神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

斜め向かいのお家のお引越し

2015年01月31日 13時23分38秒 | 近所
昼食を摂っていると、家の前に大きなトラックが入ってきた。

斜め向かいの家の引越しだ。

今日が土曜日だから、午後いっぱいを使って運び込んで明日の日曜日に荷物を納める予定なのだろう。

と思いながら眺めていると、もう1台トラックが入ってきた。



最近は、どこのお家も荷物が多いから、引越しは大変だ。

引越しを見ていると、日ごろからスリムな暮らしを心がけていないといけないと思う。

と思いながら、片付けの苦手な私は、どんどん物を増やしながら生きている。

  片付けの下手な私は増えてゆく物に囲まれ古(ふ)りてゆくなり  biko

冬の雨

2015年01月30日 17時27分31秒 | 日記
               (台所の勝手口を開けると見える羊歯)

今日は、一日中雨であった。

一年中で一番寒い時期の雨ということになるが、しかし私は今日の雨に春を感じた。

日本には四季があって、春、夏、秋、冬と概ね気温で区別されているが、水の惑星である地球の、なかんずく水に恵まれた日本の四季は、水の循環の国といえるような気がする。

私の住んでいる地域は、ほとんど雪が降らないが、雪であれ、雨であれ、こういう寒さのピークに降る雪や雨に私は春を感じるのである。

雨に地面が湿りを帯びてくれば、春。

これでもかこれでもかと降りまくるのが夏。

その後、その雨で潤った地面をからからにするのが、秋。

地面がからからになって、空気中の湿り気もなくなるのが冬。

そういうふうに分けると、

2月~4月までが春。

5月~7月までが夏。

8月~10月までが秋。

11月~1月までが冬。

という暦どおりの季節の分類になる。

気温だけで季節を分類しようとすると、まだこんなに寒いのに春?

と疑問に思うが、水分、つまり地面の湿り気で分類すれば、現在の歳時記は正しい、ということになる。

明後日からは2月。

まだまだ寒いけれど、どんどん地面が湿りを帯びてくるから、春なのである。

昔の陰暦は立春がお正月であったから、年賀状に「初春」と書くのは、自然だったのである。

寒さの最中であるけれど、2月の声を聞くと、こってりしたものより、寿司などが食べたくなる。

  海苔巻きを作つて食べたくなる二月 海苔屋にそそのかされるならねど  biko  

母のこと

2015年01月28日 12時43分07秒 | 家族
                (ご近所の塀に咲くすみれ)

実家の母は89歳である。

78歳で脳梗塞を起こすまでは、年齢より見た目も若くて、頭も冴えていた。

が、脳梗塞を起こしてからは見た目も急に老け込んだが、それより明晰だった判断力が鈍ったことが娘としては悲しい。

長年活け花教授として、活け花界に君臨していただけに、未だに周囲を自分の思いのままに動かそうとする。

動作も緩慢になっているから活け花界から足を洗うように言うのだが、聞く耳を持たない。

現在も、私の母校の課外活動の先生として出向いているのみでなく、国立大学のクラブ活動の先生としても出向いている。

歩けることは歩けるのだが、危なっかしい足取りだから、見るに見かねてからだろう。送迎もしてもらったりしているらしい。

昨夜は夫と、あれだけの年寄りだから、もうお役目辞退するのが正しい道だと話し合った。

しかし、母は聞くような人ではない。

兄亡きあとの実の子は私だけだから、私が引導を渡さなければいけないのだろうが、聞いてくれる人ではないから、直言すれば喧嘩になることは目に見えている。

が、考えようによっては、活け花があるから、何とか生きながらえているところもあって、これを無理に取り上げてしまうと、そのまま寿命も尽きるかもしれない。

実は、母は一昨日入院したと連絡があったので、お見舞いに行くというと、母は、入院中は完全看護だから来なくていいが、退院したら来てと言う。

退院したら、あちこちに卒業式の花を活けにいかないといけないから、(夫の)運転する車が必要だと。

夫は、細々ではあるが、自営しているから、そんな母の用事に付き合っていられない。

結局、お見舞いに帰省するのは止めた。

外から見ると親不孝な娘に見えるかもしれないが、母のわがままに付き合うほど夫に時間はないし、私の体力も足りない。

  おだやかに歳とることはむづかしく老いても頑張る人は頑張る  biko

通院日

2015年01月27日 16時25分10秒 | 日記
                (道中のお花屋さんのお花)

