木厚子・元厚生労働省局長(56)=現内閣府政策統括官=が、違法捜査の責任を認めた国側から得た賠償金を長崎県雲仙市の社会福祉法人「南高愛隣会」(田島良昭理事長)に寄付したと教えてくれた。

友人は、高知県出身者ではないが、以前から村木厚子氏を応援してくれていた。

冤罪

2012年06月08日 09時35分42秒 | ニュース
昨日は、東電OL殺人事件の再審決定というニュースが流れた。

まだ再審は終わっていないが、どうも冤罪であるらしい。テレビや新聞で、そのネパール人の容疑者の顔を見る限りでは、私には殺人を犯した人のようには見えなかった。

人を見かけだけで判断することは危険なことであるが、しかし、ある程度は、見た目の印象は当てになると思う。

最近の冤罪といえば、足利事件の菅谷さんとか松本サリン事件の河野さんとかを思い出す。私には彼らも犯罪を犯すような人達には見えなかった。

冤罪は、どこでどう間違って犯罪人にされてしまうのであろうか?

李下に冠を正さずという諺がある。日ごろから人から誤解されない行動をということだろう。また、人に恨みとか嫉妬とかの感情を持たせないということも大切なことかもしれない。証拠が不十分な事件では、他人の証言によって犯人に仕立て上げられることもあるらしいから。

殺人事件のような凶悪な事件でなくても、最近は、痴漢行為の誤認逮捕をされる人が多いように思う。これも逮捕された人たちにとっては、それまでの社会的立場を一瞬にして失わしめられる恐ろしい冤罪だろう。

冤罪で服役を余儀なくされた人達の悔しさ、悲しさ、情けなさ、苦しさは、察して余りある。

願わくば、その後の人生が幸せに満ちたものでありますように!

 泥水を吸ひ上げ蓮の花は咲く泥の記憶を忘れしやうに

夫の出張

2012年06月07日 08時21分39秒 | 病気
夫は、今日から徳島へ出張のため、早朝に車で家を出た。

私の鬱を心配して、昨日は、「3日間も一人でいられるか、大丈夫か」と訊ねてくれた。

心配してくれて、ありがたいと思う。

現在、鬱は少し落ち着いているようだ。ときたま不安で動悸が激しくなるときもあるが、概ね・・・。

で、現在のような状況だと、むしろ夫がいないほうが夫の食事等の心配をしなくていいから思い切り読書に没頭できるという極楽もあるのだ。自分の食事は、自分が空腹になったときだけ何か作ればいい。

夫が家にいてくれると心強い反面、食事以外にもいろいろ気遣いしないといけないので、鬱のときは、それが負担になるときもある。私は読書が好きなので、一日中、本を読んでいられたら本望だ。

          *

寛仁親王殿下が66歳で薨去された。まだ惜しまれる年齢だ。しかし、今の時代、生涯、皇族であり続けることは大変なことだったろう。ご冥福をお祈りさせていただきたいと思う

  金星が月を渡りてゆきし日に寛仁親王わたりゆかれし

光と陰

2012年06月06日 10時38分30秒 | わたしのこと
日差しが強くなった。

夫に頼まれた急ぎの郵便物を投函するために、住宅街にあるポストに向かった。まだ午前10時というのに、道は眩しいほど白く輝いていた。私は日差しを避けるため、家々の塀の陰に沿って歩いた。そして、歩きながら考えた。光が強ければ、おのずとその陰が濃くなるということを。

先日は、義母のことを書いたが、私の母も、自分の母のことなので言いにくいが、若い頃は美人であった。兄の高校時代は、兄の友人達の中には母のファンも何人かいたらしい。兄は、母の二十歳の時の子どもであるから、その頃の母は、まだ30代の若さであった。私が年頃になって、お見合いをするころになっても、母は、まだ40代前半であったから、十分若かった。私のお見合い相手の中には、私より母を気に入ってしまう人もいた。

一方、私はというと、おとなしいだけがとりえの目立たない娘であった。身体も弱かったから、何をしても、人より優れるということはなかった。。

そこで、今朝は思ったのである。強い光であった母の、私は濃い陰であったということを。

しかし、陰には陰のやすらぎもあったということも、負け惜しみでなく、思う。

  濃き陰を連れて歩める夏の朝わたしはわたしを出ることはなし

公園で会う人々

2012年06月05日 07時04分17秒 | 私の意見
今日は、Kさんのブログに書かれた「公園で会う人々」について書いてみたいと思う。

その人達の大半は、たぶん心を病んでいる人達であろう。

何らかの理由で社会から疎外され、それが原因で心を病んだ人達かもしれない。

その人達を避けるのは、いわゆる常識的な人達、自分は正常と思っている人たちだと思う。

しかし、常識的とは何だろう?

