神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

試練・・・上になったり下になったり

2016年09月12日 09時45分11秒 | 新聞記事
今日は新聞休刊日である。

そのことを忘れて、食堂の上においてあった新聞を、また読んでいると、昨日も読んだ記事だが、こういう歌の紹介があったので、備忘のために記録しておくことにする。
  
  片仮名のトの字に一の引きようで、上になったり下になったり


なるほど、うまくできた歌である。

そして含蓄がある。

同じ出来事でも、上におくか下におくかで受け取り方は全然ちがってくる。

私は、どちらかといえばペシミストで、物事を悲観的に受け取ることが多いが、

一昨日の「欠けたものを補って生きる・・・パラリンピック」に、やっほさんという方は、

>アナウンサーをしていたその人こそ、文章を書くのが得意だと思っていた。

その人からbikoさんに対して
>「この人は文章を書くことに自負があるのでしょう」
と言われたのだから、
少なくとも ”文章では叶わない” と認めたのでしょうから、
胸を張っていれば良かったのですよ。


と、コメントくださった。

私は、このメーリングリストでの、この発言、その他から鬱病になり、その後、精神薬を飲んで酷い目にあった。

やっほさんのような受け止め方をしていれば、鬱病などになる必要はなかったのだ。

話は変わるが、私の次男はアトピー性皮膚炎であった。

幼稚園に通っていた頃は、そのことで酷い苛めに遭い、辛抱強い次男も、ある朝ついに幼稚園に行けなくなった。

なにしろ、幼稚園では理由もなく、蹴飛ばしてくる子がいたし、言葉による侮辱もひどいものであった。

行けなくなるのが当たり前と思えるような酷い苛めだったので、私は幼稚園を休ませた。ずっと行かなくてもいいとさえ思っていた。

1週間くらい休ませたあとだったろうか。

次男は、また自分の意思で通園を再開した。

たぶん休んでいた間、幼い頭で考えたのだろう。休んで家にいても仕方ないと。

それからは、どんなに苛められても休むことはなかった。

次男の通った幼稚園は公立の幼稚園だったから、そのまま、小学校、中学校と、その苛めの構図は続いた。

が、幸い、次男は比較的勉強のできる子だったから、小学校に上がってからは、苛める子は苛める子でいたが、別の視点から次男の味方になってくれる子も増えた。

次男は、いじめっ子達も通っていた塾というものに一切行かなかった。

が、それでも、高校受験も、大学受験も、志望校に合格できた。

おとなしくて、やさしい次男ではあるが、芯は強いと思う。

幼稚園のころは、蹴飛ばしてくる子がいたら、蹴飛ばし返せばいいのにと、母親の私は思っていたのであったが、次男は、じっとされるがままになっていた。けっして仕返しはしなかった。

一度などは、まっさらの白いTシャツの背に蹴飛ばされた時の靴跡をくっきりつけて帰宅したこともあった。

そのころは、私は、次男は弱い子だと思っていた。

が、今となると、次男は、三人の我が子のなかで一番強い子だったと思う。

次男は、トの字の上におく一の字を試練と受け止めて耐えたのだろう。

今はシステムエンジニアとして立派に仕事をしているらしいし、昨年は可愛いお嫁さんも来てくれた。

私は、わが子ながら、次男を尊敬する。

  アトピーであることだけで苛められぢつと耐えゐし幼き次男  biko