今日の午後は、心臓検診のための通院日だった。

真冬の格好をして外に出てみると、拍子抜けするほど温かかった。

急に春がきたかと思うほどの陽気だった。

そこで、お花でも写そうと、キョロキョロしながら病院に向かったが、今日が特別温かいだけで、まだ冬の最中なので、当然、どこにもお花は咲いていなかった。

が、途中のお花屋さんには、春のさきがけのようなお花が並んでいたので、とりあえず撮影した。

山茶花の咲いているのも見かけたが、こちらは、初冬から咲いていることもあって、くたびれていたので写さなかった。

行きは、こんなに晴れていたのに、帰りは、小雨のぱらつくお天気になった。

で、肝心の検診結果だが、冬の間動かず食べてばかりいた結果がしっかり血液検査に出ていて、中性脂肪が高めなので食事量を減らしてくださいと言われてしまった。

ああ、困ったなあ。最近、何を食べてもおいしくてたまらないのよね。

昨年の精神薬の離脱症状の頃のことを思えば、天国な毎日が続いていると喜んでいたけれど、世の中、それほど甘くはないんですね。

  食べられぬ苦しみののち食べ過ぎることを止めねばならぬ苦しみ  biko

今日も昼寝を

2015年01月26日 21時20分29秒 | 日記
昨日は昼間外出していて、パソコンの世話をしなかったので、夜、いろいろ世話をした。

世話というのは、いつも見ているサイトを見るとか、返事のいるメールに返信をするとかである。

夜12時を過ぎても全然眠くならないので、午前3時頃までパソコンの世話をしていた。

これは夕食を簡単にしすぎて満腹になっていなかったから眠気が襲ってこないのかもと気づいたので、その後、お正月の残りのパック餅で雑煮を作って食べた。

やがて睡魔は訪れて眠れたのだが、今朝は、朝6時ごろ実家の母から電話があったと、夫に起こされた。

ゴミの日でもあったので、そのまま起きたが、昼食後、猛烈な睡魔が襲ってきて、昼寝、それも爆睡といえるような眠りに墜ちてしまった。

目覚めたのが、午後4時ごろだった。

起き上がって、またちょっとだけパソコンの世話をすると、午後5時くらいになった。

この時刻になると、さあ今日の晩御飯は何にしようかということになる。

幸い、年末にお歳暮でいただいた石狩鍋のセットが冷凍庫にあったのを思い出して、夜は、それにした。蟹、鮭、ホタテ貝、肉団子の入った豪華鍋であった。

それにしても、冬場は、昼寝をすると、あっという間に夜になる。

人生の終盤にさしかかっているわれわれの今後の人生も、こういうふうに夜になる、否、晩年になるのだろうと考えてしまった今日の昼寝であった。

  年寄りになれば一日(ひとひ)は短くて昼寝をすればすぐに夕食  biko

長男を送って近江八幡市まで

2015年01月25日 21時42分55秒 | 日記
                (途中、桂川パーキングエリアで昼食)

今日は、昨晩泊まった長男を送って、近江八幡市まで行った。

別に送って行く必要もなかったのだが、いただきもの(お米、ビール、ジュース、コーヒー等)を分けてあげると結構な嵩になったので、久しぶりに孫に会うことを兼ねて送って行ったというわけ。

↓孫へのお土産のグリコ大箱?
(孫はお食事中だった)

↓中には、こんなお菓子が入っていた。


  大型のグリコの箱におまけつきグリコの小箱、ポッキー、ビスコ  biko

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帰りは高速を使わず一般道路を走ったから、ずいぶん遅くなってしまった。

お昼に長男に合わせて食べたラーメンとチャーハンのセットのボリュームがあったので、夜は簡単にパンとローストビーフで済ませた。

おでん

2015年01月24日 18時50分17秒 | 日記
                (大根と昆布のあっさり煮)

昨年の今頃は、前年春から服用していた精神薬を急に止めたための離脱症状で何もできなくなっていた。

夜一睡もできなくなって、一日中、吐き気がして、実際吐いたりしていた。

離脱症状だったということは必死になってネットで勉強して後で判ったことで、その時は、訳も分からず苦しんでいた。

その後、2月8日に別の精神薬を処方され、それを服用してからは、離脱症状に加え、今度は認知症もどきが加わった。

一日中ソファに座ってテレビ画面を見ていたが、画面を見てもドラマの内容などは全然頭に入ってこなかった。

本も、小説などは全然頭に入ってこなかった。ストーリーが追えなかったのだ。

が、不思議なことに、スピリチュアル系の本の内容は頭に入ってきた。

それで、それまで買いだめをして積んどくになっていたスピリチュアル系の本をむさぼるように読んだ。

それが現在も続いている。

結果的に、これは神様の思し召しだったのかと思ったりもする。(これは、なんとか元に戻れたら言えることだが)

