神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

海賊焼き

2012年10月28日 19時28分35秒 | 家族
昨日書いたように、今日の午前中はお寺のお坊さんに来ていただいて義母の納骨式をした。

結局参加したのは、われわれ夫婦と次男だけだった。あとから遅れて私の実家の母が来てくれたけれど・・・。

夫の妹も、弟も、多忙を理由に欠席した。

私の長男一家は来る予定だったが、折悪しく3人とも風邪を引いてしまって来られなかった。娘も体調がよくないと断ってきた。

まあ、そんなものかもしれない。

認知症になって数年ののち、92歳で亡くなった義母の、葬式、四十九日までは、みな何とか揃ってくれたけれど、それ以上になると、やはり現実のそれぞれの都合が優先される。

近くであれば、まだ何とかなるかもしれないが、東京、名古屋、滋賀、兵庫県などから、遠路高知県まで納骨式だけのために行くのは、経済的にも負担が大きいということだろう。

われわれも、お寺関係だけでも、近くのお寺、高知県のお寺の両方にお布施をしたりなどして経済的な負担も大きい。

しかし、高知県で育った義母のためには、高知県に納骨してあげたかった。近くのお寺には、これが終わってから分骨を納骨する予定である。

というわけで、今回は少人数の納骨式になってしまったが、そこはまた、身軽というよさもあった。

納骨式のあとは、帰途、淡路島の由良というところに寄り、3人で海賊焼きを食べて帰った。

海賊焼きとは物騒な呼び名であるが、貝類を生きたまま焼いて食べることである。

今日は、アワビ、サザエ、大アサリ、ホタテ貝などをいただいた。

残酷な食べ方ではあるが、新鮮な貝類はおいしかった。

生きて命を繋ぐということは、こうして日々他の命をいただくということに他ならない。合掌

それぞれの人生

2012年10月26日 04時15分56秒 | わたしのこと
よくそのブログにお邪魔させていただくyumeさんの毎日を読ませていただいていると、その行動力に圧倒されてしまう。

私の昨日の行動は、午前中に、この週末に義母の納骨に帰省するため親戚へのお土産をデパートで買ってきたことと、もう一度出直して、今度は近くのスーパーで昼食と夕食の材料を買い求めてきたくらいだ。

それだけで疲れて、昼食後、午後はたっぷり昼寝してしまった。

怠けているといわれれば、その通りだが、しかし、休憩しないと体が持たないので仕方ない。

私は、見かけは元気そうに見られるが、若い頃から人よりもずっと疲れやすかった。

頑張り屋の母には、いつも頑張りが足りないと言われ続けてきた。

しかし、頑張ろうとしても頑張れないから仕方がない。

その代わりというか仕方なくというか、体を休めているときに読書をすることが多い。だから、世間一般の人よりも、ほんの少し多く本を読んでいるかもしれないと思う。

神様からこういう体を与えられているのだから、それなりの人生を送るしかないと思って生きている。

路線バス

2012年10月24日 05時38分14秒 | 近所
また、kiwattiさんのブログに触発されて書く。

何度も書くが、我が家は阪急川西能勢口駅から徒歩5分くらいの、非常に交通の便のよいところにある。

しかし、車を運転しない私に不便なのは、昔はあったバスの路線がなくなって、市内のどこかに行くときに駅前のバスターミナルまで歩かなければならないことだ。

バスターミナルは西口駅前にある。我が家は東口側にあるので、ま、それでも徒歩7分くらいのものだが、少々遠いのである。

このごろのように気候のよいときはいいのだが、真夏の真昼間に出かけなければならないときは、暑さに弱い私は死に物狂いである。

で、先月、市役所に出向いて、「市長への手紙」ポストに、「また以前のように私の地区にバスを走らせてください」と要望を書いてきた。

それに対する回答が、先週届いた。

それには、「あなたの住む地区は駅から近い場所にあるので、バスを走らせても、あまり利用者が見込めません。よって、今後とも走らせる計画はありません」と書かれてあった。

