神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

義母を偲んで

2013年04月30日 18時50分46秒 | 家族
昨年5月11日に亡くなった義母の一周忌を5月3日にすることになった。

それに先駆けて、床の間に義母を偲ぶ遺品を並べた。写真は義母自筆の義母の俳句の短冊。



これは義母が高知県立第一高等女学校一年生のときに書いたお習字。



女学生の義母とご両親と次兄と弟。長兄は当時、東北帝大の学生だったので、写っていない。

日が長くなったので

2013年04月29日 18時59分35秒 | 旅行
夫がテニスの合宿から帰ってきてからドライブに出た。

三田のほうに行って、三田屋でステーキでも食べようかと思ったが、もったいないので、ファミリーレストランのハンバーグで我慢した。

そのまま帰るつもりだったが、午後7時、まだ明るいので、神戸のほうへドライブした。

途中、神戸フラワーフルーツパークを見つけて、園内に入り散策した。

一年中で今が一番気持ちのよい時期だろうと思いながら・・・。

「薔薇の花ずし」続き

2013年04月27日 21時22分48秒 | 短歌
昨日ご紹介した河崎香南子さんの歌集「薔薇の花ずし」の続きとして、後書きもご紹介したいと思う。

ご主人を亡くされたときの一連は、昨日ご紹介した通りだが、後書きに

心を尽くしても、あらゆる手を尽くしても、解決が出来なくなった時、死は「癒し」であり、「救い」であることを知りました。死は生の続きであり誰にでも起こる自然であり、それゆえに死を悲しいと思うのは生者の傲慢と思うようにもなりました。

という下りがあった。考えさせる言葉である。

河崎さん、素晴らしい歌集を、どうもありがとうございました。

薔薇の花ずし

2013年04月26日 13時44分58秒 | 短歌
  ☆ばらずしを薔薇の花ずしと思ひゐたる娘の日々に母はいませり

山口県にお住まいの河崎香南子さんから「薔薇の花ずし」という歌集を賜った。掲出歌は、歌集名ともなった歌である。

河崎さんは私と同年輩の歌人で、お嬢様育ちの美しい方だ。私は以前、昨年NHK短歌の番組の講師をしていらした花山多佳子さんの斎藤茂吉文学賞の授賞式、その後のツアーでご一緒したことがある。そのご縁で、今回もこの歌集を贈ってくださったのだと思う。

彼女は、見かけは品のいい良家の奥様然としているが、ただの奥様ではなく、子育てを終えた後は、臨床心理学の勉強をするべく大学に入学しなおして、さらに大学院まで進まれ、「箱庭を短歌に詠む」という立派な修士論文をものにされたらしい。しかも、その途次、医師であった夫君の食道癌、中咽頭癌の看病、看取りがあった。彼女は、見かけによらず、強靭な人だと思う。

「箱庭を短歌に詠む」の箱庭は、今はなき京都大学教授河合隼雄氏が日本に根付かせた心理学療法の箱庭療法のことである。

と、前置きが長くなったが、この歌集の中で、特に心を打たれた挽歌の部分をご紹介させていただきたいと思う。

              *

    水惑星

  わが歩く真上に下弦の月のあり君の病室(へや)から逃れてくれば

  飼ひねこをひつそり土に還す朝わが手のひらは死のあかるさに

  きみとわれ婚は三十五年なり 混沌(カオス)はいつか宇宙(コスモス)となりぬ

  火の山の地の底深く宙(そら)のあり なほひたすらに水を奔(はし)らす

  わが名呼びわが手を握りその意志(とき)」を主治医に告げし君の真夜更け

  黄昏れて指の先よりほろびゆく命の果てを子らと見守る

  春あさき夢の旅路に立ちしひと水惑星はついのすみかか

  壇上の箱に入れられはれやかに人は聴くらむおのが儀式を

  彼方とふ昔の空にもどりゆくひときは青き君のけむりよ  

華麗なるアリバイ

2013年04月24日 19時59分02秒 | 映画
NHKBSで放映されたアガサ・クリスティの「華麗なるアリバイ」を録画して見た。2008年製作だから割合新しい映画だ。

録画して観るのは、アガサ・クリスティの作品は複雑なので、ストーリーが理解できないときに繰り返し観るためにである。が、この「華麗なるアリバイ」は、それほど複雑ではなかった。



アガサ・クリスティの作品のドラマ化、映画化されたものは、外国の田舎の景色、邸宅などが見られるのも魅力である。この映画も、プールつきの邸宅が舞台で、登場人物たちの軽妙な会話もおもしろかった。


タイ古式マッサージ

2013年04月23日 11時54分18秒 | 旅行
今回のタイ旅行の3日目にしてもらったタイ古式マッサージについても記しておきたいと思う。

昼間、オプショナルツアーの水上マーケット、その他にに行ったあと、夕方、ホテルを出るのは億劫だったが、わざわざでも行ってよかったと思う。

まず店に入ると足をぬるま湯で丁寧に洗ってくれる。次に2人ずつ一部屋に通され、服をリラックスウエアに着替えるように促された。

いよいよマッサージ、足裏から丁寧に親指で指圧してくれる。次に脚、内側も外側も、いわゆるツボというところを順に丁寧に押していってくれる。だんだん昇ってきて太股も同様に押していってくれる。少し痛いが、それがまた気持ちがよい。