私は思う。それは、たまたま運よく、社会のベルトコンベアーに乗れているだけのことではないかと。

人を差別することはたやすい。しかし、人間は弱い存在だ。いつ如何なるときに、自分が、その弱者の側に回るかもしれない。

話は変わるが、昨日、菊地直子逮捕のニュースが日本を駆け巡った。

彼女は、大阪の大阪教育大附属中、高校を卒業している。大阪では、トップ進学校だ。順調に生きていれば、エリートとして、世間から羨望される人生が待っていただろう。しかし、何の因果か、オウムに入って、サリン作りという犯罪に手を染めさせられてしまった。

彼女の場合は、運命の成り行きから、人から後ろ指をさされる人生を送らざるを得なくなったのである。

公園で寝泊りしているような人達の中には、あるいは、そういう事情を抱えている人たちもいるかもしれない。それは犯人なのだから、見つけ次第、警察に連絡して、裁きを受けさせるべきというのが常識的な考え方であり、正しい行動であろう。しかし、その際も、私は、多少の心の痛みは持ちたいと思う。聖書の、姦淫をした女に石つぶてを投げる資格のある者は実はいなかったという寓話からも、己を省みたいと思うのである。

私は、現在運よく普通の人生を送れている人たちこそ、そういう、何らかの事情で常識的なコースを外れてしまった人たちに心を寄せる義務があると思う。浄土真宗のいうところの「悪人なほ往生す、いはんや善人をや」の言葉を常に胸に刻んでおきたいと思うのである。

小野市詩歌文学賞授賞式

2012年06月03日 16時15分46秒 | 短歌
昨日は、第四回小野市詩歌文学賞授賞式に行ってきた。最近、あまり体調がよくないので、行くのを躊躇っていたが、以前、夫に頼んであったせいで、夫のほうが乗り気で、たぶん私の鬱の軽快を目論んでくれてもいたと思うが、とにかく昼前に家を出て、高速を飛ばして約40分で小野市に到着した。

今回の受賞者は、短歌部門は、わが「塔」の花山多佳子さん(さん付けにしているが、「塔」の先生)の「胡瓜草」、俳句部門が小檜山繁子さんの「坐臥流転」、詩部門が岬多可子さんの「静かに、毀れている庭」だった。

授賞式に先立って、俳人の金子兜太氏と歌人の小池光氏の対談があった。テーマは、「心と言葉」。コーディーターは、わが「塔」の主宰者、永田和宏氏であった。

これがなかなか面白かった。勿論、難聴の私は、夫の要約筆記で話を聞くのだが、金子兜太さんは当年92歳とは思えないほどかくしゃくとしていられて、曰く。「俳句は5,7,5だが、短歌は、これに、7,7が付く。この、7,7は、俳句を作る私から見ると、ふんどしの垂れのように無駄なものに思える」。対する歌人の小池光さんは、短歌を擁護すると思いきや、金子さんの迫力に圧倒されたのか、その発言に呑まれた格好だった。

しかし、金子さんはさるもの、けなしっぱなしではなく、短歌でも、馬場あき子さんとか永田和宏氏とか小池光氏の作品は、ふんどしの垂れでもないとのたまった。これには笑ってしまった。その褒められた歌人3人は、当日、舞台に居並んでいた歌人3人だったから。

それにしても、昨日は、ひさしぶりに「塔」のメンバーに会った。鬱になってから、家に閉じこもりがちで、「塔」の行事にでかけることも控えていたから。妻思いの優しい夫には、いくら感謝してもし足りないくらいだ。一昨年の第二回の受賞者、河野裕子さんの授賞式も、夫が同伴してくれて、要約筆記をしてくれたのだった。

義母

2012年06月02日 06時48分55秒 | 家族
大正8年生まれの義母は美しい人だった。

当時としては高身長で、164センチあった。しかし、顔は小顔で整っていて、脚が長かったので、誇張ではなく、本当の八頭身美人であった。その上、おしゃれであったから、かなり目立つ存在だったようだ。

かてて加えて出身校も県立第一高女と県下のトップ女学校を卒業していたので、気位も非常に高かった。結婚当初は義母が怖くてたまらなかった。

私は美人でも優等生でもなかったし、当時から軽い難聴であったので、義母の眼鏡には適わなかったと思う。それが義母の言葉の端々に出るので、胸に刺さるのだ。子どもさえいなければ、実家に逃げ帰りたいと何度思ったことか。

しかし、さすがの義母も、晩年になって認知症気味になると、毒気が抜けて、可愛いお婆さんになった。

義母は、俳句が趣味で、土曜日に句会のあることが多かった。とある金曜日の朝、階下に下りていくと、「今日は句会なの」と嬉しそうに言う。だから、「今日は金曜日だから句会は明日ですよ」と教えてあげた。そして朝食後、長く自室に篭もっているなと思っていると、綺麗にお化粧した顔で出てきて、「今から句会に行ってきます」と言う。なので、「句会は明日ですが、せっかくだから近所を散歩してきてください」と送り出した。が、今度は、なかなか帰ってこない。心配していると、「句会に行ったのに、誰も来てなかったの」と、がっかりした顔で帰ってきたことがあった。

今、いろんなことが懐かしく思い出される。