う~ん、たしかに大阪とかに出るのには駅に近くて便利だが、しかし、上記したように、同じ川西市内に出かけるのには、それほど便利なわけでもない。

皆が車を運転する世の中になって、車を運転しない人間には反って不便になるということもある。

ネット依存症

2012年10月23日 05時24分50秒 | 日記
昨夜のNHK「クローズアップ現代」で、ネット依存症という問題を取り上げていた。

私も、そうかもしれない、否、そうに違いないと思いながら見た。

ネットは、便利なものだ。

・ニュースは、新聞よりも早くは勿論として、あるときはテレビよりも早くキャッチすることができる。

・知りたいことは、辞典類で調べることなく、検索すれば即座に知ることができる。

・うまく利用すれば、テレビなどと違って双方向性なので、人の心の乾きを癒してくれる。

・私などのように、聴覚に障碍がある場合は、バリアフリーで人と交流できる。

などなど、いいことずくめのようだが、嵌ってしまうと弊害があるということだろう。

しかし、ネットに限らず、たとえ、よいことであっても、過剰になるのがいけないのだと思う。

私の夫は、ワーカホリックの傾向がある。

現在は、家で仕事をしているのだが、食事以外の時間は、ほとんど仕事をしている。男は仕事が本分という名分はあるだろう。しかし、これも度を越すと問題になるかもしれない。

夫は、小学上級生の頃、どういうわけか勉強が面白くてたまらなくて、学校から帰ってきてからも、友達が遊びに来たりしたとき以外は、一人で「自由自在」とかいう問題集を解くことに没頭していたという。世の教育ママから見ると羨ましい子どもであったに違いないが、これも行き過ぎると、やはり依存症というべきであったろうか。

娘もよく勉強する子どもであった。が、息子達は、勉強の替わりにゲームに没頭していたので、こちらは、ゲーム依存症であったかもしれない。

昨夜の番組では、ネットの弊害が強調されていたが、しかし、何事も過剰になるのが問題ということではないだろうか。

過剰になることの弊害は、ネットに限らず、それを利用する人の生き様に関わってくることかもしれないと思いながら見た。

駐輪有料

2012年10月14日 01時22分44秒 | 近所
今日は(というより、しばらく)ブログを休もうと思っていたけれど、kiwattiさんのブログに触発されて書く。

最近、私の住む川西市の駅前の主な施設の駐輪場は、ほとんどが有料になってしまった。とはいっても、3時間以上停めた場合の話だ。

デパートが核になった駅前のショッピングセンターは、3時間を超えて6時間までは100円を払わなくてはならなくなった。6時間を超えると、さらに100円を徴収される。この建物には図書館も併設されているので、私も、よく利用する。

我が家は、駅から徒歩5分ほどなので、駅にもショッピングセンターにも歩いていけるのだが、しかし、買い物をしたあと、その買ったものを運搬するために自転車で行くことも多い。ま、3時間を超えるようなショッピングをすることはないので、自転車で行っても無料なのであるが、駐輪場に停められる台数には限りがあるので、今後は自粛したほうがいいだろう。

しかし、この有料駐輪は一つのアイデアだと私は思う。こうして駐輪場の収入が入れば、昨年度はじめて赤字になったらしい市の財政も潤うし、駅前の道路に停める自転車は全部撤去されるので、舗道がすっきりするから。

村上春樹

2012年10月12日 09時31分29秒 | 読書
村上春樹がノーベル賞受賞を逸したということがニュースになっている。

今朝の産経新聞朝刊の阪神版には、村上氏の母校の西宮市立香露園小学校に、関係者達が集まり、一同で村上氏受賞を待っていた様子が写真と記事で紹介されている。

また、社会面には、阪神電車の一部の駅ではハルキスト垂涎の「阪神電車沿線の文学マップ」が無料でいただけるという記事がある。

私は一読、その文学マップをいただきに阪神尼崎駅まで行ってこようかな、と思ったが、阪神電車沿線に住んでいるわけでもないし、と思い直した。

それにしても、村上氏は、女性を中心に凄い人気だ。

ミーハーな私は、以前「ノルウェイの森」を読んだとき、村上氏はどんなハンサムな男性かと想像したのであるが、ネットの検索で拝見した限りでは、いわゆるハンサムではなかった。

しかし、文体や、その描かれている主人公の様子は、実にハンサムだ。あ、そういえば、英語のハンサムの本来の意味には、賢いということも含んでいるので、その意味では、やっぱりハンサムである。

・まず英語を母国語のように読み、しゃべることができ、日本人の枠を超えた考え方ができる。

・女性に対して、きわめてクールである。にも関わらず、彼の周囲には次々と美女が現れて、彼女らは、ほとんど例外なく彼に好意を寄せる。

・どんなときでも自分を失うということがない。また、日本の多くの作家が、しばしばそうであるような、自堕落ということからは最も遠いところにいる。

見方によっては気障か、と思えるほどにかっこいい!