横向きにさせられて片脚ずつ折り曲げて膝を上半身に密着させる。

股の内側の付け根にマッサージ師の両手を押し当てて、しばらく押し、その後パッと放すと、押し当てられていた部分は血管の集中している場所なので、熱いと思うくらい温かくなる。女性の場合は、子宮その他のうっ血しやすい場所に近いので、余計効くのかもしれないと思った。

その後、腰を丁寧に指圧。これも、同様によく効く。

全部書くと長くなるので以下は割愛するが、気持ちよかった。旅行前、膝が少し痛かったのだが、すっきりした。

2時間で3000円ほどなので、安い。

帰国して、丁度川西能勢口の駅にマッサージの広告が張ってあったので見ると、100分で9000円とあった。

タイのカレー

2013年04月22日 20時53分19秒 | グルメ
今夜はタイで買ってきたカレールーとココナツミルクでチキンカレーを作った。香辛料が利いていておいしいのだが、辛いのには参った。

若い人たちは、こんな辛いカレーでも平気で食べるんだろうな。

辛さもカレーのおいしさなのだが・・・。

補聴器店で泣いた

2013年04月20日 17時42分50秒 | 聴覚障害
一昨日のことだが、できあがった補聴器を受け取りに行って、そこで、その補聴器がどれだけ私に合っているかの検査をしてもらった。

まず耳に補聴器をつけて、人の声を一語ずつ聞く。「あ」とか「む」とか一語ずつなので、私ども難聴者には言葉になったものを聞くよりも骨が折れる。聞こえない語の推測ができないから。それでも、補聴器をつければ、間違いながらも、なんとか聞こえる。

この後、補聴器を外して、同じ検査をしてもらった。

そうすると、ほとんど聞き取れない。音としての声は聞こえているのだが、「あ」と言っているのか「か」と言っているのか、「む」と言っているのか「う」と言っているのかの判別ができないのだ。

すると、我知らず涙が溢れてきた。

こんなにも聞こえなくなっていたのかという思いと聞こえないで辛い思いをした昔のことが蘇ってきて・・・。

若い頃は、難聴の程度が今ほどは酷くなかったので銀行に勤めていた。

しかし、軽い難聴とはいっても難聴であることには変わりなく、電話の聞き間違いをしたことがある。一応耳の悪いことを知られての採用ではあったが、責任を感じて泣いた。その時のことを思い出したのである。

世の中には、目の見えない人、足が悪くて歩けない人、さまざまな人がいて、私だけが不幸なわけでない。しかし己の障害の重さに真向かうと、やはり泣いてしまうのだ。

昔のことを思い出して泣いたのは、たぶん私が年取って涙もろくなったせいもあったのだろう。

私の運勢

2013年04月20日 14時46分37秒 | 運勢
yumeさんのブログを拝見すると、姓名判断の結果を書かれていたので、私も真似をして無料姓名判断で占ってもらった。結果は下記の通り。半分あたっているかな?(笑)

●総合的な運勢
浮き沈みの激しい面がありますが、たくましく障害を乗り越えて行く底力を持っています。そのために、ひとつひとつの困難に忍耐強くぶつかっていけば、道も開けてきます。心根がやさしい面も持ち合わせているので、努力を続ければ実っていくことでしょう


●家系的な運勢
代々、財産家か社会的信用や地位のある名誉職についている人が多い家系です。男性を中心に繁栄します。信用と責任で着々と社会に足場をつくっていきます。


●仕事の運勢
負けん気と強い意志力をもっています。強情な面が災いして、人とぶつかることがあるので、人と和することを肝に銘じておくことが大切です。


●愛情面の運勢
人の気持ちを思いやる心のやさしさをもっているので、自然に家庭は親子、夫婦間でスムーズなコミュニケーションのとれる温かいものになり、しあわせを実感するような家庭生活をおくることでしょう。


●社交運
強い精神力に実力が加わり、温かみもあるので、多くの友人や知人に恵まれます。多少、人の欠点で目につくところも受け入れるだけの心の幅があれば、より良い人脈ができあがります。


●性格
根がお人よしで、さびしがりやです。頼まれたら断りきれず、損をすることが多いでしょう。ナイーブな面を持っているので、人の細かな心を理解してあげるという良いところがあります。


●人間関係
家族との縁がうすいようです。努力してもそれが実りにくいので、挫折感を味わうこともあります。しかし、いつも誰かが助けの手を差しのべてくれることでしょう。

私は、父を20代で亡くし、母はいけばなに力を注いでほったらかしにされたりしていたから、当たっているかも!母方の祖母には、特に可愛がられたから、これも当たっているように思います。娘のいない叔母(母の妹)にも娘のように可愛がられました。