で、何もできなくなっていたから、食事の支度もできなかった。

買い物も一人で行けなくなっていた。

夫についてきてもらって、お金も払ってもらっていた。

お金の計算もできなくなっていた。

夫が買ってきた出来あいのおかずとか、夫が作った炒め物が食卓に載った。

夫は困り果てていた。

定期的に訪問してくださる実践倫理宏正会の人にその話をすると、知り合いのお宅でも、奥さんが鬱病になって何もできなくなっていたとき、困ったお連れ合いが、おでんを作って、それを10月頃から数ヶ月にわたって食べ続けたという話をしてくれた。

もちろん中身は無くなってくるから継ぎ足すのだが、温めなおしをしながらだと冬の間中食べ続けることができたそうな・・・。

  その妻が鬱なるときに半年間たべつづけたとふおでんのはなし

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おでんではないが、昨日作った大根と昆布のあっさり煮の温めなおしをしようとして、その話を思い出した。

今夜は、この大根と、昨日夫が買ってきてくれた明太子と、いただいたローストビーフで晩御飯にする。1週間前に漬けた白菜も、そろそろ食べ頃になっているだろう。

お昼は、昨日、夫が買ってきてくれたアメリカ牛をビーフシチューにした。

私は、豚肉や鶏肉はともかく、牛肉を買うときは必ず和牛にする。

牛肉の味は値段に比例するから、高くても必ず和牛にするのだ。

夫は、そこのところがよく分かっていないから、ただ安いという理由だけでアメリカ牛を買ってきたりする。

まあ、それでも、こんなふうに買い物をしてきてくれるのは有り難いものだ。

昨夜、滋賀県に住んでいる長男が、今夜大阪で飲み会かあるので遅くなったら泊めてといってきた。だから、夫は張り切って、自発的に買い物をしてきてくれたのだった。

  料理せぬ夫の買ひこしアメリカの牛肉ながめ悩んでゐたり  biko

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余談の余談だが、私はビーフシチューもクリームシチューも市販のルーは使わない。

私くらいの年齢になると、市販のルーは、どうもくどくて口に合わない。

だから、クリームシチューはホワイトソースを手作りして、ビーフシチューは、夏なら生のトマトで、今頃だと缶詰のトマトで作る。

  香辛料たくさん入れて作るなりアメリカ牛を使つたシチューは  biko

取り留めのないことを長々と書いてしまった。

「聞こえないことってどういうこと?動画を見て考えてみよう」

2015年01月23日 23時54分53秒 | 聴覚障害
昨日の「フェイスブック」の投稿に、「聞こえないことってどういうこと?動画を見て考えてみよう」のことを書いたが、肝心のそのサイトを、このブログでは紹介していないことに気づいたので、今日紹介させていただく。

聞こえないことって、どういうこと?動画を見て考えてみよう

聴覚障害(特に感音性難聴)の実態がよく分かっていただけると思います。

一部抜粋すると、

話をするとき、健聴者にお願いしたいことは次の4つだそうです。
1.口を大きく開けてゆっくりと話す
2.筆談(短く、要点のみを書けばよい)
3.可能ならば手話を使う
4.身振りをつけて話す

補聴器のそばで話してもわからないそうです。そして補聴器をつけていても、言葉の判別のできない聴覚障がい者がほとんど。もし困っているようだったら、声をかけたり情報提供をしたりしてみてください。要望があれば代わりに電話をしてください。

どれもそんなに難しいことではないですね。


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  耳悪しき人の聞こゑは見えざれば誤解は多し聞こゆる人の  biko


内在神

2015年01月23日 06時57分39秒 | 気づき
昨日、最近読ませていただくようになったスピリチュアル系のブログを読ませてもらっていると、「私は、神様の声を聞くことができるが、神様は、別に神様の形で現れるのではない」とあった。