山中教授

2012年10月10日 10時29分39秒 | ニュース
山中教授のノーベル賞受賞で、日本国中が沸きかえっている。

ほんとうにおめでたいことだ。この朗報の勢いで日本再生を期待したい。

再生といえば、山中教授の取り組んでいる再生医科学は、私の所属する短歌結社主宰者でもあり、京都大学医学部名誉教授でもある永田和宏氏も取り組んでいる分野だ。氏は、1986年に、コラーゲン生成に特異的な機能を持つ熱ショックタンパク"HSP47"を発見している。

いっときは、永田教授にも、ノーベル賞をという期待がかかっていた。

永田氏は理学部出身でありながら、畑違いの再生医療の分野に身を投じた経歴の持ち主だ。だからというわけでもないが、彼は、医学部出身の研究者は、せっかく育てても、しばしば研究の道を捨ててしまうと嘆いている。

医師という職業に就ける資格を持ちながら、地味な研究の道を究めるのは難しいということなのだろう。

が、山中教授は、医師でありながら、研究分野に半生をささげた。その理由が、不器用で手術が下手だったからというのが、おもしろい。

人生、どこでどう転がるか分からないと思う。

『死の棘』

2012年10月09日 02時31分37秒 | 読書
のっけから物騒なタイトルで申し訳ないのだが、そういう題名の本を図書館から借りてきた。

最初は、インターネット歌会のメンバーから『死の棘日記』という本を紹介され、その本を借りてきて読み始めたのだが、こちらは島尾敏雄という作家の生の日記なので、いきなり読んでも理解しにくいところがある。そこで、昨日は、その日記の内容を小説にしたものを改めて借りてきて読み始めたというわけだ。

そもそもの発端は、一昨年亡くなった歌人、河野裕子さんのことを同じく歌人の夫、永田和宏氏が書いた『歌に私は泣くだらう』からだ。

永田和宏氏は私の所属する短歌結社の主宰者、いうなれば大先生である。しかし、われわれの結社は、先生のことも、「さん」付けで呼ぶ慣わしがあるので、そう呼ばせてもらっている。だからといって、「さん」付けや「氏」付けであるから、尊敬の念が薄れるということはないのであるが、しかし、「先生」と呼ばせていただくより、垣根が低くなるということは事実だ。

閑話休題

で、タイトルにした本を読もうとする動機になったのは、現代の与謝野晶子とも言われていた故河野裕子さんが、夫、永田和宏氏に対して、ある種の狂気でもって対峙していたことを永田和宏氏が、その著書で述懐していたことからである。

人の極端な純粋さ、純粋すぎる愛情は、あるとき狂気に変貌することもある。

その『死の棘』も、まさにそういう内容の小説なのである。

まだ読み始めたところだが、この歳になっても、男女間、なかんずく夫婦間の愛憎の複雑さには、まだまだ私の未知な部分があると思い知らされる。

愛情が深いからこそ、相手を深く愛しているからこそ、お互いに深く傷つけあってしまう人間の業火のようなものを、改めて思い知らされる。

その苦しみを味わうことは地獄のようでありながら、しかし、実は、人生をより深く生きるということに繋がるのかもしれないなどとも思いながら、読んでいる。

運動会

2012年10月07日 22時27分27秒 | 
今日は、地区の運動会であった。

今年は班長をしているわけではないが、班長をしているお向かいさんに、「嫁いだ娘の出産予定日と重なっているので、お昼のお弁当を配るのを替わりにやってほしい」と頼まれていたので、お昼前に会場の小学校に出向いた。

だいぶん暑さは和らいだといっても、まだ晴天の日中は暑い。

暑さには、からきし弱い私なので、正午になるまで校庭の隅の木陰で運動会を眺めていた。

すると、私と同じように、木陰で運動会を眺めていたお婆さんが話しかけてきた。私は、若い女性の高音の声は聞き取りにくいが、お年寄りの低音の声は比較的聞き取りやすい。それでも、運動会の、うるさい拡声器の合間を縫って話をしたのだが、大正13年生まれで当年88歳だといわれる。私の実家の母より一つ年上だ。なのに、未だに一人暮らしで自活していられるという。