●体と健康
『手足』
手足の怪我、骨折に気をつけてください。また、関節痛、神経痛、リューマチ、冷え性などにも注意が必要です。

『腹部』
腹部、大腸、小腸、盲腸、十二指腸などの消化器の病気に注意してください。また、腎臓、胆嚢、肝臓の病気や、糖尿病、アレルギーにも注意が必要です。

『腰部』
腰部、腰椎、膀胱、子宮、卵管、卵巣、生殖器などの病気に気をつけてください。痔、女性は生理不順などにも気をつけてください。

花水木

2013年04月19日 17時03分12秒 | 近所
今日は、帰国後、はじめて外出した。



いつのまにやら表通りの花水木が七分咲きになっていた。

メンタルクリニックの予約日だったことと新しい補聴器を受け取る日だったので、外出した。帰国後、下痢が続いているので、元気ではないが、来月3日に義母の一周忌の法事もあるので、家の中の片付けも始めなければならない。

夫は。帰国の翌日から仕事を再開しているので、私ばかりが怠けているわけにはいかないのだ。

国民性

2013年04月17日 23時41分42秒 | 旅行
国外に出ると、当たり前のことだが、日本以外の人たちに触れ合うことになる。

訪問したタイの国の人達は、篤い宗教心に裏打ちされた誠実さを感じた。

ツアーでタイを訪れている国で特に目立ったのは中国の人達だ。数も多かったし、その挙動も目立った。傍若無人という雰囲気を湛えていた。これは昨今の中国の自信から来るものもあったろうし、もともとの気質がそうであったともいえるかもしれない。

インドの人達のツアーも散見した。国が豊かになってきたのだろう。しかし、総じておとなしい。

韓国の人達もいたはずなのだが、最近は、見た目日本人と酷似しているせいか、気付かなかった。

欧米の人達も思っていた以上に多かった。ほとんどがアメリカ人だろうと思うが、団体ツアーではなく、夫婦、または家族で旅行しているような感じの人が多かった。

海外に出ると、私達が他国の人達を観察するように、私達も他国の人達に観察される。

日本の、関西の、私達は、他国の人達にどのように見られただろう?

タイビレッジカルチャーショー

2013年04月16日 17時32分39秒 | 旅行
今日帰国しました。かの国の暑さとツアーのスケジュールのハードさで、少し体調を崩しています。

写真は結構たくさん写したのですが、送信しようとすると送信不能になり、結局、送信できたのは、この1通だけでした。

これは3日目のオプショナルツアーで行った、タイの昔ながらの風習を再現したショーでした。



古式豊かな太鼓の演奏。



タイ民族舞踊。前日に見たショーは若い美男美女ばかりで垢抜けしていたのですが、こちらのは様々は年代の男女が田舎の様子のままに踊っていて、タイムスリップしたような感じでした。



若い美人ばかり集めたショーでないところがリアルでした。



昔の結婚式の様子を再現していました。



ボクシングのショー。



出演者総出のフィナーレ。



屋外に出て、象のショーも見ました。よく飼いならされています。



逆光で解りにくいのですが、蛇を体に巻きつけている男性。



タイはバイクが主流かと思っていたのですが、意外に車(ほとんどが日本車!)が多かったです。しかし、たとえば、このトラックとかにたくさんの人が乗っている光景は、私達が幼い頃に見た風景とオーバーラップしました。アジア版オープンカーは涼しそうでした。^^

こういう後進国特有の光景も見られたのですが、しかし、バンコク空港は関西空港よりずっと大きく、この国のこれからの発展を示唆しているようでした。

明日からというべきか今日からというべきか

2013年04月12日 00時02分33秒 | 旅行
午後の便で、タイに行きます。帰国は16日です。

昨年が結婚40周年だったのですが、41周年になる前にということで行ってきます。

夫はタイ美人を見るのを楽しみに、私はタイ式マッサージを楽しみに・・・。

写真が写せたら、帰国してアップするようにします。

ブログに書き続けること

2013年04月10日 09時29分43秒 | ブログについて
                    (1階洗面所に生けてある花)

昨日は通院日だったので、バタバタしてブログはお休みした。

kiwattiさんも数日ブログを休んでいられたらしいが、毎日更新するって、どういう意味があるのだろう。

私は読むことも書くことも好きなので更新すること自体には負担を感じない。が、それでも、忙しい日は、ちょっと無理することになる。それで、昨日は休んだのだ。

(2階洗面所に生けてある花)

私は、ブログを書くことが少しでも負担になれば止めると思う。

私はブログに載せる写真はケイタイで写して投稿している。ケイタイなら、いつも持参しているので、いつでも撮影できる。ケイタイから直接ブログに投稿できるので便利でもある。ブログに投稿して、パソコンの画面で大きな写真を見られるのも魅力だ。また、ケイタイからだと、パソコンが故障しているときなどにも投稿できるので助かる。

が、上記したように、無理はしないことにしている。

それにしても、ブログは誰のために書くのだろう?

読みにきてくれる人のため?否、やはり自分のためだろう。

ほかの方のブログを読ませてもらいながら、自身のブログを読み返してみると自分を客観的に見ることができる。この特性を生かして自分を省みるよすがにすることができればと思う。