そのときはそういうことはよく聞くと、大して気にも留めなかったが、けさ目覚めるときに、ふと体に電気が走るような感覚を覚えた。

そうだ、それなら、私にも神様は降りてきてくださっている。

そのブログでは、沈黙の重要性を説いているが、沈黙して、自分の深いところに降りていったとき、確かに神様の声が聞こえるときがある。

これは、真に心をむなしゅうしたとき、誰にでも起こる現象だと思う。

これは、法律より、世間の道徳より、もっと強い、絶対的なものだ。

これは、自分の私利私欲を消したときにのみ聞こえてくるものだ。

ということを悟った。

内在神というものかもしれない。

  ちはやぶる神鳴り音にはあらずしてこころの響きと気づくこの朝  biko

フェイスブック

2015年01月22日 21時01分11秒 | 日記
私は、一応、mixiにも、Facebookにも、Twitterにも参加している。

が、ほったらかしにしている。ほとんど読むこともない。

しかし、今日、「聞こえないことってどういうこと?動画を見て考えてみよう」という記事を見つけて、読んでみると、なかなかいいことが書かれてあったので、コメントを付けたくなって付けさせてもらうと、Facebookに繋がるようになっていて、そのついでに自分のホームページも覗いてみた。

以前、一度、このブログをFacebookに繋いでみたことがあったが、急に訪問者が多くなったことに恐れをなして、以後繋いでない。

Facebookは、楽しんでいる人たちは、ずいぶん楽しんでいるようだが、私は、以前、某メーリングリストで怖い目に遇ったので、ネットの交流に臆病になっているところがある。

Facebookは、基本的に、人の善意を信じて運営されているだろうが、世の中には、いろいろな人がいるから、実名、顔まで晒すのはどうだろう。

私は、Facebookの決まりに反して、顔写真は出していない。

しかし、晒すから、昔の友人と再会できたり、新たな友人も作りやすいのだろうか。

以前参加していたメーリングリストで、私は、実名を出してしまって、糾弾されたことは、何回も書いた。ブログに実名を出すと、ネットに流れて危険だからと。

しかし、Facebookの、実名と顔写真の二つながら出すことは、危険ではないのだろうか。


  実名もフェイスもネットに晒しつつフェイスブックのライン流れる  biko

大きな転換期

2015年01月21日 20時24分25秒 | 私の意見
私は政治のことには疎い。

しかし、現在、日本が、世界が、大きな転換期に差し掛かっていると感じる。

今回のフランスの暴動が第三次世界大戦を引き起こすと書かれてあるものも読んだ。

日本の状況も、近隣諸国との関係、経済的な事情など現在極めて危ういというものも読んだ。

私のように家に引きこもっている者は、新聞、テレビ、インターネットなどでしか世の中を知ることができないから、どれが正しいかを判断しかねるところがある。

いま差し迫っていることは、イスラム国に捉えられた壮年男性2人の処遇に対する日本政府の対応であろうか。

ネットでも、さまざまな意見が飛び交っている。

私は、彼らが自己責任で行動した結果としても、同じ日本国民として、むざむざ彼らが殺されるのは耐えられない。

彼らは、私の子供達より少し年長の人たちだ。

もし彼らが自分の子どもであったらと、つい思ってしまう。

最悪、彼らが処刑されることになっても、神様、どうか彼らに苦痛の少ない死を、と祈ることしかできない。

  日の本に生まれ育ちし壮年の安否にわれはこころ奪はれ  biko

昼寝

2015年01月21日 16時32分22秒 | 日記
昨日の夜は久しぶりにスキヤキをした。とてもおいしかった。(^^)

今日のお昼は、そのスキヤキの残りで牛丼にした。とてもおいしかった。(^^)

その後、さっきまで昼寝してしまった。長い昼寝だった。

これは、スキヤキを食べた幸せな体が私を眠らせたのだと思う。

昨年の今頃、精神薬の離脱症状で、まったく眠れなくなっていた地獄を思えば、本当に天国だ。

眠れないと食べることもできなくなることを知った。

日に日に痩せて、その頃会った人たちには、最近お元気になられましたねと言われる。

当たり前がどんなに幸せなことかと、つくづく思い知った。

  食べられる、眠られること当たり前にはあらざるを改めて思(も)ふ  biko

写真は、昨秋から建築中だった斜め向かいの家。もうほぼ完成に近づいたから、今月末くらいには越してこられるかもしれない。

「『黒幕と言われた男』の著者の戯言」

2015年01月20日 12時42分07秒 | ブログについて
石には玉石混交があって、人間にも玉石混交はある。

本にも玉石混交があって、ブログにも玉石混交がある。

必ずしも玉がよくて、石が悪いというわけではない。

それぞれ持ち味があって、それぞれの存在意義があると思う。

今日タイトルにさせてもらった「『黒幕と言われた男』の著者の戯言」は、友人(と言わせてもらうのはおこがましいが)のブログなので言いにくいが、玉のほうに属するブログだと思う。