「それは偉い。ところでご家族は?」とお聞きすると、「電車で3駅のところに息子夫婦が住んでいます」といわれる。そして、「息子の嫁さんは、とてもよくできた人です」とおっしゃる。

「じゃ、なぜ一緒に暮らされないのですか?」とお聞きしたかったのだが、聞かぬが花と思って止めた。

別々に暮らしているからこそ互いに尊敬しあうことができるけれども、一緒に暮らすようになったが最後、きれいごとだけではすまされない部分が出てきがちだということを、そのお婆さんは解っていられるから同居されないのだと思う。

お名前もお聞きせずにお別れしたが、ああいう運動会の場であったから会話できたのであって、ふだん道で会っでも会話する機会は得られないだろう。そう考えると、ああいう場に行くのもそれなりにいいものだと思った。それは、その一人暮らしのお婆さんにとっても、そして、これから、ぼちぼち本格的に老人の仲間入りをさせていただく私にとっても・・・。

近江八幡

2012年10月06日 20時26分37秒 | 家族
昨朝、病院に行く支度をしていると、近江八幡市に住んでいる長男から、お嫁さんが熱を出しているから手伝いにきてとケイタイにメールが入った。

で、CT撮影の後、あわてて行ったのだが、お嫁さんは意外と元気であった。ひょっとすると姑の私に気を使って無理をしているのかもしれないと、孫の昼寝を見計らって自転車を借りて買い物がてら周辺をサイクリングした。

長男の家は近江八幡の駅からは徒歩30分くらいかかるが、穀倉地帯の中にできた住宅地の中にあるので、周辺には自然が残っている。

白鳥川という川沿いのサイクリングロードを走るとコスモスが戦ぎながら沿道を縁取っていた。

自転車で10分ほど走ると、ショッピングセンターに着いた。

スーパーを併設したショッピングセンターなので何でも揃うし値段も手ごろだ。夕食の材料を買い求めて、また元来た道を秋風に吹かれながら帰った。

夕食後も、外のほうが気持ちがいいので、秋の夜風に吹かれながら散歩した。

私の住んでいる川西市は、近年は都市化されて散歩しても家ばかりだが、長男の家は住宅地を抜けると田園なので空気が違う。気持ちよく散歩したあとは、新しい家の新しい浴槽で入浴してぐっすり寝た。

あまりにも居心地がよいので、私も近江八幡に引越してきたくなった。自然あり、歴史あり、それでいて、買い物の不自由もない、理想的な土地のように思えた。あ、今回は行かなかったが、琵琶湖も自転車で行けそうな距離にあるのである。

レントゲン検査

2012年10月05日 05時56分37秒 | 病気
今日はレントゲン検査があるから朝から絶食である。

食べてはいけないといわれると食べたくなるのが人情だが、食べてはいけない。尿も溜めて撮影の必要があるから、撮影の1時間半前以降はトイレも我慢しなければならないといわれている。

日常生活の中で、こういう拘束を受けると不自由を感じるが、しかし、5年前の大腸がんのときのことを思えば、こんな我慢は、なんということはない。

大腸がんが発覚したときの腹痛は、尋常ならざるものであった。

手術を受けたのは、11月14日であったが、まず8月末に一晩猛烈な腹痛があった。これは一晩で収まった。翌朝、念のため、近所の医院で診てもらったが、便秘でしょうという診断であった。

2回目の腹痛は、10月1日であった。これも一晩で収まったが、やはり異常な痛みであったので、また近くの医院で、今度は夫にも付き添ってもらって診てもらった。今度は、念のためレントゲン撮影してくれたが、便がたまっているようなので、やはり便秘でしょうといわれた。しかし今後のこともあるのでと、病院に紹介状を書いてくれた。医院から、そのまま病院に直行した。そして、病院でもレントゲン撮影をしてもらったが、やはり便秘でしょうと言われた。

3度目の腹痛は10月31日に起こった。前回2回とも便秘といわれたので、我慢した。その日は金曜日だった。翌土曜日も、激しい痛みは収まらないどころか、ますます酷くなった。それでも、また便秘といわれるのは恥ずかしいので我慢した。

翌々日の日曜日になると、もう死ぬのではないかというほどの痛みになったが、日曜日でもあったので、我慢した。しかし、月曜日の未明、もう痛みは限界となって、夫に救急車を呼んでもらった。

病院に担ぎ込まれて当直の先生に診ていただくと腸閉塞と判明し、そのまま入院した。

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と、ここまで書いてきたが、そろそろお風呂に入って支度するため、今日の日記は、ここまでにします。

夫の仕事

2012年10月04日 02時34分04秒 | 夫の仕事
以前も書いたが、夫は、昨年定年退職してから、自分で会社を興して自宅で仕事をしている。

事務所を借りることも検討したのだが、経費がかかることと、幸い自宅の2階は、私と夫の、それぞれの部屋をとっても、あと2部屋空いているので、当面、2階の洋間が仕事場になっている。来客は、玄関から直接2階の仕事場に直行してもらっている。

仕事を手伝ってくれている人は、夫の中高校時代の友人と、あと以前の勤め先の友人などである。が、ほとんどは、夫一人で抱え込んでやっているので、夫は、非常に忙しい。

経理は、本来は、私がしなければならないのだが、会社を興したころ、私が酷い鬱病になっていたので、当面は、近所に住む、義弟の同級生にやってもらっている。そろそろ選手交替しないといけないのだが、なんだかんだと理由をつけて、先延ばししている。

夫の仕事の手伝いをするようになったら、こんなふうに呑気にブログなど書いていられなくなるかもしれない。


昼食

2012年10月02日 02時16分05秒 | 日記
夫が家で仕事をするようになって、毎日、朝、昼、晩、三食の準備をしなければならなくなった。

夫は仕事に没頭するタイプなので、昼食の時間が定まらない。

急に出かけることになったと、12時前に要求されることもあるし、12時ジャストを食べ頃にして作って待っていても、午後2時近くまで下りてこないこともある。

私は専業主婦なので、ずっと夫に合わせる生活をしてきた。だからこれも仕事の一つと割り切って考えるようにはしている。しかし、自分の時間は、ずいぶん無駄になると感じるときはある。

私は、だいたい午前中に家事を終えて、午後は、夕方までは自分の時間にして過ごしたいと思っている。読みたい本が山をなしているから、午後は読書に当てたいのだ。

しかし夫が昼食を済ませてくれないと落ち着かない。

一昨日は日曜日だったので、自分の都合で、少し早めに昼食を作った。午前中の家事の流れで、早めに昼食の準備に取り掛かってしまったのだ。それで出来上がる前、念のため、2階の書斎に行って、おそるおそる夫に一声掛けた。すると、「早すぎる!」と一喝された。

別に怒っていたわけではなかったかもしれないが、仕事で気が立っていたのか怒っているように聞こえた。昼食の献立が煮込みうどんだったので、私は困惑した。しかし、仕事の邪魔をするわけにはいかないので、黙って階下で待った。

結局、夫が降りてきて昼食を摂ったのは、午後1時半であった。出来上がっていたうどんは、出しを吸って膨れて、見るも無残な姿になっていた。私は、いつも食べ頃においしく食べてもらいたいと最大限の気を使っているので、がっくりしてしまった。

こういう些細なことでも主婦は疲れる。仕事を頑張ってくれている夫からみれば贅沢な悩みかもしれないけれど・・・。

台風一過

2012年10月01日 08時40分36秒 | 天候
台風一過で、さわやかな朝である。

昨日は、夕方買い物に出ようとすると、猛烈な風で、身の危険を感じたので、家に舞い戻ってきた。ああいう激しい風に遭ったのは、ひさしぶりのことだった。

私は台風が嫌いではない。というのが、私の育った高知県は全国有数の台風被襲来地であるから、嵐の爽快感?も知っているのだ。

家が壊されたり、人が亡くなったりするのは困るが、台風の激しい風雨は、実は好きなのである。

まだ高知にいたころ、台風の波を見に行こうということになって、母と桂浜に行ったことがある。桂浜は、太平洋に面しているせいもあって、普段から比較的大きな波の打ち寄せる浜であるが、その台風のとき見た波は、怒り狂ったという形容がぴったりするような、恐ろしい波であった。

曇天の空の下に、高さ10メートル以上の波が立ち上がり、浜に打ち寄せてくる様は、この世のものとは思えないほどの迫力があった。

その波に圧倒されながら、しばらく滞在の後、家に帰ろうとバス乗り場に引き返すと、全てのバスが運休してしまっていた。困った私達は長浜という町まで歩いて、知り合いの家でバスが動き出すまで待たせてもらった。

台風がくると、よく昔のこのできごとを思い出す。