このブログの更新は少な目だ。

それも、このブログが玉となる理由のひとつに挙げられるかもしれない。

タイトルの中にある、『黒幕と言われた男』という問題作を著されておられることからも分かるように、かなりの健筆家でいらっしゃる。

この本は、私も、例によって(笑)図書館で借りて読ませていただいたが、その記憶力と的確な記述に舌を巻いたものだ。

彼女は、歌人でもあられて、歌集も上梓されているのだが、巷の歌人の歌集にありがちな変に気取った表現の歌は少なくて、直截なお歌が多い。言葉を変えれば、捻ったりの技巧に走らない誠実な詠いぶりといえるかもしれない。

上梓された歌集名は「ダリア買う」。

そういう方のブログであるから、書き方も直截的だが、大事なところをしっかり掴んで書いていらっしゃる。無駄がないのだ。

大物政治家の秘書をされていただけあって、政治を見る目は的確だし、ぶれない。

私どもは、ニュースを見ても、聞いても、ぼんやりとしか把握できていない事柄を明晰に捉えてコメントされていらっしゃる。

だから、このブログを読ませていただくだけで、事件の捉え直しをさせていただくことができる。

余計な装飾を施したり、迎合した書き方をしないから、一見地味だが、一度その魅力に嵌ったら病み付きになると思われるブログである。

少なくとも、私にはそうである。

昨日のブログタイトルは「動画少年の逮捕」、17日のタイトルは「風刺&パロディ」で、最近のフランスであった暴動の原因を分析していられる。

いずれの投稿も、私情を挟まないで、広い視野から簡潔に書かれている。

  装飾も過剰もあらぬ簡潔なブログのありてその清潔に触る  biko

ナンシー関の『記憶スケッチアカデミーⅡ』

2015年01月19日 23時05分22秒 | 読書
一昨日から、とあることが原因で鬱になっている。

なので、少しでも鬱を追い払おうと、昨日図書館に行ったときに年末にテレビでドラマ化されていたナンシー関の、『記憶スケッチアカデミー』という本を借りてきて読んだ。

本の前半は、ナンシー関が題を出し、読者がその題の絵を描いて送って、ナンシー関がコメントつけるという企画で、人の記憶のいい加減さを笑うのが目的のようだった。

が、面白いはずなのに、どういうわけか、それほど面白いとは思わなかった。

それより、後半の、「ナンシー関の赤パソコン、青パソコン」のほうが面白かった。

これは、ナンシー関が初めてパソコンに挑戦する報告記なのだが、ナンシー関の性格とか、ものの考え方がよく分かって、面白かったのだ。

彼女は、見た目は、太っていたこともあって、美人とは言いがたい容貌だったようだが、しかし、その世の中を見る目は独特で、なかなか才能のあった人のようだ。

女性の視点ではなく、かといって男性のそれでもなく、それらを超越した視点で物事を眺められる人だったようだ。

彼女は、平成14年6月12日に、虚血性心不全で39歳で亡くなられたらしいが、惜しい人を亡くしたものだと思った。

  をんなでもをとこでもない人の書く文章を読むその死ののちに  biko

今日返却する本

2015年01月18日 15時21分29秒 | 読書
今日、返却する本を備忘のために記しておく。

上記の本は、本の題名にしている「水は知的生命体である」ということの、実際の話を中心に書かれてある。

われわれの知らない水の神秘的な姿が詳らかにされている。

われわれの命がいかに水に影響されているかがよく分かる。

  折りたたみ折りたたみして海中(わたなか)に酸素を入れてゆく波のわざ  biko

これは予約してから大分待たされてから借りた本。問題書ということになるのかもしれない。「えっ」と驚くようなことが書かれてあるので、一読の価値があるかもしれない。

  健康にありたくあらば病院に医院に行かぬことが一番  biko

これは、高野山の、専門的ではあるが、分かりやすい解説の書である。

弘法大師の高野山の開創に至った詩を転記しておく。

閑林(かんりん)に獨り坐す 草堂(そうどう)の暁 三寶(さんぽう)の聲(こえ) 一鳥に聞こゆ

一鳥 聲有り 人 心有り 聲心(せいしん)雲水(うんすい)倶(とも)に了々たり

(訳)山奥の草堂にこもり。瞑想にふけっていた後夜、すなわち早朝に、仏法僧(ぶっぽうそう)と三宝の名をもって鳴く霊鳥の声が聞こえる。大自然のたたずまいと一体化したみずからの心情が、そのままこの一編の詩に託されている。


  高野山開創したる弘法の詩文に残る開創の史  biko